1-31 魔族は勇者に踊らされる
アドレアス=バーリャ・M・クレッセント。
人間にとって絶対的な恐怖の象徴である13人の魔王の内の1人。その臣下であるジェンス=ジャム・グレ・アレインスは、魔王アドレアスの命によってクルガの町を支配している。
町の中に、魔族への反抗組織が存在している事は知っている。だが、それも小さな物で、表立って動くような事もないので放置している。
クルガの町周辺は魔物もさほど強くないので、そこまで防備を固める必要もない。
言ってしまえば、闘争を常とする魔族にとっては退屈な場所だった。
それなのに―――ここ最近は町が騒がしい。
魔王アドレアスから荷を送られ、それが何者かの手によって盗まれた。それが全ての始まり。
未だ、その犯人は捕まらず、正体は掴めていない。
だが―――今、目の前に、そいつが現れた。
* * *
「バ…カな…ッ!!?」
屋敷のテラスから思わず身を乗り出す。
現在、元領主邸こと魔族屋敷の前に在る広場では、屋敷に侵入した人間の処刑が行われて居た。
ジェンスは、処刑場へは行かず屋敷のテラスで高みの見物を決め込んでいた。
元々この処刑自体に大した意味はない。侵入者の女の仲間である、荷を盗んだ姿を見せない鼠を引っ張り出す為の巨大な鼠箱。
そして、その狙い通りに鼠が箱に入って来た。
ただ、予想外の事があったとすれば、それは―――鼠の正体が魔族の天敵だった事だろうか。
「勇者だとっ!!?」
勇者だった。
処刑場に降り立った黄金の鎧を纏う人間。その手に有るのは、神が人間に与えたと言われる“魔族殺し”の剣。
勇者にしか振るう事の出来ない―――旭日の剣。
魔王アドレアスが、深淵の匣に入れてジェンスに「厳重に保管せよ」と命じて送って来た物。
つまり、あの人間が盗んだ犯人。
今までバラバラだった情報のピースが、真ん中に“勇者”と言う記号を置いた瞬間にカチリカチリとはまって行く。
常人を遥かに超えた隠密能力、そして手練れの魔族を1撃で倒す圧倒的な戦闘能力と、ジェンス達を手玉に取る知略。
何より、神器を狙った理由―――。
全て、勇者ならば説明がつく。
「舐めた真似を……ッ!!!」
握っていたテラスの柵がグシャリと拉げる。
どうやって深淵の匣を開けて神器を取り出したのかは不明だが、そこは問題では無い。今、勇者の手に神器が有ると言う事実が問題なのだ。
それに―――
「……む?」
気付く。
勇者の身に着けている黄金の鎧には見覚えがあった。
オリハルコンの鎧。
魔王アドレアスより、ジェンスに下賜された鎧。そして、神器の入った深淵の匣と一緒に盗まれていた物。
しかし―――
「バカなッ!? 昨日、勇者が屋敷に潜入した際に、逃げる為の囮として置いて行った筈……今も、あの鎧は私の部屋に…!?」
慌ててテラスから部屋に戻る。
鎧は無かった。
自身の魔法でつけてしまった焦げ跡も、修復の魔法をかけた後に丹念に磨かせて消した。
「ようやく戻って来たか」と満足して私室に飾り、今朝も鎧を前に主である魔王への忠誠を誓った―――それなのに、そこには何も無かった。
どう言う事か?
考えるまでもない。
ジェンスにも見張りの魔族にも気付かれずに、勇者が再び盗み出したのだ。
「くそ、くっそッ!! 処刑前で、警備には蟻一匹入る余地は無かった筈……どうやって……!?」
ジェンスは再びテラスに戻り、そのまま庭に飛び降りて処刑場に向かって走る。
理解したからだ。
今の状況は非常にまずいと言う事に。
勇者に神器が渡り、しかも勇者が身に着けている鎧が魔王からの贈り物。
ここで勇者を仕留められなければ、自分も部下の魔族も、間違いなく魔王の怒りを向けられて殺される。
そして、主であるアドレアスは、勇者に神器を奪われた間抜けな魔王として、他の魔王達から笑い者となるだろう。
下手をすれば、人間達にすら舐められて、他の地域の支配に支障をきたす可能性すらある。
「勇者は、確実に、ここで殺さねばならんッ……!!」
ジェンスは走る。勇者を殺す為に。
主の名を守る為、自身の命を守る為―――何より、散々こけにされてボロボロなプライドのつけを払わせる為に。
* * *
「黄金の……勇者…様…?」
ユーリは断頭台に固定されたまま呟いた。
目の前には、大きな黄金の鎧を着た騎士。その手に有るのは、本に描かれた姿を何度も何度も見て来た―――旭日の剣。
勇者の資格を持つ者でなければ、触れる事すら出来ないと云われる“勇者の剣”。
2本のチューリップが絡み合うような姿をした柄と、そこから真っ直ぐに伸びる汚れない真っ白な刀身。
剣からは、絶えず仄かな光が放たれ、まるで―――雲の中で雷が轟いているかのようだ。
その力強さに、その神々しさに、涙が零れた。
ユーリはずっと憧れていた。
本の中で語られる、魔王や魔族達から人々を守る勇者に。
