五章 竜騎士は終止符を語る④
【世界の終わりまで三十分】
死の足音はついに悪魔の真王国へと忍び寄った。神の騎士たちが真王国を蹂躙するかのように駆け抜けていく。悪魔も人間も訳も分からずに、静かにけれど苦しみながら死していく。誰もが死へとひれ伏し、馬の嘶きだけが響き渡った。
神の城――その神の間において、神と魔王は戦っていた。
長く美しい金色の髪を靡かせて、神はその澄んだ目に殺意と敵意を浮かべながら、魔王を睨みつける。
「もう止めようよ、リクルナ」
魔王のサフィル・ロードはどこか悲し気に、神――リクルナ・コルスへと言った。リクルナは何も言わない。ただ、その目に殺意を宿らせているだけ。
「リクルナ、この世界を滅ぼしたところで、何もならない。そのことは君だってわかっているはずだ」
「――貴方に何がわかるというのですか」
「……リクルナ」
サフィルは、ただ悲し気に彼女の名を呟いた。
どうして、こうなってしまったんだろう。
その疑問でいっぱいだった。
かつてサフィルとリクルナはとても仲が良く、よく共にいるほどの間柄だったのである。それが、どうして、こんなにも歪んでしまったのだろうか?
それはわかっている。痛いほどに、よくわかっているつもりだ。
「貴方も、人間も、全てを殺してあげましょう」
リクルナは、笑みを浮かべる。その笑みはとても歪だった。ぞ、と背筋に、悪寒が走るほどに。
「許さない、殺してやるわ。滅ぼして、何もかも消し去ってやる……!」
リクルナは天井に向かい、杖を掲げる。そこから雷雲が立ち込めて、城内だというのに嵐が吹き始めた。
「どうして、わかりあえないんだろうね……」
サフィルもまた軽く指を鳴らす。そして、現れたのは冥府の獄炎だった。サフィルは獄炎を体に纏う。
「貴方たちが悪い! 貴方たちが、わたくしを裏切ったから……!」
「……」
轟音を轟かせて、雷がサフィルへと襲い掛かった。それを炎で防ぎ、さらには竜巻を起こすように炎を舞い上がらせる。その炎の竜巻はリクルナを襲うが、リクルナは容易にそれをかき消してしまった。
「死んで、死んでいい。死ね。死ぬほうがいい。死ぬべきよ、死で終わらせる……!」
「リクルナ……」
ただ「死」を願う彼女の姿は、どこまでも歪んでいて、とてもおぞましい。でも、その姿を見て、どうにかならないのかと模索してしまうほどに、サフィルはまだリクルナを友として想っていた。
雷が轟き、炎が渦巻く。
神と王が放つその力はとても強大なもので、この城そのものを壊してしまいそうだった。壁に亀裂が入り、床は崩れ落ちている。天上すらもどこかへと吹き飛んでしまった。
けれど、当の二人はそれにかまうことなく、戦い続ける。
リクルナも、サフィルも、目の前にいる敵を見つめていた。
しかし、
がちゃり。
雷と炎がぴたり、と静止する。
その戦いの音の中に微かに響いた異音に、サフィルもリクルナも聞き逃すことはなかった。
見れば、この神の間の扉が開いている。その隙間から現れたのは、一人の少年だった。
「ルカ……?」
ルカである。
全身が血まみれで、なぜか、その背中にレリアを背負っている。レリアは意識を失っているのがぐったりしていた。違う。魔王だからこそわかった。レリアに生気がない。――死んでいた。ルカは、死んでしまったレリアを背負い、ここまで来たようだった。
「ルカ、どうしてここに……?」
問えば、ルカはサフィルへと顔を上げた。
その目は虚ろで、サフィルを見ているのかも怪しい。レリアと仲が良かった彼のこと、おそらくレリアを亡くしたことで悲しみに暮れているはずだ。
「サフィル魔王……」
ぼんやりと呟く言葉にも覇気がない。
そして、その虚ろな視線が魔王から神へ向けられた。ルカの目が大きく見開かれる。けれど、すぐにまたぼんやりとして、神から魔王。魔王から神へと交互に視線を移した。
「話を」
ルカは、そう切り出す。
「話を聞いてください」
静かな声色で、彼は懇願した。
「お願いです。もう戦いはやめてください」
その言葉は、しんと静まり返った神の間に響き渡る。サフィルも、リクルナも何も言わず、その少年の姿を見つめた。
「オレは、もう喪うのは嫌なんです。カロンが死んだ。アビスとダスクが死んで、レリアが死んだ。みんなの願いは一つです。〝平和な世界〟なんです。どうか、願いを聞き届けてください」
静かに懇願し続ける彼に、リクルナは嗤う。
「何を言うのですか? 何が平和な世界? 人間は罰を受けるべきであり、死ぬべきであり、償うべきでしょう!」
その嘲笑が不気味に反響した。けれど、ルカは静かに神を見返すだけである。
「――神さま」
嗤う神に、ルカは静かに言った。
「あなたなら、わかるはずです。他者を思い、愛する心を。あなただってかつて、愛した人がいたでしょう?」
ぴたり、と神の嘲笑が止まる。
「カロンから全て聞きました。オレたちの気持ちが、あなたにならわかるはずです」
――愛し合い、分かち合うということを。
静かに、静かに、ルカは訴えた。リクルナは歯噛みする。
「裏切ったのはお前たちだ!」
その糾弾を前にしても、ルカは静かにリクルナを見返すだけだった。反対に、リクルナは感情を剥き出しにしている。もう歯止めが利かないようだった。
「裏切ったのは、お前たちです! わたくしだって……! わたくしだって、人を――あの人を愛していました! でも、あの人は、わたくしを裏切った! 人間であるという理由で、あの人は……!」
声を荒げて、リクルナは支離滅裂に、ただ言い続けた。
「だから、絶対に許さない! 約束を破ったあの人だけは! だから、あの人が愛した人間を全て滅ぼしてやりましょう!」
「……リクルナ、よせ」
「わたくしは、人間を支配し、従属させて、憎いから殺して! でも、でも……!」
「リクルナ!」
神は混沌と言い続ける。それをサフィルが止めるが、それも聞かない。ルカは狂ったように言い続ける神を前にしても、静かに見据えていた。
「リクルナ!」
「殺してやる! 殺して、殺して……!」
いつしか、リクルナの目から涙がぼろぼろと零れはじめる。
「殺して、滅ぼして、あの人に復讐して……! あ、は、はは、ははははははははは!」
涙を流しながら、リクルナは狂ったように笑った。
サフィルはかつての神の面影のない姿を見て、静かに溜め息を吐く。その溜め息はどういう意味なのか、自分でもわからなかった。でも、ただ、疲れたのだ。疲れ切った。
「約束を果たし続けるというのも、なかなか辛いものだな」
一人そうこぼして、サフィルはリクルナの側へと立つ。
「リクルナ」
「殺してやる! 殺しつくしてやる!」
「もういいだろう」
「殺し、殺し、……、……!」
「リクルナ、きみに真実を話そう」
その言葉に、リクルナはぎこちない動きでこちらへと振り返った。
「真実……?」
「そうだ。これは、僕しか知らない真実。……なぜか、ルカは知っていたようだけどね。そして、君の虚構だ」
「何を言って……?」
「これは、ある人間の男の、最期の物語だ」
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