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1 冷たい夫の可愛いひみつ①




 たとえ親の決めた縁談で、結婚する日が初めての顔合わせだったとしても。

 年月をかけてゆっくりと信頼関係を築いていけばいいと思っていた。




(お父様とお母様が、私の理想だったの)


 地方の男爵家の娘として生まれたマリエールの周囲の大人は、みんな政略結婚だ。

 それが普通だと思っていた。

 みんな上手くいっているように見えていた。

 結婚を自分の意志なく決められることは当然だと、何の疑問ももたなかった。


 今、目の前にいるのにまったく視線の合わない、出会ったばかりの夫と向かい合うまでは。



「あの……」


 書類が積まれた執務机に視線を落とし、眉を寄せた気難しい顔でずっと書き物をしている夫となった男―――バロン・グラットワード侯爵。

 彼の座る机の前に立つマリエールは、おずおずと声をかけた。

 よほど仕事が忙しいのだろうか。

 彼の周りにはピリピリとした空気が漂っている。


「なんだ。聞こえなかったのか。それとも私の言葉が難しくて理解が及ばなかったか」


 書き物をする手を止めず、視線さえも上げず、淡々と彼は言った。


(なんだか凄く……威圧的だわ)


 十五になったばかりのマリエールからすれば、二十三歳の男は本当に大人という感じだ。

 今日初めて会った、知らない大人の男の人。

 そんな人に冷たい態度を取られるとどうしても緊張してしまって、お腹の前で合わせて握った手に無意識に力が入る。


「っ、いえ……バロン様がおっしゃったことは…分かりました、が……」

「だったらなんだ。ドレスも宝石も、欲しいものは好きに買えばいい。庭も、屋敷も、私は流行なんて分からないから好きなように変えればいい。交友関係にも口はださない。どこの男と、どこの誰と遊ぼうが好きにしていい―――-理解出来たのなら、それで話は終わりだ。退室してくれ」

「………」


 ――胸の奥に、重くて黒い何かが落ちていく。


 彼の言ったこれらの夫婦の決まり事は、とても優しいようでいて、とても冷たいものだった。

 

(ようは好き勝手していい。何をしてもいいということ?)


 マリエールには興味なんてひとかけらもないと、言われたようなもの。


「あの、どこの男と遊んでもいいって……」

「何か問題が?」


 細められた目の迫力に、思わずマリエールの肩がビクリと揺れた。


「い、いえ……」

「あぁそうだ、もう一つ。君に何もかもを許す代わりに、反対に私が何をしようとも口をださないでくれ」

「っ……」

「さぁ、分かったのならそろそろ出て行ってくれないか。仕事が溜まっているんだ。今日は婚姻の為の調印の儀だけでなく、その後のパーティーに日が沈むまで付き合わされて、何一つ片づかなかったからな」


(……もう、無理だわ)


 気難しそうな、ピリピリとした空気がもう耐えられない。


 今日の予定なんて何カ月も前から決まっていたのだから、事前に調整できたのではないかとも思うのに。

 反論なんて、とても聞く耳を持ってもらえそうで無かった。

 

 それに、「何もかも君の好きなように」という一見すればとても優しい言葉に、どう言っていいのかも、マリエールには分からなかった。


(馬鹿にしないでって、そんなの夫婦じゃないわって、怒るべきなのかしら)


 でも怒っているというより、悲しい気持ちの方が大きくて。

 口を開けば、感情があふれ出してみっともなく泣いてしまいそうだ。

 それはあまりにも子供っぽくて、今日初めて会った異性相手にするには恥ずかしい。

 だからマリエールは、これ以上の話し合いを諦めてしまった。

 

「か、かしこまりました。失礼いたします。バロン様」


 本当は納得なんてしていないのに、でももう早くこのピリピリとした空気の部屋からでたかったから。

 頷いて、深く礼をして、執務室を後にする。

 


「っ……ふぅ」


 廊下に出てやっと呼吸が出来るようになって、息をついた。

 怖い空気はなくなったけれど、視界に映る景色すべてがマリエールにとって馴染みのないものだ。

 持ち主であるバロンに歓迎されていないのだから、この家自体がなんだかマリエールを拒絶しているようにさえ感じてしまう。


(うん。婚姻の調印の儀が終わったあたりから、薄々思い始めていたけど)



