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2 冷たい夫の可愛いひみつ②

 侍女のヴィセに案内してもらって着いた、マリエールの居室となる部屋。

 屋敷の二階にあるそこは大きな窓が特徴的な、とても開放感のある部屋だった。

 昼であれば燦々(さんさん)と太陽の光が降り注ぐのだろうが、今は夜。

 窓から見える雲一つない空には、ぽっかりと三日月が浮かんでいる。


 そんな月の見える窓辺のソファに腰かけたマリエールへ、ヴィセが淹れてくれたお茶はカモミールティーだ。


「いい香り。落ち着くわ」


 カップの中の薄黄色をした水面を見下ろしながら、ほっと息をつく。

 鼻に湯気と共に届くふんわりとした優しい花の香りに、夫となった男に冷たい態度を取られたショックで強張(こわば)っていた身体から、ゆっくりと力が抜けていった。


「ヴィセはお茶の趣味がいいのね」


 この国で一般的に『お茶』として呼ばれるのは紅茶だ。


 こちらから指示もしていないのにカモミールティーが出て来るのはあまりないこと。

 おそらく沈んだ様子のマリエールを思って、鎮静効果とリラックス効果のあるこれを選んで出してくれたのだろう。 


「ふふっ。もったいないお言葉です。勝手に選んでしまいましたが、大丈夫でしたか? ハーブ、苦手ではありませんでしたか?」

「平気よ。これからもお茶を選ぶのはヴィセのセンスに任せたいわ」

「かしこまりました。では色々取り寄せてみますね」

 

 ヴィセとお喋りをしながらカップをかたむけ口に含むと、舌に広がるのはひと匙加えられたのだろうジンジャーの風味だった。

 胃の奥から温かさが広がっていく。

 心遣いが嬉しくて、マリエールはゆっくりと味わいながらカップをかたむける。


 半分ほど飲んで指先までじんわりと温かくなってきた頃。

 部屋にノックの音と共に使用人の一人である男が訪ねてきた。


「奥様。バロン様より伝言です」

「はい。何かしら」


 扉の脇で頭を下げた使用人は、申し訳なさそうに告げる。


「バロン様は仕事が片づかないので、本日よりしばらく執務室の仮眠ベッドでお休みになるそうです。待たずに寝るようにとのことです」

「っ……しばらくとは、いつまで?」

「伺っておりません」

「そう……。わかりました。知らせてくれて有り難う」


 男を下がらせたあと、手の中のカップに浮かぶ薄黄色の水面を見下ろし、マリエールは瞼を伏せた。


 あの冷たく突き放した彼の様子から、歓迎されていないのは察していたのだ。

 互いの家の利益のための政略結婚だから、多少は仕方ないのかもしれない。でも。


(初夜も、一緒に居てはくださらないのね)


 夫婦の最初の、とても重要な儀式ともいえる行為。

 この家の血筋の子を産むことが、嫁いできたマリエールの大きな役目の一つでもある。

 政略結婚とはそういうものだ。

 家の将来の為に役に立たないと、意味がないのに。

 それなのに彼はマリエールと行為を行うつもりはないと、自身の言葉でさえなく使用人に伝えさせた。


 きっと明日にはこの屋敷の使用人みんなの耳に入っているはずだ。

 

(夫に抱かれることのない、よそ者の妻。いらない存在。一体どんな目で見られるのかしら)


 一番大切な、一番最初の役目さえもらえないなんて。


 カップを持つ手に無意識に、力が入る。

 水面にさざ波が浮かんだことで、自分が震えているのだと気が付いた。


(お、おかしいわ。ヴィセのお茶のおかげで、指先まで温かいはずなのに)


 指先に、感覚がないうえ、震えがとまらない。

 身体の芯から凍っていくような感覚がじわじわと高まっていく。


「っ……」

「マリエール様」


 自覚していた以上に動揺していて、もう半分泣きそうになっていたマリエールに向けてヴィセの軟らかな声が降ってくる。

 同時に、手の中からカップが消えた。

 見上げると、ヴィセは目元を下げて優しい微笑みをくれた。

 ヴィセの方が年下なのに、励まされている。


「奥様。大丈夫ですよ。……お茶のお代わり、おいれしますね」

「―――有り難う。そうね、もう一杯お茶を飲んだら、お風呂に入って寝てしまいましょう」


 待っている必要はないのだし、とは続けられなかった。

 ヴィセはゆっくりと頷き、ことさらに明るい声で話を変えてくれる。


「ではお風呂はミルク湯にいたしましょうか。お肌に良いのですよ」


 優しさがとても嬉しい反面。

 こうして気遣われるくらいに自分は可哀そうに見えるのだなと思う。

 夫に見放された妻のみじめさと悲しさを、マリエールは結婚したその日に知ったのだった。

 


