借金幼女の隷属魔導師生活
広い敷地内に複数の人々がいた。
王宮内の試験会場――そう、ここは宮廷魔導師としての試験を受ける会場だった。
最終試験は魔法の実技による評価が実施され、筆記試験との総合的な評価で合否が決まる。
「ファイア・ブレス!」
一人の青年がそう叫ぶと、炎が巻き上がり、定められた的へと押し寄せる。
それは瞬く間に炎に包まれ、燃え尽きていった。
周囲の人々から歓声にも近い声があがる。
「うむ、いい威力だな」
それを見ているのは壮齢の男性――宮廷魔導師試験の試験官を務める男だった。
男性は群青色のコートが宮廷魔導師の基本だ。
他の試験官とも目配せをしながら評価を決めている。
次々と魔法実技による評価が行われていく中、一際目立つ存在がいた。
実際のところ、町中にいたら小さくて目立たないのかもしれない。
肩にかかるくらいの金髪。
碧眼の瞳が試験会場を見渡している。
可愛らしい人形のような少女――フィエル・レエルはそこにいた。
宮廷魔導師試験を受験する最年少者での少女だった。
試験を受けるには魔法学園を卒業するという条件が存在しているが、フィエルにとっては問題のない事だった。
主席、飛び級で卒業したフィエルにとっては、もはやこの試験すら通過点だったからだ。
「次、フィエル・レエル」
「はいっ」
幼い声が響き、会場が少しざわつく。
こんな幼い少女に何ができるのか、多くの者はそう思っているのだろう。
(ふっ、そうして馬鹿にしたような目で見ていられるのも今のうちだ)
フィエルが浮かべる純粋な笑顔とは裏腹に、心の中は冷静だった。
彼女には――前世の記憶がある。
それはかつて、《五星魔導》と呼ばれ大陸最強の一人に数えられた魔導師としての記憶だ。
その記憶を生かして、フィエルは幼くして最強クラスの魔導師としての力を得た。
表向きにはまだその力を完全には発揮していない。
けれど、今日その力を見せる時がきた。
宮廷魔導師において最も評価されるのは実技だ。
ここで高い魔法のレベルを見せつければ、初めから出世コースは約束されたようなものである。
(早期に出世して悠々自適な生活を送らせてもらう)
宮廷魔導師の給料の水準は高い。
同じ魔導師としても、フリーで働くよりはよっぽどいい金が稼げるわけだ。
もちろん、自給自足で研究に使う素材も全て手に入れるという方法はあるが――王都にいればそんな苦労をしなくても手に入る。
早い話、研究するのに最適な工房をもらえるというわけだ。
(今から心が躍ってしまう。わたしの完璧すぎるストーリー設計に……)
ふふっ、と漏れてしまいそうになる声をおさえて、フィエルは立つ。
そのとき、少しだけ足元がふらついた。
「大丈夫か?」
「あ、はいっ。大丈夫ですっ」
(ちっ、唯一の誤算はこれか……)
フィエルは心の中で悪態をつく。
健康には気を付けていたつもりだったが、それでも病気というものになってしまう。
それは生前にもよく分かっていた事だから気を付けていたつもりだった。
(こんなときに風邪を引いてしまうとは。これだから子供というのは……)
すんっと鼻をすすりながら、フィエルは小さくため息をつく。
身体も少しだるいが、宮廷魔導師の試験日に替えはない。
この日に受けられなければ、次に試験を受けられるのは来年になる。
だからこそ、フィエルは滋養のある食材を大量に手に入れて、何とかここまでやってきたのだった。
それでも、まだ身体は少しふらつく。
だが、フィエルには自信があった。
この程度の事でどうにかなる程、フィエルの魔導師としての力は低くはないと。
「それでは、始め!」
試験官の声を聞き、フィエルが構える。
魔力を集中させて、それを魔法として発動させる。
空中にいくつか魔方陣が出現し、輝きを増していく。
対軍に使用できる魔法――それをフィエルはここで使うつもりだった。
もちろん、威力はあっても打つ方向は考えてある。
地面を殴るように当てれば、抉りながら的を破壊できる。
その圧倒的な火力を見せつければ、フィエルの合格は確実だった。
(さあ、わたしの魔法の威力を見よっ)
