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どうやら彼女が俺に惚れているらしい④

 


 バスに揺られながら、俺は流れるように通り過ぎていく街並みを眺めている。

 等間隔で植えられた街路樹と、その横を忙しなく歩く人々。

 そのどれもが知らない顔で、知り合いは誰一人としていない。

 だから時々、名もわからない町民Aとなんとなくに視線が合致したところで、その黒目に驚きが混じることもなかった。

 もし、俺のことを知っている人物だったらそうはいかないだろう。

 なぜなら、今このバスの中で俺は一人の女子高生と隣り合って座っていて、さらにその少女と手を繋いでいるのだから。

 普段の俺がどんな生活を送っているのかを少しでも知っている人が見れば、発狂すること間違いなしの異常な状況だった。

 俺自身なぜこんなことになっているのか、そもそもいつから手を繋いでいるのかすらよく覚えていない。

 白昼夢でも見ているのではないかと自分の太腿を抓ってみると、爪が突き立てられた感触はあっても、痛みはあまり感じられないので、やっぱり夢かもしれなかった。


「島田君、次で降りるよ」

「お、おう。了解した」

「うふふっ、島田君って変な喋り方するよね。めっちゃおもろー」

「おもろ? ああ、面白いってことか。そうかな?」

「うん。やばい」


 シマリスみたいに顔を笑わせて、俺の隣りに座る彼女――法月は俺の肩に身体を預けてくる。

 じゅわっ、みたいな感じで動かせなくなっている方の手から汗が滲み出るのが分かった。

 これはやばい。たしかに彼女の言う通りすこぶるやばい。

 本当に同じ人間の物かと疑ってしまうほどサラサラな法月の髪が頬骨辺りに触れ、言葉に言い表せないようなヘンテコな気分になる。

 

「あ、着いたよ。行こ」


 そしてゆったりとしたバスの揺れが収まり、柔らかな風が車内に吹き込んでくる。

 その風に誘われるように法月は椅子から腰を上げ、俺を急かすようにしてバスから降りて行った。

 外に出てみれば、空はすっかり闇色に染まっていて、月明かりが眩しいほどだった。

 

「夜はまだちょっと寒いよね」

「そうだな。初夏の奴はまだ顔も見せていないらしい」

「だからさ、もうちょっと近づいていい?」

「ぬうぉっ!?」


 法月が掌だけでは飽き足らず、腕も絡ませるようにしてすり寄ってくる。

 右腕に全神経が勝手に注がれ、その結果これまで滅多に実感できなかった膨らみの存在を確かめられた。

 これでは夜風の冷たさも、見知らぬ区域への警戒心も何もなくなってしまう。

 むしろ脇を中心に発汗が凄まじい勢いだ。この火照る身体からその内白い煙が出始めても何ら不思議ではない。

 

