8 彼女を妻に選んだのは④
しばらくテオと二人きりで花の咲き誇るサンルームで待っていたマリエールの耳に、賑やかな声が聞こえてきた。
「なんだ! 一体なんなんだジイ!」
「昼飯の時間だから呼んで来いってよぉ!」
「だからってなんで私は担がれてる!」
「坊ちゃんがまだ仕事したい行きたくないなんて我儘いうからだぉろが」
「我儘じゃないだろ! しかもなんでサンルームなんだ!」
ジイの肩に、まるで荷物のごとく担がれてこちらに近づいてくるバロンは、サンルームにいたテオとマリエールを見て一瞬目を丸くさせた。
しかし直ぐに柳眉を上げて不機嫌そうに目を細める。
「っ、……――――お前たち」
低く、明らかに怒りを含んだ声にマリエールが身を固くするよりも前に、ジイが助け舟をだしてくれた。
担いだバロンの背中をぽんと叩きながら。
「妻のことは大切にせんといかんぞ、坊ちゃんよ」
「っ、その呼び方、本当にもういい加減やめてくれ……。あと降ろせ」
「逃げんでちゃぁーんと一緒に飯食うか?」
ジイが凄んだ顔をバロンへと近づける。
近づきすぎて顔と顔がくっついている。
「分かった。分かったから……近い。ヒゲ痛い。あとほんともう降ろしてくれ……」
ジイに降ろされたバロンは、片手で目元を覆って項垂れているようだった。
テオが「情けないところを見られたことが恥ずかしいのですよ」とマリエールに耳打ちしてくれた。
マリエールには仲が良くて羨ましいなと思うばかりで、どこが恥ずかしいのか分からなかった。
首を傾げながらも、マリエールはバロンへと一歩近づく。
気づいて顔を上げたバロンにほほ笑みかけながら、自分からも誘ってみることにした。
「バロン様。お昼、私とご一緒にしてはくださいませんか?」
「……。どうせ、逃げられないんだろう」
何だかとても疲れた顔で、バロンは頷いた。
そうして、ヴィセと他の使用人数名がサンルームの中のガーデンテーブルにセッティングしてくれた場所で、マリエールはバロンと二人で昼食をいただくことにする。
席に着くなり運ばれてきたのは、湯気を立てる野菜のスープだ。
「まぁ、おいしそう」
メインはハーブを混ぜた岩塩を降りこんがり焼いたチキンソテー。
玉ねぎを煮詰めて作ったソースがかけられていた。
あとはパンと、豆を甘辛く煮たもの、卵とトマトの炒め物などいくつかの副菜も並んだ。
テオとジイは立ち去り、ヴィセと給仕が少し離れたところに待機している中、さっそくスプーンですくったスープに口を付ける。
「うん。美味しい」
じっくりと煮込んだ野菜はとろとろにとろけているし、優しい塩味のスープに溶けだした旨みも口に広がっていく。
時間をかけて丁寧に調理された料理の味だった。
パンを手に取りちぎりながら、正面の席に座るバロンに話しかけてみる。
「グラットワード家の料理人はとても腕がいいのですね」
「……あぁ」
「チキンソテーには綺麗な野菜の飾り切りが添えられていて、心遣いも感じます」
「そうか」
「……。……えーっと、」
さきほどテオやジイには砕けた様子だったバロンだが、マリエールとテーブルに向かい合うなり無口に戻ってしまった。
表情もほとんど変わらないで、堅くて冷たい空気をふりまいている。
でもせっかくの食事なので、マリエールは緊張しつつも懸命に話題を探した。
しかし昨日出会ったばかりなので共通の話題はほぼ無く、目の前の料理に関することくらいしか出てこなかった。
「バッ、バロン様は食べ物だとどんなものが好みなのですか?」
「……野菜」
「まぁ、健康的なのですね。ちなみに野菜の中では特に何が?」
「葉野菜。あとニンジン」
「そうですか。ニンジン、美味しいですものね」
兎っぽい嗜好ですね。だなんて、思っても言ってはいけないのだろう。
(兎……あの兎が本当にバロン様……)
