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逢魔刻の黄昏竜  作者: ましろ
五章 竜騎士は終止符を語る
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五章 竜騎士は終止符を語る⑤



 ――千年前。

 この世界は人間と悪魔と天使が共存していたころの、歴史上で一番平和だった時代である。

 天上の神であるリクルナ・コルス。

 冥府の王であるサフィル・ロード。

 そして、何の変哲のない、平凡な人間の青年である――ラルス・ブランナ。

 その三人が友だったころの話だ。


 ――ずっと一緒にいよう。

   そして、みんなが仲良く暮らせる世界を創ろう。


 そうリクルナとラルスが約束したのは、いつだったか。その契りを交わすほどに、神であるリクルナと、人間であるラルスは互いを想っていた。

 けれど、それはある日、ラルスの裏切りにより、世界の命運が分かれてしまう。

 突然、ラルスはリクルナを嫌悪するかのような眼差しを向けるようになってしまったのだ。リクルナは訳も分からず、けれど、諦めずにラルスに寄り添おうとした。だが、ラルスはそれを拒絶する。

 そして、ラルスはリクルナを捨て、あろうことか、悪魔と手を組み始めてリクルナを害し始めたのだ。

 突然の裏切りに、リクルナは怒る。

 リクルナは激怒し――ラルスを処刑した。

 それ以来、神であるリクルナは人間に対してひどい嫌悪感を覚えて、人間を捕まえ従属させ始めた。


 しかし、それは、表向きの物語だった。


 真実は、違う。


 ラルスとリクルナは愛し合っていた。

 ラルスにとっても、リクルナにとっても、それはとても幸せなことだった。

 けれど、世界は違う。

 違ったのだ。

 リクルナがラルスを愛することによって、神の恩恵がラルスに集中してしまったのだ。他の人間にとってそれはとても危惧すべきことだった。恩恵がなければ、人間は生きてはいけないからだ。次第に人間の神への信仰心はなくなり、その拠り所は冥府へと堕ちる。

 信仰心がなくなる――それは、神への想いがなくなると同義だった。

 つまりは、信仰心によって神は存在でき、その信仰心がなくなってしまえば神は消滅してしまう。そのことに、ラルスは気づいた。

 人間は別に神の恩恵がなくても、別の道があれば生きていけることを知った。

 悪魔という闇の道もあるのだ。その道はとても危険なものだけれど、それでも生きていける。そのことを人間は知ってしまった。

 だからこそ、恩恵を与えてくれない神を見限り、悪魔へと寄り添う。

 ラルスが気づいた時には、もうすでに遅かった。

 恋は盲目、などと言うけれど、それは実際にそうであり、周囲へと視線を向ければ、もう後戻りができないほどに、人間は悪魔への道へとのめりこんでいた。そして、そのことに気付いたのは、あろうことか神が消えかかっているのを見てしまってからだった。


 ――このままでは神が死んでしまう。

 どうすればいい?


 そうラルスは魔王に相談した。

 魔王は何も術はない、と無情にも突きつける。それは本当のことであり、人間の心はすでに神から離れてしまっていた。もう、どうすることもできない。

 ラルスは悩んだ。

 どうすれば、この状況を何とかできる?

 どうすれば、愛する人を助けることができる?

 そして、ある方法を思いついた。

 それは、自分が神に嫌われることだった。

 自分が神に嫌われてしまえば、神は自分のことを捨てて、周囲の人間を見始める。そうすることで、今の状況に気付くはずだ。

 そう考えた。

 嫌われるのは嫌だ。

 でも、彼女が死んでしまうのはもっと嫌だった。

 彼女が生きて、どこかで笑っていてくれるなら、それで良かった。

 だから、嫌われようと冷たい態度を取った。

 憎まれるようなことをした。

 極めつけに、捨てた。

 神は嘆いた。

 泣いて、怒って、縋りついてきて、また泣いて。

 その涙がどれほど心に痛かっただろう。それでもラルスは冷たい態度を取った。

 そうして、ようやく神は――リクルナは、ラルスを見限った。

 しかし、神の怒りに触れた代償はとても大きかった。

 ラルスは、死刑と宣告された。

 リクルナは人間を集めて、見せつけるようにラルスを立たせた。ラルスが立つのは、断頭台。そこへとラルスは首を差し出す形で、座らせられた。

 神は言う。

 ――何か言うことは?

