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4 冷たい夫の可愛いひみつ④

 覗いた部屋の、机の上。

 飾られている花瓶の向こう側に隠れているが、はみ出してしまって全然まったく隠れられていない、黒い何か。

 ふわふわの毛におおわれた、おそらく尻尾だと思われるそれはひくひくと揺れている。


 生き物で間違いないのだろう。

 黒くて丸い尻尾を持つ、小さな動物。

 そして彼らのさっきの会話を繋ぎ合わせると、それが何なのかは簡単に分かった。


「しっぽ……。うさ、ぎ?」


 思わず呟くと、すぐにテオが大きく手を打ち鳴らした。


「おおっと! 気が付いてしまわれましたか!」

「え?」

「いやぁ。マリエール様は視力がよろしいのですねぇ!」

「は?」

「まさかまさか気づかれるとは! びっくりです!」

「ええっと……?」


 テオの何だかわざとらしいくらいに大げさな反応に、マリエールは怪訝な目を返した。

 しっとりとした色香のある美人だと思っていたのに、何だかキャラが想像と違う。


(兎の呪いって、秘密じゃないの? さっきのバロン様、絶対知られたくないって言っていたのに、誤魔化さないでいいの?)


 マリエールの視線にも、テオはただほほ笑むだけ。

 その笑顔がまた何だか迫力がある。

 きっと彼はこうして……笑顔で何もかもを制するタイプの人なのだろう。

 なんだかとても食えない男だと思った。

 

 戸惑っていると、テオはやたらと大きな声を張る。

 まるで花瓶の向こう側に隠れている黒い尻尾のある、おそらく兎だろう生き物に聞こえるように。


「え? 見たい!?」

「え? あの、いえ……私そんなことまだ……」

「そうですか!? いやー仕方がないなぁ奥様は。そんなに兎がお好きでしたか! 少しだけですよ! 少しだけ見せてあげます!」

「テオ?」


 そうして背中を押され、「さぁ。さぁ。さぁ!」と促され、執務机の前まで促されてしまった。


「…………」


 目の前まで案内されれば、もう仕方がない。 

 何より好奇心も確かにあったのだ。

 マリエールは、机を周ってそうっと花瓶の裏側を見た。


「―――まぁ。本当に兎だわ。黒兎ね」


 小型の種類なのだろうか。両手に乗せて少し余るくらいの大きさの、黒い毛におおわれたふわふわで丸い生き物。

 緊張しているのか、ピンと長い耳が立っている。

 

(この兎が本当に、呪いとやらで姿を変えられたバロン様なのかしら)


 でも実際に、この部屋にいるはずのバロンは居なくて。

 さらに机の脚元に、バロンが着ていたはずの服まで落ちているのに気づいてしまった。

 そして転がってしまっている椅子もある。おそらくさっきの大きな音はこれが原因なのだろう。


「どうみても普通に兎よね」


 マリエールは、じいっと兎を観察してみる。

 本当にこの兎はバロンなのだろうか。


(毛は黒で瞳は青。確かにバロン様と同じなのよね。目の形も吊り上がってて、兎なのにツンとした感じがまた似てるのよ)


 見れば見るほどに似ているような気がして。

 しかも居るはずの本人も見当たらないものだから。

 マリエールはもう八割以上、この兎を自分の夫として認識し初めていた。


「…………ええっと」


 机の上の兎に、顔を近づけて観察した。

 そこで、やっと気づく。


(震えてる)


 兎は明らかにマリエールに対して警戒していて、しかも怖がっている様に震えてもいた。


(―――――そんなに、知られることが怖いの……?)


「………」

 

 マリエールは少し考えた後。

 さっきのテオのマネをしてみることにした。


 やや大げさな身振りで手を叩き、ワンオクターブ高い声で言う。


「ま、まぁ……可愛らしい兎ですこと!」


(あ。こっちを見たわ)


 やっと、震えていた兎が顔をあげてくれた。

 それでもまだ警戒心を解いていないつり上がった青い目の鋭さと、可愛いもふもふ感のギャップにマリエールは思わず笑みを漏らしてしまう。


「この家では兎を飼ってたのね。知らなかったわ」


 この兎の正体についてはとても気になるところだ。

 でもバロンは知られることを嫌がっていたのに、追及する必要はないのではないか。

 マリエールは今は何も知らないふりをすることにした。


(あからさまにほっとしたわ。私が扉の向こうで何も聞いていなかったと信じてくれたのかしら。……それにしても、兎なのに表情豊かね)

 