「今日さ、来てくれないと思ってた」

「そんなことはない。来ない理由がないからな」

「えー、そうなの? なんで?」

「な、なんでと言われると、それは少し返答に困窮するが……」

「ふーん。そっか」


 それなりに急な坂道を、二人並んで昇っていく。

 ここは都市部から少し離れた山奥の住宅街のようだ。

 山奥とは言っても、道路はきちんと舗装されていて、熊やら鹿がそこら中を駆け回っているような場所ではない。野生の動物を見かけるのは多くて月に一回ほどだという。


「島田君はさ、私のこと知ってたの?」

「一応、知っていた。俺なんかとは違って、結構有名人だからな」

「そうなんだ-! なんか意外!」

「意外でもないだろう。学校のどこにいたって、君の顔を見ない日はなかった」

「あー、なるほど。たしかに私って意味もなくそこら辺うろちょろしてるもんね」


 法月は、自分のことを知っているかどうか改めて確認してくる。

 その質問は当然、ラブレターを渡す前から、という意味だろう。

 問い掛けから考えると、やはり彼女は自分が差出人の名前を書いていないことに気づいてないようだ。

 実際、無邪気といったフレーズがぴったりな法月のことだ、うっかり書き忘れてしまうのも彼女らしいといえばらしい。


「でも、島田君も結構有名人だったよ。少なくとも私は前から噂は聞いてた。まあ、名前を知ったのはつい最近だけど」

「俺が有名人? なぜだ? あまり目立っているような自覚はないのだが」

「そんなの決まってるじゃん」


 一瞬、法月が身に纏う雰囲気が変化した気がして、彼女の横顔を覗いてみるが、そこにあるのはいつも通りの溌剌とした相貌だけだった。

 思い出してみれば西尾も俺のことを前から知っていたと言っていた。

 いったい俺に纏わる噂とはどんなものなのだろう。本人の耳に一切入ってこないとはおかしなことだ。


「どんな噂なんだ? できれば教えてくれないか?」

「……あ、島田君。ついたよー! ここが私ん家ー! ほら、上がって上がってー!」

「おう。ここか。中々立派なご邸宅じゃないか」


 俺の噂について尋ねてみようとしたが、法月は答えてはくれない。

 なぜ教えてくれないのだろうか。段々気になってきた。今度俺とは違って校内の情報にも詳しい守屋に訊いてみようか。

 そしてどうやら彼女の家に辿り着いたようだ。二階建ての一軒家で、空の駐車スペースも結構大きい。


「ただいまぁー! まあ、誰もいないんだけどね!」


 そそくさと法月は鍵を開け、玄関へと俺を連れ添って入っていく。

 彼女のからっとした声が虚しく感じる程に家の中は真っ暗で、暖かみがない。

 やっと俺の腕から身体を放した彼女が廊下に灯りをつけても、どこか寒々とした印象は拭えなかった。


「法月に兄妹はいないのか?」

「いないよー! 島田君は?」

「俺は妹が一人」

「へえー! いいなー! 私一人っ子だから、やっぱり兄妹とかに憧れあるんだよね。楽しい?」

「まあ、賑やかではあるな」

「そっかー、賑やか、ね」


 法月に用意してもらったスリッパを履き、大人しく彼女に付いて行く。

 両親が帰ってくるのが遅いと言っていたが、どれくらい遅いのだろうか。

 鉢合わせする可能性も考えつつ、俺は挨拶の言辞を考えておくことにする。


「私の部屋、二階だから」

 

 案内されるままに、階段を昇っていく。

 我が家と違って、見る限り埃の一つもないほど掃除が行き届いている。

 三人家族にしては広い家だ。それはもう俺だったら寂しくなってしまいそうなほどに。

  

「じゃじゃーん! ここが私の部屋でーす! 遠慮なく適当なところに座って!」

「し、失礼します」


 階段を上がってすぐのところにあった一つの部屋に入るよう、法月は俺を促す。

 同年代の女子の部屋に入ることなんて、もちろん俺のこれまでの人生の中で一度もなかった。むしろ、年代、性別どころではなく、他人の部屋に足を踏み入れることすら、最後がいつだったか思い出せないほど久し振りだった。


「じゃあ、私ちょっとお茶とか持ってくるから。ゆっくりしてて。あ、でも変なことしちゃ駄目だよー?」

「なっ!? す、するわけないだろう!?」

「あははっ! 島田君やっぱりおもろー! 慌てすぎでしょ!」


 目を細めてケラケラとひとしきり笑うと、法月は部屋から出て行ってしまった。

 一人取り残された俺は、手持ち無沙汰に居心地の悪さを感じながらも、部屋に一つだけあるベッドの傍に腰を下ろした。

 実際、同学年の、しかも人気者の女子の部屋などお目にかかれる機会はほとんどなく、興味津々だ。

 だがさすがに物色するかのようにウロウロするのも悪いので、顔だけを動かし部屋を見渡してみる。


 想像していたより殺風景だな、まず抱いた印象はそのようなものだった。


 女子高生にしてはファンシーな小物や、よくわからないアイドルグッズなどは一つも置いていない。

 ただ比較対象は妹の小楠なので、あいつが余計な物を置きたがる性格なだけかもしれない。

 ここではベッド以外には二つの棚と真っ白な机くらいしか目立つもの見つからなかった。

 棚は小説や参考書が規則正しく陳列されているものと、賞状やトロフィーが飾られているものに分けられている。

 

