第九話:敗退
勝負は一瞬だった。
クラルトの投げた小石が地に着いた瞬間、ラルラは駆け出し、時雨を倒すと首を掴んだ。
「え?」
「…呆気ない…よね」
「は、はい」
あまりの事に鷹紀達は呆然とした。
しかし、カティアとクラルトに至っては余り動じておらず静かに見ていた。
「…退け」
掴まれていた腕を退かすと、時雨はそう言った。
「……」
無言で退くラルラ。
「…これで終わりだな」
「…おい」
起き上がる時雨に声をかけるラルラだが、時雨は無視した。
「…おい!」
先程寄りも強めに言うが、それでも時雨は反応しなかった。
「おい!!待て!!」
痺れを切らした、ラルラが時雨の肩を掴んだ。
「……」
「お前、何故黙ってやられた!」
「……」
「答えろ!!」
「…俺は戦うとは言ったが本気でやるとは言ってもいないし、まして…やれとも言われていない」
「…っ!!貴様!」
ラルラの拳が時雨の頬を狙うが、時雨はそれを避けた。
「…悔しいなら、俺を本気にさせてみるんだな」
「このっ!」
繰り出される拳を時雨は簡単に避けた。
「…遅い」
「まだだぁ!!」
ラルラの左アッパーが時雨の頬を掠る。
「…っ」
「はあぁぁ!!」
体を右に捻り、出された右の拳は腹部に直撃し、時雨は吹き飛んだ。
「何よ、あの力!」
「カティアさん!まさか、あの人は」
鷹紀の言葉にカティアは頷く。
「はい、プシュケを持っています」
「え!?そ、それじゃあ時雨さんが…」
三人に不安が過ぎる。
「立てよ。殴った瞬間に両手で防ぎながら後ろに飛んだんだ、それ程ダメージは無いはずだ」
時雨を見据えたラルラの声が訓練所に響く。
「…っ」
埃を払いながら立ち上がった時雨はラルラを問いただした。
「お前、今プシュケを使ったのか?拳のスピードが最初とはケタ違いに速くなっている」
「は?使ってねぇよ。アタシは狼の亜人だからな!!」
「…ちっ」
勢いよく出される拳を
避ける時雨だが、その表情には余裕が無くなっていた。
「…亜人?って何?」
聞き慣れない言葉に葵は首を傾げた。
「亜人とはこの世界に住む種族の一つです。この世界には大きく分けて四つの種族がいます。私達人間、ラルラのような人型に獣や鳥等の部分的な特徴がある亜人、亜人とは真逆に獣の中に人間の要素が含まれ、もっとも数も種類も多い獣人、そして巨人族です」
「ちょっと待って下さい!じゃあ、今時雨君は狼と戦っていると言う事になるんですか!?」
鷹紀は焦った様子で言った。
「まぁ、でも部分的な所だけですし、基は人間なので…」
「でも!あの人はプシュケも持っているんでしょ!危険よ!」
クラルトの声を遮り葵は叫んだ。
「そこぉ!」
「…ぐっ」
ラルラの鋭く伸びた爪が時雨の腕を掠めた。
今、ラルラの姿は先程とは違っていた。
緑色だった髪は銀髪に、頭には二つの耳、尻尾が生え、歯は牙の様になり、手足の爪は鋭く伸びていた。
「…なるほどな、亜人ってのはそういう奴の事を言うのか」
「まぁ、当たりってとこだな。詳しくは、後で誰かに教えてもらっとけ!」
今までの倍の速さでラルラは時雨に襲い掛かった。
「ちぃ!」
眼で追いかける時雨。
だが…。
「はぁ!」
「…!!」
床に飛び散る血、それは時雨の胸から出た血だった。
「時雨!!」
途端に、葵達が叫ぶ。
「カ、カティアちゃん!!」
「…今は、耐えて下さい」
「で、でも…」
三人の不安を余所にラルラは時雨に迫った。
振り下ろされる爪を避ける時雨だが、次第にその差は無くなっていった。
時雨は普通より優れたその導体視力でラルラの動きを゛見る゛事は出来た。
そう、見る事だけは…。(…右!)
