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5 彼女を妻に選んだのは①



「―――朝、か」


 ベッドの上、上半身を起こしたバロンは小さくあくびをしながら周りを見回した。


 彼が居るのは夫婦の寝室。

 マリエールが嫁ぐ日に合わせて仕立てさせた若草色のファブリック類と、白木を中心にしたインテリアだ。

 屋敷内の他の部屋よりも素朴で可愛らしい雰囲気にしたのは、何より迎える妻の生まれ育った地方に合わせてのこと。

 カーテンとカウチソファに置かれたクッションカバーは、マリエールの実家の領内で作られた草木染めの品にしているのだと気づいてくれただろうか。

 

「……」


 おそらく時間は日が昇って間もないころだろう。

 まだ使用人さえも起きだしていないはず。


 バロンは静まり返った部屋の中、起き抜けのぼんやりとした頭を振り、垂れさがって来た黒い前髪をかき上げ――――はたと、気づく。


「そういえば、着てない」


 バロンは、素っ裸だった。


 下着さえ履いていない、すっぽんぽんだった。


 シーツも被っておらず下敷きにしている状態なので、本当に全部を空気にさらしている。

 元々着ていた服は、兎に変わった時に執務室に脱ぎ捨てている。

 たぶんテオが回収してくれてることだろう。


 バロンは眉を寄せ、溜息を吐く。


「服を着ていないのは毎朝のことだが……。隣にマリエールがいると落ち着かんな」


 隣にある温もりが、どうしても気持ちをそわそわさせるのだ。


「しかしまさか兎と一緒に寝たいといいだすとは……これではテオの思い通りじゃないか、くそ。あの腹黒が……わざと兎をマリエールに発見させて、慌てる私を見て遊ぶなんて。最悪だっ」


 ―――自分が夜になると兎になると、マリエールに知られるわけにはいかない。


(こんなみっともなくて、情けない、呪われた姿。見せられるはずがない)


 バロンは自分にかかった呪いのことを、本気で疎んでいた。

 こんな醜い呪われた身体を、誰にもさらしたくない。




 そしてバロンはこの呪われた血を、自分の代で終わらせてしまうつもりでいる。

 子供を作るつもりが、ないのだ。


 だから彼女には自由を与えた。

 他に男が出来たら滞りなく離縁できるよう、彼女の名が傷つかぬよう、結婚前から色々と準備もしている。

 使用人の男に伝言をたくして一人で寝るようにと伝えたのも、第三者にまで自分は彼女を抱いていない、彼女は純潔のままなのと知らしめるため。

 


 優しい彼女には、優しい男がきっとすぐに現れるだろうから。

 それまでのほんのひとときだけが、欲しかった。


 ……たった一時だけでも一緒に居れたという思い出さえあればいい。

 それだけでずっと生きていける。

 この結婚生活を長引かせるつもりもない。

 バロンはもう一度(・・・・)だけマリエールに会い、同じ屋根の下で過ごす日々を少しでいいから送りたかっただけなのだ。



「しかし本当に……まさか、一緒に寝られるとは思わなかったな」


 隣で少し口元が緩んだ表情で眠るマリエールの寝顔に、思わず目元が下がった。

 寝顔は無防備でずっと幼くみえた。


(可愛い……)


 思わず手が伸びて、髪に触れてしまう。 

 

「……柔らかいな。そうだ確か昔も、くせ毛が嫌なのだと頬を膨らませていた」


 バロンは次に、誘われるままに頬に、額に、首筋にと指を這わせていく。

 

「っ……」


 滑らかで、柔らかく、吸いつくような肌触り。

 彼女の寝顔を自分一人だけが独占できている状況に頭がくらくらする。


「んん……」


 小さく、喉から甘い声がマリエールから漏れ、くすぐったそうに身じろぎをした。

 同時に手にかかった彼女の吐息に、背筋からゾクゾクとしたものが這い上り、バロンは慌てて手を離した。

 

(これ以上触れると、やばい、か……)


 は、と小さく熱のこもった息を吐きだしつつ、静かに、しかし急いでベッドから抜け出した。

 この寝室は、自分は使う予定は無かったが夫婦の寝室という名目だから、使用人によってバロンのバスローブも夜着も用意されている。続き部屋には衣裳部屋もある。


 バロンは部屋の隅の籠に入れられている夜着と下着を身に着けようとする――――が、ふと自分の夜着を持った手がとまる。


「いや待て。もしかして私の服がこの寝室から無くなるということは、私がここに来たと言っているようなものじゃないか? 少なくとも洗濯をする者は、私の服が無くなっていることに気づくだろう」


 使用人はもちろん洗濯婦にさえ、バロンがマリエールと同じ寝室で寝ていたことを知られるわけにはいかない。


「うーん……仕方ないか」


 しばらく考えた結果、バロンは一度手に取った服を畳んで、元にあった籠の中へ丁寧に収めなおした。

 そして覚悟を決めるとそっと扉を開け、廊下へと出る。


 もちろん、全裸のまま。


 バロンはまだ使用人さえも起きだしていない明け方の廊下を静かにこっそりひっそり歩き、元々眠る予定だった執務室の隣にある、いつもは仕事中の仮眠用に使っているベッドルームへと向かうのだった。全裸のまま。



