4-29 猫は残業をする
視界がグニャリと歪み、余りの気持ち悪さに思わず目を閉じる。そして、次に目を開けば、そこはジャハルにある家畜の王族を軟禁する御屋敷のバルコニーだった。
【転移魔法】する時の気持ち悪さは何度やっても慣れねえわ……。
っつか………むっさくそ疲れた……。
今から死ぬんじゃないかと思うくらい息が切れる……。
魔王との戦いより、【転移魔法】1回の方が疲れるっておかしくない? 絶対おかしいよね?
使う度に思うけど、コレ本当に【魔王】の特性で消費10分の1になっとんのか!? なってなくない!? だって、これ特性装備してなかったら10倍疲れるって事でしょ? 有り得無くない!? 有り得無くなくなくない!?
「ミャァ……フゥ……」
あー、体しんどい……。
いや、でも、前のように意識失って倒れる程じゃねえな?
魔王との戦いで【審判の雷】や【サンクチュアリ】をぶっ放した事を考えれば、相当俺のMPが上がっているのは間違いない。……まあ、旭日の剣で消費MPは減らしてたんだけどさ。
はぁ……。
疲れたけど、今から寝る訳にはいかん。
あと1つ……いや、2つか。仕事が残ってる。
寝床に戻るのはそれが終わってからだ。
いや、まあ、アレですよ? 正直、このまま寝床のバスケットで丸くなって寝たいんですよ俺も?
でもさ、元の世界の経験上、仕事の後回しは絶対碌な展開にならないって事を俺は知っている。
「なんで終わんないの!」と次の日に何度叫びそうになった事か……。
仕事は出来る時に終わらせるのが、ストレスを溜めない良い仕事の仕方です。
っつう訳で、疲れて居る体に鞭打ってもう一頑張りする。
窓の中をそっと確認すると、まだレティはベッドの中で丸くなっていた。
何度見ても、やっぱり子豚にしか見えんなあの子は……いや、そういう呪いをかけられてるから当たり前なんだけど。
呪いの維持は魔王の魔力でされているって話だったから、ガジェットを倒したら元に戻るのかと思ったら、そう言う訳でもないらしい。
さってさて、まずはそこからだな。
気付かれないように【仮想体】に窓を開けさせ、部屋に入る。
ベッドでスヤスヤと寝息をたてているレティに近付き、首辺り(?)をポンポンっと叩く。
「(レティ、レティ起きて)」
「んぅう……まだ眠いんです……」
俺も寝ている女の子を叩き起こす真似はしたくないが、そうも言ってられないので、二度寝しようとしているレティの、今度は顔辺りをポンポンっと叩く。
「(二度寝すな。起きて)」
5秒程抵抗を見せて居たが、ようやくパチッと目を開く。
「……なんなんですブラウン? まだ起きる時間じゃないんです……」
目をシパシパさせているレティが、若干不機嫌そうに言う。
気持ち良く寝て居るところを起こされた不機嫌さは、一般ピープルも王族も変わらんらしい。
「(ちょっと呪い―――…)」
呪いを解く為の天術【解呪術式】。
対象に付与された永続的なバッドステータスと判定される効果を除去する天術。
昨日、レティや王様達に、治癒士の爺様がかけていた奴だ。あの時、レティの隣に居た俺も偶然かけられた。いや、本当に偶然だよ? 天術を収集したいからレティの近くに居たなんて事、絶対無いなら! ええ、本当に、まったく、ちっとも無いから。
まあ、ともかく、その【解呪術式】をレティに使おうと思ったのだが、いきなり猫が天術使ったらビックリするやん?
それに―――ガジェットが居なくなったから、多分素の効果で十分呪いを解除出来る……とは思うが、「もしかしたら」があるので、旭日の剣を装備して天術の効果を底上げしたい。
しかし、猫の姿で旭日の剣を出す訳にはいかんじゃん?