 ……この結婚、失敗かもしれない。と、マリエールはやっと気が付いた。

 


 しかし結婚に後悔しても遅い。

 もう、してしまっているのだから。


(本当にちょっと、あんまりな扱いな気がするわ。……でも、あの旦那様に文句をいうのはやっぱり怖い……)


「奥様」


 廊下で立ちすくんでいたマリエールに、艶やかな黒い髪をおさげにした女性が声をかけてきた。

 マリエールより一つか二つ年下だろうと思われる子だ。


「あなたは……ええと……」

「この家の侍女の一人で、ヴィセと申します。主に奥様の身の回りのお世話をさせていただきます」

「そうだったわ。ヴィセね。ごめんなさい、今日紹介していただいた人が多すぎて、覚えきれていないの」


 この屋敷に仕える主だった者たちだけでなく、親類や、親しく付き合いのある家の者達とも昼間の婚姻パーティーで沢山のはじめましての挨拶をした。

 マリエールの頭ではとても覚えきれなくて、パーティーのあと、陽が沈んだ後に着いたこの屋敷の者たちから受けた紹介は特にうろ覚えになってしまっていたのだ。

 仕事中にわざわざ手を止めて自己紹介に出て来てくれていた人たちに申し訳ない。


「本当にごめんなさい」


 マリエールは、改めて頭を下げた。


「奥様、謝っていただくようなことではありません」

「いいえ。私は貴方にとても失礼なことをしているわ。みなさん丁寧に挨拶してくださったのに、相手である私が忘れるなんて、気分を害したでしょう。ごめんなさい」

「………」

「ヴィセ? 何か?」


 ヴィセが今までの澄ました表情を崩し、ぽかんと呆けた顔になっていたので、マリエールは首を傾げた。

 待っていると、少しの間を置いたあと小さく吹きだされてしまった。

 続いてくすくすと笑うそれは少し幼く見えた。おそらく仕事用のものではない、彼女の素の笑顔だろう。


「ど、どうしたの?」

「ふふっ。つい、すみません」



 しばらく笑ったあと、ヴィセははにかみを浮かべながら口を開く。


「――旦那様とは全然違うタイプなんだなぁと思いまして」

「そうなの?」


 バロンは、間違ったことをしたとき謝ることもしないのだろうか。

 妻である自分に対する態度だけでもおかしいと思ったが、使用人に対してもそうなのか。

 これからが不安になって眉を下げたマリエールに、ヴィセは慌てて首を降った。


「いえ! そんな心配そうな顔をなさらないでください。すみません、言い方が悪かったですね。旦那様……バロン様は下位の者を蔑むような、無体なすることをする方ではございません。ただその……貴族の血にたいへんな誇りを持たれているので、上に立つ者として厳格であろうとはしてらっしゃいます」

「あぁ。とても歴史のある家ですものね。家の血筋を大切にしているのね」

「えぇ、そんな感じですから、下の者に対して今の奥様のように気さくな声をかけられることはあまりなかったのです。古くから仕えているような使用人にはまた違う対応のようですが、まだ二年目の私には用事があるとき以外声はかかりません」


 だから、とヴィセは笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「奥様がいらっしゃったことで、堅いばかりだった屋敷の空気が明るく和らぎそうで、嬉しいです」


 さらに「あ! 旦那様には内緒にして貰えますか? 今まで不満があったみたいな話になってしまったので」と、唇の前で指を立てて茶目っ気をだした表情でいうヴィセに、マリエールは破顔した。

 まだまだ他人行儀な壁が取れていないようだけど、たぶん彼女はかなりおてんばで、堅苦しい空気が好きではないタイプなのだろう。

 なんだか可愛い妹が出来たような気分だ。


「マリエールと、名前で呼んでくれると嬉しいわ。ヴィセ」

「かしこまりました。では、マリエール様。本日は朝早くからのパーティーでお疲れでしょう。お部屋にお茶をご用意いたしますので、おやすみ前にいかがでしょう」

「まぁ、嬉しい」

「まだ屋敷の造りがあいまいでしょうから、私がお部屋までご案内いたしますね」

「有り難う。ヴィセ」 

「いいえ。こちらです」


 そう言って笑う彼女の明るさは、夫であるバロンに投げられた冷たい言葉に沈んでいたマリエールの気分を引き上げてくれ、少し気分が軽くなった。




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