3-25 塔の外で
杖の勇者アザリアは怒って居た。
その怒りっぷりたるや、怒りのオーラに怯えて仲間達が声をかけられない程だ。
彼女の怒りの矛先は間違っても仲間達ではないのだが、そんな事は関係無い。日頃から必要以上に感情の波を大きくしないように心がけているアザリアが、こんなに咋に怒っている事が問題なのだ。
古株の仲間達でさえ、ここまでの“プンスカモード”を見たのは数回しかない。
彼女が怒っている相手は―――剣の勇者だ。
約30分前、「塔の中を先に行って調べて来る」と言って(喋ってはないが)、さっさと相棒の子猫を連れて、豊穣の塔に入って行った黄金の鎧。
本当は皆で一緒に入る予定だったのに、そんな事お構いなしに行ってしまった。
(本当に何なんですかあの人は!! 私達の事を何だと思ってるんでか!)
口には出さないが……いや、口に出さずに内に文句を溜めこんで居る為、尚の事アザリアの怒りのボルテージは上がる。
もし剣の勇者の相棒の子猫を抱っこして居たら、その癒し効果で幾分かましになっていたかもしれないが、残念ながらその子猫は剣の勇者と一緒に塔の中だ。
(大体、なんで猫にゃんを連れて行くんですか!? 危ない場所に連れて行って、猫にゃんが怪我したらどうするんです! そうですよ! 猫にゃんは私と一緒に居るのが1番良いじゃないですか!)
大の猫好きとして、猫を危険な場所に連れて行くのは受け入れられない。今回だって、もし子猫が付いて行く事を少しでも嫌がる素振りを見せたら、例え剣の勇者と殴り合いになってでも止めていた。
しかし実際は、子猫は喜んで剣の勇者に付いて行った。
とは言え、魔王アドレアスとの決戦の時の事もあるので、「今度、猫にゃんを譲ってくれるように言ってみましょうか……」と本気で少し悩んでみた。
まあ、猫の話はそれとして―――
アザリアが怒っているのは、剣の勇者が1人で行ってしまった事だ(実際はプラス1匹だが)。
勇者が1人で行った理由はアザリアだって分かっている。
元魔王の居城である豊穣の塔には、どれだけの危険が有るか分からないからだ。
もしかしたら即死罠が仕掛けられているかもしれないし、凶悪な魔物が飼われているかもしれない。
だが、どんな危険が待っていようとも、転移術式の使える剣の勇者ならば回避する事が出来る。どんな凶悪な敵が居ようとも、魔王をたった1人で討ち取った剣の勇者ならば大した危険にはならない。
結局のところ、剣の勇者が1人で行ったのは“アザリア達を危険に晒さない為”だ。
アザリアだって剣の勇者の実力は認めている。
その実力が自分の遥か上に有ると言う事も理解している。
勇者としても、人間としても優れているし、性格も優しく思いやりのある大人な男性だ。極端に無口である事を除けば、完璧と言って良いかもしれない。
(……そりゃぁ、頼りになりますし……恰好良いとも思いますけど……いえ、そう言う事では無くて!)
剣の勇者が自分達を思い遣ってくれるのは素直に嬉しいが……根本的な違うのだ。アザリアを始め、此処に来ている全員護られる為に居るのではない(ユーリは若干怪しいが…)。
塔の中に罠が有る事も想定して居たし、その為に斥候能力に特化した者も連れて来ている。
戦闘の方だって腕の立つ者を揃えて居るし、アザリア達は欠片も剣の勇者に負んぶに抱っこされる気はなかった。
だが、塔に着いてみれば結局危ない場所に行っているのは剣の勇者1人。
詰まる所―――
剣の勇者がアザリア達の力を信用して居ない……と言う事だ。
少なくても、戦力として数えられて居ないのは間違いない。
それがアザリアのストレスの根っ子だった。
剣の勇者が許せない……と言うのとは違う。
信用されて居ない自分の無能さが許せない、と言う話だ。
だが、悩んだところで、突然空から“大いなる力”が降って来る訳でもない。
力が足りないと言うのなら、時間をかけて力を磨く以外に道はないのだ。
(剣の勇者に追い付くには、相応の時間が必要……ですね)
もっとも、アザリアが必死に走って金色の背中を追いかけたとしても、相手が立ち止まって居てくれるとは限らない。いや、むしろ剣の勇者ならば、アザリア以上に濃密な時間の使い方で自身を研鑚し、差を広げる可能性すらあるのだ。
(追い付くどころか、追いかけるだけでも一苦労ですね、あの人は本当に……)
アザリアの頭の中で、剣の勇者の色んな姿が浮かぶ。
ブルーサーペントを倒し、その血飛沫から自分を護ってくれた時の姿。
