4-20 猫は走り出す
――― 嫌な臭いだった。
何かの間違いかと思ったが、クンっと鼻を澄ますと、明らかに近くに敵性存在を知らせる嫌な臭いを放つ何かが居る。
近く……とは言っても、俺の強化された嗅覚なら窓を閉めていても30mくらいの範囲の臭いは拾えてしまう。
魔族の臭い。
この臭いは知っている。今朝方訪ねて来た蝙蝠の手下の奴だ。
またレティが狙われてるのか……?
いや、でも、夜は警備が薄くなるとは言え、今日は蝙蝠の言ってた“この町を狙う魔族”の件があるから巡回に出ている人数はそれなりに居る筈だ。
ほら、今も部屋の外の廊下を1人の騎士が………って、これはアイツか? あの騎士連中の中でも特に若くて頼りなさそうな奴だ。
……まさか、コイツが巡回のタイミングを狙って襲って来ようとしてるんじゃねえよな?
いやいや待てよ? そもそも、狙いがレティ達じゃなくて俺だって可能性は無いか?
明け方に魔王の手の連中を倒し、訪ねて来た参謀に対して迂闊にも凄んでしまった。
正体がバレないように注意は払ったが、それだって素人の俺が出来る範囲の注意でしかない。どこかしらでボロを出している可能性は大いに有り得る……っつうか、そもそも蝙蝠野郎にもろに殺気むけちゃったしな?
……とすると、俺が危惧した展開になっちまったのか?
蝙蝠の奴が俺の正体に勘付いて、俺の排除にかかった―――若しくは俺を探らせている……なんて事か?
だとすると、マジでヤバいな……!
蝙蝠の奴が魔王ガジェットに俺の話を既に通してしまっているとすると、その話が別の魔王の所に行く前に口封じしなければならない。
――― 仕方ねえな。
どこかで魔王に喧嘩を売るつもりでは居たが、まさかこんな急に行く事になるとは。
まあ、でも、今朝方の失敗で、最悪こんな事になるんじゃないかと頭の片隅で考えて居たから、そこまで慌てないし動揺もしない。
まあ、魔王に挑む為の準備不足感は否めないけども……。
本当なら、ガジェットの能力とか、大まかな戦闘力とか、色々情報収集してから仕掛けるつもりだったもんなぁ……。
今の所、俺がガジェットの情報として持ってるのは「性格が悪い」って事だけだし……。
でも、まあ、何とかするんですけどね?
準備不足……そう、準備不足だ。
だけど、何も準備をしていない訳じゃない。
俺だって、アビスにコテンパンにされてから今日まで、何もせずにダラダラ過ごせる程危機感の無い人間じゃない。……いや、そもそもお前人間ちゃうやん? ってツッコミは置いといて。
アビスとの戦いからの大きな変化は……アザリアの極光の杖をコレクトした事ぐらいだ。まあ、あとは地味に特性の装備枠が増えた事?
正直、そこまでの戦闘力の底上げは出来て居ない……と思う。
だからこそ俺は、俺の持つ能力を見直して―――奥の手を1つ考えた。まあ、まだ試しても居ないから、魔王相手のぶっつけ本番になりそうだけど……。
ただ1つ言える事は、この奥の手は、文字通りの“必殺”だと言う事。
横で規則正しく寝息をたてている子豚を起こさないように「フゥっ」と小さく溜息を吐く。
――― 行くか、魔王を狩りに!
レティのベッドから這い出る。
軽く伸びをすると、良い感じに弱気な心が外に出たような気がする。まあ、気のせいかもしれないけど……。
この国を支配する魔王、ガジェットの居城は知っている。
ここがまだ人間の国だった頃の王都―――そして家畜に変えられた王族の住んでいた御城。そこにガジェットが居座っている……って話を、この町に来るまでの馬車の中で目力強いメイドさんが話していた。
その王都がどこにあるのか?