フィエルが魔法を発動させた。
次の瞬間――試験会場が半壊するとは誰が予想しただろうか。
***
――魔導師として名を馳せたところで、別段よかった記憶などない。
フィエル・レエルはかつての記憶を思い出す。
フェイン・ガレア――大陸最強と呼ばれ、《五星魔導》という称号を与えられた魔導師。
それがフィエルの前世だった。
フェインの誤算は、魔法の研究に夢中になり、進行していた病に気付けなかった事。
それから病によって早世することが分かったとき、魂を保護する結界――《転生魔法》を使用した。
正直成功するとはフェインも思っていなかったが、今はこうしてフィエルとして、前世の記憶を持ちながら生活することができている。
魔導師として力を持つことに、今は意味がある。
魔法学園を主席、飛び級で卒業したフィエルには、宮廷魔導師としての成功が約束されていた。
大陸最強の魔導師として、今度は国に仕える身であれば、充実した毎日を送ることができるかもしれない。
以前は感じられなかった、幸福という感覚。
魔法で満たされたのは欲求だけだった。
今度は幸せに生きてみたい。
それがフィエルの本当の願いだった。
それなのに――
「くしゅんっ!」
たった一度、風邪を引いたくしゃみで全てが崩壊するとは思わなかった。
***
ザラルド大陸の内陸部、《フォルトール王国》の王都――《カザンタ》。
多くの人々が住まうここは大陸内でも最も栄えていると言ってもいい場所だった。
カザンタに存在する魔法学園でも最高峰の《リアンヌ魔法学園》を主席、飛び級で卒業した少女がいる。
それがフィエル・レエルだった。
辺境の小さな村の出身のフィエルは、両親とも文字通り普通の人だった。
決して裕福な家庭ではなかったが、一人娘のフィエルを溺愛し、愛情を持って育てていた。
そんなフィエルは両親のためという名目のもと、魔法学園で魔法の勉強を始める。
魔法学園で上位の成績を修めると、魔法学園の授業料は免除される。
フィエルも当然その対象だった。
魔法学園始まって以来の天才と呼ばれたフィエルにはこれから輝かしい未来が待っている――誰もがそう思っていた。
だが、今フィエルが置かれている状況はそんな輝かしい成功の道からかけ離れている。
なぜなら、フィエルはすでに失敗してしまっていたからだ。
「試験官にも負傷者が多数。希少品の魔道具をいくつも破壊し、あまつさえ建物を半壊させるとは……弁明はあるか? フィエル・レエル」
眼鏡をかけた黒髪の女性は、淡々とそう告げた。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
黒いコートを羽織って、男の物のシャツがよく似合っている。
机に広げられた資料を見ながら、鋭い目つきでフィエルを見ていた。
「こ、故意ではなかったんですっ!」
バッとフィエルは弁明しようと立ち上がろうとするが、背後に立つ覆面をした魔導師によって制止される。
首輪を付けられて、そこから鎖がのびている。
フィエルが暴れ出さないようにと監視しているのだ。
もちろん、そんなつもりはない。
金色の髪は少しぼさぼさになっていて、愛らしいと評判だったその表情には鬼気迫るものがあった。
くしゃみの勢いで出した魔法の威力が強すぎて、しかも狙いが逸れたことによる試験会場の半壊――それがフィエルの試験での結果だった。
試験会場は王都の中心にある宮廷魔導師達が管理する王宮の内部。
すなわち、単独で王宮を破壊しようとしたテロリストというような扱いを受けているのだ。
「故意ではない、か。それを信じろというのは無理な話だ」
「……か、風邪を引いていて、その、くしゃみが……」
「くしゃみで魔法の誤射……確かに試験官の目撃情報にもくしゃみをしている君の姿が目撃されている」
(何かちょっと恥ずかしい……って、そんな事考えている場合じゃないな)
「で、でしょう?」
「そんな馬鹿げた理由で会場を半壊させたなど、いくら子供の言い訳でも無理があるというのが分からないか?」
「そ、そう言われても……」
(本当のことなのに……!)
