序 窮鼠猫を――――
「くっそ! くっそくそがぁああ!!」
ハリネズミのような刃の髪をジャラジャラと振り乱し、船室の中で魔族が暴れる。
世界を支配する魔王の1人、ヴァングリッツ=フラ・J・フィスタルは、軍艦の中に設けられた自室で荒れていた。
一応遮音の魔法をかけてあるので、魔王らしからぬ叫び声は周囲に漏れないが、家具を蹴り壊した衝撃は間違いなく外まで響いている。
だが、そんな事を気にしている余裕もない程に彼の精神は荒ぶっていた。
全て上手く行く筈だった。
彼の立てた作戦は完璧だった――――ただ1つの予想外が居た事を除けば。
「剣の勇者がぁ……!! 奴さえ居なければ……奴さえ! 奴さえッ!!」
彼が魔王同盟の計画を立てたきっかけは、大陸の南側――――恵みが多い土地を欲した事だ。
元を正せば、10年前の戦争の終結後に魔王同士で国の分け合いを行った際、北の大地の一角を割り当てられた事だ。
当時の彼が魔王になったばかりで発言権が虫程もなかったとは言え、欲しい国を主張する程度の事は許されていた。
しかし――――それならば何故、望まぬ北の大地を押し付けられたのか? ヴァングリッツと同じく、新参の魔王であるアドレアスやバジェットは望み通りに大陸の南側を貰ったと言うのに……。
答えは簡単だ。
魔王を代替わりさせる原因となった戦争、その際に先代が残した戦果の話だ。
アドレアスは、先代の魔王が勇者達のリーダーである剣の勇者と相打ちなれど倒しており、バジェットの先代魔王は、槍と盾、2人の勇者を仕留めている。
対してヴァングリッツの先代は然したる戦果もなく死んだ。一応勇者と相打ちで死んではいるが、所詮有象無象の勇者の1人とだ。
その先代が最後に残したパワーバランスによって、ヴァングリッツは貧しい土地を押し付けられる事になったのである。
侵略行為自体は禁止されている訳ではないので、どこかのタイミングで南の大地を奪ってやる――――と思っていたのだが、それを阻んでいたのが東の大陸を二分するように聳え立つウェンダルム山脈だ。
ウェンダルム山脈は、深く、広く、高く切り立った山々。その上、1年中雪が積もり、年の半分は吹雪いている。
更に言うのなら、至竜の寝床の1つとなっているらしく、下手に踏み入れば天災のような化け物にエンカウントする事可能性すらある。
そんな諸々の事情により、散歩気分で登ろうとすれば死に、入念に準備して登っても死ぬ。
そんな場所を、千だの万だのの軍勢を連れて抜けられる訳もない。
では海路なら――――と海へ出れば、そこにも魔族の敵がいた。
魔族にとっての海上の天敵――――幽霊船。
件の幽霊船は、人間の乗る船は素通りさせるくせに、魔族の乗る船は問答無用で食糧から積み荷まで毟り取った上で沈めると言う容赦のない存在だった。
その幽霊船が唐突に姿を消したのが約1か月前。
ようやく侵略が出来る――――しかし、今や大陸の南にある3つの国は人間の手に取り戻され、それを支配していた魔王3人は憎き剣の勇者に敗れて狩られている。
しかも、今代の剣の勇者は、魔王の継承能力を封じたうえで殺す、本当にヤバい相手だ。
奴を放置すれば、いずれヴァングリッツの元に現れる事は目に見えている。ならば、先手を打って始末しよう、と判断するのは早かった。早かった――――が、実際に行動を移すかどうかはまた別の話。
剣の勇者は、ヴァングリッツより格段に戦闘能力の高い魔王バグリースを倒している。
独りで挑めば敗北は必至――――では、どうするか?
