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逢魔刻の黄昏竜  作者: ましろ
二章 空へと羽ばたく幼い竜騎士
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二章 空へと羽ばたく幼い竜騎士⑤



 天使が追ってくる気配はない。ルカは竜を追いかけ続けた。雨で煙る森の中、赤竜が地面へと降りていた。金色の双眸が、ルカを映す。

 まるで待っていたかのように、赤竜はじ、とルカを見つめている。

 ルカは息を呑んで――乱れている呼吸を整えた。深く呼吸を繰り返して、一歩、赤竜へと歩み寄った。赤竜はじ、と沈黙している。

 ルカは意を決して、竜へと走った。

 竜は上体を起こして、鋭い爪を高く掲げて、ルカへと振り落とす。ルカは地面の上を転がって、それを避けた。そして、素早く上体を起こして、竜の背後へと回る。手のひらが、初めて竜の大きな角を掴んだ。その固い感触に、これが現実なのだと――これからが本番なんだと告げられる。

 ――絶対に離さない! こうなってしまった責任はとる!

 竜が驚いたように頭を振り回した。ルカの体が持ち上げられ、左右へと文字通りに振り回される。それでもルカはその角を放さなかった。そのままルカは足を竜の首筋へと押し付ける。竜がさらにぎょ、として全身を使い暴れまわった。

 ――これで、何とか張り付けた。これから、どうする?

 竜に勝たなければいけない。

 でも、どうすれば倒すことができるのかわからなかった。剣で竜を突き刺すわけにはいかない。しかし、レリアのように竜を叩き倒すこともできるわけがなかった。

 ――ダメ、なのか?

 微かに過った諦念。そこを、赤竜が見逃すはずがなかった。赤竜はぐん、と力強く体を振り回す。

「うわっ!!」

 遠心力でルカは振り落とされた。無様にも背中から地面へと叩きつけられる。息と意識が、一瞬、途絶えた。目を覚ました時、赤竜の爪が迫っているのに気づく。慌てて身を捩るが、その爪が横っ腹を抉った。

「ぐ……っ!」

 激痛が全身を駆け巡る。その怯みも、赤竜は見逃さなかった。さらには牙を使い、噛み殺そうとしてくる。

「くそっ!」

 激痛に耐えて、ルカは立ち上がり、その場から離れた。

 怖い。死んでしまうかもしれなかった。

 脇腹に手を当てると、ぬる、とした感触にさらに、恐怖が増していく。竜は唸った。どこか不機嫌そうに、牙を剥かれる。

 ――やっぱり、俺には無理なんだ……。

 そこでルカははっと気づいた。もう完全に負けてしまっている。戦意がなくなってしまっていた。それを自覚した途端、体が震えだす。その時だった。

 竜がどす、と地響きを立てながらルカへと近づいてきた。その鼻先がルカに近づく。殺される――ルカは恐怖で、目も閉じられなかった。

 しかし、鼻先は離れていく。赤竜と目が合った。金色の双眸が嗤うように、そして、呆れるように細められる。

「え……」

 そして、赤竜はルカに完全に興味を失かったかのように、ルカから視線を外す。その雨空へと飛び立とうとする赤い姿を見つめて、ルカはただ笑う。

「は、ははは……」

 竜にさえも、見捨てられてしまった。

 結局、自分はここまでらしい。

 竜でさえ、呆れてしまうほどの弱さだったようだった。

 でも、仕方がないだろう。

 自分は人間だ。

 カロンやユルたちのように悪魔ではない。

 レリアのように〝混血〟でもないのだ。

「ははは、ははは……」

 だから、戦えないのは当然。こんな戦場に立つ権利も権限も、資格もない。自分は脆弱な人間なのだから。

「ははははは、ははははは!」

 ぼろ、と涙がこぼれる。ぼろぼろと流れて、口の中にも流れ込んだ涙の味がしょっぱかった。

 情けない。情けない。情けない。情けない。情けない、情けない、情けない、情けない!

