8-6 元教父は知っている
剣と槍の勇者2人……プラス猫1匹、があとにしたヴァリィエンス教会の1室。
部屋の中には、カヴェルと娘の双子だけが残される。
窓からは、キラキラとした眩い程の太陽の光が差し込み、雲1つ無い澄んだ空を、鳥達が楽しそうにパタパタと飛んで行く。
平和だった。
数日前に悪魔が竜巻のように暴れていたとは思えない程、静かで、穏やかな日常だった。
ベッドで上体を起こしていたカヴェルは、日差しから力を貰うように、眩い太陽の光の中で静かに目を閉じる。
そうだった。
目を閉じても、瞼を通っても光がそこに在るのが分かる。
カヴェルは、自分の思考の中で何度も頷く。
そうだ、そうだった、と。
思い出していた。
昔の事を。
ブランとノワール。双子の姉妹を養子として引き取る事を決めた日の決意を。
――― この子達に、安全で平和な未来を作らなくては!
それは、1人の男として、父としての、初めての決意であり、覚悟であった。
覚悟を決めたカヴェルは、目標に向かってひた走った。
力を求め、権力を求め、仲間を求め―――勇者を求めた。
平和な時代を作る為に必要な物は、なんだって掻き集めた。
それでも、何もかもが足りなかった。
魔王1人倒す戦力にすら届かない。
悩んだ。悩み続けた。
七色教の名で護られているからと言って、いつまでも、その平穏が続くとは限らない。もし魔族が気紛れに攻めてきたら、それで全てが終わる。
そうなれば、娘達がどんな目に遭わされるか、それを考えただけで、恐ろしさで心も体も震えた。
急がなければ―――そんな焦りに答えるように、悪魔侯爵ベリアルが語りかけて来た。
悪魔の誘いなど、いつものカヴェルであれば、間違いなく跳ね退けていた。それなのに、カヴェルはベリアルを受け入れてしまった。
今にして思えば、「全て自分の心の弱さのせいだな」と自分でも分かる程の間抜けっぷりだった。
だが、「間抜け」の一言では済まない程の混乱を引き起こした事は事実。
この街に勇者達が………いや、剣の勇者が居なければ、街どころか世界規模での危機になっていたかもしれないのだ。
(娘達を危険から遠ざける為……なんて、言い訳にもならんな……)
フゥっと大きく息を1度吐いてから、ゆっくりと鉛のように重くなった体をベッドから起き上がらせ、光を追いかけるように窓辺に立つ。
カヴェルは、体だけではなく、気持ちが重くなるのを感じた。
言わなければならない。
親として言いたくない言葉を言わなければならない。それを口にすれば、娘達が危険の中に……戦いの渦に呑まれる事になる。
それを分かって居ながら、言わなければならない。
「ブラン、ノワール」
「はい、お父さん」「何、お父さん」
「お前達に頼みがある」
「はい」「うん」
「あの方を―――剣の勇者様を、護って欲しい」
娘達の顔に、困惑の色が見える。
分かっている。剣の勇者を護ると言う事がどう言う事なのか。
剣の勇者は、今や人類の希望であり、魔王をたった1人で打ち倒す、戦力としての切り札でもある。
魔族も、魔王も、そんな事は知っている。だから、剣の勇者はいろんな存在に狙われる。
剣の勇者を護ると言う事は、その全てと戦う事を意味する。
それは、何よりも危険。誰よりも危険。
その、最上級の危険を、娘達に背負えと言っている。
今まで、こんな事を口にした事はない。娘達が危険に晒されるような頼み事はした覚えはない。もっとも、ベリアルに支配されていた時の事を勘定にいれなければ……だが。
「あの御方は、きっとこの世界に―――人類に、神がお与え下さった希望その物だ。何を持ってしても、誰を犠牲にしても、絶対に護らなければならん」
「分かります」「剣の勇者は」「特別だと」「選ばれた者だと」
本当は、自分がその役目をしたい。
己が身を盾にしてでも、剣の勇者を護れれば良かった。
だが、それは出来ない。
カヴェルがどれだけ天術に優れた才を持っていようが、彼はどこまで行っても、所詮はただの一般人だ。
だから、頼るしかない。
