14 賑やかなワルツの裏で①
「駄目、ですか? 私では役に立ちませんか?」
自分では、グラットワード家の名を背負って出席するには足らないだろうかと眉を下げるマリエール。
そんな彼女に一心に見つめられ、一歩後ろへと足を引いたバロンは少し難しい顔をしていた。
悩むようにしばらく唸り考えたあと、顔をあげる。
「……実は来月、王家とつながりの深い公爵家が主催のパーティがあるんだ。相手が相手だから欠席は難しく、いつものように挨拶だけで帰ろうとしていたが、マリエールが代理できちんと最初から最後まで出席してもらえるなら、助かる」
マリエールはパッと表情を輝かせ、頷いた。
「お任せください。バロン様」
仕事を任されたことが嬉しくて、マリエールはさっそく張り切ってパーティーでの対応を頭の中で練り始めるのだった。
パーティーに出ることが決まったとヴィセに報告したとき、彼女の反応はあまり良いものでは無かった。
「まぁ。パーティーでございますか。バロン様が社交会に行かれるなんて珍しいですね」
「いえ。バロン様は出ないのよ。私が一人で」
「まぁ!」
ヴィセが、驚きに目を見開いた直後。
突然、大きな声で怒りをあらわにした。
「なんてことっ!」
「ヴィ、ヴィセ?」
「ご自分が面倒くさいからって、マリエール様にお役目を押し付けるなんて! しかも夜の社交パーティーですよ? 何かあったらどうされるのですか!」
「何かって、公爵様のお屋敷でそうそう何も起こらないわよ。警備もしっかりしているし。パーティーの間は控えの間での待機になるけれど、護衛も、もちろんヴィセも付いてきてくれるでしょう?」
「も、もちろんご一緒します! でもそれで旦那様が奥様に仕事を押し付けたこととは違いますでしょう!」
「ヴィセ、私は平気よ? 何も傷ついてないわ」
「っ……!」
ヴィセは顔を真っ赤にした。
目に涙をためて、震えている。
そしてとぎれとぎれの声で、彼女は小さく漏らした。
「マリエール様、かわいそう……」
「…………」
ヴィセがバロン以外のことで不平や不満を言ったことを、マリエールは聞いたことがない。
普段の彼女は、誰かの陰口をたたくような子ではないのだ。
いつもにこにこ笑っていて、細かなことにも気が利いて、その時の体調や気分に合わせて考えてハーブティーを選んで淹れてくれるような、優しい子。
だからこそ本当に今のヴィセはマリエールを思い、バロンに怒ってくれていると分かるのだ。
「バロン様、ご自分は夫として突き放しておきながら、必要な時だけマリエール様を利用するなんて! 有り得ないです! 兎も夜になると押し付けてくるし、今回のパーティーも押し付けて!」
「あら。でも着るものも食べるものも、寝る場所も旦那様のおげで苦労せず得ているのよ? 滞りなく生活できていることは、バロン様が侯爵家の主としてきちんと役目をはたしている証拠だわ」
「そ、そうですけど……」
「私も、妻としての役目を果たしたくて、だからパーティーに出席するのよ」
「で、でもっ」
マリエールは、ヴィセの震えている両手をとった。
とにかく怒りで興奮しきっている彼女を落ち着かせないとと思ったのだ。
そして自分のためにこんなに怒ってくれていることも嬉しく、握った手の平に力を込め包み込みながら笑顔を向けた。
「大丈夫よ。バロン様は……そうね、少し分かりづらいだけで、悪い方ではないわ」
「マリエール様を奥様として扱ってくださってません。それだけで悪い人です!」
本当に今にも零れてしまいそうなヴィセの瞳にあふれる涙に、マリエールは笑みをひっこめて眉を下げた。
「ねぇヴィセ。貴方、どうしてそんなに心配してくれるの?」
「っ!」
ヴィセの肩が、動揺に大きく揺れた。
「マ、マリエール様が、ご自分がどんなに非道なことをされているか自覚がないからです! 私が、言わないと!」
