2-18 ふたりの始まり①
「じゃあね、マリー」
「本当に行ってしまうの?」
王都の出入り口にあたる、検疫門のすぐ脇。
すぐそばに朝市が開かれたガヤガヤとした雑踏の中、遠距離用の乗りあい馬車の乗り場の片隅で、マリエールは泣きそうな顔を浮かべて友人を見つめていた。
マリエールの悲壮に満ちた表情とは反対に、大きなトランクケースを両手で持ったガーネットはあっけらかんとした笑顔だ。
「もう。何十分そんな顔続けるつもり? 別に悲しいお別れじゃないんだから、泣かないでよ」
「だって、もうトラスト領に帰ってしまうなんて。ガーネットったら急に決めるのだもの」
ガーネットの服装は、どこからどうみても旅装だ。
彼女は今日、トラスト領にある森奥の家へと帰ることにしたのだ。
あの森がガーネットの家。
王都での宿暮らしがそう長く続くはずもなく、いずれ帰るのだと分かっていたけれど、いざその時が来ると寂しくなる。
付き添いのヴィセが一歩後ろに控える傍ら、マリエールはじわりと目元を潤ませた。
「もう少し、ここに居たっていいじゃない。薬だって王都の方が売れるし……。私とだっていつだって会えるし」
嫁いだことで、もしかするともう一生会えないかもしれないと思っていた友達と会えた。
それなのにまた別れなければならない。
寂しくて、マリエールはつい子供みたいに駄々をこねてしまう。
はたから見れば子供であるガーネットになだめて慰めて貰っている大人のマリエールの姿は、少し奇妙なものだろう。
それでもマリエールは、声を震わせながら彼女の服の裾を引っ張り駄々をこねる。
「ガーネット……お願い、もう少しだけ……」
「もー。いい加減にして頂戴。早く馬車に乗らないと出ちゃうわ!」
「…………」
「―――マリエール、あたしは魔女なの。森の奥で草花や動物たちに囲まれて生きるのが、一番落ち着くのよ。ここは騒がしすぎて疲れちゃうわ」
「それは……私も、ガーネットには森が似合うと思うけど……」
動物に囲まれ、草花に囲まれ、毎日を過ごすガーネットはとても幸せそうだった。
この王都は建物ばかりで動植物も少ない。
自然と共に生きる魔女にとって窮屈であることは確かだろう。
「中途半端に意地をはってお別れした前回とは違うわ。全部ちゃんとマリーに吐き出してすっきっきりしたし、ここでの貴方の生活も見れて安心もした。あたしはもうマリーと離れても大丈夫だと思える。だからもう、ここに居る意味はないのよ」
少し背伸びして、小さな手のひらがマリエールの頭を撫でてくれる。
ふんわりと柔らかく細められた赤い瞳は、とても大人びていて、見ているとどこか落ち着いた気持ちになってくる。
「あたしね、マリーが居なくなった時、置いてかれたって、取り残された気持ちの方が大きかったの。だからマリーからの手紙が来て、呼んでくれてるって、嬉しくなって。行かなきゃって、飛び出した」
目を見開くマリエールに、ガーネットはふっきれたような爽やかに笑った。
「でももう離れていても、手紙がなかなか着かない距離にいても。マリーとはずっと友達だって分かるから。ね?」
「そうね、ずっと……どこに居ても友達よ」
これから何年先に会えるのか。そもそも会えるのかさえも分からないけれど、それでも友達だ。一番の。
絆を確かめ合い、マリエールと見つめ合ったガーネットは嬉しそうに顔を綻ばれた。
「ふふっ。あ、……それと、ちょっと……耳かして」
「え?」
マリエールが身を屈めると、ガーネットは背伸びして顔を寄せてきた。
背後にいるヴィセに聞こえないように、彼女は耳元で小さく囁く。
「あたしも探すわ。マリーの旦那様を助ける方法を。呪術を学ぶことは違法だから完全な解呪はやっぱり出来ないけれど、多少の効果があったあの薬を改良することならできると思うの」
「無理しないでね? あまり呪術に傾倒すると罰されるかもしれないんだから」
「もちろん。法のギリギリセーフなところで留めておくわ」
危険があるのに協力してくれるという頼もしい魔女に、マリエールは思い切り抱きしめた。
柔らかな頬にさよならのキスを贈り、今度こそ潔く身を離す。
「じゃあね」
そしてガーネットはいったん馬車に向かって歩き出そうとしたが、二、三歩歩いてまたこちらを振り返った。
「ガーネット?」
ガーネットは首を傾げるマリエールの後ろに立つヴィセを見ているようだった。
「えーと……その。色々ごめんなさい」
「……え?」
ガーネットの謝罪に、ヴィセは驚いたふうに目を瞬いた。
「ちょっと失礼な物言いし過ぎたかなーって、これでも反省してたのよっ」
「まぁ。ふふっ、もういいですわ。マリエール様の大切なお友達のようですし」
「貴方もね、ヴィセ」
「え?」
「今、マリーの一番近くにいるのは、メロンさまを除いたら貴方がみたいだから。あたしの大切な友達の友達なら、あたしにとっても友達でしょ?」
「……そうですね。ガーネット――――こちらこそ、大人げない対応をしてしまって申し訳ありませんでした。どうか宜しくお願いします、お友達としても」
「っ! うん!」
嬉しそうに小さく跳ねたガーネットは満面の笑みで頷いた。
「じゃあね! マリー! ヴィセ! またいつか……!」
そしてガーネットは大きなトランクを手に、何度も何度も振り返りながら乗りあい馬車に乗り込んでいったのだった。




