序 杖の勇者は癒しを求める
クルガの町。
最初に魔王の支配から解放された町。
後の歴史家たちが、「剣の勇者の始まりの地」と勝手に命名しそうな雰囲気が漂っているが、町に暮らす者達にしてみれば、そんな物は知った事では無く、黄金の鎧を纏う正義の使者が取り戻してくれた平穏な生活を満喫していた。
極一部の者達を除いては……。
とある料理屋にて。
「あー……疲れました……」
吐きだす様に言うと、アザリアは机にバタンッと突っ伏した。
今の彼女は大忙しだ。
剣の勇者がこの国を解放してから、隣国からの避難民が押し寄せ、それを追って魔族まで侵入して来た。しかし、現在国営に関わっている国のお偉いさん……“元”お偉いさんの方達は、自分達の安全さえ確保出来ていれば良いらしく、避難民を助けようとも魔族を追い払おうともしない。
で、そのツケがどこに回って来るかと言えば、杖の勇者たるアザリアだった。
今回も、帝国側から侵入して来る魔族の対応を上がやらないものだから、アザリア達が仕方なく行って来たのだった。
あちこち走りまわり、他国から避難して来た者達を助けては魔族と戦い、魔族を倒しては人を助け……。
そんな事を碌に寝もせずに続けて、ようやくホームとも言うべきこの町に戻って来たのだった。
ようやく国内が落ち着いて来た。
避難民を各所の町で少しずつ受け入れ、それに伴う食糧問題は隣国のツヴァルグ王国が「自国の状況が整い次第、食料の支援を約束する」と使者を寄越してくれた。
アザリアの頭を悩ませる問題が、ようやく片付いて来たのだ。
「お嬢、お疲れさん」「お疲れ、皆」「しばらくは休もうぜぇ……」
仲間達も、言いながら思い思いに席に座る。
すると、待っていたかのように、給仕の娘―――ユーリが皆に果実酒を、アザリアには冷気の天術で冷やされた水を差し出す。
「お疲れさまでした、どうでした国境の様子は?」
顔をあげて差し出された水を受け取り、「ありがとうございます」と返して、一息で飲み干す。
冷たさが喉を通って行くのが心地良く、乾いて居た口内と喉が潤うのが自分でも分かった。
「ふぅ……」
体を満たす心地良さ
疲れが少しだけ和らぐような気がした。
「大分落ち着きましたよ。帝国の方で何か動きがあったのか、魔族達が急にコッチに来なくなりましたし」
「そうそう、なんか急にパタッと」
「何があったんかねえ?」
「魔王が倒されたとか?」
「あっはは、まさか! 帝国を支配してるのは“帰還組”の魔王のバグリースよ? 誰が倒せるってのよ? アザリア様だって避けて通ってるってのに」
全員の頭の中に、子猫を肩に乗せた金色の鎧を纏う騎士の姿が浮かぶ。
「……いくら兄様でも、流石に帰還組に挑むような無茶はしないと思いますけど」
「いやぁ、分かんねえぞ? あの無理無茶無謀の剣の勇者なら、やりかねねえって」
全員が「確かに」と頷く。アザリア達だけでなく、ユーリやキッチンの店主までも。
「まあ、ヴァニッジさんに調査を頼みましたから、報告待ちですね」
隠密行動が得意なヴァニッジには色々頼りきりだなぁ……とアザリアが1人で反省する一方、皆は仕事終わりの果実酒をグビグビと飲み始め「かー! この一杯の為に生きてるぅ!」と笑い合う。
「あの……アザリア様?」
おずおずと、若干遠慮がちにアザリアの向かいの席にユーリが腰掛ける。
客が居る時に給仕の取るべき行動ではないが、今の御客は全員アザリアの仲間で、ユーリも今回こそ連れて行っては貰えなかったがその1人だ。
そこまで忙しい時間では無い事もあって、店主も咎めるような真似はしない。
「はい、なんですか?」
「勇者様は、大丈夫でしょうか?」
勇者は数居れど、ユーリが「勇者様」と呼ぶのは剣の勇者1人だ。
魔族に処刑されかけたところを助けて貰ってから、彼女は一途に剣の勇者の信奉者である。
不安そうに訊いて来るユーリに、アザリアは普通に答える。