 マリエールは、なるべく怯えさせない様に腰を低くし、机の上の兎に視線を合わせる。

 バロンではなく兎に話しかけているのだと自分に言い聞かせながら。

 視線と視線が合った兎に、優しく微笑み、彼の前に手を差し出しつつゆったりとした口調で話しかけた。


「こんにちは、兎さん。私、今日からこの家でお世話になるの。よろしくね」

「…………」


 兎はしばらく惑うように視線を右往左往させたあと。


「あ」


 前足を、マリエールの差し出した指の先に乗せ、頷いた。

 マリエールは思わず顔をほころばせてしまう


「可愛い」


 見つめた青い瞳は宝石みたいに美しく、自分の顔がはっきりと映るほどだった。

 ふわふわで愛らしい兎が愛おしくなって。

 うずうず沸いた気持ちが抑えられなくて、思わず口に出してしまう。 


「だ、だっこしてみてもいいかしら」

「っ!?」


 兎が小さく跳びあがった。


「だ、だめ……?」


 小首をかしげて訊ねてみると、しばらく悩んだようなそぶりをして見せたあと。

 タタッと机の上を駆けて、マリエールの立つ本当にすぐ目の前、机の端にまで駆けて来てくれた。


「わぁ」


 思わず歓声を上げて、そのまま両手で救い上げ、抱き込む。

 ふわっふわで温かく、そして可愛い。

 あの一緒にいると少し緊張してしまう怖い雰囲気の人間のバロンとは大違いだ。

 

(可愛い可愛い可愛い!!)


「ふわっふわ! 黒くてきれいな毛並みね。よく手入れされてるのね」


 十五歳。まだまだ大人になりきれていなくて可愛いものが大好きなお年頃のマリエールは、薄茶の瞳をきらめかせ、その素敵な手触りと愛らしさを堪能した。

 思わず顔をうずめて頬ずりすると、びくっと兎の身体が跳ねた。

 

 そして、どうしても我慢できなくて。


 兎から顔を上げ、ずっとマリエールと兎の様子を黙って見守っていてくれたテオを振り向いた。


「あの……テオ。良かったら、私のベッドに兎を連れて行っても構わないかしら」


 腕の中に抱く兎の身体が強張った気がした。


「兎を、ですか」


 テオは少し考えるそぶりをしたけれど、直ぐにほほ笑んで頷いてくれる。


「構いませんよ。バロン様にも伝えておきましょう」

「有り難う」


 小さく頭を下げてから、腕の中にいる兎を見下ろす。


「―――――兎さんの方は、構わないかしら。私と一緒では嫌? 旦那様には振られてしまって、慣れない場所で一人で眠るのは寂しいの」


 寂しさと緊張で眠れなかったのは本当だ。

 この子がいればきっと寂しさは和らぐはず。


(それに……状況からいえばたぶんこの子は旦那様で……夫婦で一緒に眠るのは普通のことだもの! やることは出来ないけど!)


 たとえ姿が違っていても、夫と初夜を共にしたい。

 じいっと期待を込めて見つめ続けていると、兎は観念したらしくこくりと頷いた。


「っ! 有り難う、兎さん」


 マリエールは嬉しくて、その日数えきれないほど言われた祝いの言葉を受けたどの時よりも幸せそうに、まるで子供のように無邪気な笑顔を、兎に向けたのだった。

 


* * *


 

 兎とテオの了承を貰い、マリエールは兎を腕に抱きながら寝室へと戻った。


「しぃ。もう遅いから、静かにね」


 ベッドに兎を乗せると、マリエールもそのまま横になってしまう。

 しばらく兎はシーツの上をごそごそと移動していたが、結局ちょうどマリエールの頭の横の、バロンの為に用意されていた枕の上に落ち着いたようだ。

 身体を伏せ、眠るための体勢をとっているように見える目の前の兎をぼんやりと眺めながら、マリエールはつい口をついた。


「………私はこのまま、この家にいてもいいのかしら」


 兎は耳をぴくりと動かしたようだが、大きな反応はない。


(このたぶんおそらくきっとバロン様な兎が、今の台詞に飛び上がるくらい驚いて慌ててくれたら嬉しかったのに)


 ほぼ反応の無かったことに、マリエールは心底がっかりした。

 思わず乾いた笑いが漏れてしまう。


 ……バロンが呪われて兎になっているのが事実かどうかは置いておいて、あのままの距離感で人間の彼はずっとマリエールに接してくるのだろうか。


(冷たくて突き放すような態度をされるのは、正直怖いし、緊張する……)


 マリエールには理想としていた家族の形がある。

 お互いを思い合い、大切にしあい、子供たちのにぎやかな声が溢れる、明るくて優しい家庭が欲しかった。

 多少の苦労があったとしても、夫となる人と協力しあえれば実現できると思っていた。

 

 しかし今の、「何もかも好きにしていい。他の男と寝ようともどうでもいい」と言うような夫では、決して成り立たない。


(兎になるとか、どうでもいいのになぁ。ただ優しく、家族を大切にしてくれれば、それで……)

 

「…………ん」


 ―――ゆっくりと、薄茶の睫毛に縁どられたマリエールの瞼が落ちていく。

 生き物の体温がすぐ傍に感じられるのが、安心に繋がったのかもしれない。

 

「私がちゃんと、バロン様の……家族になれる日は、くるの、か……しら」


 眠りに落ちる瞬間。

 まどろみの中で落とされたささやきに兎が思わず顔を上げてマリエールを凝視していたことに、気づくことは出来なかった。

  


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