残酷な炎王は失った
【氷姫は知りすぎた】の続き
「───どこまでも残酷な人。報われないその愛があなたの罪でしょう。」
薄い青の目が俺を見つめる。本当にわかっていないのか? と責めるかのような目が、すっと伏せられて。察してしまう。リナリアがもう俺のそばにいる気がないことを。
ドクドクと胸が嫌な音を立てて脈打つ、喉が震えて、手も震える。おかしい。人を初めて殺した時でさえもこんなことにはならなかったのに。
目の前で最後の氷がピキッと音を立てて彼女を──リナリアを閉じ込めた。
「っリナリア!」
訳が分からなかった。リナリアが呼んでいるとリナリアの母親から言付かって会いに来ただけだったのに。結婚式のことを話すだけだと思っていたのに。
「炎よ、氷を溶かせ!」
魔力を多すぎるほどに乗せて炎を放つのに。氷に炎が触れた途端に音もなく炎が掻き消える。
「なん、で。なんでなんだよ! なぜ溶けない!」
俺は炎王だ。俺以上の炎の魔法師はいない、なのに、なぜ溶けない? あんなにも魔力を上乗せしたというのに。
ベッドの上で眠るリナリアはまるで絵のようだ。雪のように細い髪がベッドに広がっていて、美しい目は伏せられて。
それは昔見た絵本の様だとさえ、考えが浮かび、消えた。
リナリアは、いない。
もう、俺の手を取ることもない。
俺のことをタディオン様と呼んでくれることももう無い。
「なぜ…なぜだ! リナリア!」
彼女が眠る氷を殴りつけて叫ぶ。あんなにも愛してくれてたじゃないか、あんなにも結婚を楽しみにしていたじゃないか。その結婚もあと数ヶ月で行われるはずだったのに。
「馬鹿な娘でしょう」
不意に声がかけられる。振り返れば悲しげに目を伏せるリナリアの両親がいた。二人は手を取り合って痛ましそうにリナリア“だけ”を見る。
「娘はあなたを愛しておりました。氷の適性が高すぎたあの子に周りの人間は大人でさえも距離を置いた。その中であなただけが側に居てくれたと見たことのないような笑顔を浮かべて私に言ってきた。彼なら愛せる、だから婚約したいと。」
リナリアの父親は魔法師ではなく魔法研究員だとリナリアが、昔…教えてくれた。娘を大切に思っている為に魔力を押さえつける術を探してくれているのだと。理由さえも。
誇らしげに。
「だが、あなたもあの子を見てくれることは無かった」
そんなリナリアの父…ベリルが俺のことを憎らしげに睨みつけていた。その目の周りは泣き腫らしたのか赤く、反して青い目がよく目立った。
「見ていた、俺はリナリアをちゃんと…」
愛して、いたのに。
そう、口からこぼれることは無かった。リナリアの両親が二人とも俺を強く睨みつけてきたからだ。
訳が分からない。
リナリアもこの二人も。
愛していたろう? 大切に大切にしていたろう?
なのに、なぜ。
『───どこまでも残酷な人。報われないその愛があなたの罪でしょう。』
頭の中にリナリアの最後の言葉が蘇る。俺のことを映さず、淡々と告げたその言葉が。
「リナリアから全てを聞いております」
口を閉じた俺の代わりに口を開いたのはリナリアの母親…ナアラだった。リナリアによく似た薄い青の目が俺を射抜き、責め立てる。
「あなたが、皇太子妃様を愛し、あの子を腕に抱く時でさえも皇太子妃様の名を口にすると」
彼女の言葉に一瞬頭の中が真っ白になった。…誰にも、誰にも告げたことのないことなのに。心の中に閉じ込めておいたその名が、まさか自分の口から漏れていたなんて思わなかった。
「あの子に、私は言ってしまいましたわ。結婚して子を持てば男性は変わるはずだと…あの子も、そう希望を持って胸の内に全てを抱え込んで口を閉じた…なのに、なのにあなたは…!!」
知っていた? 俺のリサ様への感情も全て。それでも、俺のことを愛していると、言ってくれていたのか?
顔から熱が引いてくのがわかった。
残酷? 言葉のとおりじゃないか。
自覚がなかったからこそ、彼女を俺は傷付けた。優しいのに悲しい彼女をまた、一人にしてしまった。
「娘は昨夜告げに来ました、結婚の日取りを陛下に告に行くために参った王宮で、あなたが皇太子妃様の絵をみて何を呟いたのか…あなたは覚えておいでですか?」
針のように鋭い声が、言葉が次々と突き立てられる。覚えなんてなかった。確かによく出来た絵で思わず見上げた気はする。だが、呟いたことなど──。
「あなたはあの子の前でリサ様の名を呼び愛していると呟いたのです! 無意識に! 結婚の日取りを告げに言ったはずの王宮で…」
きっと、俺の顔は真っ白になっているだろう。俺の頭も真っ白になっている。それが事実ならば、俺は彼女に最大の裏切りをしてしまった。
未来を信じて、俺のそばに立っていた彼女の唯一残っていた足場を俺が自分で壊してしまった。
『あなたはずっとあの人を見続ければいい。もうそばに私はいれませんが。好きに生きれば良いでしょう』
好きに生きればいい。もうそばに私はいれませんが、その言葉が全てを告げていたのか。
確かに、これは罪だ。遠い人を思い続けた愛のせいで近くにあった尊い彼女が俺を罰したのだ。
猶予はくれていたのに。許そうとしてくれていたのに、自らそれを裏切って…何故だのと口にして。
「タディオン…いえタディオン様、どうぞお帰りになさった方がいい。でないと私達は貴方を…」
殺してしまいたくなる、と暗に告げられた言葉に俺は何も言えやしなかった。最後に眠り続けるリナリアを見て、俺は静かに帰路につく他なかった。
その後をよくは覚えていない。気がついたら周りが燃えていて、人が遠くから俺を見ていただけだった。
化物を見るような目で、俺を見る父上を見て俺はただ無性に込み上げてくる笑いを堪えた。
リナリアがいないだけで、こんなことになる。俺が暴走すればリナリアがいつだって止めてくれた。俺が傷つけそうになる度、柔らかな手で俺の手を包んでくれた。
だけど、もうリナリアはいない。
俺が彼女を傷つけたから。
疲れた彼女は眠りについてしまった。
「──っはは」
なんて、なんて馬鹿らしい。
化物と罵ってもこの国は俺を捨てることはない。俺をこの国に縛り付けて、他国に対しての抑止力として使うだろう。
そして、歳がきたら種馬として扱うだけだ。
俺が胸に秘めたリサ様への横恋慕のせいで、俺は得るはずだった幸せな全てを失ってしまった。
心の中でならいいだろうと勝手に酔っていた馬鹿な俺が全てを壊したんだ。
凍っていく中でごめんなさいと言ったリナリアを思い出して俺はもう笑顔を浮かべるのをやめた。
リサ様への思いも、もう、焼ききれてしまった。
残るのはリナリアへの愛と罪悪感だけだ。
『───どこまでも残酷な人。報われないその愛があなたの罪でしょう。』
リナリアが罪だというのなら、それは罪なんだろう。リサ様への愛ではなく、リナリアへの報われない愛を思うことが、罪で罰なんだろう。
俺は一人を失い、一人を失ったために、全てを失った。
戻りたくても。どれだけ後悔しても。過ぎた時間は戻りません。