5-10 Hの魔王
元エルギス帝国。
現在は世界を支配する11人の魔王のうちの1人たる、バグリース=ガパーシャ・ライン・Hの国。
国のほぼ中央に位置する帝都ルクレール。
そして、元々は帝国の象徴であったルクレール城。
その城のもっとも豪奢な部屋。
この部屋の調度品の1つとっても、一般人が一生働いても手が出ない値打ち物だ。
部屋中が目が眩む程の美しく、そして煌びやかに飾られている。
その全てが、部屋の主である魔王を彩る為の背景であり、装飾品であった。
「また魔道具が盗まれたか……」
金と宝石で飾られた、かなり成金趣味の皮張りの椅子に腰かけた男が1人呟く。
その体は、まるで鳥だった。
全身に生える緑と青の羽。
刃のように鋭く磨かれた嘴。
両手の指は鉤爪のように鋭く、手に持った報告書である羊皮紙を貫いて居た。
彼こそが、この国を支配する魔王バグリースだった。
「まったく、馬鹿ばかりしか居ないのかね? 余の配下であるのなら、完璧であるべきだとは思わんか? ん?」
問われ、報告書を持って来た文官の上級魔族は「王の仰る通りにございます」と頭を下げる。
「だったら何故、完璧な余の国の中で魔道具を盗まれるなどと言う事が起こる? あまつさえ、誰とも知れぬ輩に殺されるとはどう言う事だね?」
「殺された奴等が無能だっただけかと」
「その通りだ、無能が無能らしく殺されただけの話だ」
無能な部下が死んだ事はどうでも良い。
むしろ無能な雑魚がさっさと消えてくれた事を喜びさえする。
だが―――それによって魔道具が盗まれた点については見過ごせない。
「どうにも、魔王会議からツキが無いねえ」
魔王会議。
魔王アドレアスが狩られた件で、魔王達が集まった会議。
ただ……予想外に最古にして最強の魔王であるアビスが参加する事を表明し、途端に何名かの魔王は欠席した。
しかし、それを別段責めるつもりはない。
最強のアビスとナンバー2のエトランゼ、この2人の不仲は有名であり、実際に2人が揃えば何が起こるか分かった物ではない。
30年前に「魔王同士の戦いを禁じる」と言うルールが出来るまで、2人の喧嘩で世界規模でどれだけの被害が出たか計算するのも馬鹿らしくなるレベルだ。
バグリースも魔王になる前に何度か2人の喧嘩を見た事があるが、アレはすでに喧嘩ではない。
海が割れ、山が消し飛び、天が悲鳴をあげる。
まるで―――神話の戦いであった。
だが、バグリースは恐れる事無く魔王会議に参加した。
彼にも10年前の戦争を勝ち残った自負がある。
魔王会議の主催者は“新参組”のヴァングリッツだ。
何事も“完璧”である事がもっとうのバグリースとしては、「年も格も下の魔王に舐められてはいけない!」と言うプライドが何とかアビス達への恐怖心を上回ったのだ。
しかし―――実際に会議場に着いてみれば、既に会場内でアビスとエトランゼが2人で睨み合ってバチバチと魔力波動を飛ばし合って居た。
――― 一触即発
今入って行ったら、確実に2人の注意がコチラに向く。
正直言って逃げ出したい程の恐怖であった。
若干遅れて会場に着いたフィラルテと一緒に廊下で、「ちょっとここで成り行きを見守るか?」「そうだね」等と視線で会話していると、突然背中に凄まじい衝撃を受け、何が起こったのか分からぬまま意識が飛んだ。
後に聞いた話によると、バグリース達の後から会場に到着したデイトナが、2人の背を突き飛ばしたらしい。
そしてバグリースとフィラルテは、揃って間抜けにも壁に突き刺さって意識を失って居たらしい。
目を覚ました時には会議は終わって居て、会場にはバグリース同様に意識を失ったフィラルテと彼だけが残されていた。
凄まじい恥辱の極みだった。
