五章 竜騎士は終止符を語る③
【世界の終わりまで一時間】
世界の四方へと駆け巡り、神罰を与える騎士たちが再び神の元へと集結しようとしていた。騎士たちが駆けた後は、死が広がっていく。世界の端から、死が蝕んでいった。
ダスクがいきなり、その鼻先を空の戦場から地上へと向ける。
「ダスク?」
どうしたんだよ、という声が言葉になる前に、ダスクはそこから離れた。向かう先は天界の地上だった。
「ダスク、戻れ!」
でも、ダスクは言うことを聞かない。必死なその様子に、もう時間がない、ということを伝えているようだった。ルカは訳も分からずに、ダスクの視線の先へと目を凝らしてみる。
「……レリア?」
レリアが地上にいた。剣を振るい、天使と戦っている。どうして、レリアが地上にいる?
アビスは――? 青竜の姿を探せば、地上で仰向けに倒れているレリアの相棒がいた。
「アビス!」
何が起こった? どうして、そうなった? 疑問が次々と沸き起こる。そして、レリアの姿を見て、――息が止まった。
レリアは血まみれだった。
天使たちの返り血ではなく、自分自身の血にまみれているのがわかる。血の気が引いていった。怖い。怖いなんて言うものじゃない、もう、全ての思考が塗りつぶされるほどの絶望だった。
力尽きたかのように、レリアが足元から崩れ落ちる。そんなレリアに天使たちが攻撃を仕掛けようとしていた。
「……やめろ」
剣を構える。
「レリアに近づくなぁぁぁっ!!」
怒鳴り、ダスクもまた怒りのままに天使へと突っ込んだ。天使たちが血しぶきを上げて地面へと倒れ伏す。そんなことにかまわずに、ルカはダスクから飛び降りて、倒れたレリアのもとへと駆け寄った。
「レリア!」
その声に、レリアは視線だけをこちらに向ける。ルカを認めて、弱々しく微笑んだ。
「ルカ……」
血にまみれた体。息も絶え絶えで、今、こうして生きていられるのが不思議なくらいだった。
「レリア、どうして……!」
違う。そんなことを言っている場合じゃない。出血はあろうことか胸部だった。どくどくと血が流れ続けている。早く、止血しなければ。そして、一刻も早く、レリアを治療してもらわなければ。そうわかっているのに、手が震えて、適切な行動ができない。どくどくと鳴る心臓がさらに焦燥を煽った。
早く、早く、早く――!
空回りする手のひらを、レリアは血にまみれた手のひらでやんわりと掴む。は、と我に返れば、レリアは小さく笑い、そして、首を横に振った。
「ど、どうしたんだよ、レリア……、待ってろ、今、治してやるから」
「いいの」
「だけど」
「いいのよ、ルカ」
「レリア!」
信じたくなくて、聞いていたくなくて、必死になってルカはレリアの言葉を遮り続ける。
「ルカ」
この手のひらのようにやんわりと、けれど、はっきりとした意志をもってレリアはルカの名を呼んだ。
「私は、もうダメだから」
「……っ」
「ルカだって、わかっているはずよ」
ルカは何も言えない。口を噤んで、ただ静かにレリアの言葉を聞き流した。
「私としたことが、ここまでとは思わなかったわね……。まぁ、こうして生きていられるのが、不思議なくらいなんだけれど」
「……レリア」
お願いだから、という言葉は出てこない。
「ルカ、ありがとうね」
その金色と橙色の双眸が、静かに光を失っていく。
「レリア、お願いだから」
「ルカ――一つ、約束してちょうだい」
「……レリア」
「みんなが笑いあえる平和な世界へと導いて」
レリアは微笑む。その笑顔は、ルカが見てきたレリアの笑顔の中で、一番綺麗なものだった。
「レリア……、頼むから」
「ごめんね、ルカ」
「レリア……っ」