「いいえ。わたしお庭仕事だって楽しいし、ヴィセやジイと話すのも楽しい。ここでの暮らしが悲しい事ばかりではないと、一番近くにいるヴィセは知っているでしょう?」
「それは……、だって、……」
「……ヴィセ?」
「っ……おね、おねえちゃんがっ……」
「お姉ちゃん?」
くしゃりと、彼女の顔が歪む。
そして耐えきれないとばかりに、ぽろぽろぽろぽろ涙が落ちた。
繋いでいる手の上にも落ちて来る滴に、マリエールは息をのんだ。
「ま、マリエール様、……私の姉と似ていたんです」
震えて掠れる声が小さく耳に届き、マリエールは彼女の声を聞き逃さない様に、顔を近づけて耳をすました。
「お姉さまと、私が似ているの?」
「はい……。ふわっとした笑い方とか。柔らかい感じの雰囲気が、とても似ています。そっそれに、あまり不満や我儘を言わないで、『大丈夫よ』って言うところとか。自分で解決しようとして、頼ったりしないとこ、とか……」
「そう。自覚は無いのだけど、ヴィセから私はそう見えるのね」
優しくゆっくりとした口調で声をかけながら手に力を込めると、ヴィセは小さくしゃくりあげ頷いた。
「おねえ……姉は、嫁いだ先で、ひどい目に遭わされてました」
「え?」
「お、夫となった人が、暴力を振るう人だったんです。それも鞭や刃物まで持ち出すような、最悪な性格で……でも姉はそういう人だから、誰にも『助けて』って言わなかった。結局、姉は……」
ぽとりと、また落ちた涙と震える肩で、ヴィセの姉がどうなったかをマリエールは察してしまった。
似ていたと最初に形容していた時点で、もう過去の人なのだと気づくべきだったと、マリエールは唇を引き結ぶ。
「妻を妻ではなく、自分のモノとして好き勝手に扱うなんて駄目です。このままエスカレートしたら、マリエール様まで、姉と同じようになるかも、って……ひっ、ぇ……」
ぽろぽろ。ぽろぽろ。ヴィセの瞳から涙がおちる。
マリエールは繋いだ手を解き、腕を広げて彼女を引き寄せた。
少しだけ年下の少女は、首元に顔を寄せて泣きじゃくり始める。
マリエールはきつく抱きしめながら、頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫よ。旦那様はとっても優しい方よ。ひどいことなんてされたことないわ」
「ううう。本当にひどいことされたら、すぐに言ってくださいね! 絶対ですよ! わ、私、マリエール様がおつらいなら引っ張っていって、い、一緒に逃げますから! ご実家までしっかり送り届けてあげますから! 絶対! 絶対言ってくださいね!」
「えぇ。約束するわ。有り難う、ヴィセ。有り難う」
「ふ、ぅえぇぇぇぇ」
マリエールは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
そしてヴィセの為にも、明日の妻としての役割を果たそうと思った。
もっと役に立てたら、きっと人間のバロンとの距離も近づくから。
そうしたらバロンも自分から秘密を教えてくれる気になってくれるかもしれない。
(仲のいい普通の夫婦になれればヴィセの不安もなくなるのだし。秘密を話せるくらいの、頼って貰える関係になれれば、バロン様の呪いに対しての後ろ暗い感情も少しは和らぐかもだし。うん。頑張るわ)
―――マリエールは知らなかった。
バロンがこの結婚を一時だけの思い出とするつもりでいたことを。
一度も夜を一緒にしないことを使用人たちが知る様にして、別れた時にマリエールは純潔であることの証明にしようとしていたこと。
別れる原因すべてをバロン自身のせいにしてしまうつもりで、人前では特に冷たい態度をとっていたことを。
本当の意味で夫婦になるつもりは、更々に無いことも。




