4-18 蝙蝠野郎の考察
魔王バジェット=L・ウェイル・ユラーに仕える名前持ちの魔族、ベッグ=リン・カーリスは直属の部下である上級魔族を連れて家畜となった王族を軟禁している屋敷をあとにした。
本当は1秒でも早く部下に先程謁見の間で受けた報告の詳しい説明をさせたかったが、屋敷の中ではどこに人の目と耳があるか分かった物ではない。
人間……特に元王族やその家臣に聞かれて良い話ではない。
先程、大急ぎで部下が報告に来た内容はシンプルな物だった。
――― 襲撃部隊が姿を消しました。
襲撃部隊。
ベッグが用意した、この町を襲う“野良の魔族”と言う設定の部隊。
とは言え、本気で町を襲う気はない。
この作戦の目的は、この町に居る戦力だけでは対処できない事態を用意し、人間共が伏せて隠そうとしている切り札を使わせる事。
つまり―――例の“魔法剣士”と“見えざる敵”を引き摺り出して正体を確かめる事が目的。そして、勿論可能ならば排除する事も、だ。
この作戦で、町に多少被害が出るかもしれないが、それだって家屋を2つか3つを半壊させる程度に留めろと部隊長には釘を刺してあった。
間違って元王族に何かあれば、国中の存在する“愛国者”が黙っていない。たとえやったのが“野良”だろうが、魔族が元王族を傷つけたという事実は変わらないからだ。それで反逆の流れになって、魔王の支配にひびが入ろうものなら、隣国に居るという魔王アドレアスを倒した勇者が首を突っ込んで来る可能性だってある。
そうなれば、どうなるかは参謀であるベッグにさえ読めない。
屋敷から出て、町に出るまでの短いスペース。
木陰に身を隠すようにベッグは部下を引っ張って行き、周囲に誰も居ない事を確認する。
誰も居ない事を2度確かめた後、声を潜めて部下に詰め寄る。
「どういう事か説明しろ……!」
詰め寄られた部下は、少しの戸惑いを見せてから、言い淀む事無く答える。
「はっ。先程作戦前の最終連絡をとったところ、今朝方作戦行動中だった部隊員が2人を残して姿を消したと報告が」
「姿を消したとはどういう事かと訊いている! 残った2人の報告は!?」
「それが、要領を得ません。2人が周囲の警戒に部隊を離れ、数分後に異変を感じて戻ったところ、部隊員が全員消えて、地面に血の跡だけが残っていたそうです」
「……全員か? 何か手掛かりは残っていなかったのか?」
「報告では、遺体や装備品の類は何も残っていなかったそうです」
「……チっ」
面倒な事になった……とベッグは心の中で舌打ちする。
残っていたのが血の跡だけでは、殺されているのか、それとも生かされて誰かに連れて行かれたのか、それがハッキリしないのが面倒だ。
生かされているのであれば、どんな情報を吐くか分かった物ではない。
(だが、そもそも誰にやられた……いや、魔物にやられたと言う可能性も……)
魔物との交戦の可能性はすぐに排除。
部隊を任せていたのは名前持ちだ。戦闘力もさる事ながら、その冷静さは折り紙付き。もし、部隊が勝てないレベルの魔物とエンカウントしたのなら、即座に撤退を選ぶ程度の頭はある。
「何者にやられたのでしょうか?」
「例の“見えざる敵”だろうな」
魔法剣士の方の可能性もあるが、異常なまでの隠密性の高さと手際の良さは、話に聞いた“見えざる敵”である可能性の方が高いだろう。
だが、生死に関わらず、20人以上をたった数分でいずこかへ運ぶ事は可能なのか?
いや、そもそも根本的な考え方が間違っているのではないか?
(見えざる敵は1人ではない……のか!?)
