序 家畜の姫
整備された街道を1台の馬車がパカポコと進む。
馬車を引く2頭の栗毛色の馬は、ガッシリした体つきに、頭の先から尻尾の先まで丁寧に手入れされた毛並み。どこの品評会に出しても恥ずかしくない素晴らしい馬だった。
そして、その馬達が引く車も負けず素晴らしく、細部まで凝った装飾が施され、まるで1つの芸術品のようだ。
更に言えば、馬車の周りには軽装だがちゃんとした鎧や武器を纏っている騎士達。
誰がどう見ても、一般人が乗れるような待遇ではない。
そして事実、この馬車に乗っているのは一般人などではなかった。
元姫君―――。
10年前の戦争の敗北によって人間の国は全て魔族によって奪われ、国の頂点に立っていた王達は即座に地べたへ引き摺り下ろされ、その椅子には代わりに魔王達が座る事となった。
ただ、その後の王族がどうなったかは各々の魔王達の裁量に委ねられており、「生かしておく価値無し」と即刻一族郎党皆殺しにした魔王も居れば、「支配の見せしめに使える」と魔王の監視の元生かされている者達も居る。
そして、馬車の中に居る元姫君は後者だった。
豪奢な馬車の中には、元姫君と傍仕えの侍女が1人。
侍女と言っても、姫が幼い頃からずっと世話をし、時に話し相手になり、悩みを聞いたりした事もある姉のような存在。
“王族”と言う特殊な親子関係である両親よりも、気心が知れていて、最も姫が信頼している人物である。
だからこそ、馬車の中と言う密室では気軽に話を求めてしまう。
「ねえ、ネリア?」
「はい、なんですか姫様」
「……もう、いい加減姫じゃないんですから、その呼び方止めた方が良いと思うんです」
「人前ではちゃんと自重していますから御心配には及びません」
「2人の時にも止めて良いと思うんです……?」
「いいえ。いいえ姫様、貴方様は誰が何と言おうとツヴァルグ王国の姫君なのですから、この呼び方を止める訳には行きません」
そうは言っても、その“ツヴァルグ王国”は10年前の戦争の敗北で既に地図上には存在して居ない国なのだが……、その事を言うと、大抵「心の中にはまだ生きています!」と怒られるので敢えて言わない姫だった。
この侍女に限らず、ツヴァルグ王国の家臣だった者達の忠誠心は高い。
実質上国が無くなった今もこうして魔王の監視、支配下にある王族に無給で仕えているのがその証拠。
いつか国を再興する日が来る事を願い、自分達の主である王が再び玉座に座するその日まで忠誠と献身を持って耐える―――そう言う戦いを選ぶ事が出来る家臣達なのだ。
「そんな呼び方したって……こんな姫は何処を探したって居ませんよ?」
「それは断じて姫様がお気になさる事ではありません。全ては醜悪なる魔王の手による物なのですから」
「ネリア。どこに魔王“様”の目があるか分からないわ。そう言う事を言ってはダメ」
「…………はい、申し訳ありません」
王族が生かされているのは、魔王がそれを許しているからだ。
もし不興を買うような事になれば、即座に首を刎ねられてもおかしくない状況なのだ。
姫だって命は惜しい。だが、自分の命以上に王と王妃―――両親の命が惜しい。だから、魔王の怒らせるような事はあってはならないのだ。
「勇者様が現れてくれれば、何かが変わるかもしれないんですけどね」
「姫様……お言葉ですが、勇者には何を期待しても無駄です。10年前に力を結集したにも関わらず魔王達に敗北し、世界を魔族達に渡してしまったのは奴らなのですよ!」
言ってしまってから侍女が根っからの「勇者嫌い」である事を思い出す。とは言え、それは彼女に限った話ではない。10年前の敗北……延いては、今日の魔族に支配された情勢を「勇者のせいだ!」と思っている者は少なくない。
「でも、ほら、隣の国の魔王様が倒されたって噂がありますし?」
「噂は噂です。行商人が持ち込んだ他愛も無い冗談が姫様のお耳に届いたと言うだけの話でしょう。彼の魔王アドレアス……様は、なんでも見ただけで人を殺す異能の使い手だと聞きます。そんな化物を倒せるような人間が居るとは思えません」
「でもでも、本当だったら凄いんです? もしかしたら、本物の勇者様が現れたのかもしれないんです?」
「……そうですね。もし、本当にそうだったのなら、その“本物の勇者様”がこの国にやって来るかもしれませんね」
言葉と表情が噛み合って無い。
明らかに「勇者なんぞ信用出来るか」と言う顔をしている。いくら姉妹のような関係で気心が知れているとは言え、その態度はあまりに酷いんじゃないだろうか? と姫は思うのだが、それを口にしない。今はちゃんとした主従関係を結んでいる訳ではないからだ。
周りから向けられる嘲笑も、憐れみももはや慣れた物だ。しかし、1番の身内である侍女のこの顔だけはどうにも慣れない姫であった。
きっと―――事情を知らない人間がこの2人の会話を見ていたら、首を傾げただろう。
何故なら……
メイド服の女性と、ドレスを着た子豚が会話しているのだから。




