3-29 猫は頂を目指す
【仮想体】の再使用までにかかる時間は12時間―――。
どう考えても、赤髪とやり合っている間に過ぎるような時間ではない。
何より……【仮想体】無しで12時間も戦って居られる訳無い。
【仮想体】は今や俺の戦いの……いや、俺が猫として生活する為の根本にあるスキルだ。それが潰されたってのは、俺にとっては両手両足を捥がれたと同じと言っても良い。
だからと言って―――相手が戦闘を止めて帰ってくれる訳じゃない!
赤髪は、俺に旭日の剣を投げて寄越してからは仕掛けて来ない。
多分だけど……コイツは気付いている。
先程自分が斬った“見えない何か”が、俺にとっての最強の手札であり、俺にとっての奥の手であり、俺を“魔王”相手に戦える猫にしてくれる物だと言う事に。
だからこそ、それが奪われた状態で、俺がどう動くのかを観察している。
その目は、どこか期待しているようにも見える。「ここからどう悪足掻きするんだ? 思いがけない一手を見せてくれるのか?」と。
残念ながら、ここから足掻く為の一手は―――無い。
パワーで敵わない。
スピードで敵わない。
魔法が通じない。
魔眼が通じない。
スキルが通じない。
状態異常が通じない。
アイテムが通じない。
……こんな化物相手に、何をどう足掻けってんだよ……!!
もう、打つ手がねえ……。
俺が何も出来ずにジッとしていると、俺に次の手が無い事を察したようで、先程までの期待が見えていた赤髪の顔が、スッと真顔になる。
「なんだ、もう終わりなのか?」
俺は何も答えない。
どう答えたって、この状況が変わる事は無いから。
「少しは伸びが見えて来たかと思ったが、まだ追い込み方が足りねえか」
言うと、静かに俺の方に右手を向ける。
「お前に“異能”は使わんと言ったが、それを破って1度だけ使うぞ」
赤髪の右手から漆黒の光が噴き出す―――。
魔法を発動する前兆。
今まで見た事も無い程の膨大な魔力の放出。
業火のように噴き出し続ける黒い光―――。
分かる。
野郎が今から使おうとしている“何か”は、絶対に、確実に、ヤバい奴だ!! それも、今まで俺がコッチの世界で味わって来た“ヤバい”を軽く凌駕するレベルの!
「貴様が可能性①だったなら、コイツで何かを思い出すかもしれんからな? なんたって、コイツは昔魔神が俺様を1度殺した魔法だからな!」
赤髪の右手の中でバレーボールくらいのリングが2つ現れ、縦回転と横回転を始める。
リングの内側で赤い光が灯り、回転が早くなるにつれて赤い光が―――太陽の光のように燃え上がる。
それはまるで、リングの檻から、捕らわれた太陽が脱出しようと暴れているように見えた。
「さあ、あの日のお返しを受け取ってくれ!!」
だから、俺はそのマジンたら言うのとは無関係だっつうの!
心の中で全力で返しながら、何とか逃れようと走り出す。
しかし―――本能が言っている
――― 逃げられない! と。
「究極魔法が壱式―――」
リングがパキンッと弾け飛び、内側から深紅の光が溢れだす。
「【ドラグーンノヴァ】!!!」
光―――。
赤い光が視界を満たす。
一瞬、体が熱を感じたと思った次の瞬間―――俺の意識は途切れた。
…………
…………………
………………………ん?
意識を取り戻した時には、俺は地面に寝ていた。
何が起こったのか認識出来ない。
だが、赤髪が魔法を発動したポーズのまま俺を見ている、って事は、意識が飛んでいたのは精々2、3秒ってところか?
何が起こった……?
ログを確認。
『スキル:【ダブルハート】を発動。
スキルを再使用出来るまで239:59:57』
【ダブルハート】が発動してる……?
それが意味する事は、肉体に死亡判定が入ったって事だ。
つまり―――今の瞬間に1度俺は死んだって事かよ!?
自分の死を認識した途端、足元から体温が抜けて行くような錯覚。
全身から力が入らなくなって、踏ん張らなければ倒れてしまうところだった。
死んだ……?
俺、今、死んだのか?
魔法で殺されたのは明白。
だが、どんな死に方をしたのかが分からない。
野郎の手元から赤い光がピカッとなったら、次の瞬間に意識が飛んだ……多分この“意識が飛んだ”で死んだんだと思うが……。
痛みとか何も感じる間もなく一瞬で死んだって事か……?
