1-17 その頃魔族達は
少し時間は戻って今朝方の話。
――― クルガの町
町の1番奥にある、小さな城のような大きな屋敷。
元領主の屋敷であり、現在は一帯を支配する魔王の側近の1人である上級魔族の住まう場所。
その屋敷の門を潜って、荷馬車と護衛の魔族達が敷地に入って来る。
「張り合いのない任務だったな?」
「魔王様直々の命令だったからな、少し気を張り過ぎたかもしれん」
「そうだな。折角これだけの戦力が居るんだ、人間共の襲撃がいくらかあったら面白かったんだが」
「はっはっは! 今や人間は家畜以下だぞ? そんな気概がある奴が居るなら、俺が飼ってやるぜ!」
「確かにな」と護衛達が笑う。
目的地に着いて、少しだけ護衛達の空気が緩んでいる。
御者の鼠のような頭をした魔族が窘めようと口を開きかけたが、「もう終わりだしな」と思い直して口を閉じている事にした。
2つ目の門を抜けた所で荷馬車が止まる。
ここから先は馬車では進めないからだ。
荷物はここで降ろして、運び込まれる事になる。
すでにそこには運搬人の魔族が2人待機していた。魔族らしい雄々しい角や尻尾を持つが、身なりや仕草はどこか礼節を重んじる人間の貴族然としている。
「皆様、御苦労様でした」
右側に居た羊のような角を生やした魔族がペコっと頭を下げる。
この“荷運び”は彼等の主である魔王の命令によって秘密裏に行われている事だ。故に、御者も護衛も忠誠心や戦闘能力の高い者達が選ばれている。
だからこその運搬人達の礼儀正しさだった。
「お前達もな」
「荷運びなんて、人間共にやらせるべき仕事だろうに…」
「その御言葉はもっともですが、この屋敷は人間は入れませんので仕方ありません」
「……ああ、そう言えばそうだったな。これは失礼した」
「いえ、お気になさらず」
そんな話をしていると、屋敷の方から1人の魔族が駆け足で走って来た。
ジェンス=ジャム・グレ・アレインス。
主よりこの町の管理―――支配する栄誉を賜った上級魔族にして、13人の魔王の内の1人、アドレアス=バーリャ・M・クレッセントの側近。
「荷が来たのか!」
急ぎ足で荷馬車に近付くや否や言う。
いつもなら挨拶から入るところなのだが、待ち侘びた物の到着にテンションが上がってしまったのだ。
それもその筈、今回の荷はジェンスの働きに対し、主であるアドレアスより褒美として下賜されたオリハルコンの鎧なのだ。
今か今かと待ち続けていたんだから、テンションの1つや2つ上がってもしょうがない。
「ジェンス様、外まで御出にならなくてもお持ちしましたのに」
「そう言うな。魔王様からの賜り物だ、待ち切れなくてな」
嬉しそうに、それ以上に楽しそうに「クックック」と笑う。
護衛達や運搬人達にもその気持ちが分かる為にそれ以上の事は言えない。
絶対の主である魔王から下賜された物なんて、飛び上がってダンスを始めてしまうくらいの代物だ。
「では、早速見せて貰おうか?」
荷馬車の後方に回る。
ウキウキしているジェンスに釣られて、他の魔族達も楽しい気分になる。
そんな和やかな空気のまま運搬人達が幕を開くと、馬車の中には
――― 何も無かった。
「……どう言う…事だ?」
ジェンスの思考が乱れる。
荷が届くのを待って居た。それは嘘ではない。
オリハルコンの鎧を楽しみにしていた。それも嘘ではない。
魔王が部下に褒美を送った……その事実が隠れ蓑。
実際に運びたかった物は―――神器。
10年前の戦争で人間達から奪った、勇者の証たる武具。その内の1つがこの荷馬車に積まれている……筈だった。
人間の中に魔族への反抗を企んでいる者が居る事は魔王達も、手下の魔族達も知っている。その人間達が、人類にとっての切り札たる神器を取り戻そうとする事も。
故の偽装。
ただ、例え奪われたとしても人間の手に神器が渡る危険性はほぼ無いと言っていい。
何故なら、神器が収まっているのは名高き“深淵の匣”だからだ。
深淵の匣は13人の魔王か、正規の鍵を持つ者にしか開けられない。
人に協力する魔王が居る筈もない。そして、鍵はジェンスがアドレアスより預かって肌身離さず持ち歩いている。
つまり―――人間に深淵の匣を開ける方法は存在しない。
だが、だからと言って奪われて良い訳がない。
もし神器が人間に奪われた事が他の魔王に知られれば、それは大きな汚点となる。
ただでさえアドレアスは、魔王の中では歳若い為に下に見られている節があると言うのに…。
こんなとんでもない失態を知られれば、間違いなくジェンスの評価はガタ落ち―――いや、評価が落ちるだけならまだしも殺される可能性すらある。
荷を運んでいる最中の事はジェンスに責任が有るか無いか……そんな事は関係ない。
事実として荷を奪われたと言う結果。その先に魔族の王たるアドレアスの怒りがあるのは必然、そして魔王の怒りの前には責任の云々なんて関係ない。憤怒の炎が鎮火するまで死体と瓦礫が積み上がるだけだ。
「どう言う事だ!!?」
近くに居た護衛の1人の首を掴んで締め上げる。
どちらかと言えば文官的な立ち位置にあるジェンスだが、魔王の側近である以上その戦闘能力は並みの魔族を軽く凌駕する。
「貴様等ぁッ!!! 荷をどこにやった!!?」