クルガの町でただ1人魔王アドレアスと渡り合って居た勇ましい姿。
いつもの、子猫を肩に乗せて町を歩く姿。
どれも、まるで―――黄金に輝く太陽のようだった。
そんな事を考えていると、顔が熱くなっていた。
そんな自分を誤魔化すように、思考を急ハンドルで別の方向に持って行く。
(そ、そう言えば……“お願い”を言いそびれてました……)
解放祭の時、剣の勇者に言おうとしたが、色々あって結局未だ言えないでいるアザリアの“お願い”。
正直、今もそれを口に出してしまっても良い物かとアザリアは悩んでいる。
と言うのも、お願いの内容が……少々、いやかなり特殊な物だからだ。
(……言ったら絶対に剣の勇者にも引かれる気がします…。いえ、でもあの人は顔見えないですし……。帰ったら、言うだけ言ってみましょうか……? ああ、ダメです! いえいえ、でも悩んでても変わりませんし……)
アザリアが1人で悩んでいると―――
「お嬢!?」「アザリア様!!」
叫ぶように呼ばれてハッとなる。
思考を断ち切って我に返る。
すぐに感覚の警戒レベルを上げて周囲の変化に注意を向ける。
「何事で―――」
言葉の途中で口も体も固まった。
視線を塔に向けた瞬間、皆が何を慌てて居たのか理解したから。
豊穣の塔が―――崩壊を始めていた。
内側から凄まじい衝撃を受けたのか、外壁が粉々になって飛び散り、穴が開いた壁から見えた塔の中では支柱が圧し折れていた。
「何事ですか!?」
アザリアが叫んだ途端、まるでその声を合図にしたようなタイミングで残って居た塔がグシャッと自重で潰れて崩れる。
何があったのか?
決まっている。
剣の勇者が何かした―――若しくは、剣の勇者に何かあったのだ。
だが、剣の勇者への心配はすぐに心から締めだす。
どうせ、あの黄金の鎧は何があってもピンピンしているに違いない、と信頼しているからだ。それよりも、この後に何が起こるか分からない。その警戒が優先。
「全員、すぐに動ける準備を! 戦闘になるかもしれません、支援術式もかけられるだけかけます!」
素早く指示を出し、ローブの中から極光の杖を抜いて支援術式を詠唱する準備を始める。
と―――それを遮るように、崩れる塔を凝視していたユーリが叫ぶ。
「勇者様!!」
「え?」
ユーリの視線を追って皆が塔に目をやると、崩れる瓦礫に紛れて金色の鎧が落下していた。
こう言う時に目立つ金色は有り難い。
しかし―――それ以外にもう1人落下している人物が居る。
瓦礫の雨に邪魔されて姿が確認出来ないが、空中で躍る赤い髪が見えた。
「戦ってる……?」
何をしているのか分からないが、少なくても2人共落下に焦ってバタついているようには見えない。
落下時間はたった数秒。
ドズンッと大きな音をたてて瓦礫が地面に落ち、その真ん中に赤い髪の人物がストンっと高所からの落下を感じさせない静かな着地を決め、その近くで黄金の鎧がゴシャッと着地の姿勢作りに失敗して地面を転がる。が、すぐに起きたところを見ると大した怪我はしていないようだ。
「良かった、勇者様は無事です!」
「ええ、そのようですね」
無事だろうとは思っていたが、実際に無事な姿を見るとやはりホッと安堵してしまう。
だが―――その安堵に吐いた息は、次の瞬間には緊張で呑みこむ事なる。
何故なら、剣の勇者と一緒に落ちて来た赤髪の姿を、着地した事でようやく確認する事が出来たから。
「まさか―――あれは!?」
「アビス……最強の魔王!?」
燃えるような焔色の長髪。
額の折れた3本の角。
そして―――30m離れて居ても伝わって来る、“怪物”の殺気。
アザリア達の誰もアビスに会った事は無い。だが、全員がその姿を知っている。
勇者を語る物語の最後は、大抵アビスとの戦いで終わるからだ。
誰もが寝物語で1度は聞かされる人間にとっての“最後にして最強の敵”。それが、魔王アビスだった。
アザリアは遅まきながらようやく理解する。
剣の勇者が何故1人で行ったのか?
――― 奴が居たからだ。
今のアザリア達がどう足掻いても最強の魔王には太刀打ちできない。それどころか瞬殺、秒殺で片付けられるのが目に見えている。
だから、剣の勇者はアザリア達を遠ざけて1人で戦いに向かったのだ。
「―――だからって、無茶じゃないですか! いくら貴方が強くたって、相手は100年間勇者を殺し続けて来た化物なんですよ……!!」
剣の勇者を信じている。
剣の勇者の実力を信じている。
けど―――それでも―――、最強と言う名の壁は、あまりにも高いのだ。




