4-21 魔王バジェットは●●である
バジェット=L・ウェイル・ユラーは魔王である。
10年前に先代の魔王であり実父でもある魔王が死に、彼は魔王となった。
今の彼は魔王だ。
そして、その肩書に相応しい強大な力を持っている。
だが―――彼には、誰にも言えない……誰にも知られてはいけない絶対的な弱点があった。
それは………。
「くっそぉ……魔法剣士に“見えざる敵”……だと? なんだそれは……! まさか、俺を狙ってるのか? じょ、冗談じゃないぞ!」
誰も居ない玉座の間で、金属の輝きを纏う体をくねらせて魔王バジェットは頭を抱えていた。
その姿に魔族の王たる威厳は欠片も無い。
彼自身もそれは分かっている。だからこそ、わざわざ人払いをしているのだから。
「……そんな奴が居るなんて聞いてないぞ……! なんでもっと早く見つけられなかったんだ無能共め!! ちくしょう……まさか、俺の所までは来ないよな……? ああっ、嫌だ嫌だ……」
彼の弱点、それは―――
「でも、いや、来るかもしれないな………怖いなぁ」
――― 戦闘恐怖症な事。
格下相手ならば良い。
自分の部下も良い。
だが―――自分と同等や格上の存在、若しくは力量が分からない相手との戦いには恐怖心が先に立ってしまうのだ。
彼だって昔からこうだった訳ではない。
むしろ昔の彼は、道場破りの如く各地を渡り歩き、強い奴を見つければ「俺より強いのか試してやんよ!」と問答無用で襲いかかるような怖い物知らずの無鉄砲な性格だった。
ただ……その“怖い物知らず”が仇となって、彼は挑んでしまった。世界最強の魔王であるアビス・Aに。
その勝負は1撃で終わり、当時名も持たぬ魔族だった彼は、1週間生死の境を彷徨う事なった。
そして、彼の心にはアビスへの恐怖心が嫌という程刷り込まれ、それが拭えないトラウマとなって戦闘と言う行為に逃げ腰にさせる。
アビスとの戦闘後、彼は父である魔王の元へと戻った。
外聞的には「アビスを倒す力を求めて親元に戻った」とされているが、実際のところはただ外の世界が怖くなって「父に守って貰う為に戻った」のだ。
父である先代が健在である時は良かった。
事が起きてもバジェットの出番は無い。
血気盛んな部下達が勝手に騒ぎに突っ込んで敵を殲滅するか、そうでなければ父が出向いてあっと言う間に片付けてくれた。
……それなのに、10年前の戦争でその父が死に、よりにもよって魔王の座が自分の元へと来てしまった。
魔王の力の継承に拒否権は無い。
バジェットは決めた。
――― なるべく騒ぎの起きない国を貰おう。
西の大陸は最古の血の3人の魔王の物だから手は出せない。
だから、残った東の大陸を残りの10人の魔王で分け合う事になったのだが、その際バジェットは出来るだけ平穏な国を希望した。
人間の抵抗が激しそうな国なんて、他の血気盛んな魔王にくれてやれば良い。バジェットが望むのは平穏だ。
人間の支配も、反乱を起こさない程度に締め付けて置けば良い。人間の中にだって勇者を始めとしたどんな強者が居るか分かった物じゃない。
バジェットは頑張った。
部下達には絶対にビビりな自分を見せないように、威厳と恐怖を振り撒く魔王を演じ続け、人間達は程良く痛めつけつつ、自分に剣を向けられないように縛る。
これで平穏に暮らせる―――と、思っていたのに、思わぬところから敵が現れた。
「クソぉ、クソぉ……! なんなんだよ!」
何度言葉を吐いても、突然国の中に湧き出た“魔法剣士”と“見えざる敵”への恐怖心が消えない。
こうして恐怖心と愚痴を独りで吐き出すのが近頃の日課になっているが、どれだけ吐いても吐き足りない。
自分の力に自信が無い訳ではない。
彼も彼なりに、戦いへの恐怖心を払拭する為に魔王の力を研鑚し続けて来たからだ。だが、どれだけ自分を鍛え上げても、かつて自分を1撃で沈めた怪物の影がチラついて前向きにはなれない。
「……いや、落ち付け……。魔法剣士はベッグの奴が始末する算段を付けられそうだと言って居たし、そのうち見えざる敵の方も片付くんじゃないか……?」
今朝方戻って来た参謀の言って居た事を思い出し、少しだけ落ち着きを取り戻して気持ちが上向きになる。
参謀のベッグ曰く―――「魔法剣士の正体は掴みました。部下に探らせて居ますので、近いうちに弱点も見つかるでしょう」との事だった。
「よし、そうだ。きっと俺の所までは来ない筈だ……」
フゥっと息を吐き、玉座にドッカと腰かける。
「大丈夫だ」と心の中で呪文のように何度も唱えて精神をニュートラルに戻す。
1分程をかけてようやく精神が安定したところまで行った頃、扉が乱暴にドンドンッとノックされる。
人払いをしている時にノックを許している相手は、自身の片腕であり参謀のベッグ1人だけだ。
部下に接する“恐怖の象徴たる魔王”のスイッチを入れて気持ちを作る。