他の魔王の前で気絶するなどと言う最大の恥を晒され、今すぐにでも犯人であるデイトナを殺しに行ってやりたかった。
しかし、それは出来ない。
魔王同士の戦いを禁ずる―――それは、絶対ルールだ。もし破れば、嬉々としてアビス辺りがやって来て「ルールを破ったなら仕方ねえよなぁ?」等と笑いながら戦いを挑んで来る訳だ。
そんな展開は絶対に御免だ。
そもそも……“最古の血”の1人であるデイトナに戦いを挑んで勝てる訳も無い。
上の2人が滅茶苦茶な強さである為に隠れて居るが、デイトナも2人に負けず劣らずの怪物だ。戦いを挑めば殺される未来しかない。
その後、自国に戻って来てみれば、どこの誰とも知れぬ輩が魔族から魔道具を盗んで回って居る。
しかも、その対応をし始めた頃、隣国を支配していた魔王バジェット=L・ウェイル・ユラーが何者かに狩られた。
そしてその何者かは数日で判明した。
魔王バジェットの“次”が生まれない。
つまり―――魔王アドレアスが狩られた時と同じだ。
狩ったのは、“因果斬り”の能力を持つ旭日の剣の使い手、剣の勇者以外に有り得ない。
次は自国に来るかもしれない―――
そんな不安がバグリースの頭を過ぎる。
認めたくはないが、悪い流れと言う物は世の中に存在するらしく、その流れに引っ張られて碌でもない物が引き寄せられる事が間々在るのだ。
何事も完璧で無ければ済まないバグリースとしては、剣の勇者の対策も、盗人の対応も同時進行で実行し、どちらも完璧で完全で、隙の無い物でなければならない。
「魔王様の御力の前には、ツキなどと言う不確かな要素に左右される物ではないかと」
「それはそうだな」
部下の言葉で少し冷静さを取り戻し、思考を研ぎ澄ます。
盗人の方は気にしてもしょうがない。
盗まれた物はいずれ取り返し、盗人はいざとなればバグリース自身が出張って探せば直ぐに終わる事だ。
剣の勇者については、国境の警備を厚くして対処して――――
(いや、バジェットもその程度の事はやっていた筈だ。だが狩られた……)
剣の勇者を舐めてかかるのは間違いだ。
“新参組”とは言え、既にその手で2人の魔王を仕留めて居るのは事実。
であるのならば、剣の勇者が次にこの国を―――バグリースを狙って来るか否かはともかく、既に剣の勇者が国内に入り込んで居る物として対処すべきだ。
その戦闘力の高さを甘く見るつもりは無い。
無駄に兵をぶつけても返り討ちに遭うのは目に見えて居る。
国内で剣の勇者相手に戦えるのは魔王たるバグリース1人……。そこで、ふと思い付く。
「我ながら中々の妙案だ」と思わず嘴の中でクックックと笑う。
「どうなされました?」
「そう言えば、余のペットが腹を空かせる頃だな?」
バグリースのペットの姿を思い浮かべたのか、部下の顔が若干恐怖で歪む。
上級魔族ですら恐怖を抱いてしまうペットだが、バグリースにとっては可愛い子犬同然だ。
「は、はい……まさか!?」
「そのまさか、だ。アレは鼻が利く、少し散歩がてらオヤツでもやりなさい」
ペットの鼻ならば国に入り込んだ“異物”の臭いを嗅ぎ分ける事が出来る。
「近頃は、魔王が2人も続けざまに狩られて、人間共も少々希望を抱いているようだしな? アレの姿を見れば自分達の立場を思い出すさ」
ペットが町を回れば、その姿に人間共は恐怖し、自分達が奴隷だと言う事を思い出す。
剣の勇者と盗人を探す事も出来て一石二鳥。
ついでに、腹を空かせたペットにもオヤツをあげれて一石三鳥だ。
「宜しいのですか? 町が1つ2つ喰い尽くされるかもしれませんが?」
「まあ、仕方ないさ。これも雑事を片付ける為の必要な犠牲だ」
バグリースのペットは大食いだ。
町1つの資源を軽々と喰い尽してしまう。
そして、何より
――― 人間を好んで食らうのだ。




