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臆病なうさぎさん  作者: おきょう
続章

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2-11 エメラルドブルーの香水瓶④


 思わず変な声の出てしまった口元を押さえつつ、マリエールは足元の黒いモフモフの毛玉に狼狽する。

 

 人は少なくなったとは言え、大衆の目のある場だ。


(た、た、大変……! ええとっ、どうすれば! ――あ、そうだわっ!)


「バロン様、失礼します……!」


 マリエールは小さな声で言いながらドレスのスカートを持ち上げ、ウサギの上にばさりと被せた。

 ドレス以外、兎を隠せるものが見当たらなかったのだ。


(裾が大きく広がったドレスで良かったわ)


 タイトドレスだったら中に入った兎の形が丸わかりだった。

 

 この状況だと兎になったバロンが上を向けば思いっきり下着が見えてしまうが、緊急事態だから仕方がない。

 マリエールはこのままスカートの中に兎を隠しておくことにする。

 それにたぶんバロンの性格からいって、まじまじと下着を観察することなんて出来ないだろうと想像も出来たのだ。

 

「えっと」


 おそるおそる周囲を見回したが、どうやら幸いにも決定的瞬間を見た人は居ないらしい。


(よ、良かった……!!!!)


 心から安堵の息を吐いたマリエールは、次にドキドキと緊張に心臓を逸らせながら一生懸命考える。

 今からどうにかこうにか、この兎の彼を誰にも知られないように屋敷まで返さなければならないのだ。

 ここ数カ月で一番必死に脳を回転させているような気がした。

 思わず無意識に大きく喉を鳴らしてしまったが、やはりこの体制のまま動くしかないと結論付けた。


(服はもう仕方がないわ。グラットワード家だと分かる装飾品は付けて居なかったはずだし、諦めましょう)


 外出着だから、普段家にいるよりも上等な服なのだが。

 兎を抱くのも注目を受けるだろうからとこうして隠している状況で、男の服を抱えていくことなんて出来るはずもない。


「お財布だけ、咥えるか引きずるか押すかでどうにか運べますでしょうか」


 お金はともかく中に身分が分かるものが入っている可能性が一番高い財布をどうにか確保して欲しいと、密やかにスカートの中のバロンに告げたマリエールは慎重に周りを見回した。

 人目がこちらを向いていないことを確認し、服はそのまま放置して移動することにした。


「……バロン様。このまま人気のない場所まで移動します」


 密やかに放った声に返事はなかったが聞こえていると信じて、マリエールは強張った足をゆっくりと動かし始める。

 ゆっくりゆっくり、スカートの裾が浮かないように。

 足元のバロンを置いて行かないように注意しながら、慎重に歩を進める。

 ゆっくり歩いて離れつつ後ろ目で見ると、残された服を見下ろし怪訝に首を傾げる警備服の男の姿があった。


(ごめんなさい!)


 たいへん申し訳ないが、彼に落とし物として回収してもらうことにしよう。

 保管していただいても、うちの夫のものだと名乗り出る日はきっと来ないだろうが。



* * *




「マリエール様!?」


 勢いよく馬車の中へと駆けこんだマリエールに馬車の脇で休憩を取っていた御者が、ぎょっとした顔をしてマリエールと、そして彼女の足元にいる兎を交互に見ている。


「兎? 黒いし、うちの屋敷のですよね。あれ、馬車に乗せていらしましたっけ」

「え、ええ……ここで待っていてもらってたの、―――はぁっ……何とかなって良かった……」


 マリエールは肩を撫でおろして椅子に座りながら、まだ開いているドアの向こう側にいる御者に、告げた。

 

