7-32 炎神
光。
光が走る。
光が、満ちる。
教会前の広場の丁度真ん中辺りで、バルトの体が光る。
尚も周囲からキラキラと光る精霊が集まり、バルトを護るかのように集まり続ける。
だが、双子の動きは止まらない。
光に精霊の光に怯える事も無く、驚く事も無く、ただ淡々と敵を殺す為に突き進む。彼女達は、そう言う風に“調整”されている。
だから抗えない。
だから逆らえない。
「槍の勇者」「排除します」
機械のように、感情の入っていない声。
同時に、バルトの前後から刺突の構えのまま、間合いに踏み込む。
その瞬間
――― 精霊の光が、周囲に飛び散る。
「何事」「ですか」
まるで光の雨。
キラキラとした光が、天からヒラヒラと落ちて来る。
住民達が場違いに「綺麗……」などと感想を漏らすが、絶賛戦闘中の者達はそれどころではない。
双子も、光の雨の美しさに目を奪われるような事は無く、ただ一点を見つめる。光の中に居た、敵を。
彼は、そこに居た。
静かに、不自然な程静かに、そこに立つ。
だが、その姿は、あまりにも、あまりにも―――
――― 炎だった。
まるで、炎その物が立っているかのようだった。
真っ赤な、鮮やかな焔が、深紅の槍を持って立っていた。
それは、まるで―――炎を司る神。
「なんだ」
「なんですか」
「お前は」
「貴方は」
炎がユラリと動き、双子を見る。
「僕、ああ、そうか、力、これが、僕の、強さ、道、なのか」
どこか、納得したように。
どこか、ようやく辿り着いたように。
どこか、嬉しい様な。
どこか、悲しい様な。
炎の―――バルトの声。
「行きます」
いつも通りの、馬鹿正直に敵に行動の始まりを告げる。
言うと、静かに、緩やかな動きで、槍をスッと横に振るう。
焔が、巻き起こる。
槍の動きをなぞるように、炎が広場の半径を包むように広がり、輻射熱が近くに居た悪魔の体を発火させ、燃やす。
「―――!?」「―――!?」
双子は理解する。
今、自分達が喧嘩を売った相手は。
今、自分達の目の前に居る敵は。
――― 化物だ、と。
悪魔に支配された心でも分かる。
怖い。
恐ろしい。
今、目の前に居る怪物が、この世に存在している事に恐怖しか感じない。
双子の認識は正しかった。
今のバルトは―――炎に包まれた男は、紛れも無い化物だった。
精霊に愛された者の辿り着く、極地とも言うべき力。
“精霊化”
自身の肉体を、一時的に精霊にする力。
精霊の体には実体が無い。
故に物理攻撃は効かない。
その上、行使される力は、通常の数倍になる。
力も、速度も、肉体の縛りが無くなり、限界が遥か遠くなる。
バルトが選んだのは炎の精霊たる、イフリートの力。
炎を纏う、戦いと勝利の象徴たる精霊。
炎に関するありとあらゆる能力を超強化し、爆発的な肉体能力を得る。
突如戦場に現れた“炎の精霊”に、悪魔たちが、目の前のアザリア達を無視して殺到する。
気付いたからだ。
「この怪物を即行で排除しなければ、自分達が危ない!」と。
その認識は正しい。
が、有象無象の悪魔は、炎の精霊の力と、槍の勇者の力を同時に行使するバルトの敵ではなかった。
「“連槍”」
寄って来た悪魔達に向けて、ヒュッと軽く槍を突き出す。
槍は対象まで届いていない。
しかし―――悪魔達の前に、炎が生まれ、一瞬で槍の形になり、十数人居た悪魔の脳天を残さず貫き、そして燃やす。
バルトにとっての“強さ”の象徴は、無論師である子猫の存在である。
何十、何百の武器を自在に操るその姿に憧れたからこそ、その能力のイメージは楽だ。
炎を武器に転化し、敵に突き刺す。
(違う。師匠の武器はもっと速い! もっと強い!)
異形の姿になって、強大な力を得ても尚、師には届いていない事を実感する。
そして喜ぶ。
まだまだ、全然届かない。それが嬉しい。
己の師が、どれだけ偉大なのかを思い知る。
その高みを少しでも見れた事が嬉しい。
その強大な“山”の弟子である事が誇らしい。
高みは高ければ、高い程嬉しい。
登りがいが有る。
「やらせない」「やらせない」
勇気と気力を振り絞り、双子が“化物”の前に立つ。
化物の―――バルトが双子を見る。
ただ見ただけ。威圧した訳ではない。
それなのに、その視線を向けられた途端に双子に熱風が襲いかかる。
ジリジリと炎で炙られるような、痛みを伴う視線。
見られただけで、この様だ。
「教父の」「邪魔は」「「させない!」」
恐怖はある。
しかし、それを悪魔の精神制御が無理矢理抑え込む。
双子の精神が軋む。
無理矢理歪められた双子の精神が、ビキビキとひび割れて悲鳴をあげている。
それは、バルトにも分かった。
だからこそ、すぐに終わらせる。
師である猫からは、「いざとなったら殺してでも良い」と言われている。だが、バルトには殺す気は一切無い。
だって、バルトは勇者だから。
フェンリルとの戦いで、自分を助けに舞い降りた子猫の背を思い出す。
そうだ、勇者とは、あの姿を、そう呼ぶのだ。
救うべきを救い、倒すべきを倒す。
それが、勇者。
それが、師の教え。
救える者は全て救う。
(それが出来なくて、勇者は名乗れない! それが出来なくて、師匠の弟子は名乗れない!!)
