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9 彼女を妻に選んだのは⑤



「今日、マリエール様が、幼い頃に保護した兎の話をしてくださいました」


 夜の執務室。書類を手渡すと同時にテオから告げられたその内容に、バロンは片眉を上げ彼を睨みつけた。


「昔話をするほどに仲を深めたと言うのか」

「羨ましいですか?」

「……別に」


 ふんと鼻息を吐いて、バロンは書類に目を落とした。


 書類の内容は、領地内にある村の一つから来た橋の修繕要求だ。

 嵐で予想外の崩落があり、村の定期予算からでは間に合わないとのことで領地主であるバロンまで案件があがってきたらしい。

 民家が固まった地域のすぐそばの立地なので、使う人間にとってはとても不便だろう。

 費用と修繕にかかる期間などを確認し、少し改善点を書き入れて、了承の旨を示す判を押した。


「それでですね、バロン様」


 こちらはこうして真面目に仕事をしているのに、テオはまだ話し足りないようで傍で書類の束を整理しながら会話を進めてくる。

 

「マリエール様は十年前にひと月間だけ兎を飼ってらっしゃった、と仰ってました。確かバロン様もお出掛け先のトラスト男爵領で一カ月ほど行方不明になられましたよね。次期も同じころです」

「………」

「当時、一カ月間も何をしていたのかと尋ねたら、貴方は親切な女の子のもとで怪我の治療をしていた。と言ってらっしゃいました」

「ふん。そこまで分かってるのなら、もういいだろう」


 もう完全にバロンが地方の男爵家の娘であるマリエールを欲しがった理由を知られてしまっている。

 バロンは平然とした顔をたもちながらも、心の中で歯噛みした。

 自分とマリエールだけの大切な思い出で、隠したかったことなのに。

 しかもテオの台詞にはからかいがこもっているものだから、余計に居心地が悪い。

 今までバロンは『侯爵家の利益のために丁度いい相手だから』というのを貫いていたのだ。

 なのに、知られてしまった。



「つまりバロン様はずっとマリエール様を想っていた。でもマリエール様は……本当に何も知らないのですね」


 ―――自分がバロンの恩人であり、長年の想い人であることを、彼女は知らない。

 

 言葉に出さずとも彼が含んだことを読んだバロンは、眉を寄せる。

 そしてぽつりと、思わず呟きを落としてしまう。


「……言うと、呪いについても説明しなくてはいけないだろう。彼女に呪いについては知られたくない」


 そのままバロンは視線を窓の外の方へ投げた。

 空は曇っていて、今にも雨が降り出しそうだ。


(あの時も、雨だった……)


 バロンの脳裏に浮かぶのは十年前、父の仕事に着いて行ったトラスト男爵家領内でのこと。


 いつものように夜中に兎の姿になっていたバロンだったが、実家とは勝手の違う宿の中。

 暗くて視界も狭かったこともあり、うっかり家具から飛び出していたクギに引っかかり、わき腹から背中へわたる大きな怪我を負ってしまったのだ。

 傷口から溢れた血は、短い獣の手で止血出来るような量ではなかった。

 慌てて呪いのことを知っている―――おそらく自分と同じく今頃兎になっているはずの父のいる隣の部屋に行こうと廊下に、痛みをこらえて廊下へ這い出たのだが、運悪く宿屋の人間に見つかってしまった。


 さらに宿の人間はバロンを野良兎だと思い、宿の近くの藪の中へ放り出してしまったのだ。


 その夜は、大雨だった。

 ……兎の姿には、頭上から降り打つ大粒の雨は大変に辛いものだった。

 体力的にも精神的にも弱って、呪いの力の方が勝ってしまい、朝になって陽が出て来ても元の人間の姿にも戻れないほど、バロンは衰弱した。


(道端で濡れ鼠のまま動けずに血を流し続け、本当にこの兎の姿のまま死んでしまうかもしれないという状況になっていた私を拾い助けてくれた、命の恩人である少女―――マリエール)


 バロンは、瀕死の状態にあった自身に寝ずに付き添い、看病してくれた優しいその少女に、恋をした。 

 大嫌いな兎の姿を自分の意思で一カ月近く留め続けるくらいには、彼女の傍から離れるのが名残り惜しかった。

 


 幼い頃からバロンの傍付として仕えているテオは、バロンの一カ月間にも渡る行方不明騒動を良く知っている。

 だからこそ彼は、マリエールの話を聞いて、バロンが行方不明の間にどこで何をしていたのかをあっさりと推測できたのだろう。

 そのテオは楽しそうだった表情を変え、今度はとてもとても呆れた口調で言う。


「本当に、よくもまぁそれだけ長い間片思いをこじらせておいて、マリエール様に好きなように男と遊べなんて言えましたね」

「うるさいっ! 夜に一緒にいられない理由が、お前に興味はないからだとしか思い浮かばなかったんだ!」


 ……なによりバロンは強引に婚姻を結んでしまった自覚があるからこそ、逃げ道を作って置いてやるべきだと思っていた。

 だから何もかも、思うままに好きにしろ、何処へでも行けばいいと、すべてを自由にすることを許した。

 彼女は遊びで男と寝られるタイプではないから、男が出来たのならば本気の恋だろう。

 きっと相手はこんなおかしな呪いをかけられた自分よりも、彼女に似合いだろうから。


 こんなおかしな呪いを受けているみっともない自分と、あの心優しい彼女が想い合えるはずがない。 

 だって夜を共に出来ない以上、夫婦として身を繋ぐことが出来ないのだから。

 

(たった一時でも、マリエールと暮らせた思い出があれば私はもういい……。私はそのまま、自分の代でグラットワード家を終わらせる。こんな呪われた血、潰えてしまった方がいいんだ)