その憧れが、自分を助けに現れてくれた―――…。
夢のような気分だった。しかし、体中の痛みがこれが現実だと教えてくれている。
今にも意識を失いそうになる体とは裏腹に、心の中はフワフワとした言葉に出来ない気持ちが、湧き水のように溢れて来る。
そんな感動を切り裂く大声が響く。
「殺せッ!! 勇者を生きてこの町から出すなッ!!!」
断頭台に固定されているユーリには、背後―――魔族屋敷の方から聞こえる声の主を見る事は出来ない。
だが、その声はよく知っている。
この町を支配する上級魔族のジェンスだ。
魔王アドレアスの片腕とも称される程信頼を得ており、その戦闘能力は折り紙つき。
始めてこの町に訪れた時、たった1人で町に居た戦士を皆殺しにした悪夢のような記憶は、クルガの町の住人全員の脳裏に焼き付いている。
ユーリを始めとした住人達の持つジェンスのイメージは、“物静かな化物”だ。礼儀正しい口調で、怒る事もなく、静かに微笑み、そして邪魔な物を淡々と殺す。
そのジェンスが、声を荒げている。
処刑場に乱入した黄金の鎧は―――黄金の勇者はそう言う存在なのだ。
魔族にとって、唯一恐れるべき人間、それが勇者。
ジェンスの命を受け、即座に処刑台の周りに居た魔族達が反応する。
武器を、爪を、近接魔法を構え、処刑台の上に居る黄金の勇者に躍りかかる。
「シャァアアアッ!!」「死ねぁ!!」「忌々しい勇者がッ!!!」「首を寄越せ人間!!」
数は5人―――四方から勇者を狙って飛ぶ。
対して、勇者の反応は単純だった。
ユーリを固定している台座に片足を置き、体を一段高くして、空中に居る魔物達を迎え撃つ。
迎撃に選んだのは剣戟。
フェイントも支援の天術も何もない。ただ、剣を横薙ぎに振るう、ただそれだけ。
ゆったりとした動きで振るわれた剣が、1人目の魔物を捉える。だが、相手も馬鹿ではない。持って居た槍で即座に受けに回る。
勇者の剣は、それを素通りした。
いや、正確には“素通りしたように見えた”、だ
勇者の持つ剣は、攻撃を受けようとした槍を、魔族の纏っていた金属の鎧を、魔族の強靭な肉体を、全て
紙のように両断した。
横薙ぎに振るわれた剣の勢いは欠片も止まらない。
2人目の魔族の体を、1人目と同様に切り裂く。
3人目は避けようとしたが、反応が間に合わず胴体が上下に分かれた。
4人目は体を捻って回避を試みたが、踏み込み過ぎて勇者の剣の間合いから逃れられず、首が吹き飛んだ。
5人目は、用意していた近接魔法を防御魔法に切り替え、氷の盾を創った。しかし、勇者の剣の放つ雷光のような光が氷の盾を叩き割り、結局上半身と下半身が離れる事になった。
「ガッ…!?」「ギャ、ブッ」「ぁ…!」
2つに分かれた魔族の体が、圧倒的な力で切り裂かれた衝撃で広場の端まで吹っ飛んで行った。
あまりにも呆気ない戦い。
その光景に、集められていた住人達は、感嘆よりも先に困惑してしまった。
「……は?」「何、今の…?」「え……? 倒した…?」
普通の人間にとっての「強い」とは、魔族と一騎打ちで戦える程度の事。だから、目の前で見せられた、魔族を草のように刈り取る程の力に対して頭が追い付かない。
普通の人間が勇者の戦いを見る機会なんてまず無い。当然、クルガの町の住人達も見た事はない。
故に、誰も勇者の力なんて期待していなかった。
10年前の戦争で魔王達に敗北し、世界の蹂躙を許した勇者達は憎悪の対象だった者も居る。
しかし―――それでも―――目の前に現れた黄金の勇者は、そんな怒りを、過去の敗北を、魔族に虐げられる現実を、全て、何もかもを振り払ってくれると、希望を抱かせる存在であった。
住民たちは勇者に見惚れ、魔族は迂闊に攻められないと気付いて隙を窺う。
誰も動かない静かな時間。
その中にあって、周囲の緊張感を欠片も気にせず勇者は動く。
ユーリの首と腕を固定している台座の金具に刃先を当てて、黙々と壊していく。
剣を戦闘以外の事に使っているなんて、この場においては絶対的な好機―――魔族達が動こうとしたその瞬間、勇者が左手を向ける。
黄金の籠手に包まれた左手に、黒い光が渦巻く。
「まさか―――!?」
黒い光が収縮し、巨大な火球が襲いかかろうとしていた魔族達に向かって飛ぶ。
「魔法だと!?」
勇者の手から放たれたのは、爆炎の魔法【バーニングエクシード】。
魔族達が逃げる間も与えず、高速で着弾…と同時に爆発して吹き飛ばす。住民達の所に爆風や熱波が届かないように威力を調節している辺り、魔法使いとしての技量は相当な物だ。
だが、何を放ったのかは問題ではない。問題なのは、勇者が魔法を使ったという事だ。
魔法を使えるのは魔族だけ。人間はそれに対抗して天術を使いだした。
つまり勇者は……。
「貴様っ、人間ではないなッ!!?」




