16 賑やかなワルツの裏で③
(さすが国で一二を争う公爵家のパーティーだわ)
公爵家の屋敷の中は、目に映る全てが圧巻されるほどに豪奢で華やかだった。
パーティー専用に作られたのだろう大広間は、細かな模様の描かれた高い天井に下がるいくつものシャンデリア。
窓枠や扉は光を放つ金色。壁に掛けられた絵画や丁度品も華やかかつ大きく、そして溜息が出るほどに高価なものだと分かる。
きらびやかさに気圧されそうになりながらも、マリエールは滞りなく主催者である公爵と挨拶を交わした。
「マリエール殿。どうぞ今夜は存分に楽しんで行ってください」
「有り難うございます公爵様。とても賑やかで楽しそうなパーティーですわ」
他にもたくさんいる招待客の相手で忙しい公爵と別れた後。
マリエールは、さっそく人々の歓談の中へと入って行くことにする。
声をかけて名前を名乗ると、社交会にほぼ出てこない人の妻ということで、みんな興味を示してくれたようだった。
「まぁ。あのグラットワード侯爵の奥方?」
「はい。これからどうぞ宜しくお願いいたします」
「こちらこそ。それにしてもお若いのねぇ。肌が艶々だわ、羨ましい」
「そんなことございませんわ。吹き出物とか、しょっちゅう悩まされてますもの。……でも、褒めて頂くと嬉しいです。有り難うございます」
「ふふっ。こう言ってはあれですけれど……グラットワード侯爵って人嫌いであまりこういう場に顔をだされないでしょう? たまに挨拶にいらしても、本当に挨拶だけで帰ってしまわれて、ダンスにも歓談にものって下さらないから残念に思ってましたの。今日は奥方様とお話しが出来て良かったわ」
「夫はどうにも華やかな場が苦手なようでして。申し訳ありません」
眉を下げたマリエールと夫人の会話に、別の五十代くらいの男性が参加してきた。
「社交が苦手なのは先代の侯爵も同じでしたな。領内の管理などの実務はしっかりされていたが、社交は完全に奥方の役割だった」
「そうね。先代の奥方は明るくて華やかで、ダンスもとてもお上手で、社交界では本当に人気者でしたのよ」
「まぁ、是非もっとお聞かせくださいませんか? 義母様について知りたいですわ」
「えぇえぇ。良くってよ」
彼らとのしばらくの歓談が終わったあと。
マリエールは周囲を見回し、目が合った人に次々と話しかけていった。
―――へりくだって舐められてしまうことも、傲慢ぶって顰蹙を買うこともならない。
あくまで控えめに、でも堂々と。
作法とマナーを守り、美しい所作を心がける。―――どこの地方でも通用する社交界の基本を、マリエールはとにかくしっかりと守った。
王都で流行りのものやファッションについては、まだ付け焼刃な知識しかなく会話に着いて行けない。
なので相手のものを褒めて、教えてほしいと素直に頼った。
自分のセンスを褒められて嫌だと思う人はあまりいないし、地方から嫁いできたのだから当然だと、たいていの人は楽しそうに話して聞かせてくれる。
まだ王都での知り合いがいないマリエールにとっては、ここを友人作りの場に出来ればと思うところもあったので、同年代の女性の輪にも積極的に加わった。
「―――それではマリエール様。今度ご一緒にお茶会しましょうね」
「えぇぜひ。こちらからご招待させていただくわ」
「まぁ嬉しい。楽しみにしておりますわ」
知り合った同い年の令嬢たちとも離れ、マリエールは一息つくことにする。
(たくさんお喋りしたから、喉が渇いたわ)
お酒はあまり得意ではないので、給仕からレモン水を受け取った。
壁際に移動して、中央でダンスをしている人々をぼんやりと眺めつつグラスをかたむける。
ひらひらと舞う、美しく鮮やかなドレスの女性たち。
それを纏う女性を頼もしくリードする男性たち。