 法月はたしか女子バスケットボール部だったな。


 賞状、トロフィーが置かれている方の棚には、バスケットボールや専用のシューズらしきものもある。

 勉強机も他と同様に綺麗に片付けられていて、消しカス一つ視認できない。


 ずいぶんと生活臭がしない部屋だ。


 あまりに綺麗過ぎるので、ここで法月が寝起きしているイメージがまったく浮かばなかった。

 基本的にリビングでごろごろするタイプなのだろうか。それとも俺と小楠の部屋が汚すぎるだけだろうか。


「ごめーん! お待たせ!」

「ああ、すまない。俺の方こそ、何も持ってこずに」

「いいのいいの! だいたいいきなり誘ったのは私の方だし! 逆になんか手土産とかあったら怖いみたいな!?」

「本当か? そう言ってくれると助かる」

「あははっ! 島田君って意外に律儀だよね!」


 やがて法月がお盆にコップを二つ乗せて戻ってくる。

 彼女の明朗快活な性格からすると、もっと部屋は散らかっていそうなものだが、案外綺麗好きらしい。

 人は見かけによらないものだ。


「飲み物、それでよかった?」

「ああ、何も問題ない。ありがたく頂く」


 法月はブレザーを脱ぐと、そのまま山吹色のカーディガンも脱いでしまう。

 制服を着替えていく美少女を眺めながら飲む午後にぴったりの紅茶は、中々にオツなものだった。

 するとワイシャツ一枚になり、ポニーテールに整えていた髪留めも外してしまってから、彼女は俺の対面に座った。


「けっこう部屋、綺麗にしてるんだな。俺の部屋とは全然違って驚いたよ」

「え? あー、そうかな? 私はべつに普通だと思うけど」

「いやいや、他の女子高生はもっと酷いぞ? もっとも、サンプルは他に一つしか知らないが」

「他の? ……ふーん、そうなんだ。もう部屋まで知ってるんだ。まあ、そりゃそっか」

「うん? 何の話だ?」


 対面に座る法月はなぜか、制服姿のまま体育座りの体勢をとっているので、色々と目がちかちかして気が気でない。  

 運動部らしく引き締まった肌色の太腿と膝下まで伸びた紺の靴下のコントラスト。

 その奥には更なる神秘が眠っていることは間違いないが、そこまではまだ閲覧が許されていない。


 

「ねえ、島田君」



 ――その時、突如法月が前屈みのような体勢で近づいてきたので、俺は思わず口に含んでいたものを噴き出しそうになってしまった。

 第三ボタンまで外されたワイシャツはあまりに脆弱で、緩やかな曲線が無防備に晒される。

 慌てて顔を逸らし取り繕うが、俺の視線が数秒間固定されたことは間違いなく気づかれてしまったことだろう。

 