何度説明しても受け入れてもらえない。
女性は眼鏡を外すと、睨むようにフィエルの方を見る。
状況が状況だけに、こうして威圧されると委縮してしまう。
(お、落ち着こう。わたしの方が強いし……強いから大丈夫)
最悪逃げ出す事も不可能ではないとフィエルは思っていた。
ただ、そうすればこんな若い年齢から逃亡生活を送る羽目になる。
そんな人生はまっぴらだった。
「君が子供だから、という理由は通用しない。問答無用で魔導監獄送りだ」
――そんな人生を送りそうな一言を聞かされた。
「ええ!? 慈悲は、慈悲はないんですか!?」
「ない」
きっぱりとそう言いきられた事で、フィエルは行動をうつそうとした。
今から即刻ここを逃げ出す――もはや残された道はそれしかない、と。
そして動きだそうとした瞬間だった。
「……と、言いたいところだが、被害を出されただけ出されて監獄でタダ飯を食わせるというのも癪だ。それに、君みたいな幼子ではあそこでは数日と持たないだろう」
「……え?」
向かい合った女性は不意にそんな事を言い出した。
ぴたりとフィエルの動きが止まる。
もしかすると、回避する案があるのかもしれない。
いや、それはそうだ。
フィエルは誤射してしまったとはいえ、魔法の威力だけ見れば将来性どころか現在でも最強クラスのはず。
王国からしても手元に置いて損はない魔導師だ。
(そうだ、初めから優位性を持って交渉をすればよかったんだ……わたしとした事が動揺してしまった……っ)
「ゆえに、宮廷魔導師団――第三魔導師長である私、ヘレン・ボードンが君を管理するという進言をした」
「管理……?」
「国が管理する魔導師、《隷属魔導師》というのも知っているか?」
隷属魔導師――それは、宮廷魔導師とはまた異なる。
罪を犯した魔導師が、魔導監獄から解放される事を条件に制約を付けられて活動をする事だ。
そもそも数自体は相当少なく、ある程度問題はないと判断された魔導師のみなる事ができる。
つまり、フィエルのくしゃみによる誤射はある程度認められていたという事になる、
「力の使い方さえきっちりしていれば有能な魔導師達だよ。君もその一人だ」
「それになれば許してもらえると……?」
「監獄に入る必要はないし、相応の対価も払おう。任期も終われば君は自由の身だ」
今のフィエルにとっては、これほどいい話はなかった。
任期が終われば解放と言っても、ここでさらに実力を見せておけばフィエルが宮廷魔導師になれる可能性は十分にある。
むしろ名誉挽回のチャンスを与えられたのだ。
「なりますっ」
フィエルは嬉々とした返事をする。
年齢的にもまだ若い。
それで罪がなくなるというのなら、むしろ軽いものだとフィエルは考えた。
実際、制約などあろうがなかろうがフィエルには関係ない。
手渡された契約書の任期は五年――今から五年働いてもまだ十代半ば。
まったく問題はなかった。
「では、これにサインを」
「書きました!」
「よろしい、では一億ゴールド返し終わるまで頑張ってくれ」
「はい――は?」
流れるように受け答えしていたが、フィエルがここで驚きの声をあげる。
手渡した契約書をヘレンがフィエルに見せる。
ものすごく小さな文字を指し示して、ヘレンは言った。
「ここに書いてあるじゃないか。任期は一億ゴールドだ、と。しっかり働いて返してくれ」
とても小さな文字で、『ただし、記載の任期に器物破損等によって発生した金額は含まれない。その場合は任期の限りではない』という記載があった。
これはつまり五年という任期に限るのではなく、フィエルの出した損害分はしっかり払えという事だ。
当然と言えば当然の事だが、それでもフィエルは納得できずに叫ぶ。
「だ、騙したなぁああっ!」
こうして、フィエルの借金生活は始まったのだった。
***
広い王都を管理するのは宮廷魔導師の仕事の一つだ。