安らかに殺してくれてありがとう―――って、なるかボケ!!
訳も分からず1死食らったなんて洒落にならねえだろうが!
ふと、周囲の様子が変わって居る事に気付く。
赤髪の足元辺りから地面が抉れ始め、まるで山のような巨大な蛇が這った後のような、城さえ落とせそうな巨大な“轍”が俺の後方―――視界の届く3km先……いや、もっと先の荒野まで伸びて居た。
……これ、まさかとは思うけど、さっきの魔法の一発の威力か……?
慌ててログをスクロールさせて確認。
『【ドラグーンノヴァ】
カテゴリー:魔法
属性:深淵/火炎/崩壊
威力:S
範囲:S
究極魔法と呼ばれる物の1つ。
手元から熱と崩壊のエネルギーを放射する。
放射された魔法は耐性、防御魔法・天術を全て貫通する』
………え?
威力と範囲が両方共“S”ってなってるんですけど……? 何Sて? もしかしなくても、AAより上って事だよね? じゃないと、今目の前に有る災害の後みたいな状態が説明つかねえもん!
ちょっと待って! 魔法1発で町を3つ4つ軽く消し飛ばす威力が有るとかヤバ過ぎるでしょ!?
「ふむ。その様子だと、何かを思い出して居ないようだな?」
いや、だからその“マジン”とやらとは全くの別人…じゃない別猫ですし。
「では仕方無い。飯事遊びは止めて、少し本気で行くか」
軽く腕と足を回すと、静かで、自然な動作で構えを取る。
まるで―――波1つ無い湖面のような立ち姿。
奴の周囲の音だけが消失した様な錯覚。
次の瞬間―――
赤髪の足が俺の頭上に振り下ろされていた。
何が起こったのか分からない。
奴が移動した事を頭が認識出来ない。
音も、光も、何もかもを凌駕する速度―――。
俺の感覚の全てが置き去りにされて、1秒先に訪れる“終わり”だけが目の前に置かれた。
――― 死ぬ!!
息が止まって加速が発動するが、それでも尚赤髪の動きに置いて行かれる。
文字通り、速さの桁が違う!
何も出来ない事を悟り、自分の最後から目を逸らす様にギュッと目を閉じる。
振動―――と共に、自分が立っていた地面が崩壊したのが分かった。
………
……………
死ん……………で、ない?
恐る恐る目を開けると、鼻先2cmの所で赤髪の足が地面に突き刺さって居た。
「ミャっ……!?」
驚いて、慌てて飛び退る。
が―――バックジャンプした先の地面が、割れていた。
っとと! 危なッ!?
割れた地面に落ちかけたが、猫の体の身軽さを活かして何とか体勢を保持。
周りを見ると、赤髪の足が突き刺さった場所から放射状のひびが周囲300m程に広がって、地面を薄氷のように砕いていた。
なんつう馬鹿力だよ……! あんなの食らったら、俺じゃなくたって大抵の奴は即死どころか肉片すら残らねえよ!!
……いや、でも、なんで今の攻撃は外れたんだ?
外れた? いや、違う! コイツがそんなミスする訳ねえ! “外れた”んじゃなくて“外した”んだ!
……いや、それこそ何でだ……?
俺の心の中の疑問が聞こえた訳ではないだろうが、赤髪は答えを口にした。
「飽きた」
「みゃ?」
は?
「飽きた、と言った」
言いながら、地面にめり込んで居た足を引き抜いて、靴についた砂と土をパンパンっと軽く払う。
「そうだよ、俺様は貴様の成長過程が見てぇんじゃねえんだよ。そんな物はどうでも良い。俺様はただ、貴様が魔神の強さに至るかどうかが知りたいんだよ」
何が言いたいのかサッパリ分からんのだが。
「貴様の強くなる“過程”は要らん。強くなった“結果”だけを俺様に見せろ」
……?
俺がクエスチョンマークを浮かべていると、クルッと俺に背を向けて歩き出す。
「帰る」
「ミ……?」
え……? 唐突に?