簡単だ、他の魔王を炊き付けて戦力にすれば良い。
それが、“魔王同盟”だ。
同じく大陸北側を支配地とするハーディとフィラルテも剣の勇者を排除したい点は同じ。
更に言うのなら、南の大地を欲しているのも同じだ。
3人の利害は一致し、一時的に個の力を誇示したい魔王のプライドを捨てて同盟を組んだ。
しかし、まだ戦力が足りない。
魔王3人が手を組めば無敵――――等と簡単に行ってくれないのがこの世界だ。
何と言っても、剣の勇者は同盟の3人より格上のバグリースを倒している。3人がかりでも勝てない可能性を考えておく必要がある。
そこで、魔王ギガースの出番だ。
戦闘力は最古の血の3人に次ぐ第4位。然しもの剣の勇者とて敵う相手ではない。
それに、万が一にもギガースがやられる展開だったとしても、それはそれでヴァングリッツには美味しい。
人魔共生等と言うふざけた――――愚かでバカバカしい事を掲げている、人間の下等さにも気付けない恥晒しな魔王が消えてくれるなら笑いが止まらない。
だが、仮にも第4位の実力だ。負けるとしても剣の勇者を相当追い詰めて疲弊させるだろう。そうすれば、漁夫の利で剣の勇者を仕留めて手柄は全てヴァングリッツの物だ。
とは言え、直球で「同盟に入れ」と言ってもギガースは入る筈がない。だが、ギガースは自分の支配する国の人間も魔族も捨てられない――――その甘さが命取りだ。
アルバス境国を攻め落とすと脅せば、簡単に折れるだろう。
だが、そこで想定外。
居る筈のない剣の勇者がアルバス境国に居るとの情報が入ったのである。
ヴァングリッツも最初は「都合が良い」と思ったのだ。
剣の勇者の目的はギガースと戦う事以外有り得ない。であれば、放っておいても2人は勝手に潰し合ってくれる、と。
しかし――――実際にぶつかった後の報告が来てみれば……
―――― 魔王ギガース敗北。同時に魔王の座を降りる。
最悪の展開だった。
ギガースが魔王の座を降りたのは、十中八九魔王同盟と直接戦える立場になる為だ。
複数人の魔王で剣の勇者を袋叩きにする展開が、一転して大ピンチだ。
魔王第4位が敵に回り、しかも報告によれば剣の勇者はアルバス境国に留まりギガースに協力する姿勢。
ギガース1人でも魔王同盟の全戦力を使っても勝てるかどうか怪しいと言うのに、そのギガースに勝った剣の勇者まで……。
「ぐぅ……剣の勇者め……!! 勝ったなら、どうしてギガースにとどめを刺していない!!」
正直に言ってしまえば、このまま手を引いてアルバス境国を攻める件は無かった事にしたかった。
戦えば絶望的すぎる。ほぼ死が確定していると言って良い。
だが――――、
「……引けるものか……!!」
魔王のプライドがそれを許さない。
いや、それ以上に、下等な人間如きに舐められるのが許せない。
ヴァングリッツは既に、神器を載せた船を魔物に襲撃されて神器を失うと言う最低最悪の失敗を犯している。
その魔物を見つけて腹の中の神器を取り戻せていればまだしも、そのサメの魔物を発見すら出来ていないのが更に悪い。
人間達が、自分を嘲笑っている姿を幻視した――――……。
「私は魔王だぞ!! 世界の支配者!! 絶対の王!! 魔族こそが世界の頂点に君臨するのだ!! それを……たかが、人間如きに……許されない!! 許される訳が無い!!」
手を引けないのはプライドだけの話ではない。
もし仮に手を引いたとしても、ギガースと剣の勇者はそんな物関係なくヴァングリッツ達を狩りに来るだろう。
魔王3人が固まっている状況ですら勝ちの目は薄氷の如く薄いと言うのに、もし1人の時を狙われたら何もできずに嬲り殺しだ。
となれば、生き残る為にはギガースと剣の勇者の2人を同時に返り討ちにするしかない。
だが、どうやって――――?
「…………いいや、手は有るじゃないか……!」
魔王イベル。
何かと謎の多い、何事にも「我関せず」な魔王。
だが、その技術力は飛び抜けており、ヴァングリッツも色々な兵器を融通して貰っている。
その見返りとして自国の人間を要求されるのだが――――イベルの国の食糧事情はとても悪いと聞く。それを考えれば、渡した人間達がどんな事になっているかは想像に容易い。
人間が何千、何万死のうが知った事ではないが。
そのイベルから、船に積まれている魔法の増幅器と一緒に渡された“試作品”。
本人曰く、
『使えば絶大な力が手に入るよ。まだ試作品だから安全性は保障しないがね』
との事だった。
あまりにも怪しくて手を出していなかったが――――この際多少の危険は飲み込む。
「殺してやる……!! 勇者も……! 人間に与する愚かな魔族も!! 全部、全部……殺してやるッ!!」




