8-28 幽霊船は死の海を漂う
船長ザルア。
“彼”がそう呼ばれていたのは、もう半世紀以上前の話である。
彼が海賊となろうと決意した時、世界は今以上に、魔族と魔物によって混乱していた。
魔族との戦いが、10年前の戦争で「人間の敗北」と言う形で終わる以前は、世界中何処に行っても、魔族と人間が殺し殺される戦いに日夜明け暮れ、そんな両者を容赦なく魔物達が襲う。そんな混沌とした世界だった。
そんな混沌とした世界にあって、彼が海賊となったのは、単純に海が好きだったからである。
当時の海は、海洋の魔物の数も少なく、魔族もそこまで大規模な船団を持って居なかった為、ほとんど人間達の支配領域であった。
しかし――――徐々にではあるが、海での活動がし辛くなってきているのも事実。
そんな時に現れたのがザルアであった。
彼は、どこの国にも従わない。
彼は、どこの軍にも所属しない。
彼が従うのは、海の流れと、気紛れな天気だけだ。
“海賊”を名乗る彼であったが、人を襲った事は1度も無い。勿論、「海賊の討伐」なんぞと銘打ってザルア達の持つお宝を狙う輩は、問答無用で魚の餌にしたが、それはあくまで自己防衛の為であり、自分から襲いかかるような事はしない。
ザルア達海賊団の狙うのは、魔族と魔物…………愛する海を穢す、化け物達だけだ。
西に魔族の乗る船がいると聞けば襲いに行き、東に商船を襲う魔物がいると聞けば退治しに行く。
常勝無敗。
海の上において、ザルアの海賊団に勝てる者なんて居なかった。
そんな彼らだからこそ、いつの間にやら、通り名で呼ばれるようになった。
―――― 青の守護者
見渡す限りの空と海の青、その静寂を護る者。
ザルアの率いる海賊団は、何処にも、誰にも従わない。
だが、彼等の有用性、必要性は、彼等の存在を知る全ての者達が理解していた。
表立っての協力や援助は無いが、様々な国や要人達が彼等の背を押していた。
食料や水、武器や人材、船を修理する職人や物資。
必要な物があれば、どんな物だって密かに彼等の元へ届けられた。
そんな物の中に紛れていたのが、後にザルアのシンボルとして知られる事となる不思議な武器であった。
異世界の人間であれば、それを“銃”と即座に理解したであろうが、それが何であるか理解出来る者は居なかった。
弓のように遠くの目標を攻撃する事が出来るが、放つのに弓のような大きな動作は必要無く、自身の魔力を矢の代わりに撃ち出す為に、矢を番え直す隙も無い。
それを持って来た商人の男曰く、「勇者の持つ神器を与えた神が、“ついで”に地上に置いて行った武器」との事だった。
その話の真偽はともかく、ザルアはその武器をとても気に入って肌身離さず持ち歩いていた。
ザルアが海賊となってから10年近く経った頃――――海の魔物は日に日に増え、魔族達も海上の支配を広げていた。
それでも、彼等は勝ち続けた。
魔族だろうが、魔物だろうが、海の上では絶対に負けない――――そう、誰もが思っていた。
そんなある日、ふらりと1人の魔族がザルアの船に訪れ、常勝無敗のザルアを秒殺した。
不意打ちをされた訳ではない。
正面切って「さあ、勝負しようか?」と言われ、武器を構えると同時に首を吹っ飛ばされて死んだ。
その魔族が、当時の“F”の名を持った魔王であった事をザルアが知る事になるのは、死んだ後の話である。
その後、船長を失った部下の海賊達に、その魔族は――――魔王は名乗ると、厳かにこう言った。
「お前達の主人を助けたいか? 望むなら助けてやろう。ただし、貴様等全員の命を引き換えだ」
と。
魔王の狙いは分からない。だが、その話に乗る以外に、ザルアを助ける方法は無かった。
蘇生の秘薬や術式なんて、伝説の中でのみ存在する物で、実際は死んだ人間を生き返らせるなど、人の手では不可能だから。
もし、そんな可能性があるとすれば、超常的な力を持つと言われる魔王くらいな物だ。だからこそ、海賊達は、その小さな、小さな可能性に縋った。
ザルアを失う訳にはいかなかったから。
ザルアに死んでほしく無かったから。
たとえ、たとえ――――全員の命を代価に支払う事になったとしても。
そして、魔王は約束を違う事無く、ザルアを生き返らせた。…………いや、「生き返らせた」と言うと語弊がある。
何故なら、何故なら――――目を覚ました時、ザルアは、人ではなくなっていたから。
肉と血、そして人としてあるべき体温を無くした骨だけの姿……スケルトン。
それが、魔王がザルアに与えた新しい“命”であった。
そんな、異形として蘇えった……蘇ってしまったザルアの周りには、自分と同じように骨だけになった仲間達。ただし、ザルアのように起き上がりはしない。本当に、本物の、ただの骨だった。
目の前が真っ暗になる。
何が起こったのか理解出来ない。
自身が、船に乗り込んで来た魔族に殺され――――そして、どうなったのか?