「お願い。出してちょうだい」

「え。あの、しかし旦那様がまだでは……」

「バロン様はええと、そう、劇場で会った方とお話が弾んでこれから食事に行くらしいわ。私だけ帰るから、早く出してちょうだい」


 もう一度「お願い」と強い口調で頼む。

 御者はマリエールの緊迫した空気に、これ以上突っ込むべきではないと判断したのだろう。 


「か、かしこまりました」


 彼はそのまま急いで御者台にのり、マリエールと兎を乗せてグラットワード侯爵家へと駆け戻ったのだった。


* * * *



 何時に帰るかわ分からなかったため、今夜はヴィセを含めて全員下がっていいと言ってあった。

 当然、屋敷内は静まり返っていて迎えに出たのは警備の男が二人のみだった。



「おかえりなさいませマリエール様。バロン様は一体……?」

「それに思っていた以上にお早いお戻りですね」


 主であるバロンが居ないことに、二人とも困惑した表情を見せている。

 兎を抱くマリエールの少し硬い様子からしても、何かトラブルが起こったらしいと察させてしまったようだった。


(喧嘩でもして、置き去りにして帰ってきたとか思われてそうね)


 バロンの居ない本当の理由をテオとジイ以外に知らせるわけにはいかない。

 

「お帰りなさいませ。お出迎えが遅くなって申し訳ありません」


 困っているマリエールを助けてくれたのは、歩いて来たテオだった。

 マリエールはほっと息を吐き、腕の中の兎とテオの顔を交互にみながら言った。


「バ、ロン様は、向こうで会った方と盛り上がって、どこかへ飲みにいくそうよ」


 誰と、という説明さえとっさに出ないマリエールに、了解したという風にテオは頷いてみせた。

 

「そうですか。付き合いが広がるのは良いことです。では朝まで戻っては来ないでしょうし、もう門も閉めるように言っておきましょうか」

「えぇ。それで大丈夫よ。遅くにバタつかせてごめんなさいね」

「い、いえ」


 まだ不思議そうにしている警備の者に会釈して、マリエールはそそくさと二階へ上がることにした。


(たぶん、変に思われたけど大丈夫。明日バロン様が普通に居て下されば何も問題ないもの)


 マリエールは、そう自分に言い聞かせながらいつも通りに居室の隣にある寝室へ行こうと右へ曲がろうとしていた。

 しかし、二階への階段の最後の段を登った瞬間。


 ―――トンッ。


 丸くなって収まっていた腕の中の兎が、消えた。

 バロンがマリエールの腕の中から飛び降り、廊下の上へと着地したのだ。

 

 急に温もりがなくなったその瞬間、マリエールの肺の奥でひゅっと冷たい風が走ったような感覚がした。


「バ、ロン様……?」


 兎が行こうとしている方向は左。

 マリエールの行こうとしている寝室とは真逆の方向で、彼の執務室のある側だ。

 今日はもう仕事は終わらせているはずなのに。

 はりきって昼過ぎには終えたということを、行きの馬車の中で話してくれたのに。


「あの、寝室にはいかないのですか……?」


 そっと声をかけても反応はなく、振り返りもせず、バロンは四本の足を使い小さく跳ね飛ぶような歩き方で離れていく。

 その背中には、マリエールを拒絶しているような空気さえあった。

 聞こえているはずの声掛けにまったく応対してくれず歩いて行く後ろ姿は、一人になりたいという意思を感じさせた。


「っ……」


 なににせよ、小さくて短い兎の歩みだ。

 数歩歩けば追いつける距離だ。


 でもマリエールは、それ以上に近づけなかった。

 まるで地に足が縫い付けられてしまったかのように、一歩も動くことが出来なかった。

 拒絶されたふうな後ろ姿が、傍に行くことを躊躇させた。


 バロンにとって一時的にでも夜に人に戻れるようになることが、どれほどにおおきな希望だったか。

 そのやっと見つかったその救いが、あっさりと粉々に砕けてしまったショックは、どれほどのものなのだろう。

 きっと呪われたことなんてないマリエールがどれだけ考えても計り知れないもの。


「バロン様……」


 マリエールは、どうすれば傷つけないで励ませるのか分からなくて。

 何を言ってもさらに傷つけてしまうだけのような気がして。

 小さくて黒いふわふわな兎が、ひどく落ち込んだ様子で廊下の向こうへと消えいくのを、ただ見送ることしかできなかった。

 


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