怒りのままに首を掴んだため、護衛の首がゴキュンッと変な音を立てて折れる。全身から力が抜けた死体を放り出し、もう1人首を締め上げようと手を伸ばす……が、「流石にこれ以上殺すのはまずい」と少しだけ冷静さが戻り手を引っ込める。
しかし、不測の事態への怒り、そしてそれを防げなかった護衛と御者への怒りはまったく収まらず「フーッ、フーッ」と獣のような息を吐く。
「説明しろッ!!!」
怒鳴られ、慌てて護衛の1人が姿勢を正して自分達が把握している範囲で状況を話す。
「ハッ! 屋敷の入り口の門では確かに荷は有りました! それは門番達も確認しておりますので間違いありません!」
「では、何故、今、ここに、荷が無いのだ!!?」
「そ、それは……門からここまでの間に盗み出されたとしか…」
ジェンスは思考する。
今は怒っている場合ではない。
荷が今さっき盗み出されたと言うのが事実ならば、その犯人はまだ近くに居ると言う事だ。逃げられる前に何としても捕まえなければならない。
ジェンスの部下である運搬人の1人に命じて、「門番に荷馬車が来てから不審な者を見たか」それと「本当に荷は有ったか?」また、有ったならば「その時何か気になった事はないか?」と、確認に行かせる。
運搬人が犯人―――と言う線も考えてみたが、馬車が近付いてからずっと護衛達と一緒に居たのをジェンス自身が確認している。盗み出すような間はなかった。故に少なくても運搬人の2人は白であり、信用出来る。
素早く1分で戻って来た運搬人の報告によれば、「荷は確かにあった」「確かめた時、微かだが獣の臭いがした」「馬車が通ってからは、通りには誰も出ていない」と言う事だった。
(獣の臭い…?)
魔族同士であれば、「魔族の匂い」と言う筈だ。そもそも御者も護衛も魔族なのだから、魔族の匂いがするのは当然。つまり―――荷車の中には何かしらの獣の臭いがしたと言う事だ。
(獣が荷を盗んだ?)
いや、それはないな。とすぐさまその可能性を切り捨てる。
荷の量を考えれば、それを運び出すならば相応の大きさの獣でなければならない。そんな大きさであれば門番が気付かない訳がない。
姿を消す事の出来る魔法や能力が存在するが、それはどれも高等な物であり、知能の乏しい獣風情が使える物ではない。
であれば、荷車に残って居た獣の臭いは、森を抜ける際に馬車に獣の毛か何かが付いていたせいだろう。
門番が荷を確認した事が事実で、その後不審な者の姿が通りになかったと言うのならば、可能性は1つ。
盗人は、まだこの屋敷の敷地内に居る―――。
もう1つの可能性として、空間を飛び越える“転移術式”と言う単語が頭を掠めたが、超高位魔法であるそれを使えるのは一部の魔王と、数名の上位魔族のみ。人間に至っては、大昔に勇者の1人が使えたと言う記録が残っているだけで、それから今まで天術の転移術式を使えた者は居ない。少なくても表舞台には。
「門番に命じて門を閉めろ! 暫くは誰の出入りも禁ずる!」
これで鼠は閉じ込めた。だが、念には念を入れておく必要がある。
あの荷は何が何でも取り返さなくてはならないのだから。
「町の入り口の門も閉めさせろ! 誰も外に出すな!」
町の外に畑を持つ農家や、外から食料や物資を届けに来る者達も閉め出す形になってしまうが―――
(いや、待て!? 下手な騒ぎになれば、この事が魔王様の耳に届きかねん……)
町の出入りは、あくまで限定的に制限するしかない。
「チッ……」
上位者として舌打ちする姿を見せるのはあまり宜しくないのだが、今はそんな事を気にしている余裕はジェンスにはない。
「いや、待った…今のはやめだ。ただし、出入りする者の荷物は1つ残らず全てチェックし、不審な物を持っている……また不審な行動、言動をした者は全員私の元へ連れて来い。町へ入る事を許すのは身元が確認出来る者だけ、町の外に出る者は―――」
流石に外に出るな、とは言えない。
ふと思い付く。
幸い、町の出入りはそこまで多くない。そして、町にはやる事もなくブラブラと食っちゃ寝している暇な魔族がゴロゴロしている。
使える物は、こう言う時にこそ使うべきだ。
「町の外に出る者には、魔族を1人見張りにつける。これには町で暇を持て余している連中を使え」
「に、人間1人に我ら魔族を1人ですか…?」
「そうだ」
ジェンスがどれだけ本気なのかを今更ながら理解する。
だが、当然だ。地位と名誉と…何より命がかかっているのだから。
ジェンスの命令を伝える為に、運搬人の2人が走り出す。
「さて、我々は今から鼠狩りだ……泥棒猫狩り、かな? 私の予想が正しければ、盗人はまだ敷地内のどこかに身を隠している筈だ」
「なるほど、それを探し出すって訳ですな?」
「そう言う事だ、お前達にも働いて貰うぞ」
言葉を切ると、ジロリと護衛達と御者を睨む。
「この件が魔王様に知られれば、責任を問われて最初に首を落とされるのはお前達だ。それを理解した上での懸命な働きを期待する」
「「「ハッ!」」」
屋敷を逆さに振ってでも探し出す―――。
屋敷中に散って行く後ろ姿を見送り、ジェンスは歯茎から血が出る程怒りを強く噛む。
(盗人めッ……かならず探し出して嬲り殺しにしてやるッ…!!!!)