「ははははは! あはははは!!」

 ルカは笑う。笑って、笑って、無理矢理、立ち上がった。ずき、と激しい痛みが脇腹に走る。

 ――だから、何だ!

 痛みがなんだ! 弱さがなんだ!

 死ぬのは確かに怖い!

 約束を破るのも怖い!

 何もかも怖い、怖いのだ。

 でも、

 こうやって恐怖に、ずっと付きまとわられるのだろうか?

 弱いからと、仕方がないからと、全てから逃げて。逃げ続けて。どこまでも逃げて。

 ――そんなのは嫌だ。

「俺は、もう諦めたくない!」

 痛みを振りほどくようにルカは叫ぶ。そして、走った。自分はまだやれる。自分自身を信じなくて、前へと進めるわけがないのだ。

「待て!」

 その声に、竜は立ち止まる。その眼差しは「何故、来た」と言っているかのようだった。

「俺は――」

 赤竜の金色の眼差しが、ルカを射る。

「お前に勝ってみせる!」

 ルカは叫んだ。

竜はルカを睨み付けると、

「オオオオオオオオオオンッ!!」

翼を広げて咆哮を上げた。地面の水たまりが、その振動で波紋を作る。まるで戦えと言わんばかりのようだった。

 怖い。

 今度こそ、死ぬかもしれなかった。

 でも、ルカは剣を構える。そして、突撃した。その特攻に竜が地面を踏み抜く。その振動が体につんざくように響いた。それでも、ルカは突き進む。竜は大きく口を開く。その喉奥にちら、と炎が弾けた。そして、空気と雨を炙る火炎を吐き出す。

 竜が笑った。

 これで、もう終わったと言わんばかりに。

 それでもルカは走る。ただ、真っ直ぐに。炎が目の前に。肌が焼かれる感覚が。熱い。死ぬ、怖い。逃げ出したい。逃げたい。逃げなくちゃ――…………。



 赤竜は、静かにそこに佇んだ。

 もう終わりだとわかっている。しとしとと体に落ちる滴が疎ましかった。焼け焦げた匂いが雨に流されていく。

 ここまでか。

 自分の背に乗る資格があるかどうか、じっと見定めてきた。儀式場にいる天使たちを誘導し、あの少年の戦意を感じ取ろうともした。窮地に陥れば、少年が立ち上がるかもしれないとも心の片隅で思っていた。

 赤竜の願い通り、彼は戦意を持った。立ち上がった。

 でも、ダメだった。

 戦意ではなく、自暴自棄に陥ってしまったようだった。無謀にも突っ込んできた彼は、今、自分の炎によって焼かれてしまった。何も気配を感じなかった。生きている生命も感じない。

「……」

 竜は踵を返した。

 弱い者には力を貸す気もない。それは当然だ。竜たちは戦場を駆け巡る誇り高い戦士なのだから。もう、ここには用はない。さっさと巣に戻り、寝ようとした。しかし、

「!?」

 がし、と何かが角を掴む。見れば、先ほどの少年が自分の背中に乗っていた。角を掴み、自分を制御しようとしている。

「オオオオオオン!!」

 振り落とすために、首を大きく振ろうとした。けれど、ぴたり、と、剣の切っ先が突きつけられる。どうせ、刺せやしないだろう、と竜は高をくくった。だが、どうしたことだろう少年から殺気を感じる。しかも、自分が躊躇するほどの殺気。どうして、その殺気をこの少年から感じるのだろうか。

 ――わからない。

 早く、この少年を振り落さなければ――!

 はた、と気づいた。

 自分は怖がっている?

 この少年の殺気に?

 まさか、戦士である自分が?

 いや、そもそもどうして、この少年は、無事なのだ?

 確かに焼き殺したはずなのに。

 何故、いや、それよりも、


 ――逃げなければ。


 ぴたり、と体は止まる。思考も真っ白になった。

 自分は今、何を思った?

 何を考えた?

 どう、結論を出した?