「大丈夫ですよ兄様なら。と言うか、兄様が“大丈夫じゃない”状況になってたら、それこそ世界は滅びてます」
「そ、そうですよね!」
剣の勇者は完璧超人だ。
戦えば一騎当千の怪物でありながら、人を思いやる優しさを持っていて、何者も恐れずに飛び込んで行く勇気がある。その上、魔王と対する事の出来る知謀を持っていると言うのだから、もはや隙が無い。
「世界を救うのはあの人だ」と、皆が信じて居て、誰よりも同じ勇者であるアザリアが信じている。だからこそ、剣の勇者が死んだら、その時は本当の意味で“人類が終わる”と、そう思っている。
「良かった!」
ユーリの顔から不安が消える。
同じ勇者が「大丈夫」と言えば、これ以上ない位安心するらしい。
「ユーリちゃん、ベア肉と豆の炒め物宜しく!」「あっ、こっちは酒のおかわり!」「俺も!」「私は野菜のスープ頂戴」
皆からの注文を受けて「はーい」と席を立ち、アザリアに一礼してから仕事に戻って行く。
厨房に注文を届けに行くユーリの背中を見送って、アザリアは小さな溜息を吐く。
癒しが足りない。
戦いばかりで、自分でも分かる程心が荒んでいる。
こう言う時には、やはり―――
「………猫にゃん……」
剣の勇者が連れて居る、若干目つきが悪くて野性味の薄い子猫を思い出す。
野良の猫とは違い、剣の勇者に馴らされているのか、人間を警戒する事も無くアザリアに抱かれても大人しくしている可愛らしい子猫。
抱き上げると、小さくて、フワフワして、暖かくて、耳がピコピコするアザリアの大のお気に入りの猫。
とは言え―――その子猫は剣の勇者と旅立って、今は会う事が出来ないのだが。
「猫にゃん……抱っこしたい……」
泣き言のように、誰にも聞かれないように呟くと、ゴンッと頭を打つ程の勢いで再び机に突っ伏す。
――― それから数日が経って
アザリア達が待っていた人物がクルガの町に戻って来た。
ヴァニッジだった。
元々は北国の猟師。現在は杖の勇者たるアザリア率いる“勇者の軍勢”の筆頭斥候。
戻るや否や、近頃はアザリア達の溜まり場兼会議場になりつつある、ユーリの働く店にかけ込む。
「あっ! 居たお嬢!!」
「御帰りなさい」
「お帰りダンナ」「ちゃんと働いて来たの?」「良し、バニが無事に戻った祝いに酒飲もう!」「お、良いね。付き合わせて貰おう」「俺も」「じゃあ、俺も」
皆に「飲み過ぎないで下さいね」と釘を刺してから、対面に座ったヴァニッジの話を聞く。
いつもなら、宿屋の部屋などの人目に付かない所で聞くのだが、どうせこの店には店員含めアザリアが信用を置く見知った顔しか居ない。
「それで、どうでした帝国の方は?」
「ああ、それが、各地の町を七色教の連中が解放して回ってた」
「七色教が……ですか?」
アザリアを始め、仲間の大半は七色教の信者である。
ただ、そこまで敬虔な信徒と言う訳では無く、代々七色教の信者であったから、その流れで……と言う程度の物だ。
とは言え、七色教は元々そこまで武力を持って居なかった。
ここ最近、急激に力を得て魔王達に睨まれている―――と言う話しを旅先で聞いたこともある。
「お嬢としては、教会が活躍するのは、やっぱり複雑か?」
「いえ、別にそう言う事は無いですけど」
七色教と勇者は、御世辞にも仲良しとは言えない。
大昔から、七色教は神の力たる神器を使う勇者達に「神に仕える教会に従え」と勇者達に文句を言い。勇者達は「世界を救うのに、そんな事知った事か」と無視して好き勝手にやって来た。
結果、お互いの間には埋められない程の大きな溝が掘られ、勇者と教会の関係は絶望的な物となった。
アザリアとしては、世界を魔族の手から取り戻せるのなら、教会に頭を下げる事も辞さない覚悟があるのだが……教会の方は勇者と仲直りの手を差し出す気は無いらしい。
「じゃあ、良かった、コイツは良い知らせだ。七色教会の奴等が、帝国を支配していた魔王バグリースを討ち取ったらしい」