「どうか、どうか―――双剣の勇者よ。私の頼みを聞き届けて欲しい」
カヴェルが、自分の意思で双子を“双剣の勇者”と呼んだのは初めての事だった。
だから驚いた。
だから気付いた。
カヴェルは、父として頼んでいるのではない。
力無き、ただの一般人が、勇者に対してお願いをしているのだ。
「お父さん……」「お父さん……」
分かっている。
父の想いは、娘たちにも分かっている。
カヴェルが、自分達に平和な世界を手渡す為に、どれだけ血と汗を流して来たのかは、いつも傍に居たから分かっている。
その父が、今まで頑なに危険から遠ざけていた自分達を、敢えて危険の中に放り込むような言葉を吐いた。
悪魔に支配された事で、心が折れたから―――ではない。そのくらいで覚悟が砕ける程、彼女達の父は軟な人間ではない。
カヴェルは気付いたからだ。
剣の勇者と言う絶対的な希望が現れた今こそが、世界に平和を取り戻す絶対の好機である、と。そして、剣の勇者が失われれば、魔族から人間を解放すると言う光は失われてしまう。
だからこそ、危険から遠ざけていた娘達を戦場へと向かわせる決意をしたのだ。
今こそ、勇者の力を結集して、戦う時だ。
娘可愛さにそれを躊躇い、このチャンスを逃す訳には行かない。もしかしたら、今訪れているチャンスが、本当に人類にとっての“最後”のチャンスかもしれないのだ。
それに―――
(まだまだ子供だと思っていたのに、いつの間にか、こんなにも大きくなっていたのだな……)
娘2人の成長に、その眩しさに目を細める。
ブランもノワールも、不本意にもベリアルの策謀によって、魔族との戦いへと既に足を踏み入れてしまっている。
ベリアルがカヴェルへのストレスとなるように、危ない役目ばかりを双子に押し付けたお陰で、2人はぐんぐんと戦士として成長し、今や他の勇者に負けず劣らずの力を手にして居る。
もう、2人共、とっくにカヴェルの護っている巣から巣立っている。
(親離れ……よりも、私の子離れの方が重傷だな……)
心の中で自嘲する。
巣立った2人は、世界を護る“勇者”の一翼となるべきなのだ。
「望もうと、望まざろうと、お前達は勇者として選ばれた。そこに神の意思があるのだとしたら、勇者たる道を選ぶべきだと、私は思う」
「お父さん……」「私達は―――」
迷っている。だが、それは当たり前だ。
勇者として外の世界へと巣立てと言っても、一緒に行くのは悪魔の一件で敵対した他の勇者達と、だ。
そこに不安があるのは当たり前。
それに2人共、これからも当たり前のようにカヴェルと一緒の暮らしが待っていると信じて疑っていなかった。
それでも―――カヴェルは信じている。
娘達が、勇者として旅立って行く事を。
だって、誰よりも知っている。自分の娘達が、誰よりも平和を愛していて、誰よりも強い心を持っている、と。
無言になった双子から視線を切り、カヴェルは窓の外に目を向ける。
先程までこの部屋に居た、剣の勇者と槍の勇者の背が中央通りの先に見えた。
あまりにも特徴的で、目立つ金色の鎧姿。
だが、カヴェルが目で追っていたのは金の鎧ではない。その肩に乗った、小さな、小さな子猫だった。
ポツリと独り言を漏らす。
「人を救うのは、また人である―――とは、限らない……か」
先程、この部屋で剣の勇者達と話した時、カヴェルは1つだけ嘘を吐いた。
悪魔に憑かれている間の事は、何も覚えていない―――嘘だった。全部覚えている。どれだけベリアルが自分の体で悪逆非道な事をしていたのかも、娘達に死にかねない過酷な命令を出した事も―――助け出された時、ベリアルと相対していたのが子猫だった事も、黄金の鎧の中身が空っぽだった事も。
嘘を吐いた理由は単純だ。
剣の勇者―――あの子猫が、その正体を隠そうとしているから。それだけだ。
彼が……彼女かもしれないが……隠そうとしているのならば、自分もその事実は冥府まで胸の中に仕舞って置く覚悟だった。
「小さな―――小さな、剣の勇者よ。どうか、世界をお願いします」
祈るように、遠ざかる小さな子猫の背に手を合わせた――――……。