そのまま転移魔法で消えるのかと思ったが、振り返って俺を真っ直ぐ指差す。
「良いか? 良く聞け、そして頭に刻み込め。今日は帰るが、いずれ俺様はもう1度貴様に会いに来る。それは明日かもしれんし、一月後かもしれんし、一年後かもしれん。まあ、俺様の気分次第……って事だ」
「だから?」と問い返そうとしたが、赤髪の目を見た途端に言葉が腹の中に引っ込んだ。
赤髪の目は―――獲物に襲いかかる直前の飢えた獣の目だった。
腹が空いて、何でも良いから、誰でも良いから襲って殺して食物にしてやりたい―――そう言う目だ。
「そして、次に会った時、確実に、絶対に―――貴様を殺す」
殺気―――。
全身の血から熱を奪い、筋肉を硬直させて動けなくする、最強の殺気。
「良いか? それまでに力を付けろ。俺様を満足させるだけの力をな」
は? 何無茶苦茶言ってんだコイツ!?
文句を言おうにも体が硬直して声が出せない。
言葉を紡ごうにも思考が混乱して、まともな言葉が出て来ない。
「ああ、そうそう、魔神を狙っているのは俺様1人じゃないから精々気をつけろよ? 昔魔神に襲われた魔王の中で生き残って居る俺様以外の2人“エトランゼ”と“デイトナ”。俺様程じゃないが、今の貴様がどう足掻いても勝てる相手じゃねえ、死にたくないならコイツ等の目に止まらないようにするこった」
……なんだそりゃ……俺が生き残る条件が無茶苦茶ハード過ぎるだろ!! ふざけんなよッ!!
「あの2人は俺様のように慈悲深くない。貴様の存在を知れば、間違いなく即座に殺しに来るぞ」
コイツが慈悲深いなんてどんな笑えない冗談だ。
一方的に叩き付けるように言い終わると、再び背を向ける。今度は歩き出そうとはせず、そのまま転移魔法の詠唱に入る。
その背に、何か言わなければ―――そう思って、必死に硬直する体を動かして絞り出した言葉は……。
「(お前の、名は……!)」
振り返りもせず、赤髪は答えた。
「アビスだ。アビス・A。世界で最強たる俺様の名を魂の奥底まで刻んで置け。それと―――名を言わせたんだ、俺様を後悔させるなよ?」
言い終わると同時に【転移魔法】が発動し、赤髪の姿がその場から消え去る。
赤髪……アビスが消えると、俺に向けられて居た殺気も消え、「ミャァ……」と大きく息を吐きながら、思わず力が抜けてその場に倒れ込む。
空を見上げると、上空は風の流れが早いのか雲が生き物のようにウゴウゴと蠢き形を変えながら流れていた。
と、空から降りて来た滴が俺の顔を濡らす。
雨……?
起き上がる気力が湧かず、倒れたままで居ると次第に雨足が強くなって、あっと言う間に体がびしょ濡れになる。
猫の体特有の、濡れる事への嫌悪感が体中に広がる。
それなのに、まだ立ち上がる気にならない。
立ち上がったところでどうなる?
ここは荒野で、雨宿り出来るような物も無い。結局は雨の中で立ってるか寝ているかの違いじゃないか。
立ち上がったところでどうなる?
俺が、世界最強に命を狙われている事実は変わらない。ここで立ったって、結局俺がアビスに殺される未来は変わらないじゃないか。
世界最強に「殺す」と宣言され、最強に及ばないまでも、まず俺の勝てないらしい凶悪な2人の魔王にも見つかれば殺される。
…………そんなの、もう無理じゃん?
どう転んでも、俺の未来には絶望しかない。
このまま目を閉じて、全て投げ捨ててしまえば、もう苦しまなくて良いし、悩まなくて良い。
――― そんな風に、命を、自分を殺してしまえれば、どれだけ楽だっただろう。
俺がただの猫だったのなら、このまま目を閉じて居たのかもしれない。
だけど、俺は人間……元人間だ。
そう簡単に、命を諦められるかよ……!
生き汚いと言われようが、往生際が悪いと言われようが、それでも生に執着しようとしてしまう。
頭が「もう無理だ」と言っていても、心が「そんなもん知るか」と立ち上がろうとする。
ああっ、クソッ、そうだよ! 死にたくねえ!!
ようやく猫としての人生に楽しみを見出して、「これからだ」って思ってたんだ。「はい、そうですか」と死を受け入れられる訳が無い!!
雨に濡れて重くなった体。
絶望が降り積もって重くなった心。
重くて堪らない心と体に鞭打って立ち上がる。
空から絶え間なく降り続ける雨粒に打たれながら、俺は暗い空を見上げる。
やってやる。
俺がこの世界で生き延びる方法は1つしかない。
だったら、その1つを実行するだけだ。
俺が生き延びるただ1つの道。それは―――最強を倒す事!
やるぞ、俺は。
――― 猫の体だって、最強になってやる!




