4-17 魔族来訪
元ツヴァルグ王国の国王達を軟禁する為の若干朽ちた屋敷。
その1階奥の最も大きな部屋が、簡易的に作られた謁見の間である。
本来ならば、部屋の奥―――謁見をされる立場の王が居るべき場所に、今日は別の者が座していた。
背には蝙蝠のような羽。
腰からは鎖のように見える尻尾が垂れ下がる異形の存在。
――― 魔族だった。
魔族の王である魔王の支配する今の世において、元王族よりも魔族の方が地位が上なのである。
特に“魔王の使い”であれば、魔王と同じ扱いをしなければならない相手だ。
そう言う訳で、恐縮した様子で家畜の姿になった王族と、一部の家臣達は、全てを見下すように座る魔族の前に立っていた。
………その中に子猫が1匹混じっていた事は、謎ではあったが誰も気にしなかった。と言うより、気にする余裕がなかった。
* * *
緊張した面持ちで牛の姿の元王が口を開く。
「お久しぶりです。ベッグ=リン・カーリス様」
牛の王の言葉を聞いて薄く笑う。
可笑しくて笑っているのではない。下等な人間が、分相応な姿で、分を弁えた態度で自分たちに平身低頭する姿に満足した……と言うだけだ。
ちなみに、恐縮している王や王妃の後ろの方で、子猫と子豚の姫が小声で、
「(誰あの蝙蝠?)」
「魔王様の参謀をなさっている名前持ちの方です」
「(ふーん……って事は、アレが魔王の片腕か)」
とヒソヒソ話していたが、誰も注意をしない。魔族の前で叱責する方が失礼かと思い、怒った感情を込めた視線だけが周囲から子豚に飛んでくる。
レティシアは慌てて口を閉じて、自分の行動を恥じて俯く。
子猫が睨む対象にならなかったのは、周りからは「ミィミィ」鳴いてるようにしか聞こえなかったからだ。
会話をしていた事を無言で怒られたのに、子猫だけがスルーされた事にレティシアが抗議の視線を投げかけるが、当の子猫はシレッと視線を逸らして素知らぬ振りでスルーした。
「ああ、久しいな“元”王族の皆様方? そして、無駄に仕え続ける忠犬のような人間共」
明らかな見下した態度。
心の中の侮蔑と嘲笑を隠そうともしない。それどころか、それを叩きつける事を楽しんでいる。
どんな侮辱をされようと、どれだけ笑われようと、人間達は魔族に逆らえない。それを分かっているからこそ、嗤う。
人間達がどれだけ憤怒の炎を燃やしているのか、どれだけの殺意を滾らせているのか、それを鋼鉄よりも固い理性で抑え込んでいるのを想像するだけで込み上げる笑いを抑えられないのだ。
「このような時間にいらしたのは、どのような……? 何かあったのですか?」
どこか、不安な声。
ただでさえ“魔王の使い”が来た時は碌な事が起きないのだ。普段とは違う時間に来たという異常事態がそこに加われば、どんなに胆の据わった人間でも「何が起こるのか……」と不安になるのは当然だ。
ましてや今の王は牛だ。人の時のように自由に動く事も出来ず、己の力で周りの者達を守る事もできないのだから、不安は大きくなるばかりだ。
「そうだな、早速だが本題に入ろうか?」
どんなとんでもない話が飛び出るのかと、思わず人間達が身構える。そんな姿を心の中で笑いながら、魔族は話し始めた。
「恥ずかしい話なのだが、野良の魔族がこの町……ひいては元王族の君たちを狙っていると言う情報が入ってね?」
「ほ、本当なのですか……!?」
「ああ、残念ながらね。我が王の配下の者であれば言葉で止める事は出来るのだが、相手は誰にも従わぬ野良共だ。コチラも止めようがない」
心底残念そうな顔と声……だが、内心でほくそ笑んでいるのは全員が分かった。
目の前の魔王の使いが口にした“野良の魔族”が、恐らく魔王の仕込みだという事も……。
「とは言え安心したまえ。慈悲深い我が王は君達も、この町も見捨てるつもりもない。この町を狙う魔族討伐の為に既に動き出して下さっている」
「そう、ですか。では、この町の安全は保障されているのですね?」