「本当ですか!?」
ヴァニッジの報告を、酒を飲みながら横で聞いて居た仲間達が一斉に酒を噴き出す。
それだけの事だった。
バグリースは、10年前の戦争を勝って生き残った“帰還組”の魔王だ。その力はアドレアス達10年前に代替わりした“新参組”の比では無い。
しかも記録では、戦争に参加していた当時の勇者を3人以上殺している。
それを討ったと言う事は、教会の持つ力は勇者を遥かに上回っていると言う事だ。
「ほ、本当なんですか……?」
いつもの酒に酔っての冗談じゃないかと、思わず聞き返してしまう。
ヴァニッジが酒を飲んで居ないのも、酔っている訳でもないのは分かっているが……。
「本当。その証拠に、教会の連中が町を解放してるのに、親玉の魔王が無反応でやんの」
「魔王が倒されたからこそ、教会が町を解放しだした……と言う事ですか」
「だろうよ。ただ―――気になる話を聞いた」
「なんですか?」
「魔王が倒される前に、剣の勇者が魔王のペットを倒して人を助けてたって」
剣の勇者が話題に出た途端、ユーリが食堂から顔を出す。
「勇者様がですか!!」
剣の勇者がこの町を旅立つ時、アザリアにだけお別れを言って行った(喋りはしなかったが)。
自分に挨拶されなかった事、剣の勇者が去った事、数日寝込むほどの精神ダメージを受けて居たユーリだ。
現在進行形で剣の勇者の姿に飢えていた。
「お、おう……。なんでも人を食らう大きな魔物をたった1人で倒したって」
「流石勇者様!!」
呑気に喜んでいるユーリを尻目に、アザリアは少し思考し、そして答えを導き出す。
「もしかして、魔王バグリースを討ったのは兄様ですか?」
「だよな。やっぱりお嬢もそう思うよな?」
ヴァニッジもアザリアと同じ考えだった。
協会がどれだけの力を持っているのかは2人には分からないが、例えば勇者を上回る才ある戦士を100人揃えたとしよう。それで悪魔の如き力を振り回す魔王と戦えるか?
答えは、断じて“否”だ。
ただ強い力を持つ者を集めたとて、魔王を倒す事は出来ない。それは、魔王の力を身をもって味わったアザリア達の確信だった。
あの化け物を屠れるのは、真なる勇者―――剣の勇者だけだ。
であれば、何故七色教会が魔王を討ったと言う話になっているのか?
「ただ―――ちょっときな臭い話になってる」
「どう言う事ですか?」
「七色教の聖教会アヴァレリアに、剣の勇者が連れて行かれたって話だ」
「連れて行かれた? 捕まったと言う意味ですか?」
「話を聞く限りだと、妙な双子とナイスバディな女に従ってたように見えたって」
おかしな話だ。
誰よりも、何よりも強い剣の勇者が、誰かに従うだろうか?
そうしなければならない状況だった?
剣の勇者で有りそうな状況と言えば―――人質。
あの完全無欠な勇者の、唯一の弱点は優し過ぎるところだ。
では、剣の勇者を相手に1番狙いやすい人質とは何か?
いつも黄金の鎧の肩に乗っている、小さな姿がアザリアの頭を掠める。
「…………猫にゃん」
牢屋の隅で、小さな体を更に小さく丸め、寒さに震えながら「ミャァミャァ」とアザリアを呼ぶ子猫の姿を幻視した。
「助けに行かなきゃ!!」
ガタンッと椅子を倒して立ち上がる。
「え!? 何? 剣の勇者助けに行くのかお嬢!?」
「兄様はどうでも良いんです! どうせ放って置いても勝手に何とかして勝手に出て来るんですから! 問題なのは猫にゃんですよ! あんなに小さくて、丸くて、フワフワしてるだけの可愛いだけの猫にゃんを助けに行かなきゃ!!」
「え、猫!? 猫助ける為に教会に喧嘩売りに行くのか!?」
「当たり前です!! 猫にゃんを助ける以上に優先する事なんてないでしょう!!」
「ちょっと、お嬢落ち着いて!!」
猫が絡むと発病するアザリアの治る事の無い病気。
その病名は―――ポンコツ。