 ラルスは、笑った。

 ――約束しよう、ずっと君のことを××××××するよ。

 その最後のほうは、リクルナは聞こえなかった。

 ただ、漠然と、


『ずっと君のことを憎しみ続けるよ』


 としか、聞こえなかった。

 何しろ、自分が彼を殺すのだから。

 きっと、自分のことを憎んでいる。そうとしか思えなかった。

 それを拒絶するように、神は青年の首を撥ねた。


 ラルスが死んだおかげで、人間は神に恐怖し、信仰心が戻った。

 ラルスの周囲を見るという思惑とは違い、自分が消滅しかけていたことにさえ気づかずに、神は生き延びることができた。


 ラルスは言った。


『憎しみ続ける』


 と。


 でも、本当は違う。

 違うのだ。


 ――本当は……。



** *



【世界の終わりまで十分】

 馬の嘶きが、天界へと戻ってきた。下界はすでに、死によって殺されていた。


 リクルナはただ茫然としていた。

 その話が全然耳に入ってこない。かつての友であるサフィルの言葉は言葉として理解できなかった。いや、受け入れられない。そんなことがあるわけがない、と拒絶していた。

「嘘」

「嘘じゃないよ。それが真実さ」

「どうして……」

「どうしても、何も。彼は君を救いたかった。ただ、それだけだよ」

「貴方は」

「ん?」

「貴方はそれを知っていたというのに、どうして、わたくしに教えてくれなかったのですか?」

「それは君が愚直にもラルスしか見ていなかったから」

「……」

「当時の君はラルスに一途だった。他の人間が見えないほどに。そんな状態の君が、ラルスから離れることができた?」

「……」

「だから、彼は君を守るために、あえて君を捨てた。神の怒りに触れることを知りながら」

「……」

「ラルスは言ってきたよ。『真相を彼女に言わないで。言ってしまったら、彼女はひどく後悔して、悲しむだろうから。それなら、何も知らずに、新しい幸せな道を歩いてほしいんだ』」