もっとも重要な仕事は当然王宮近辺や王族の護衛となるのだが、王は王国の人々全てを大事に思っている良き王であった。
ゆえに、王宮だけでなく一定の区画ごとに宮廷魔導師小師団が配備される。
小師団は小隊長を中心とした十人程度で構成されるのが基本の部隊だ。
小師団の上となると、東西南北中央それぞれ五カ所に点在する《宮廷魔導師団支部》となる。
中央を第一魔導師団として、魔導師団長と呼ばれる人がさらに部隊をまとめ上げる事になる。
これが王国における宮廷魔導師の基本的な構成だ。
もう一つ――王国騎士団というものも存在しているが、そちらは魔法よりも剣技や槍術に優れた者が所属する事になる。
ただ言える事は、それほど王国では特に警備が行き届いているような場所であるため、
「……はあ、何も起きないですね」
ため息をつきながら、フィエルは歩いていた。
もちろん犯罪が起こらないわけではない。
これだけの人数がいる場所で犯罪が起こらないはずもない。
だが、その広い王都で目の前で犯罪が起こるという事も早々あるわけではないのだ。
「いいじゃん? 平和な事はさ」
その隣――フィエルの横を歩くのはショートヘアの少女、エルトだった。
二人とも同じように宮廷魔導師指定の青いコートを着用しているが、フィエルは宮廷魔導師ではなく王国に隷属する魔導師という事になっている。
見た目こそ同じだが、扱いは異なってくる。
「確かに平和な事は悪い事じゃないです。でも。わたしは死活問題ですから」
「死活問題?」
「特別ボーナスがほしい……」
切実な願いがフィエルの声から漏れる。
フィエルの借金は一億ゴールド――いくら若いと言っても、宮廷魔導師として働いて数十年異常はかかる額だった。
そんな長い間この借金を抱えた生活を続けるなんて、とても耐えられたものじゃない。
「子供の頃からそんなお金お金って言ってもいい事ないと思うよ?」
「わたしだって言いたくって言っているんじゃないです!」
「あはは、ごめん。確かにそうだよね」
「まったく、笑い事でもないですから」
幸いにも生活には自由がある。
このように、フィエルの監査役であるエルトが気さくな事もあり、比較的不自由のない暮らしは送れている。
ただ、如何なる方法をもってしてもフィエルは借金を返す宛てを見つけなければならなかった。
「大事件でも起きたら結構お金がもらえるんですけど」
「物騒な幼女だなぁ」
「幼女言うな」
「あ、あの……」
不意に、背後から声をかけられる。
振り返ると、そこにいたのはフィエルと同い年くらいの少女が立っていた。
涙目になりながら、何か紙のようなものを手に持っている。
「ん、どうしたの?」
「お、お願いが、あるの」
「何でしょうか?」
エルトが優しく話しかけるようにしているのに対して、年相応でもなく無愛想に問いかけるフィエル。
借金を背負ってから若干やさぐれてしまったのだ。
「みぃちゃん、一緒に探してほしいの」
「みぃちゃん?」
「うん」
少女が紙を広げる。
そこには、ぶち模様の猫の絵が書いてあった。
なんとなくフィエルも察していたが、猫を一緒に探してほしいという話だった。
そういう話は、少なからず魔導師団へとやってくる事もある。
だが、そういうのはフィエルの管轄ではない。
「それでしたら、支部の方で――」
「よし、わかった! お姉さん達が探してあげる!」
「おいこら」
「いいじゃん! 見回りついでなんだし。一緒に探してきてよ」
「探してきてって――ん? エルトさんは?」
「私? ちょっと報告書を書かないといけないのを思い出して……」
「あ、逃げるんですか!?」
「後は任せた!」
そう言って、エルトはその場から走り去ってしまう。
残されたのは不安そうな表情の少女とフィエルの二人。
ため息をつきながら、フィエルは少女の手を引く。
「ほら、探しますよ」
「……うんっ」
借金幼女の日常は、王都の猫探しから始まるのだった。
以前思いついたネタです。
せっかくなので短編で。