* * * *





 ミルクを淹れたお湯に浸かり、身体の芯までぬくもったあと。


 寝室のベッドで横になったマリエールは、明かりの落とされた暗い空間で何度も寝返りをうっていた。

 もうヴィセが控えの間に下がってから、ずいぶん時間が経った気がする。

 まだギリギリ日は周っていないくらいだが、それでもかなり遅い時刻だろう。

 実家から十日かけてこの王都に着き、婚姻調印の儀と祝いのパーティーを終えた直後で、とても疲れている。

 気だるくて、少し身体が重くもあった。

 

(早く、寝ないといけないのに……)


 しかし今日初めて来たばかりの屋敷は、まだ全然慣れなくて落ち着かない。


 家具も、ベッドのシーツも、枕も、人も、空気さえも馴染みのないもの。

 初めてのものに対する緊張がどうしても解けなくて、眠気がなかなか来そうになかった。

 

 目をつむって眠気を待ったり。

 寝返りを打って落ち着く体勢を探したり。

 頭の中で羊を数えてみたり。

 眠るために色々したけれど、無駄なあがきだった。


(もうっ。まったく全然、眠くならないわ……!)

 

 やがて眠ることを諦めたマリエールは、シンと静まった暗い寝室の中で身を起こす。

 上半身だけを起こした状態で、乱れた薄茶の髪を後ろへと手櫛で流しながら小さく呟いた。

 

「バロン様は、まだお仕事なのかしら」


 今日夫となったばかりの、バロン・グラットワードを頭の中に思い出す。

 黒髪に吊り上がり気味の細い眉と、青い瞳。

 表情があまり変わらなくて、冷たく堅い雰囲気のある人だ。

 

 彼については二年前に先代が亡くなって、そのまま侯爵位を継いだらしいということくらいしか、マリエールは知らない。

 お互いの会話のなかで、ゆっくりとお互いのことを知り合っていくのが理想の夫婦だったから、婚約が決まってからも彼についてわざわざ調べたりはしなかったのだ。


(今日一日隣にいたけれど、どんな話を降っても「あぁ」とか「そうか」くらいしか返ってこなくて、あの人について何にも分からなかったわ。最後には男と遊んでも別にいいみたいなことまで……。期待していた結婚生活と、違いすぎるわ)



 ……婚約が決まった一年前から今日まで、マリエールはずっと夢を見ていた。


 夫になるバロン様とはどんな人かしらと、思い描いて。

 住まいが国で一番栄えている王都だと知ってからは、大きな劇場で観劇をしたり、憧れの都の店で買い物をしたりできるかなとかも考えた。

 大きな街の色々なところを彼に案内してもらって、出かける日を楽しみにしていた。

 子どもは何人くらい? 女の子も男の子も欲しいな、なんて想像したりもしていた。


 少しくらい問題があっても話し合って解決して、絆を深めて年を取っていく。


 きっとマリエールの両親も、そんな関係を娘が作ることを望んでいるはず。

 家を出るとき、涙を浮かべながら抱きしめてくれた母の暖かさを思い出すと胸が詰まる。

 男爵家の娘が王都に住まいを持つ侯爵様の下へ嫁にいけたのだから、両親はそれはもう大喜びだった。きっと幸せになれると信じて、送り出してくれた。

 

「でもこのままでは、何も叶わないわ」


 闇の中に、つぶやきが消える。


 マリエールはベッドに腰かけたまま、端によって足だけを床につけた。


「スリッパは―――あった」


 探したスリッパに足を通して立ち上がると、ベッドサイドテーブルの上にある水差しとグラスに手を伸ばして水を注ぎ、一気に飲んで喉を潤した。 

 空になったグラスを持ったまま、カーテンの隙間からわずかに差しこむ月の明かりの帯をぼんやりと見つめる。

 しばらく、そうやってぼんやりしつつ、頭の中で考え、顔を上げた。


「うん」


 決めたのだ。


「もう少し、頑張ってみよう」


 ――――夫との距離を縮めるために、もう少し頑張ってみることを。


「だって今日、今頑張らなければ、もう一生、ずっとこのままなような気がするもの。バロン様から歩み寄ってきてくださる気配はまるでないし。だったら私から動くしか、もうないもの……!」


 本当は、怖い。

 あきらかに拒絶されている八歳も年上の男性を相手になんて、気が重かった。

 でも、このままずっと冷たい夫婦関係なんて、あまりにも寂しいから。





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