この町から北に行ったすぐのところです。まあ、すぐって言っても20kmくらいは離れているらしいけども。ここからでもギリギリ俺の視力なら見えるんだよね、遮る物が無いから。
俺なら一晩で行って帰って来れる。最悪【転移魔法】で帰って来ても良いし……まあ、あの魔法クソ程MP消費するから出来れば使いたくないけど。
さって、じゃあ行きますかね……っと、その前に外に居る魔族を始末しておくか。俺を狙ってるのか、レティ達を狙ってるのかは知らんけど、どっちにしろ放置しておいて宜しい奴じゃないし、後々の面倒になるのが分かってるなら先に潰しておくに限る。
居るのは1人。
窓から約8m、茂みの中に隠れている。
外に出ようと思うのだが……【隠形】で気配消してても、流石に窓を開ければ勘付かれる。
下手に逃げられても面倒だし、ちゃちゃっと行こう。
魔族の背後に【仮想体】を創り、旭日の剣を持たせる。
はい、じゃあ、さようなら。
悲鳴をあげる間もなく首を斬り飛ばす。
コレで良し。
一旦【仮想体】と旭日の剣を戻し、今度は籠手を着けた【仮想体】に窓を開けさせる。
「ミッ」
よっ、と。
レティに気付かれないように素早く外に出る。
ヒョイッと下に飛び降り、いつも通りの手順で怪我無く着地。
血の臭いが周囲に満ちていた。
………流石に首飛ばしたから血が噴き出したか。放置したら騒ぎになるし、死体は回収して行かなきゃだな。つっても、血の跡までは消せないから、朝方には発見されて結局騒ぎにはなるだろうけど……。まあ、俺が戻って来るまでの時間稼ぎにはなるだろう。
ささっと茂みの中で倒れていた胴体と、転がっていた頭を回収。
さて、んじゃマラソンと行きますか。
魔王の居城に向かって走り出す。
魔王との戦いは俺の望むところ。
結果がどうなるかはやってみない事には分からないが、魔王に勝つ事は俺にとっての“最強”に至る為に階段だ。1段目でそれを踏み外すような真似は御免被る。
それに―――魔王を倒す事は、俺1人だけの問題じゃない。
今日の昼―――。
魔王の使いである蝙蝠野郎が帰ってから、町の防衛の云々やら対魔族のどうのこうのの話し合いがされ、皆が忙しく動き回る中、元王宮付きの治癒士とやらが来た。
10年前……王族が家畜の姿に変えられてから、ずっと行って来た朝礼のような行事らしい。
何をするのかと思えば、呪いを解く天術を数日に1度かけ続けているらしい。
こんな慌ただしい中でもやるとか、御苦労様です……。
【解呪術式】
魔法・天術・スキルの永続的に肉体に常駐する効果を除去する天術……だそうな。
治癒士の爺様がびっしょりと汗をかく程の魔力を込めても、王族の姿が元に戻る事はなかった。
だが、皆が悲しそうな顔をしつつも、どこか諦めた目をしているのだ。
――― 「ああ……やっぱり、またダメだ」と。
10年間続けられたからこそ、どれだけ優秀な治癒士が頑張っても、この呪いが解かれる事はないのだと思い知ってしまっている。
呪いに魔力を供給し続けている魔王を倒さなければ、この悪夢のような日常は終わらない。
そんな重い空気の中、レティが言うのだ。
「次はきっと、元に戻りますよ」
と。
皆の不安を打ち消す様な明るい声で。
………本人が、1番諦めているくせに。
レティは既に豚である事を受け入れてしまっている。まあ、10年もその姿でいれば、そうなってしまうのも仕方無いのかもしれない。なんたって、猫になって2カ月も経ってない俺ですら猫である事を受け入れちゃってるし……いや、まあ、俺の事は良いか。
ともかく、レティは人に戻る事を―――人としての当たり前の日常を諦めている。
人がそれをとやかく言うのは“大きなお世話”なのかもしれないが……俺も一宿一飯の恩がある。有難迷惑だろうが、お節介だろうが、知ったことでない。
……とか恰好付けても、別に「人の希望や願いを背負って戦う」なんてするつもりは一切無い。
そんな物は本職勇者に任せます。
俺は勝手に、俺の都合で魔王をブッ倒して、その結果レティ達も元に戻れるかもしれないね? ってそんだけの話だ。




