2-3 魔女の来訪③
ヴィセの視線の先で長く美しい薄紫の髪がゆれる。
「少し、よろしいですか?」
「え、あ……‼」
目の前に入って来た男の背中に、ヴィセははっと我に返った。
「テ、テオ様!」
「誰?」
ヴィセと金色の髪をした少女の間に入って来たのは、バロンの右腕的存在であり、この屋敷に勤める者たちを取りまとめる役目を持っているテオだった。
彼の登場に、ヴィセの頭から一気に熱が引いていく。
客人にとてもはしたない対応をしているところを見られてしまった。
慌てて一歩足を引いて、彼に場所を空け渡した。
ヴィセが下がったことで少女の目の前に移動し立ったテオは、彼女を薄紫の目で見下ろした。
「まぁ。お姉……じゃなくてお兄さんよね。舞台俳優みたいにキラキラしてる。綺麗な顔だわ」
(普通は相手を誉めるにしてももっと言い方があるでしょうに……)
こんなにはっきりとテオの顔だけを誉める不躾さに、ヴィセは余計に怒りたくなった。
けれど、当のテオは穏やかな笑みを崩さないままだったから、口をつぐむしかない。
「それは有り難うございます。……お嬢さん、先ほど仰っていた、魔女というのは本当なのですか」
「そうよ。魔女であり、マリエールの大親友。ガーネットよ」
少女はやっと名乗った。
しかもとても自慢げに。
ぺたんこな胸を存分に張って。
門番が聞いても、侍従が聞いても、ヴィセが聞いてもはぐらかしていたのに。
もうこちらを揶揄っているのではないかと思う程、名を明かさなかった少女の態度にヴィセは歯噛みする。
(この子が魔女ですって……? 冗談でしょう?)
魔女とは特に薬学に秀でた女性がたまにそう呼ばれるのだ。
いわば薬学の専門家の仲でトップに立つ者のこと。
こんなに幼い子供がそれほど学問に優れているとは、ヴィセにはとても思えなかった。
しかしテオの方は真剣な表情でガーネットと名乗った少女を見つめていて、冗談とも揶揄いとも受け取ってはいないらしい。
「………分かりました。ヴィセ」
「は、はい」
「大切なお客人です、私が応接間にご案内するので、マリエール様と、バロン様を呼んできてください」
魔女ということを信じたのか。マリエールの客人ということを信じたのかはわからないが、彼はガーネットを客人として迎えることに決めたようだった。
この屋敷を取り仕切る、上司であるテオの決定に反論することはヴィセには出来ない。
「畏まりました」
不満を持ちながらもヴィセは大人しく頷き、彼の言う通り行動するしかなかった。
そうして。言われた通りマリエールの居室へ向かいつつヴィセは、大きく頬を膨らませる。
(もう! 何が大親友よ。マリエール様からガーネットなんて名前、聴いたことも無いわ!)
あれは絶対に気の合わないタイプだと改めて思った。
言葉遣いとかマナーがなっていないだけではここまで勘に触らなかった。
そんなの生まれ育ちや性格で皆違うものだと分かっているから受け入れられる。
そんなものよりなによりも図々しくて偉そうで、訪ねる家の主の名さえ適当といういい加減な性格が、ヴィセはとにかく気に入らなかったのだ。
* * * *
――バタンッ!