「ウルセぇ、何事だ!」
怒鳴り声でノックに応じるが、内心は「まさか、敵が俺を殺しに来たのか!?」と心臓が飛び出る程ドキドキして居た。
扉の外から慌てた様子で「失礼します」と部下の聞こえ、いつもなら控えめに開かれる扉を勢いよく開き、蝙蝠のような魔族が入って来る。
見慣れた姿の部下―――なのは良い。問題なのは、その手に収まっている物……。
――― 魔族の首
しかも知っている魔族の首だ。
ベッグの直属の部下、名前こそ与えて居ないが「かなり優秀だ」と何度か話をされた事がある。
その部下の首を―――濁った黒い血の流れ落ちる部下の首を、ベッグは手に持っていた。
バジェットの心の中に、不安と嫌な予感が黒い霧のように広がる。
そんな心の内を外には微塵も出さず、魔王としての威厳を維持したまま、ゆったりとした余裕のある口調で訊く。
「なんだそれは?」
「はっ! 実は先程門番が、城の前に置かれていた物を発見いたしました」
「それは、貴様の部下だろう? 何故そのような無様な姿になっている?」
「この者には、例の“魔法剣士”を探らせておりました。恐らく、その過程で敵に発見、殺されたものかと……」
部下の失態を悔やんでいるのか、それとも無能さを憤っているのか。
しかし、ベッグが何を思っているのかなんて考えている余裕はバジェットにはない。魔法剣士を探っていた手下が殺され、その首がわざわざ城の前に転がされていた……と言う事は、首を持って来た敵が近くに来ていると言う事に他ならない。
門番をさせている魔族だって馬鹿ではない。城の前に首を置くような不審者が居れば見逃す筈は無い。
だが、事実として見つかったのは首だけで、それを置いた者の報告はない。
この異常なまでの隠密性の高さは―――
見えざる敵。
影と闇の中を塒とする姿見せぬ暗殺者。
ベッグの話によれば、その正体は複数人で構成された隠密部隊らしいが……それが、今この城の近く、若しくは中に居る可能性がある。
「ご丁寧にその首を届けに来た運び人は見つかったのか?」
「申し訳ありません。未だその姿を捉えた者を居りません……。ですが、魔王様を狙って動いているのは間違いないかと」
「どう言う事だ?」
余裕の笑みで返したが、バジェットの内心は「嫌ああああッ!!! なんで来るんだよおオオ!!!」と泣きながら叫び声をあげていた。
「発見された首にコレが」
そう言ってベッグが1枚の羊皮紙を差し出す。
生首に敷かれて居たのか、べっとりと血がついた羊皮紙。そこには、筆跡を誤魔化す為か、わざとらしく思える程に汚い文字でこう書かれていた。
――― 次は貴様だ
挑戦状―――いや、これは、魔王の首を貰うと言う予告状だ。
「ふざけた真似を……」
分を弁えず自分に挑もうとする人間に対する怒りを滾らせている―――とベッグが思ったが、実際のところは「なんだよもぉ! 別の魔王の所に行けよ!」と怒っているのだが、そんな事に気付く訳もない。
「見つけ次第殺せ」
出来れば自分の元に来る前に! とは流石に言えない。
「はっ」
ベッグが頭を下げて返事をした、その瞬間―――バジェットは見逃さなかった。ベッグの持っていた生首が、一瞬像を歪ませ―――
猫に見えたのを。
幻だ―――!
そう理解すると同時に叫ぶ。
「その首を捨てろ!」
「は?」
ベッグが何事かと行動が遅れる。
その一瞬が命取りになった。
手元の生首から黒い閃光が槍のように伸びてベッグの心臓を的確に貫く。
「ぁが……!?」
何が起こったのか理解出来ぬまま、唖然とした顔のままベッグが絶命して床に倒れる。
「【シャドウランサ―】か……!?」
魔法発動の予兆が見えなかった。魔力の発光も魔法名の発声も無い。その上魔法の威力が異常に高い。
肉体的には無防備とは言え、ベッグは常時魔法防御の指輪を付けている。それを、紙のように抜いて体を貫通させたと言う事は、相手の魔力は少なくても魔力特化の名前持ちを上回っている。
魔導師ならば一流と呼ばれるレベルだ。
相手が仮に野良の魔族であったなら、どこの魔王からも引く手数多だろう。
では、その敵は何者なのか?
決まっている。
――― “見えざる敵”だ。
幻による自身の隠蔽術。
そして人間の側でありながら魔法を使う希少性。
疑いようも無い。
倒れたベッグの手から転がり落ちた生首を睨む。
「貴様が“見えざる敵”か!! ああ、失礼。この呼び名はコチラで勝手につけた名前だったな―――」
不意に背中に感じる“嫌な感じ”。
臆病者だからこそ感じる事の出来た気配とも呼べない微かな予感。
目の前に“見えざる敵”が居ると言うのに、バジェットは咄嗟に振り返った。振り返らなければならないと体が勝手に動いた。
そして、その動きは正しかった。
何故なら―――
全身を鉄の鎧で固めた謎の騎士が、バジェットの首に向かって剣を振り抜いて居たから。