「どうして顔をそむけるの? もっとよく見ていいんだよ?」

「い、いきなりどうしたんだ、法月!?」


 だが俺の必死の誤魔化しもどこ吹く風とばかりに、法月はさらに迫ってくる。

 というよりもはや接近という次元を超えて、胡坐をかいている俺の太腿の上に圧し掛かってきている。

 しなやかな法月の下半身が、たった布切れ一枚だけを壁として、俺に直接触れている。

 眼前には筋が薄らと浮かび上がった剥き出しの首元があり、なんとか視線を上方に向けてみれば紅潮した法月の顔が見える。

 その仄かに色づいた顔から判断するに、一応彼女も恥ずかしさを感じていないわけではないらしい。


「照れてるの? 可愛いなぁ、島田君は。ほら、触ってもいいし」

「ぬひぁっ!? こ、これはまずいぞぉっ!?」


 おもむろに俺の手を取った法月は、その手を自分の胸元に持っていく。

 強制的に感じさせられた弾力性には魔性の力が宿っていて、少しでも意識を緩めれば、あっという間に俺の理性が崩壊してしまうであろうことは容易に想像できた。


 怖ろしい。これが恋の力なのか。こういった方面の行為に苦手意識のありそうな法月を、ここまで積極的に変えてしまうなんて。


 法月はその端正な顔を、彼女の髪が俺の顔に触れてしまうほどに近づける。

 荒い息遣いが鼓膜を揺らし、決して俺自身のものではない甘くも熱を帯びた匂いが鼻腔をくすぐる。

 豹変した彼女に俺はされるがままで、全身をむりやりに硬直させることでしか自我を保てない。


「こんなところ、他の人に見られたらどうしようね。特に、あの人とかに見られたら、どうなっちゃうんだろね」

「あの人? い、いったい誰のことを言ってるんだ?」

「そんなの決まってるじゃん」


 法月は妖しい光を瞳に宿らせ、俺の口元のすぐ傍で唇を動かす。

 彼女の呼吸する音すら聞き取れる距離にも関わらず、そして俺は聞き間違いとしか思えない言葉を彼女にかけられるのだった。



「……島田君の彼女さんだよ。こんなところ、君と付き合ってる西尾響が見たら、どうなっちゃうのかなって話をしてるの」



 脳がフリーズする。

 それは興奮によるものではない。

 何か致命的なズレが生じてしまっていることを本能的に悟ったがゆえの思考の強制冷却だ。


「は? 何を言っているんだ? 俺は西尾と付き合ってないぞ? たしかにあいつには恋人がいるらしいが、それは俺じゃない。俺に惚れているのは君の方だろう?」

「……え?」


 そして今度は法月がピキリと固まる番だった。

 さっきまでの媚惑的な表情は一変し、口と目を満月のように真ん丸と開けている。

 俺と西尾が付き合っている、なぜそんな勘違いをしたのだろう。不思議なものだ。

 ということは、これほど法月が積極的な姿勢を見せたのも、俺にフラれたと思ったせいだったのか。

 それは急いで否定しないと。このままでは全員が不幸になってしまう。


「え、え、え、ちょっと待って! 島田君が最近噂になってる響の彼氏じゃないのっ!?」

「ぐぅえっ! く、首を締め上げないでくれぇ!」

「うるさい! いいから早く答えて! あんたと響はどういう関係!?」


 またもや態度を急変させた法月は俺の襟を握り締め、これまで以上に顔を真っ赤にして顔を詰め寄らせる。

 信じられない膂力だ。さすが運動部。


「俺と西尾はただの友人だ! しかもまともに知り合ったのはこの前の金曜日のことで、決してあいつの恋人なんかではない! だから安心してくれ! 俺は君の好意に真正面から応えるつもりでいる!」

「嘘、でしょ……全部、私の早とちりだったってこと……?」


 どうやら誤解はとけたようで、法月の手から力がへなへなと抜けていくのがわかった。

 土曜日に西尾と二人でいるところを見られたせいで、この不幸な勘違いをさせてしまったのだろう。

 そう考えると少し申し訳ないな。これから先は一人の彼女持ちとして、無用な思い違いをさせないよう普段の生活を気をつけなくては。


「……てけ」

「ん? どうしたんだ? 法月? 今、何か言ったか?」


 ふいに顔を俯かせた法月から声が聞こえた気がした。

 俺はつい聞き逃してしまい、耳を澄まそうとするが――、



「私の部屋から出てけぇぇっっっ!!!!!」



 ――咆哮に近い法月の大声によって、その耳を澄ます必要はなくなった。

 

「ほら早く! 一秒でも早く私の家から出てって!」

「なぜいきなり!? これから俺たちのこれからについて話し合うんじゃないのか!?」

「はあい!? 超意味わかんない! まじ最悪! こんなクソ陰キャに私……ああああ! 最悪最悪最悪! 失せろ! 消えろ! 爆ぜろ!」

「い、痛いっ!? ちょ止めてっ!?」


 どこか頭のネジでも飛んでしまったのか、軽く発狂しつつも抜群の跳躍力で飛び上がった法月は、一心不乱に俺の背中を蹴り飛ばし続ける。


 これはいったい何が起きているんだ? 彼女は俺に惚れているはずだろう?


 困惑する俺に容赦なく蹴撃は続き、たまらず法月の部屋から退散することにする。


「ノロノロしてんなウスノロ! 私にこんな恥ずかしい思いをさせて! ただで済むとは思うなよ!」

「ま、待つんだ! 落ち着け法月! 俺は浮気をしたわけではないんだ!」

「あああああ!!!! うざいきもいムカつく! それ以上私を苛立たせる事を言うなー!」


 階段を転げ落ちるような勢いで降りて、ついに玄関まで追い詰められた俺は、そのままあっさりと外に蹴り出される。

 混乱に支配された俺は、いまだに事態の急展開についていけていない。


「法月、君は俺に惚れているんだよな!? 君が俺にラブレターを出したんだろう!?」


 これだけは確かめておかなくてはと、玄関の扉を閉めようとする法月に向かって声を張り上げる。

 しかし、俺が放り出された街の夜風よりも遥かに冷たい視線で、彼女はどこまでも冷酷に最後の希望を断ち切ってしまうのだった。



「は? 私があんたみたいなゴミに惚れるわけないじゃん。それになに? ラブレター? 私があんたにそんなものを渡すことは、これまでも、これから先も、一生ありえないから。勘違いすんなよ島田紗勒。私はあんたが嫌い。それじゃあサヨナラ。二度と私に話しかけないでね」

  


 

   

 


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