「ああ」
魔族が頷く。だが、それで安心するほど元王族もその臣下もバカではない。その先の言葉がある事は予想済みである。
「―――だが」
ほらね……と全員が心の中で溜息を吐く。
「敵の規模が不明なのでね? コチラの討伐部隊の編制に少々手間取っている。助けに赴いた挙句、返り討ちに遭うなんて恥だからな。ご理解いただけるだろう?」
「……では、すぐには魔王様の手助けは来ないという事ですか?」
「そうなるな。到着がいつになるかは私にも分からん。今日中に着くかもしれんし、もしかしたら明日になるかもしれん」
つまり―――「魔王の助けが来るまでは、自分たちで何とかしろ」と言っているのだ。
この町にも一応戦力は居る。
だが、決して潤沢ではない。
元々10年前に魔族が支配するようになってからは、どの町も軍力を奪われてまともに残っていないのだ。下手をすれば戦える武器すら奪われている町だってある。
ジャハルの戦力とて、まともに数として数えられるのは元王国騎士だった者達くらいで、他は普通の人間に毛が生えた程度の戦いの経験者しかいない。
野良とは言え、魔族が10人も居たら町まで押し込まれる危険性がある。その程度の戦力だ。それで、どう耐えろと言うのだ。
「……畏れながら、ベッグ様はお助け下さらないのですか?」
「ハハハ、私なんぞ戦力にはならんよ。所詮は策を考える頭脳労働しかできんのでな」
口には出さない。決して口には出さないが、皆が知っている。
魔族の序列は弱肉強食だ。
頭脳労働しか出来ない者が、魔王の片腕たる参謀の地位に座っていられる訳がない。戦う姿を頑なに見せようとはしないが、間違いなくこの名前持ちがナンバー2だ。
ジャハルを狙う野良の魔族が皆の予想通りに魔王の手の者達だとすれば、一体何をしたいのだろうか?
単純に考えれば、元王族の命を「必要なし」と判断して切り捨てようとしている。
そう考えると、レティシアがジャハルに戻る最中に賊に襲われた事も無関係ではないのかもしれない。もしかしたら、護衛や侍女が気付かなかっただけで裏では魔族が糸を引いていた可能性がある。
敢えて魔王とは関係ない“野良の魔族”と言うのが、後々の言い訳の為の予防線だとすれば、魔王は本気で殺しにかかってきているという事になる。
当然魔王の寄越す救援も無い。
恐らく、“野良の魔族”はこの町を蹂躙できるだけの戦力が揃えられている。
逃げ場はない。
助かる道もない。
そんな時、王達の頭を過ぎったのは、昨夜レティシアを寝かしつけた後の侍女から語られた話。
隣国を支配していた魔王アドレアスが、勇者達によって討たれた……と。
ありもしない可能性に縋ろうとしてしまう。
もし―――その勇者が助けに現れてくれたら。
そんな奇蹟は起こらない。
現実は無慈悲である事は、10年前の戦争の敗北からコッチ、家畜の体でずっと味わい続けてきたことだ。
せめて、娘や家臣達の命だけでも助かる方法は―――王が皆が助かる道を必死に考える中、誰かが部屋の中に飛び込んできた。
裂けた口。そこから覗く牙―――魔族だった。
人間にも、家畜の王族にも目もくれず、人間を「邪魔だ!」とどかして一直線に部屋の奥に居るベッグの元へ駆けていく。
「何事だ……!」
ベッグが不機嫌そうに言うと、息を切らせながら魔族は「至急の知らせです」と言い何かを耳打ちする。
二言三言、短い報告がされ、聞き終わるや否やベッグが椅子を倒しながら立ち上がった。
「馬鹿なッ!!? どういう事だ!?」
叫んでから自分が今人間達の前であった事を思い出したようで、コホンッと小さく咳払いをして冷静さを取り戻す。
「失礼。急ぎの用事が出来たので、これで失礼する」
言うや否や、報告に入ってきた魔族を引き連れて部屋を出ていく。
残された者達が事態を理解できずに固まっている中、レティシアの隣で“お座り”していた子猫が、魔族の後を追うように部屋を出て行った―――……。




