11 出来ること②
使用人を始め、みんなには大切にしてもらっていると思う。
でも、違うのだ。
お客さん扱いではなく、一員になりたい。
そのためにはバロンとの距離を縮め、本当の意味で家族になりたい。
でも、人間のバロンは相変わらずだ。
(兎の時は自分から膝の上に乗って来たりもしてくれるようになったのに)
この家での自分の役割も居場所も見つけられないまま、日々は過ぎていく。
「ジイ。水はこれくらいで大丈夫からしら」
「あぁ、上手い上手い」
晴れた日、マリエールはジイの傍で庭に新しく植えられたばかりの薔薇の世話を手伝っていた。
頼んでいた食用に出来る赤い薔薇だ。
ジャムにしたいという願いに合わせて、たくさんある種類のなかでも苦みの少ないものにしてくれたらしい。
まだ季節ではないので蕾さえついていない葉と茎ばかりの状態だ。
(どんな薔薇が咲くのか、楽しみ)
青々とした葉を指でつつくと、近くでハサミを手に選定しているジイが注意してくる。
「触るのはいいが、棘に気を付けな」
「えぇ。気を付けるわ。有り難う」
「マリエール様!」
薔薇の傍にしゃがみ込んで観察していたマリエールのもとに、ヴィセが小走りでやってきた。
ひどく慌てた様子の彼女に、首を傾げる。
「どうしたの? 何かあった?」
「いえ、すみません分かりません。その……バロン様がお呼びでございます。応接室にいらっしゃるようにと」
「応接室に?」
「珍しいですよね。いつも放っておいてるのに。一体なんでしょう」
「そうね……」
マリエールと人間の姿のバロンが一緒に過ごしたのは、一度テオが無理やり算段したサンルームでの昼食会が最期だ。
あれ以来、彼は一切マリエールと関わっていない。
廊下ですれ違って視線があっても、挨拶も何もない、一言二言の会話があればまし程度の、そんな冷めた夫婦関係。
迎え入れたばかりの妻にたいして冷遇し過ぎではないかと、ヴィセを始め使用人には思われている。
(実際は、毎晩一緒に寝てるし、寝る前に撫でて抱っこして遊ばせて貰ってるんだけど)
心配そうにしているヴィセと少し話してから、マリエールは応接室へと向かった。
「失礼します。バロン様」
ノックをして入った部屋には、バロン一人だけだった。
「マリエールか」
「御用だと伺いました」
「あぁ。とりあえず座ってくれ」
相変わらず表情を変えないバロンだが、なんとなく読めるようになってきたマリエールの目には彼がとても緊張しているように見えた。
(そういえば、部屋で二人きりというのは初めてかも?)
兎の姿なら毎晩二人ですごしているけれど。
人間の彼とは必ず第三者が見守る中でしか話したことがなかった。
以前に昼食を一緒にしたときも給仕が何人も控えていたから、密室に二人きりなのは本当に初めてだ。
マリエールもつられて少し緊張しながら、バロンの目の前の皮張りのソファに腰かけた。
「どのような御用でしょうか」
「別に、たいしたことではない。明日、父の友人だったバローナ伯爵夫妻がいらっしゃるんだ」
「お客様ですか。バローナ伯爵というと、グラットワード侯爵領の隣の領地でしたよね」
「あぁ。隣だから昔から家同士の仲は続いている。結婚のパーティーに都合が合わなくて出席できなかったから、祝いに来たいということだ」
「親しい方からのお祝いなら、喜んでお迎えしなければですね」
グラットワード家に嫁いできてひと月。
お客様が来るのはマリエールの記憶の中では初めてのことだった。
「あぁ。昼時にいらっしゃるから、君も昼食を一緒にしてくれ」
「かしこまりました。伯爵夫妻のお好みなどは分かりますか?」
「好み?」
怪訝な顔をするバロンに、マリエールは具体例を探した。
「ええっと、こう……趣味とか、食べ物の好みとか。話題にして盛り上がれるようなことがあればと思いまして。本当にどんな方か分からないので、何か情報があれば助かるなと」
「あぁなるほど。そういえば奥方のリラ夫人はドライフラワーを作るのが趣味だと聞いたことがあるな。香り袋やリースにしたのを、昔何度か母が貰っていた記憶がある。確か今も続けてらっしゃるはずだ」
「まぁ素敵な趣味。でしたら私も多少は知識がありますので話題には困りませんわ。バロン様のご両親とお付き合いがあったということは、結構年配なのでしょうか」
「確か五十代後半くらいか」
「分かりました。ではそのつもりで準備いたしますね」
「あぁ、頼む。じ、じゃあ明日にまた」
「え、ええ……」
用件が終わるなりすぐに立ち上がり、部屋を去っていく彼の背に、マリエールは溜息を吐いた。
(せめて雑談くらい……)
こうしてとても事務的な感じで、バロンとの話は終わったのだ。
密室に二人きりでいるというシチュエーションに耐え切れずに廊下に飛び出したバロンが、扉一枚隔てた先で真っ赤になって顔を覆い震えていることは、もちろんマリエールは知らなかった。
* * * *
バロンから少しだけ間を置いて、マリエールも部屋を出ることにする。
居室に戻ると、そこで待っていてくれたらしいヴィセが心配そうな顔で駆けよってきた。
「マリエール様。バロン様はなんと」
「大丈夫よ。明日お昼時にお客様が来るから、一緒にお相手をというだけ。支度を手伝ってね」
「そうですか、良かった。さぁお座りください。あの方とのお話しは疲れましたでしょう?」
「え? えぇ」
バロンに対して棘のあるものいいに首を傾げながら、マリエールは勧められた椅子に腰かける。
暖かなミルクティーを淹れてくれたヴィセは、それを飲むマリエールの傍らでぽつりとつぶやく。
「マリエール様が辛く当たられるのではないかと、心配しておりました」
「そんな方ではないわ?」
バロンは確かにそっけないけれど、別にひどい扱いを受けているわけではない。
しかしヴィセは眉を寄せ、厳しい目でマリエールを見据えた。
「……。マリエール様はご自分の置かされている境遇にもっと怒っていいはずです。こんな、妻を妻とも思わない扱いをされて笑ってるなんて、どれだけ人が良いのですか。もし直接ひどいことを言われたりをされたら、すぐにおっしゃって下さいね」
「ヴィセ?」
マリエールは、眉をさげ苦笑した。
(そんなに私、心配をかけているのかしら)
確かにバロンとの距離のある関係に思うところはある
でも、嫁いで一カ月がたつと余裕もできて、他の部分ではそれなりに快適に過ごしているのだ。
何の予定もない日には王都の街に出て、本屋や手芸屋を覗いたり、演劇を見に行ったり、可愛らしいカフェでスイーツを楽しんだりと、田舎な実家では出来なかった少し華やかになった暮らしも楽しんでいる。
それでもヴィセの目にはマリエールは可哀想な妻に映っているのか。
他の使用人ならまだしも、侍女のヴィセは一番近くにいて、その日楽しかったことを共有してもいるのに。
(ううん――それともこの子、何か理由があってここまで私を心配してくれているのかも)
ヴィセの少し過ぎるくらいの不安そうな顔が、マリエールの中で何だかひっかかったのだ。
こちらが心配になってしまうくらい、ヴィセがなんだか焦燥にかられているような、泣き出しそうな様子に見えた。
少し気を付けて彼女を見ておこうと、マリエールは思った。




