2-5 魔女の来訪⑤
急に緊張感の増した空気にマリエールとバロンもつられ、姿勢を正して彼女に向き直る。
「さっそくだけどマリエールの手紙にあった、旦那様にかけられた呪いというやつ。まず詳細を教えてくれるかしら」
「分かったわ」
夫が魔女の呪いにかかっているという話は、彼女へ相談するのに必要だったので書いた。
けれど、さすがにその詳細までを勝手に知らせるわけにはいかなかったのだ。
マリエールとバロンは、時間をかけて呪いの詳細をガーネットに話した。
先々代のグラットワード家当主が、魔女の飼い兎をうっかり夕食のおかずに食べてしまったことで怒りを買い、兎になる呪いを受けたこと。
その呪いは代々の当主に受けつがれること。
昼間は人間でいられ、自分の意思での変化が可能であるが、夜から明け方の数時間のみは強制的に兎になってしまうので、夜会や食事会などの夜の社交場に出られず困っていること。
ガーネットはお茶とチョコレートを交互に食べながらも、何度も頷きながら真面目に話を聞いてくれた。
そうしてバロンとマリエールは、知り得る限りの呪いの話を話し終えた。
一拍を置いて「なるほどね」と呟いた後、ガーネットはバロンを真っ直ぐに見つめる。
「じゃあとりあえずメロンさまは、兎になってくれる?」
「今、か?」
「だって実際に見ないと」
「―――。くそっ……」
その瞬間―――彼の着ていた服が、ソファと机の隙間に落ちる。
次に机の上に落ちたのは、広げた両手に載せて少し余るくらいの大きさの、小型の兎だ。
ふわふわで真っ黒な毛は艶が良く、柔らかいのに滑らか。
青い瞳は人間のバロンと同じように少しつり目気味で、そこが普通の兎より気品を漂わせていた。
「おー。ちょっと失礼」
「あ」
ガーネットは、机の上の兎をむんずと掴み上げた。
「ふーん」
彼女はじたばた暴れる兎を、ひっくり返す。
さらに毛皮のみをまとった、いわば素っ裸な身体を隅から隅まで、あらぬ所も広げてしっかりと観察する。
バロンはもちろんその扱いに激しく抵抗し短い手足をジタバタ必死に動かしていた。
後ろ足を広げられた時なんて兎らしからぬ迫真さだった。
しかしもちろん、ウサギの抵抗なんて人間相手では一切効果はない。
兎の必死の一撃が人間に当たったって、痛くもかゆくもない。
ガーネットは変わらずに、兎をクルクルひっくり返したり逆さにしたり広げたりして観察していた。
(この子、森住まいで動物の扱いに慣れてるから、余計に遠慮がないわ)
しかも職業ゆえに、普通は躊躇する部分さえもじっくり見つめている。
羞恥と屈辱でバロンが泣きそうになってるように見えた。
「ガーネット。中身はバロン様なんだから。森で拾った怪我をした兎を診ているのではないのだし、あまり失礼は……」
「うん。分かってる分かってる」
「分かってないでしょう。見なさい、泣きそうよ。かわいそうじゃない」
「うーん。うん、うん。なるほどねぇ」
「聞いてる!?」
「うんうん。わぁ、凄いなぁ。これが呪いってやつかぁ。人間が兎になるなんてびっくりよね。サーカスに入れば売れっ子じゃない?」
ガーネットが呟きながら黒い兎の後ろ脚を掴んで逆さにした。
ぶらぶらと逆さづりの状態になってしまっている。
「ガーネット」
さすがの扱いとその台詞に我慢が出来なかった。
マリエールの声が尖ったことに、ガーネットはペロリと舌を出して肩をすくめた。
「はいはい。ごめんなさい」
あまり反省の色のないままだったが、彼女はバロンを解放してくれる。
手が離されると同時に机の上に着地したバロンは、そのままびょんと大きくジャンプしてソファのマリエールの膝の上にまで飛びこんできた。
そこで彼は身を護る様に固く丸まった。
「大丈夫ですよ」
慰めるように優しく撫でたマリエールの手に、やっと息が抜けようだ。
「……ガーネット。それで、呪いを解くことは可能なのかしら」
「無理ね」