ラルラの動きに反応し、すぐさま振り向いた瞬間、時雨は数メートルはあった壁に叩きつけられた。
「がはっ!」
その場に倒れ、胸を押さえる時雨の口からは血が吐き出た。
「が、ごほっ!ごほっ!」
「でかい口叩いた割には、呆気ねぇなぁ」
ラルラは時雨の胸倉を掴み上げた。
「てめぇはただ、難癖つけて逃げてるだけの卑怯者なんだよ!」
「…っ!!ラルラ!」
時雨に腕が振り下ろされた瞬間、カティアが叫んだ。
だが…ラルラの耳にその声は届かず時雨の右肩に爪が突き刺さった。
肩から流れる血は時雨の腕をつたり、床に落ちた。 高速のスピードで刺さった爪は根本まで刺さり、貫通するはずだった。
だが、爪は先端部分しか刺さらなく、出血の量も少なかった。
「…てめぇ」
「ぐっ、…っ」
ラルラは驚きの表情で時雨を見た。
本来、ラルラの狼の亜人としての能力は高かった。 獣人には多少劣るものの、その速さは亜人の中ではトップレベルで、捕らえられる者など滅多にいなかった。
それを、時雨は捕らえたのだ。
ラルラの…右腕を…。
「ちぃ!」
ラルラは掴まれた腕を振り払い、時雨との距離をとった。
「はぁはぁ…はぁ…」
「時雨君!」
「時雨!」
するとそこへ、鷹紀達が駆け付けた。
「あんた、大丈夫!」
「あ、あぁ」
「ほら、手を…」
「…すまん」
ふらつく時雨に鷹紀は肩を貸した。
「すみません、時雨さん。まさか、こんな事になるなんて…」
「…別に」
悪びれるカティアに時雨は気にもしない様子で言った。
「でも…」
「…俺は、あんたに貸しがあったからやっただけだ」
「しかし…」
「どっちにしろ、やる、やらないを決めたのは俺だ。だから、気にしなくていい」
「…分かりました。でも、せめて医務室までご案内させてもらえませんか?」
「…分かった。頼む」
そう言うと、時雨とカティアは訓練所を出て行った。
「隊長!」
「お、おう」
クラルトの突然の呼び声にラルラはビクリとした。
「あなたって人は!何度同じ事を言わせるんですか!」
「いや、だってよ…。あいつが、本気にさせてみろなんて言うから…つい…」
「はぁ…もうちょっと、自覚して下さいよ。あなたは…」
「分かった!分かった!だから、説教は勘弁っ!」
「あ、隊長」
ラルラはクラルトの制止も聞かず訓練所を走って出て行った。
「あの、クラルトさん?でしたよね」
「え?あぁ、はい」
不意に鷹紀がクラルトに話しかけた。
「何故、今回のような事を?何かの意図があったんですよね」
「えぇ、まぁ」
「教えて下さい」
「……」
クラルトは言葉を詰まらせた。
「あ、あの、どうして言ってもらえないんですか?」
「あたし達の友達があんな目にあったのよ!」
「…明日に…明日になればわかります。今回の事がどんな意味があったのか…」 搾り出しかのように、クラルトは言った。
「……分かりました」
「先輩!?」
「い、いいんですか!?」 驚く二人を余所に、クラルトは一言礼を言い訓練所を出た。
「明日になれば分かるんだ、いいさ」
医務室で手当を受けた時雨は与えられた部屋にいた。
(あの時…)
時雨の脳裏にラルラに刺された時の瞬間が蘇る。
(俺の右手は、俺の意志とは関係無しに動いた…。あれは一体…)
時雨は右手を見ながら考え込んだ。
そして世界は、周り始め…加速する。
急激に…破滅の道を…。