彼らを見ていたマリエールは、その姿を羨ましく思った。
「私、いつか旦那様とダンスが出来る日が来るのかしら」
夜の大人の社交場の楽しみともいえるダンスは、とても兎が相手では出来ない。
昼間の人間の姿の時に頼めばいいだけなのだが、人間の姿のバロンはあまりマリエールと親しくしてくれない。
楽しそうに笑い合う人々を羨望のまなざしで見ていると突然、目の前に立った男性に手を差し出された。
「え?」
見上げると四十代前半くらいの背の高い男の人だった。
「確か、マロニット子爵……」
「そうです。グラットワード侯爵夫人。よろしければ一曲お相手を」
「あの? でも、パートナーがいらっしゃるのでは?」
「ふふ。うちの妻はお喋りに夢中でして、私は置いてきぼりをくらってるのです。そして失礼ながら、貴方がダンスをされている方々を羨ましそうに見られていたので、暇つぶしになってくれそうだなーと思いまして」
「っ!」
羨ましそうにしていた所を、しっかり見られていたらしい。
恥ずかしさに少し赤くなりながらも、楽しそうに踊る人たちが羨ましかったのは本当だ。
あの輪の中に入ってみたい。
それに、せっかく気を使って誘ってくれたのに断るのも申し訳ない。
「では、宜しくお願いします」
マリエールはグラスを給仕に渡し、笑顔で彼の手を取るのだった。
ダンスの一団の中に入るなり、マロニット子爵はマリエールをエスコートし軽やかにワルツを踊り始めた。
つられてステップを踏むマリエールだったが、踊りやすさに驚いた。
「わぁ。子爵はダンスがとってもお上手なのですね」
彼はダンスのリードがとても上手だった。
「光栄です。娘がダンスが苦手なもので、良く練習相手として家で踊らされていたのですよ」
「娘さんがいらっしゃるのですか?」
「はい。今年十五になります。実は来年、嫁ぐ予定でして……最近は婚約者にばかり相手を頼んで、私とは踊ってくれないので、寂しいですねぇ」
「そうだったのですね」
「背格好もちょうど君と同じくらいです。あぁ、娘の代わりにしてしまったみたいで、申し訳ない」
「ふふっ! いいえ。とっても楽しいです」
夢中になって一曲目を終えて、そのまま二曲目に入る。
くるっと彼のリードでターンしたとき、一瞬、視界に入った窓扉の向こう側に、何か引っかかるものを感じた。
(――――あっちは、庭園よね?)
庭園へと続く窓扉の方に、黒いふわふわの毛玉を、見たような気がしたのだ。
ちょうど兎になったバロンくらいの大きさで、同じ色をしていたようにも見えた。
「えっ? どうして?」
思わず漏らしてしまった疑問符に、目の前の子爵が不思議そうに首を傾げる。
「夫人? どうかなさいました?」
「あ。すみません。今、知人がいたのが見えたもので。今日出席するとは聞いていなかったので、驚きました」
「あぁ、なるほど」
「申しわけありませんが挨拶に行きたいので、この曲で終わらせていただいてもよろしいですか?」
「構いませんよ。楽しい時間を有り難うございました」
「こちらこそ。今後とも我がグラットワード家と懇意にしてくださいませ。今度娘さんともお会いしたいですわ」
「えぇぜひ。娘にも言っておきますよ」
マロニット子爵と別れたマリエールは、すぐに会場を横切って庭園へと出て、辺りを見回した。
(本当に一瞬だし、見間違いだと思うのだけど)
それでももし本当にバロンだったなら、こんなところで兎になって困っているだろう。
人間の姿でここに来たとしても、兎になってから戻るまでにはまだまだ時間があるはずで、それまで放置するわけにはいかない。
兎の姿では帰るために馬車を呼ぶことも出来ないし、歩けば何カ月かかるのだというくらい大変だ。
マリエールは黒い影を探し、季節の花の吐き誇る庭園への奥と入って行くのだった。