そう言う事を考えると“あの御方”にご登場願うのが良い気がするの。
「なんです?」
「(あー…えーっと、実は、紹介したい人が居るんだけど?)」
「こんな朝からなんです?」
「(忙しい人だから)」
……なんか、芸能人を紹介してるみたいだな……。
「(それで、ちょっと訳有りな人だから、コソッと会って欲しいんだけども?)」
「コソッと……?」
「(そう、コソッと)」
「コソッと……ネリアにもです?」
メイドさんか……。
出来るだけ姿見せたくないけど、呪いを解いた後の展開を考えると居て貰った方が良くない?
レティだって、流石に猫の紹介で人に会うのなんて不安だろうし。いや、ってか、そもそも人じゃなくて「友達の猫が来る」くらいに思われてるかもしれないし。
それに、アレがレティと会ってる時に入って来られでもしたら、それこそ大騒ぎになる。ただでさえこの屋敷の人達は、昨日の蝙蝠の「野良の魔族が町を襲う」情報を信じて警戒してんのに……。
だったら始めから事情を話して居て貰った方が良いよな?
「(いや、メイドさんは良いよ。すぐ呼べる?)」
「ええ、呼んだら直ぐに来てくれますよ?」
言うと、寝間着のままベッドを下りてドアをトントンと叩く。
するとドアが開き、若干殺し屋かと思う程鋭い目のメイドさんが入って来た。
床にいるレティとベッドに“お座り”している俺を見比べ「姫様が床で、なんでテメェがベッドに乗ってんだゴルァッ!?」と言わんばかりの若干……いや、かなり本気目の殺気のこもった眼光を俺に刺して来る。
……すいませんと無意味に心の中で謝ってしまう。
いや、だってこの人の目マジで怖ぇし……。ガジェットなんて目じゃねえくらい怖いし。
「姫様、今日はちゃんと起きられたのですね」
言いながら、殺気眼を引っ込めてレティを抱き上げてベッドに戻すメイドさん。……なんて優しい目なのかしら? 娘を褒めるお母さん的な? 俺にもそんな感じの目で対応をお願いしたいんですけぉ……。
「ブラウンが起こしてくれたんです」
「この猫がですか……?」
先程よりは少しは柔らかくなった眼光。
「テメェ、姫様の眠りを妨げやがって」と「目覚まし代わりグッジョブ」が半々の目だろうか?
「それで、ブラウンが私とネリアにお友達を紹介したいんですって」
別に“お友達”とは言ってないんだけど……まあ、良いか。下手にツッコミを入れるとややこしい話になるし、重要でない部分は適当に流す。
「猫の友達……ですか? これ以上屋敷の中に猫を増やすのは、どうかと思いますが?」
「……です。でも、ブラウンが折角お友達を連れて来てくれたんです? 会わずに帰すなんて可哀想なんです」
「……はぁ。姫様がそう仰るなら」
………完全に猫の友達の猫を紹介する流れになってる……。
まあ、良いか? 会えば嫌でも分かるし。
「(じゃあ、呼んで良い?)」
「どうぞ」
バルコニーに【仮想体】を創り、インナー着せて、その上にオリハルコンの鎧一式を、頭にフルフェイスの兜を被せ、腰に旭日の剣をぶら提げる。あ、ついでに恰好付けで深淵のマント付けさせとこ。
はい、“剣の勇者”の一丁上がり。
見かけ不審過ぎる金ピカの鎧が窓を開けて部屋に入って来る。
「ヒッ」
「姫様!!」
レティが引き攣った悲鳴をあげそうになり、そんなレティをメイドさんが庇うように抱き上げ、「死んでも姫様は守る!」と言う決意と覚悟の目で闖入者を睨む。
「(待って、驚かないで。あれが紹介したい人だから、大丈夫だよ危害加えるような事はないから)」
流石にビビってる女子2人を前に【仮想体】を近付けさせる訳にも行かず、一旦窓際で待機させて、落ち着くように声をかける。
「本当です……?」
「(本当だよ)」
メイドさんの手の中で赤ん坊のように体を丸めて居たレティは、恐る恐る顔を上げて黄金の鎧を見る。
そして、腰に下げた剣を見て「あっ!」と声をあげる。
「まさか、剣の勇者様ですか!」
はい、その通りです。と【仮想体】が頷く。……まあ、“勇者”って意味では偽物ですけどね……。
「勇者」と言う単語を聞いてメイドさんの目が鋭さを増す。今までの鋭さがカッターナイフだとすると、今の鋭さは出刃包丁くらいだ。
いや、なんで警戒心が増してる感じなの? なんで、レティを抱く手に力をこめてんの?