 



* * * *




 マリエールが朝起きると、一緒にベッドに寝ていたはずの兎は居なくなっていた。


「あら? どこに行ったのかしら」


 ベッドやサイドテーブルの下を覗いてみたり、家具の陰を捜してみたり。

 部屋中をうろうろと見回ったが、あの黒い兎は見つからなかった。

 朝の支度の為に部屋に現れた侍女のヴィセに聞こうとしたけれど、やっぱり駄目だと思って口をふさぐ。


(バロン様が兎になるかも? なことは秘密っぽいし、だとしたらこの屋敷に兎がいることも知らないかもしれないわ)


 それに思い返してみると、兎になるのは夜だけだというようなことも話していた気がする。

 もし人間の姿に彼が戻ったのだとしたら、ここに兎が居ない理由も納得できるのだ。

 

(うーん……あとでテオに、兎が居なくなったことだけ報告しましょう)


 とりあえず兎の捜索は打ち切って身支度を済ませ、移動した居室でヴィセにお茶を淹れて貰うことにする。



 そうしてテーブルに用意されたのは、紅茶とカットフルーツだ。

 一口分ずつに切られたオレンジをフォークで刺し、口に入れるとじゅわっと瑞々しい果汁が弾けた。

 ……この国では寝起きに食べると胃がびっくりするからという理由で、朝食はほとんどたべない。

 フルーツも朝食としてではなく、お茶請けとして出されているのだ。


 対して昼食と夕食はゆっくりしっかり、家族で食卓を囲んで食べるもの。

はたして夫であるバロンはマリエールと食事を一緒にしてくれる気なのだろうか。


 そんなことを考えながらカップを傾けていたマリエールは、ヴィセへと口を開いた。


「今日はどうしようかしら。何も予定がないのよね」


 食事以前に、今日一日何していいか分からなかったのだ。 


「ご実家では、どう過ごされていたのですか?」

「刺繍や、読書、たまにお茶会に出席したり、孤児院に顔を出しに行ったり、かしら。実家にはお友達もいたから、暇になれば遊びに行ったり来てもらったり」

「こちらの貴族の皆様もそんなものですよ。違うところといえば、夜の社交のパーティーや食事会が余所の地方よりずいぶん頻繁に開かれることくらいでしょうか」

「さすが王都ね。夜はやっぱり華やかなのね」

「えぇ。でもバロン様は夜のお付き合いはお嫌いなようです。たまに昼食会やお茶会はされておりますが、夜は本当にお出になりません」

「そう…夜は出ないのね……」


 夜は、出ない。

 兎になっちゃうからだろうか。


「マリエール様?」

「いいえ。何でもないわ」

「そうですか? あ、そういえばバロン様から、家具や調度品などインテリアもマリエール様のご趣味に合わせていいと伺っております」

「あぁ。私も言われたわ」


 何もかも好きなようにしていいと、確かに言われた。

 冷たく淡々とした口調で言い捨てられた昨夜の台詞を思い出すと、胸がじくりと痛みを帯びる。

 ヴィセは曇ったマリエールの表情には気づいたのか気付かなかったのか、そのまま話を続けた。


「寝室と、この部屋は結婚に合わせて事前に一応改装が入りましたが、他の部屋は基本的に先代の趣味のままなのです。よろしければ家の中を見て回られて、気になるところを仰っていただけませんか? 寝室も別に、お気に召さなければ変えてよろしいと思いますよ」


 ヴィセの提案に、マリエールは眉を下げた。


「いいのかしら。そこまでインテリアセンスに自信はないのだけど。私、田舎者だし」

「バロン様はあまりご興味がないようで、先代の当主様がなくなられてからはほとんど屋敷の中は変えておりません。カーペットさえ一度も変えてないのですよ?」

「そうなのね。うーん……確かに、カーペットとカーテンくらいは、季節ごとに変えたいかも」

「でしょう? それにセンスが古いと訪れるお客様に侮られてしまう場合もあるようでして……」

「歴史ある古い品の良さもあるわ」

「えぇ。それはもちろん。必要なものは残してくださいませ。でも若い奥様の感性も入れられた方が、きっと良くなりますわ。というかですね!」


 いきなり、ヴィセが拳を握って身を乗り出してきた。

 青い瞳がとっても真剣そうにマリエールを見据えている。


「ヴィ、ヴィセ?」

「掃除をしたり手入れをしたりする使用人としては! まっっったく代わり映えがなさ過ぎて、面白くないんです!!! 仕事にだって変化が欲しいです!! マリエール様、ぜひとも模様替えを!」

「まぁ。ふふっ。そういうわけ」


 確かに、カーテン一つ色が変わるだけでも気分が変わるもの。

 それを手入れする使用人も同じ気持ちなのだろう。

 そしてヴィセの不満は置いておいたとしても、貴族社会での客のもてなしとは、屋敷の美しさとセンスの良さを見せることも含まれている。

 居心地良く、センス良く、話しの種になるような空間を作ることは必須なことなのだ。

 当主であるバロンがあまり興味がないというのであれば、妻であるマリエールが補うところなのだろう。


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