それはバルトの誓い。
それはバルトの意思。
「行きます」
いつも通りに告げる。
「いつでも!」
「どこからでも!」
双子は、決死の顔で剣を構える。
その答えに、バルトは灯の槍を地面に突き刺して、手放す。
双子が、何事かと構えを硬くする。
しかし、バルトが武器を手放した理由は攻撃の為ではない。もっと単純に、槍を振るえば間違いなく双子を殺してしまうから手放したのだ。
炎が風に煽られて、ユラリと揺らめく。
次の瞬間、ブワッと炎が膨れ上がり、双子の視界が真っ赤な炎に満たされる。
「あッ!?」「クッ!?」
炎から距離を取ろうと同時にバックステップを踏む。
が、その瞬間
――― ノワールの前に巨大な炎が立っていた。
炎を纏う化物。
ハッとなって動こうとするが、既にバックステップを踏んでいた体は、瞬間的に空中を泳いでいる。
逃げられない。
次の動きに繋げない。
ノワールの腹に、バルトの―――炎の腕がドムッと食い込み、意識を狩りとる。
命は奪わない。手加減した拳。
相手を燃やさないように、炎の火力も微細な調節している。
「ノワール!」
反対側に居たブランが、叫びながら神器の片割れ、黒い剣を振るう。
バルトは避けない。
避ける必要すらない。
例え神器であろうが、精霊化しているバルトには物理攻撃は意味がないからだ。冷雹の双剣の属性効果である“冷気”の力も、片割れだけではバルトのダメージにはならない。
だが、バルトは敢えて手を出す。
全力の相手の攻撃を無防備で受けるのは、自身の根っ子に有る“正々堂々”に引っ掛かったから。
横薙ぎに振るわれた剣。
普通の人間であれば、軌跡を見る事すら不可能な、高速の斬撃。
その刀身を、バルトは炎の腕で掴む。
「なっ!?」
がっしと掴んだ剣を掲げるように上に向け、無防備になったブランの腹に、炎の拳を捻じ込む。
「グうッ!?」
勿論手加減は忘れてない。
パンチは、あくまで意識を狩る為だ。
「ふぅ……」
終わった。
悪魔はバルトの放った炎で全滅。
双子は意識を飛ばした。
これで、教会の前広場は制圧完了だ。
戦闘の終わりを感じてバルトが気を少し緩めると、纏って居た炎が四散し始めた。
チロチロと舌を伸ばす炎が、空中に散っては消える。
精霊化が解けて、体が急速に物体へと変化して人間に戻ろうとしている。
「ァぐうッ!?」
痛み。
強烈な、自身を死へと誘う痛み。
気を抜けば死の穴の中へと引き摺りこまれそうになる痛み。
「ゲホッ……」
痛みの合間に、胃からせり上がって来る物を我慢出来ずに吐き出す。
真っ赤な、真っ赤な血だった。
堪らず、何度も血を吐く。
「ェホっ……ハァハァ……」
1分程続いた痛みが、熱が抜けるように消えて行く。
意識が揺らぐ。
体が重い。
精霊化の副作用。
自身の生命をゴリゴリと削る副作用。
「大丈夫ですか!?」
アザリアが慌てて駆けて来る。
心配をかける訳には行かない。
平気な振りをしなければ―――咄嗟にそう思ったバルトは、口元の血を拭い、膝を突いたままニコッと笑う。
「大丈夫、です」
本当は全然平気じゃないが、それでも我慢する。
勇者だから。
男だから。
弱った姿を見せる訳にはいかない。
それでもアザリアは、どこか心配そうにバルトを見つめている。
そんな時、不意に闇が晴れる。
空を覆っていた黒い雲が、風に吹かれて薄くなり、微かな陽の光が街に灯り始める。
「兄様だ……!!」
アザリアの言葉に皆が頷き、空から差し込み始めた光を見つめる。
「師匠、やっぱり、凄い……!」
闇に満たされようと、バルトの師たる子猫の力は欠片も揺るがない。
強く、優しく、正義を示す、本物の勇者。
太陽の名を持つ剣を振るう、
――― 太陽を呼ぶ者。