「目の前に現れた殺人鬼から娘を守る母親」ぐらいの雰囲気醸し出してますけど、勇者だっつってんじゃん!
しかし、メイドさんのそんな様子に気付く事もなく、どこかキラキラした目で黄金の鎧を見つめるレティ。
「ど、どうして剣の勇者様が!?」
「(レティ達の呪いを解きに来たって)」
「えッ!? ほ、本当なんです!?」
「(うん)」
メイドさんが、腕の中で興奮しているレティに驚いている。
ああ、そっか。レティ以外には何言ってるか伝わってねえのか。
「ネリア、ネリア! 剣の勇者様が、私達の呪いを解きに来て下さったんですって!!」
「……勇者が、ですか? それは信用して良いのですか?」
全然信用されてねえ……。
まあ、クルガの町と違って、コッチの国で目立った活躍してねえからなぁ俺……っつか剣の勇者は。
勇者の肩書だけで信用を得られる程世の中甘くない……のか? レティはあっさり信用してる臭いぞ……? まあ、世間知らずのお姫様だからか。
………疲れてる時にこういう反応は本当にしんどい……。さっさと要件を済ませて次に行こう。
「(レティ、抱っこされたままだと危ないからベッド戻って)」
「は、はい! ネリア、ベッドに戻して」
レティに言われ、むっさ渋々と言った感じでメイドさんがレティをベッドに置く。
はぁ……ようやく【仮想体】を動かせるわ……。
黄金の鎧がスタスタと歩いてベッドに近付くと、緊張からか体を強張らせてジッとしているレティに片手を向け、もう片方の手で旭日の剣に触れる。
これで天術の効果が底上げされてる……筈。
【解呪術式】
天術が発動された途端、レティの体から黒い霧のような物がブワッと噴き出し、【仮想体】の手から出る見えない力を浴びて消える。
光―――
黒い霧を吐き出し終わると、レティの体が眩い光に包まれ、徐々に光が大きくなる。いや、光が大きくなっているのではなく、光っているレティの体が大きくなっている。
子豚の体に合わせて縫われた寝間着が大きさを包み切れずにビリビリと破け、短かった手足がスラッと伸び、顔の輪郭がくっきりと形作られて、フワッとした金色の長い髪が流れる。
っと、見惚れてる場合じゃなかった。これはマズイ!
【仮想体】の背に着けて居た深淵のマントを取り、急いでレティの体に被せる。
それと同時に、まるで漆黒のマントに光が吸い込まれるようにレティの体から放たれていた光が収まり、そこには……
金色の髪の美しい少女が居た。
お姫様―――と言う単語が無意識に俺の頭の中を過ぎる。
何と言うか、絵本の中で王子様を待っているお姫様のイメージをそのまま形にしたような少女だった。
今まで子豚だったのが信じられない。
しかし、それは俺1人ではなかったらしい。
「ひ、姫様……?」
信じられない物を見る目。
触れてしまえば今目の前にいる少女が砕けてしまうのではないかと言う……そんな恐れと畏れの混ざった感情をプルプルと震える手がダイレクトに表している。
「ネリア?」
いつものフィルターがかかったような声ではない。
綺麗な高めの、普通の、女の子の声だった。
少女に見られながら名前を呼ばれ、メイドさんは堪え切れなくなって涙腺が壊れたのかと思う程涙を流しながら抱きしめた。
「姫様、姫様! ようやく、ようやくです……!!」
「はい、なんだか人間に戻れたみたいです」
ボロボロと泣きながら自分を抱きしめるメイドさんに釣られ、少女も少し泣く。
2人は泣きながら笑った。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて堪らなくて2人は抱き合って泣きながら笑い続けた。
ふぅ。
まず、1つ目……かな?