思い出すとつい、昨夜一緒に眠った兎とバロンを重ね合わせてしまう。
ふわふわもふもふの小さくて可愛い生き物が、この不機嫌そうに眉を吊り上げている男でもあるのだ。
そしてつい、言わずにはいられなかった。
少し離れたところに控えている使用人たちに聞こえないほどの声の大きさにするよう気をつけながら。
「バロン様。そういえば私、昨日こちらの屋敷で飼われている兎を私の寝室に連れて行ったのですが」
「っ! う、うさぎ!? あぁ……そんなものも居たか、な……」
兎の話題をだすなり、バロンの額にはぶわっと冷や汗が滲みだした。
よほど動揺しているらしく、視線も定まらない。
うっかりフォークですくった豆を取りこぼし、テーブルの上に落としてもいた。
昨夜の、威厳があって冷たくて怖い彼とは大違いの様子にマリエールは少し驚いた。
さらにここまで分かりやすく慌てられると、意地が悪いと自覚しながらも少し突っつきたくなってしまう。
「綺麗な黒い毛並みの、とってもきれいな兎ですよね」
「きれっ!? そう、か?」
「えぇ。素晴らしいと思います。良い兎です」
「そ、そんなことは……」
「兎を褒めているのに、なぜバロン様が赤くなるのです?」
「っ!? 赤くなってなどない!」
バロンは怒ってそっぽを向いてしまった。
そんな彼を観察しつつ、マリエールはチキンソテーを切り分ける。
ふっくらと柔らかそうで、でも表面は香ばしくきつね色で美味しそうだ。
(バロン様―――昨日は、とても冷たくて怖くて見えたのに。なんだか今日は、可愛く見えるわ)
単調すぎる言葉遣いも、突き放したような態度も変わらないのに。
一緒にいると呪いのことがばれてしまうからという、『どうしてそんな態度をとるのか』の理由を知ってしまったからだろうか。
突っぱねた態度さえ自分の弱いところをみせたくないための可愛らしい虚勢に思えてきて、こうして揶揄う余裕さえでてきた。
(こう……素直じゃない天邪鬼な弟を見守る姉のような気分とでもいうのかしら。それに話せば話すほど、隠し事が苦手なのに頑張って隠してます感が出て来て面白いわ)
マリエールは薄茶色の瞳を細め、正面に座るバロンにほほ笑みかけた。
どうして笑顔でいられるのかと、バロンの方は戸惑っているようにも見える。
ますますおかしくて噴き出しそうになりながら、マリエールは告げた。
「旦那様はやはり今夜も執務室に? 一緒に寝てはくださらないのでしょうか」
「い、忙しいからな」
「そうですか……。―――あぁ、そうだわ! もし宜しければ、代わりに……と言ってはなんですが、兎を私の寝室に連れて行くことを許可していただけませんか?」
「は?」
「昨夜はテオの許可をいただきましたが、毎晩となると旦那様のお許しが必要でしょう? グラットワード家の兎なのですし」
昨夜、どうやっても全然眠れなかったのに、兎が枕元にきたとたんぐっすりと眠れた。
それにやはり、妻となった立場としてはどんな形であろうとも夫と寝室を共にするべきではないかと思うのだ。
たとえはたから見ればペットと寝ているだけだとしても。
バロンはしばらく眉を寄せて黙り込んでいた、
「バロン様。駄目でしょうか」
「いや……我が家の兎は気まぐれだからな。あと隠れるのが上手いから、ほとんどの使用人も存在をしらない」
「まぁ、そうなのですか」
一応、驚いた顔をしておく。
やはり呪いのことだけではなく、兎の存在自体が使用人たちには秘密らしい。
執務室と居室以外はあまり出ないし、テオ以外の人間の出入りも嫌うとヴィセに聞いていたので何とかなっているのだろう。
「別に、兎をどうしようと好きにすればいい」
バロンの許可を得られたことに、マリエールは顔を綻ばせ喜んだ。
人間のバロンは全然近づいてはくれないし、いまだ笑顔の一つも見せてくれていないけれど、兎な彼は歩み寄ってきてくれる気があるようだ。