マリエールの手の中のバロンの背が、とたんに硬くなった。
「……そう。はっきり言うのね」
マリエールの声も、自然と沈む。
そんなに簡単にいくわけがないとは思っていたけれど、魔女である彼女にこんなにはっきりと、考える余地さえなく「無理」と言われるなんて。
同じ魔女でも、出来ないことだと知らしめられた。
暗くなった空気に、ガーネットは慌てたように顔の前で手を振って言う。
「わっ、私が無能なんじゃないわよ!? どの魔女だってもう無理なの。だって禁止なんだもの!」
「禁止? どういうことかしら」
「あのね。魔術や呪術というもののは、もう何百年も前から使うことはおろか学ぶことさえ禁止されている禁忌の学問なのよ。だって人を呪うことが出来るだなんて、危険な行為。禁止されて当然でしょう」
「そ、そうね。とてもではないけれど、簡単に扱っていいものではないわ」
危ないものとして禁じられてしまうのも納得出来る。
きっと兎にされるなんて可愛いもので、中には生死の問題になるような呪いもあったのだろうから。
(バロン様は、呪術が禁止されていると知っていたのかしら)
ごくごく一般の教育を受けて来たマリエールはそんな事聞いたこともなかったし、そもそもバロンと出会うまで魔法や魔術なんておとぎ話の中だけのものだと思っていた。
これまで調べた書物の中にも書いてはいなかったから、本当に一部の魔女に関わりある者たちだけに触れが出されたことなのかもしれない。
彼を見下ろしてみた限りでは、よく分からない。
会話が出来ないので、言葉として聞くことも今は出来ない。
でもマリエールよりずっと長い間探し続けていたし、魔術についてもたくさん調べたようだから知らないことはないような気がした。
そんなことを想像しているマリエールの前で、ガーネットは魔女の歴史について教えてくれる。
「世界の……国の秩序を保つために呪術や魔術は禁止された。大昔の話だから、一般の人はそんな術の存在さえ知らないでしょうね。でも実際にその情報を広めないために世の全ての書物や資料は焼き払われ、知識を持っていた魔女は死ぬまで徹底的に国の監視下に置かれたと聞くわ。かろうじで百年くらい前までは、法の目をかいくぐっての違法な呪術を使う魔女が残っていたらしいけれど、今はもう本当に皆無ね」
つまり、先々代のグラットワード家の当主を呪ったのは、違法なことをしている魔女だったのだ。
「呪うのが禁止されるのは分かったけれど、呪いを解く方も駄目なの?」
「……駄目よ。呪いを解くのには同じだけ高度な術が必要らしいんだもの。術については、私も師匠が世間話程度に話していた浅い知識しかしらないわ。城の重要機密書類として王城の奥の方に書物は残っているかもしれないけれど、閲覧できるのなんて王族かそれに近しい人だけ。―――あ、これ美味しい」
銀のトレーに並べられていたチョコを一粒口に頬り込んだガーネットが赤い目を輝かせた。
どうやら今までで一番好みのョコを引き当てたようだ。
「フランボワーズ? 甘酸っぱいソースが入ってる」
「あぁ、たぶんそれ、このチョコレート店で一番人気のものだわ」
「へぇ。どうりでおいしいはずだわ」
幸せそうに味わう彼女とは反対に、マリエールと兎のバロンは肩を落とす。
グラットワード公爵家は、商業面で発展した領地主としての地位は高いが、政治面は弱い。
社交会に当主がほぼ出席しないということから、王侯貴族と直接会う機会も限られて密接なつながりを持ちにくいのだ。
禁止されている書物を読む許可を得られる可能性は、低いだろう。
マリエールと膝の上のバロンは、揃って重いため息を吐いた。
「でもまぁ術を、というか呪いを一時的に弱らせることなら、あたしの薬でも可能よ」
「そうなの!?」
「っ!」
マリエールの喜びの声と同じく、膝の上の兎が、ぴょんと大きく飛び跳ねた。
天井ぎりぎりだ。今まで見た中で一番高く飛んだ。