「っ!? まぁヴィセ、一体どうしたの」
ずいぶん大きな音を立てて部屋へ入ってきたヴィセに、マリエールは薄茶の瞳を瞬いた。
彼女が今までこんな乱暴な入室の仕方をしてきたことは無かったから余計に驚いた。
「マリエール様!」
「は、はい?」
肩を怒らせながらマリエールの座る椅子の傍まで来たヴィセは、頬を膨らませる。
なんだか子供みたいな怒りかただ。
(一体どうしたのかしら。少し前に灰を持って部屋を出た時はご機嫌だったのに)
「ガーネットという女の子はご存じでしょうか。ご存じないですよね。やっぱり不審者ですよね! 追い出して貰うべきですよね!」
「え? ガーネット?」
「はい。ずいぶんと派手なふわふわした金色の髪を二つに結んだ子で、それと自分は魔女だなんて言うんですよ。マリエール様の手紙に呼ばれたとかなんとか」
「ガーネットが来ているの!?」
思わず立ち上がったマリエールに、ヴィセはどうしてか不機嫌そうに眉を寄せた。
そして少し口をすぼめながら頷く。
「マリエール様を訪ねていらしたので、テオ様が応接室に案内しております。マリエール様と、バロン様もお呼びするようにと伺っておりますが」
「まぁ!」
マリエールは嬉しくて笑みをこぼした。
反対にヴィセはますます仏頂面になる。
「……お知り合い……でしたか……」
「友人よ。実家の近くに住んでいる子なの」
ガーネットはトラスト男爵領内の、マリエールの実家にほど近い森の奥に住む魔女だ。
近いといっても森に入ってから一時間半以上歩かないと辿り着かないのだが。
それでもこの家に嫁ぐ前はしょっちゅうお互いの家を行き来して遊んだりお泊り会をしたりしていた。
マリエールにとっての一番の友人でもある女の子で、手紙の返事を首を長くして待っていた相手でもある。
(バロン様の呪いについて何か分からないかと手紙に書いたけれど、まさかここまで来てくれるなんて)
でも何の前情報もなく突然現れるのも彼女らしい。
いてもたってもいられず、マリエールは応接間に急ごうとした。
しかし。
「っ……ヴィセ?」
ヴィセに服布を引っ張られて動けない。
どうしたのだろうと顔を覗き込むと、何やらふくれっ面でマリエールを見つめていた。
「さっきから機嫌が悪そうね。どうしたの?」
「いえ……すみません。少し、お客様に失礼な態度をとってしまいました……」
「あぁ」
ガーネットの性格は良く知っている。
きっと失礼な態度をとったのだろう。
それに対応したヴィセの反応も、なんとなく想像できた。
マリエールは、まだ少し膨らんだ頬を指で突っついてへこましながら、笑いを零した。
「そういう子なのよ。ごめんなさいね。でも、きっとすぐに仲良くなれるわ」
「そうでしょうか」
「えぇ。きっと」
だって二人とも、素直でいい子なのだ。
その上、結構気が合うとも思う。
だから大丈夫だと思って、マリエールはにっこりと笑った。
ヴィセの方は、マリエールの何の根拠もないのに自信満々で言うところに気を抜かれてしまい、少し不満を残しながらも興奮を収めてたたずまいを治す。
姿勢を正して、穏やかな声でテオからの伝言をする。
「マリエール様。テオ様より、バロン様も一緒にお呼びするようにと言われております」
「あぁ、そうね。今は書庫にいらっしゃるでしょうから呼びに行きましょう」
「私が行きますから、マリエール様は先に応接室に行ってくださって構いませんよ?」
「いいえ。大丈夫、私が行くからヴィセはお茶の用意に厨房へ行ってくれるかしら。あの子は甘いものが好きだからお茶菓子は多めにお願い」
「かしこまりました」
* * **
トラスト男爵領から来客が来たからと、書庫にいたバロンを誘い伴い、マリエールは応接室の戸を開いた。
「久しぶりねマリー」
「ガーネット! 来てくれたのね!」
ソファから立ち上がったガーネットに、マリエールは嬉しさのあまり飛びついてしまう。
胸元ほどの背の高さの彼女をぎゅうぎゅうに抱きしめた。
ちょうど頬に触れる、柔らかな髪の感触にさらに笑いを零してしまう。
爆発したように広がる激しいくせッ毛が嫌だと本人が何度も零しているのを知っているが、ふわふわで柔らかな彼女の髪がマリエールは大好きだった。
思わず手を伸ばしてふわふわを堪能していると、背後から遠慮がちに夫が声をかけて来た。
「マリエール」
「……あ、バロン様。申し訳ありません。こちらは実家の近くに住んでいた友人のガーネットです。魔女の」
「まっ!?」
バロンが目を大きく丸めたまま固まった。
「魔女のガーネットです。宜しくね。マリーの旦那さんのメロンさま」
「ガーネット。バロン様よ」
「いや。それはまぁいいんだが」
「いいんですか」
侯爵の身分にある人が、下の者に名前を間違えられてその反応でいいのだろうか。