1人では20人を運ぶ事はかなり無理があるが、それがもし仮に部隊規模であったのならば話は別だ。
であるのならば、“見えざる敵”の正体は―――隠密能力に特化した暗殺部隊。
魔法剣士を表の切り札だとするのならば、この暗殺部隊は裏の切り札……と言ったところだろう。表側の活躍に皆が目を奪われている間に、闇と影を渡って音もなく敵や障害を葬る。そう言う部隊。
そして、その部隊の中には、少なくても1人は魔法を使える者が混じっている。しかも、上級魔族を1発の魔法で潰せる程の魔力を持った者。決してそれは侮って良い相手ではない。
「……完全に敵を侮ったな……」
「全て、見えざる敵に読まれていた……という事ですか?」
「全てかどうかは分からん。だが、少なくても奴……いや、奴等がコチラの機先を制して来たのは紛れもない事実だ」
敵の方が立ち回りの早さが1枚も2枚も上手だ。
“見えざる敵”の指揮をとっているのが元王族の連中であるのは恐らく間違いない。しかし、そうなると先程の謁見の間でのやり取りはまったく別の見え方になる。
ベッグの「野良の魔族の襲撃」を聞いて驚いていたように見えた人間共だが、その実すでにその魔族が魔王の手の者である事を知っていて、尚且つ排除が済んでいる事も知っていた事になる。
驚いて見えたのはただの演技、内心はベッグ達を嘲笑っていた―――「貴様等は自分達の掌の上だぞ」と。
「………人間如きがぁッ!!!」
下等な人間に舐められたと言う事実が許せない。
たかが人間の分際で。
たかが家畜の分際で。
魔族に飼われる事でしか生を許されないゴミの分際で。
魔王バジェットの片腕にして、名前持ちの魔族であると言うプライドを傷つけられた事で、目の前が憤怒で真っ赤に染まる。
自身の立場も、今後の策の事も全て忘れて、人間への殺意のままに体が動き出そうとする。
部下は止めない―――止められない。今まで見た事もないベッグの“ヤバい目”に気押されて、体が硬直し、喉が言葉が吐き出す事を拒む。
このまま、ベッグが溢れる怒りのままに暴れるのか―――と思われたその瞬間、ゾワリとした悪寒。
何か……何か、途轍もない化物の気配だった。
いや、それは気配などではない。
ベッグの放っていた殺気を、まるで荒波の如き勢いで呑み込んで、逆に叩き付けてくる恐ろしい程の鋭く、冷たい殺気。
言葉はなくても雄弁にその殺気が語っている。
――― そのまま暴れるつもりなら、殺すぞ……と。
冷静さを取り戻すや否や、ベッグは視線を殺気の飛んで来た方向に走らせる。
こんな殺気を放つ相手はどう考えても普通ではない。だからこそ、即座にこの殺気の出所が誰なのかは想像がついた。
例の魔法剣士―――もしくは見えざる敵。
どちらだとしても、その姿を確認しなくてはならない。
そして、その視線の先には………誰も居なかった。
居るのは、ベッグ達にまるで興味無さそうに丸くなっている子猫1匹だけだ。
そう言えば先程、謁見の間で子豚の隣で独り言に付き合っていた気がする。だから、どうしたと言う話だが……。
結局はただの子猫である事に変わりはない。
その時―――狙ったかのようなタイミングで入り口から人影が現れる。
軽装の鎧姿に、何の変哲も無い鉄の剣をぶら提げた騎士だった。
屋敷に来た時に何度か顔を見た事があったが、ちゃんと相手として認識した事はない。歳若く、歩き方1つとってもどこか素人臭さが抜けない、魔族にとっての脅威度の無い、頭数にも数える必要のない、ただの虫けら―――だった。少なくても、今、この瞬間までは。
ベッグ達の姿を見ると、まるで始めて気付いたかのように表情を硬くしてペコっと頭を下げる。
(白々しい―――!)
先程の殺気はコイツだ。
コイツ以外に殺気を向けられる範囲に人の気配はない。
(そう……そうか! 役立たずの素人と言う肩書は、切り札を隠す為の隠れ蓑だったと言う訳か!)
この若い騎士が、恐らく警戒対象の1人である“魔法剣士”で間違いない。“見えざる敵”であるのならば、そう簡単に姿を晒す訳がないからだ。
敢えて殺気を放ってから姿を見せたのは、ベッグ達への牽制だろう。
これ以上、魔族の好きに出来ると思うなよ―――!
そう言うアピールだ。
もし何かあれば、自分がお前達に牙を剥くぞ……と、自身の爪と牙をチラつかせている。
実際、これからはこの騎士の目がある場所での魔族の動きは注意しなければならない。下の魔族が何かして交戦にでもなれば、無駄に敗北を積み上げて、最終的に魔王直々に出張って貰うような恥ずべき展開になりかねないからだ。
(ああ、良いだろう、受けて立ってやるぞ人間……!)
今すぐに目の前の騎士を縊り殺したい衝動をなんとか心の中に収める。
ここで戦って勝てるのならば良いが、もし自分が負けて殺されるような事になったら魔王の地盤が揺るぎかねない。
戦いを挑むのならば、相応に準備をしてからだ。
殺気を出さないように細心の注意を払いながら、頭を上げた若い騎士に言葉を投げかける。
「お前の顔、覚えて置くぞ」
「……えっ!? ……あ、は、はい……?」
戸惑った振りが随分と上手い事だ……と、相手に聞こえないように舌打ちする。
完全にあの魔法剣士は自分達を舐め切っている。余程自分の実力に自信があるのだろう。
外に歩き出すと、後ろを無言で着いて来る部下に命令を出す。
「先程の騎士を見張れ」
「では、やはり奴が?」
「ああ、あれが魔法剣士の正体だ。奴の弱点を探れ、家族、恋人、大切な物、何でも良い」
戦いが剣をぶつけ合うだけだと思ったら大間違いだ。
特に、人間相手ならば、大事な者や物をコチラの手に握ってしまえば容易く殺す事が出来る。
「畏まりました」
部下の返答を聞き満足そうに頷く。
これで魔法剣士の方は片付いたも同然だな―――と……。