状況を理解出来ないザルアに、船首に座っていた魔王がパチパチと場違いな拍手を送る。
「おめでとう海賊君。人間を止めた気分はいかがかな?」
「俺の体に何をした……?」
「そんな睨まないでほしいな? 睨むと言っても、もう君には目が無いのだが……クッククク、我ながら中々の冗句じゃないか?」
「言え!」
「そう怒るなよ。本当なら冥府へ旅立つ筈だった君を、私の慈悲により、君の部下達の命を生贄にして現世に留まらせてやったんだ。感謝されこそすれ、睨まれる理由は無いと思うのだが?」
「仲間の命を……生贄……に……?」
気付く。
自分が、目の前の魔族に戦いを挑まれ、そして何も出来ずに死んだ事を。
そして、死んだ自分を生き返らせる為に、仲間達の命が支払われた事に。
自身が死んだ後に、魔族と仲間達の間でどんなやり取りがあったのかは知らない。だが、仲間達は無理矢理命を奪われたのではない事くらいは分かる。
恐らく、魔族から「命を差し出せばザルアを助けてやる」とか何とか言われ、自分を生き返らせる為に、自ら進んで命を差し出したのだろうと直ぐに察した。仲間のバカ共は、皆そう言う奴等ばかりだからだ。
絶望。
絶望だった。
目の前が真っ暗になる感覚。
心が重く沈んで行く。
仲間を失った悲しみと、それをさせた不甲斐ない自分への怒り、そして何より――――目の前の魔族への殺意が、心と頭の中でグルグルと混ざり合って大きくなる。
「ああ、だが、別に、礼を言えなんて言うつもりはない。コチラとしても、“実験”に手を貸して貰って大変助かったのでね? そう言う意味では、礼を言いたいのは私の方か? ふむ……本当はこの場で始末してしまうつもりだったが、この場で君を見逃す事をその礼とさせて貰おう」
立ち去ろうと立ち上がる魔族に、ザルアは武器を向けようとした……しかし、即座に秒殺された事を思い出し、冷や水を浴びせられたように体が動かなくなる。
だから、代わりに言葉を投げた。
「貴様、何者だ……!」
「イベル=シャシャ・ブレイド・F。13人の魔王が1人――――まあ、覚えなくても良いがね? どうせ君とは2度と会う事もないだろう?」
忘れない名だった。
その後、何十年もの間、思い出すたびに苦しむ事になる名だった。
ザルアは力を求め始めた。
魔王さえ倒せる程の力。
仲間達の仇を討てるだけの力。
海の静寂を乱す、全てを滅ぼせる力。
幸い、独りになっても、船は仲間達の魂が宿ったかのように勝手に動き、誘われるように魔物なのか幽霊なのか分からない連中が船に集まった。
魔族を襲っては様々な武具やアイテムを奪い、己を強化する。
弱点を潰す。
得意を伸ばす。
貪欲に求め続ける。
求める。
探す。
探し続ける
―――― 自分の死に場所を。
いつからか、思うようになった。
仲間の命を犠牲にして現世に留まる自分は、惨めで、惨たらしく死ぬべきだ、と。
自分の積み上げる強さを――――全てを持ってしても敵わない、強大な存在に、虫けらのように踏み潰されて死ぬのが、己には相応しいのだ。