「……そんなことが」

 あるわけがない。

 そんなことがあるわけがなかった。

 彼は極悪非道な人間である。自分を簡単に見捨ててしまうほどの、非常な人間だ。

 そして、さらにサフィルは続ける。

「それと、君は誤解している」

「……誤解?」

「うん。まぁ、僕はずっと真実を黙っていたから、とても今更だけれど。だけど、これだけは訂正する」

「……何?」

「君は、ラルスを処刑したとき、ラルスに『憎しみ続ける』と言われたとか言っていたけれど、本当は違うよ」

 ――なぜか、それ以上、聞きたくなかった。

 聞いてしまえば、自分はとても後悔する。そんな予感に駆られた。聞きたくない。言わないで。そう言いたいのに、言葉は喉から出てこない。

「ラルスは君のことを憎んでいたのではない。彼が最後に言ったのは、


 ――『愛しているよ』。


 そう言っていたよ」

 リクルナの目が大きく見開かれた。信じられない。嘘だ。絶対に、それは偽り。そう思っているのに、けれど、自分の心はそれを否定した。

 それは真実である、と。

 だって、あの彼が――ラルス・ブランナが人を憎むはずがない。そういう人間なのだ。

 それを知っているのは、自分だけ。

「あ……」

 小さな声がもれる。

「本当に、それは本当のこと……?」

「うん」

「……わたくしは……」

 ぽろ、と涙が伝った。

「わたくしは、何ていうことをしてしまったの……?」

 ぽろぽろと涙がどんどんあふれてくる。

「愚かだったのは、わたくしのほうでしたね……」

 後悔が一気に押し寄せてきた。それが涙となって溢れて、胸をきつく締め付ける。リクルナは、泣き続けた。



 ルカは魔王と神の話を漫然と聞いている。

 リクルナは涙を流して、それを魔王は静かに見つめていた。

 それをルカは背中に背負ったレリアの存在を確かめながら、大きく溜め息をつく。

「ようやく終わるのか……」

 この戦いが。

 天使と悪魔の戦いが。

 死の連鎖が。

 悲しみも。

 憎しみも。

 全て。

 一気に、過去の思い出がよみがえる。村のこと。兄のこと。両親のこと。レリアのこと。カロンのこと。養父のこと。――何もかも。

 それが脳裏に流れて、体から力が抜けていく。

 ようやく終わった。喪ったものが多いけれど、それでも、彼らとの戦いは終わる。約束を果たせるのだ。

 ふと、どたどたと慌ただしい足音が聞こえ、ルカは振り返る。扉の向こう側に現れたのは、血にまみれた天使だった。大きく目を見開くルカに、天使は憎悪をむき出しにする。

「神に栄光あれ!」

 天使が術を放った。それは風の矢で、それはまっすぐルカへと突き進み――ルカの体を貫く。

「……っ」

 一瞬にして、視界が真っ赤になった。焼けつくような痛みが一気に全身に駆け巡る。ぐらりと、体が傾いだ。その視界では、天使が嗤い、そのまま絶命する光景を映す。

「ルカ!」

 魔王が叫んだ。その声がやけに遠くに聞こえた。ルカはともに倒れこんだレリアへと手を伸ばした。

「レリア……」

 手を伸ばして、そのまま亡骸を抱き寄せる。

「――ずっと一緒だ」

 呟いて、不思議なほどに安堵感を覚えた。レリアの冷たい温もりを感じながら、ルカは目を閉じる。

「さようなら」

 この世界、全てに向けて別れを告げた。

 ――これで一緒にいられる。

 その安心感とともに、ルカはまどろみ、静かに眠る。もう、悔いはなかった。



 その光景をリクルナは静かに見守っている。

 絶命した天使。

 そして、少年。


 ――ずっと一緒。


 それは、リクルナもかつて、青年と誓った約束だった。自分たちはこうも違ってしまったけれど、彼らは死してまでも一緒にいるという。

 羨ましいと思うのは、罪なことなのだろうか?

 でも、羨ましいと思ってしまうのは当然ではないか。

 自分たちは――いや自分は、少年少女のように思いを告げることができなかったのだから。

「わたくしは――……」

 不意に呟いた言葉に、痛ましく少年と少女を見つめていたサフィルがこちらを向く。

「わたくしは、――実は、今でも、人が好きでした」

 そう好きだった。憎い時もあったけれど、それでも、自分は好きだった。今なら、それがわかる。

「知っているよ。君は、いつも人を殺すとき、泣いていたじゃないか」

「……」

「そうして、心をどんどん追い詰めて――最後には壊れる一歩手前まで行った」

「……」

「でも、こうして、心を取り戻せたじゃないか」

「……えぇ」

 リクルナは頷く。

 口では憎み、人を殺しても、愛しているからこそ、心が軋んで涙が流れた。けれど、彼を思う憎悪もまた持っていたのもまた事実だ。

「わたくしは、憎悪に負けてしまった」

 二つの思いに挟まれて、自分は自分を見失っていた。

 けれど、少年少女を見て、気付けた。

 何より、少年を殺した天使を見て、自分の罪に気付けたのだ。

「――最後に気付けて良かった」

 リクルナは微笑む。まだ涙が溢れているけれど、久しぶりに凪いだ心地だった。

「もう、終わりにしよう」

 リクルナは杖を掲げる。四つの騎士たちの姿が掻き消えた。そして、天使たちに終戦を伝える。

 サフィルもまた悪魔たちに戦いをやめるよう伝えているようだった。


 ――今、ここで、彼との約束を果たそう。

 みんなが仲良く暮らせる世界を創ろう。


 リクルナは、彼の顔を思い浮かべる。脳裏に浮かんだ彼は、嬉しそうに笑っていた。

「サフィル」

「……何?」

「この世界を、生き返らせます」

「……」

「私の全てをもってして」

「……リクルナ」

「この世界を優しい世界へと生き返らせよう」

 サフィルは眩しそうにリクルナに目を細めて、小さく溜め息をつく。

「わかった。僕も手伝おう」

「――ありがとう」

 リクルナは、少年と少女を見る。

 その二人に微笑んで、リクルナは術を発動させる。


 世界が白い光に包まれた。

 その温かく優しい光に包まれて――世界は新たな朝を迎えた。



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