 ずるずると体が落ちていく。そのまま腹が地面に着いた。びしゃり、とした感触が気持ち悪い。

 竜はそろり、と、背中にいる少年を見た。

 少年はぼろぼろの姿で、自分に剣を突きつけている。濡れた赤茶色の髪は、顔に張り付いていた。背は低い。そして、人間にしては華奢だった。童顔のせいもあって、幼く見える。けれど、その吊り上がった赤い目はとても鋭い眼差しだった。

 なるほど。

 と、竜は、納得する。

 少年の前身は泥で汚れていた。地面に腹這いになることで、自分の炎をやり過ごしていたらしい。しかし、灼熱の炎の温度は決して生易しくはないはずだ。こうして前身は無事だが、彼の背中はひどい状態になっているだろう。そして、こんな風には立っていられないほどの痛みがあるはずだ。その痛覚を彼は精神力でねじ伏せている。

 そして、自分の認識もまた敗因だ。

 この少年に炎を見せつければ逃げる。そう思っていた。だから、容易に背中を見せてしまった。そこに虎視眈々と自分を狙っている敵がいるとも知らずに。

 ――負けだ。

 竜は目を閉じた。



 は、は、とルカは荒い息で、竜に剣を突きつけている。もし、この竜が暴れれば、本当に刺すつもりでいた。この竜の命が危険だとしても、自分が戦うためには、それ相応の代償が必要だからだ。もし、この竜の命が失われても、自分は竜と戦い勝ったという自信に繋がる。その自信が、悪魔と戦う勇気となってくれるかもしれない――そんな幻想を抱いたからだ。正常な自分なら何を馬鹿な、と笑うだろう。けれど、そんな幻想に縋りつきたいほど、ルカは力を欲していた。

 だから、ルカはここにいる。

 焼けた背中がじくじくと痛むし、目の前がかすみ始めていた。

 ルカは笑った。

 ここでもし、死んでしまったら元も子もない。でも、竜に勝った、という自信があった。誰よりも弱かった自分が、こうして竜に勝つ。まるで夢のようだった。

 竜はおとなしい。

 その竜はそろそろと地面へと伏した。そして、その金色の双眸がルカへと向く。まるで、ルカを観察するかのように。ルカは剣を突きつけたまま、竜を睨みつけた。そうでもしないと、今すぐにでも昏倒しそうだから。

 竜は伏した体をゆっくりと起こす。

 柄を強く握りしめるが、竜が暴れる様子はなかった。大きく翼を広げて、ばさり、とはばたかせる。

 ルカは突きつけた剣を少し離した。そして、竜はルカを背中に乗せたまま、空を飛ぶ。

「え……!?」

 視界がぐんぐんと地面を離れていった。それも、ものすごい速さで。

「え、は……?」

 ざぁ、と降る雨がルカの体に降り注ぐ。それも大粒だ。空が近いから、余計に強く当たるのだろう。その雨が火傷を負った背中に痛かった。苦痛の声を思わずもらせば、竜がちらりと、こちらを見る。

 そして、

「え?」

 雨が自分を――竜を避けていった。何故? と首を傾げて、ようやく気付く。結界だ。竜が自分の体の周りに結界を張り、その結界の効力で雨が避けていく。それどころか、痛む背中も、腹も痛みが治まっていった。

「お前……」

 ルカは剣を下ろす。

竜が翼をはばたかせると、さらに加速する。竜は雨の中を、雨雲を突き抜けていった。曇天の空を抜ければ、そこは黄昏時の空。橙の光が雲を、空を眩く染め上げている。光の世界そのものだった。

 黄昏の空を見下ろすのは、人生で初めてのことだった。言葉にできないほどの美しさに、感嘆の息がもれる。これが竜に乗った者の特権というものなのかもしれなかった。

「俺を、認めてくれる、のか?」

 信じられない心地で、竜に言った。

 ――ダスク。

 不意に、耳に何かが聞こえた気がして周りを見渡す。けれど、自分と竜以外、誰もいなかった。

「もしかして、お前の名前か……?」

 それに応えるように、竜が――ダスクが一つ小さく鳴いた。

 ダスク。

 それが、この竜の名前。

「オオオオォォン」

 それに答えるように竜は小さく返事した。



     * * *


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