 生まれながらの呪われた身であるがゆえに度がつくほどのネガティブ思考に育ったバロンは、悲壮感溢れる空気を振りまきながら、マリエールの今いるだろう彼女の部屋の方角へと視線を向けた。



* * * *



 そんな切なさに瞳を揺らす主人に、テオは深く長いため息を吐く。 

 そしてつい、口をついてしまった。


「別に、男女の行為は夜だけにしか出来ないわけでは無いのですがねぇ」


 とたんに主であるバロンは真っ赤になる。


「ひっ、昼間からそんなっ……! そんな変態的な行為、出来るはずないだろう!!!!」

「だったらバロン様と同じく夜に兎になっていた父君はどうやって奥方と子作りをし―――」

「やめろ! そんなこと想像したこともない!!! マリエールにそんな不埒な行為頼めるはずがない!!!!」


 バロン・グラットワードは、とことんお堅く潔癖だった。

 そして夜の社交界に出られないので男同士の夜ならではの会話に入ったことがなく、教科書に書かれたような典型的な夜伽しか理解の範疇にないのだ。


「でもどうしますか」

「何がだ?」

「マリエール様、夜に兎を借りたいって言ってたじゃないですか。毎晩でなくてもマリエール様のところに度々行くとすると、使用人に屋敷で兎を飼い始めたと言わないわけにはいきませんよね」


 今までは執務室で兎になった場合は、休憩室として作っている扉続きの隣室で寝たことにしておけばよかった。

 居室で兎になった場合も、隣の寝室に移動するだけ。

 どちらの部屋も昼間の掃除での出入り以外は使用人を決して入れないようにしているから、それで隠せていたのだ。

 でもこれからはマリエールのところへの移動があり、兎の姿で屋敷内の廊下を進まなければならない。

 兎の存在を屋敷の者達に知られないはずがなかった。


 呪われた姿を第三者に見せるなんて、バロンにとって恥でしかないのに。

 でも、たとえ兎のすがたであってもマリエールと一緒にいられる貴重な機会でもある。

 苦渋の末、バロンは彼女と過ごす時間を取ることにした。


「くそ……。女は特に小動物を狙ってくるから嫌だったんだが……」

「女性に囲まれて可愛い可愛いと撫でられまくり抱かれまくり。男としては羨ましいですがね」

「どこがだ!」


 可愛いと言われて胸の奥がむず痒くなるのも。

 抱き上げられて幸せな気分になるのも。

 たった一人の女性相手の時だけなのに。


「っ――――あ」


 沈んでいたバロンだったが、ふいに身体の内側から違和感が沸き上がる。

 瞬く間に全身がぎゅっと絞られ小さくなっていくのを感じる。

 痛くはないし、もう慣れた感覚ではあるけれど、この瞬間がまた来たことに落胆せずにはいられなかった。



 そうして瞬く間に兎になったバロンは、周囲を見回す。

 足元にはついさっきまで着ていた衣服。

 どうやら今夜は椅子の上にそのまま落ち着いたらしい。

 昨日は机に身を乗りだしたりしている体勢の時に変化したから、兎になった時には机の上に座っていた。


 ずいぶん大きくなったように見えるテオは、バロンを見下ろしにっこりと目を細めると、わざわざ感慨深げに頷きながら拍手までしてきた。


「今宵もたいへんお可愛らしいことです。素晴らしい」


(くそっ! くそう! 面白がって! 意地の悪い奴だ!)


 バロンはダンダンっ! と床を蹴って鳴らして抗議するがテオは一切動じない。

 ふわふわで真っ黒な毛におおわれた兎がどんな反応をしようが、どう怒ろうが、ただただ可愛いだけだった。


「では、今日の仕事はもうこの辺にして、行きましょうか。マリエール様の部屋までお送りしますよ。ついでにすれ違った使用人達に兎を飼うことになった説明もしてさしあげましょう。先代は兎の姿で屋敷中走り回ってましたからね。皆慣れたものです」


 テオはひょいっとバロンを抱き上げる。

 

(あぁぁぁ。 男に抱き上げられるなんて、なんと屈辱的な!)


 しかしどれだけ情けなくても、兎の身では部屋のドアノブを回すことさえできない。

 運よく出られたとしても短い手足ではマリエールの部屋に辿り着くまで三十分は覚悟しなければならない。

 それどころかテオが居ないまま屋敷内を歩けば、まだ兎を飼うことにしたと周知されてない中では野良兎と間違われて放り出されてしまう可能性さえあるのだ。


(これも爺様が、兎を邪険に扱ったせいだ! 俺はぜったい! ぜったいに兎なんて食べない!!!)


 実際、グラットワード家の食卓では先々代のころより兎肉は全面禁止のものとなっている。

 


 テオに小脇に抱えられマリエールのところに行く道中、バロンはやはりすれ違った使用人たちに歓声を上げられ撫で繰り回された。


(こんな頼りなげなふわふわで可愛らしい姿。なんて情けない……)


 そう思うと同時に、兎の長い耳がへたりと垂れ下がる。

 人間の姿の時は生まれながらの吊り目もあって色々と隠せるのに、兎になると耳と尻尾が感情に反応して勝手に動いてしまって内面を隠せないのも、バロンにとっては恥ずかしいことだ。

 


 でも長い廊下を小脇に抱えて運ばれた先で、テオの手からマリエールの腕の中に渡ったとたん。


「まぁ。今夜も来てくれたのね。有り難う」


 本当に嬉しそうに微笑む彼女に撫でられた瞬間からは、たとえ兎の姿であっても幸せな気分になってしまうのだった。



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