「それと、今まで、一緒にいてくれて、ありがとう」
そうして、レリアの体から力が抜けていく。ルカはその華奢な体に縋りつくように、きつく抱きしめた。
「お願いだから、死なないでくれ……!」
その言葉は、もう届かない。ぼろぼろと涙がこぼれて、少女の体に落ちていった。
「う、うぅ……っ!」
息が苦しくなるほどに、嗚咽が溢れてくる。みっともなく、情けなく、そんな自分のそばにずっといてくれた少女はもういない。もう、ルカの傍にはいてくれないのだ。
「う、うぅ、う……レリア……!」
嗚咽は次第に泣き声に代わり、そして、叫喚へと変わる。その嘆きが天界に響き渡ったかのように、しん、と空気が静まり返った。
そして、ルカの前に、大きな影が差す。
見れば、天使だった。
天使がルカに向かい、剣を掲げている。きっと、その刃は、ルカの体を切り裂くはずだ。
――このまま死ねたら、楽になれるかもしれない。
レリアがいない。
それだけで、この人生がもう終わってしまったかのように真っ暗闇に包まれてしまった。
いっそこのまま。
その思考が、ルカの思考を塗りつぶす。
そして、剣がレリアを抱きしめるルカへと振り落とされて、
ざしゅ、
と、肉が切り裂かれた音が、ルカの耳にこだました。ぴ、と顔に血が飛び散る。
「え」
それはひどく遅く感じた。
ルカをかばうように滑り込んだ赤い体。その剣が硬質な鱗を突き破り、身を貫いた。その金色の目が大きく見開かれて、そして、痛みを耐えるように細まる。そして、ルカを見るとレリアごと抱えて空へと飛び出した。
「――ダスク!」
剣に貫かれたというのに、ダスクは二人を抱えて大空を羽ばたく。
天使たちがダスクとルカたちの姿を認めて、警戒から距離を取った。ダスクはその隙を逃さず、天使たちの群れを突っ切っていく。
目指す場所は天界にある大きな真っ白い城。
おそらく、そこが、神が住まう城なのだろう。
ダスクはそこを目指して一直線に突き進んだ。途中で、天使たちに攻撃されても、翼は羽ばたき続ける。
「ダスク、よせ!」
このままではダスクが死んでしまう。その危機感からルカは叫んだ。しかし、ダスクは言うことを聞かない。
真っ直ぐに。
ただ、真っ直ぐに。
そこへと目指す。
そして、ようやく天使たちの群れを突き抜けると、城の頂上付近へと突っ込んだ。ルカとレリアを抱え込むように体を丸めて、それでも城へと衝突した衝撃は抱えられているルカでもわかるほど大きなものだった。まるで爆発したかのようだった。壁を砕き、瓦礫が飛び、土煙が立つ。壁へと突っ込んだダスクは、城の廊下へと倒れ伏したまま動かなかった。ダスクの赤い体から、より赤い血が流れて城の床を汚す。
「ダスク!」
ルカは慌てて、その赤い体に近寄る。ダスクはちら、とルカを見た。
『絶対に、死ぬなよ』
そんな言葉が、ルカの耳に届く。
「ダスク……」
『お前に、多くの約束が託されているんだ。お前はそれを果たせよな』
「……わかった。わかったから、ダスク」
『おれと、お前の、約束だからな』
「あぁ、約束、するよ……!」
ダスクの目が笑うように細められて、そのまま静かに瞼を閉じた。
「あ……、あ、……」
アビスが死んだ。
レリアが死んだ。
ダスクも死んだ。
カロンも死んだ。
ハクリも死んだ。
――生きているのは、自分だけ。
涙が止まらない。抱きしめ続けているレリアの亡骸。その抱える腕に力が入ってしまった。
ぼろぼろ涙は溢れ続けるが、心の中にある悲しみと絶望は全然流れていかない。むしろ凝っていった。
「あ、あぁ、……!」
なんで、みんな、死んだ?
なんで、自分を置いていく?
おいていかないでほしい。
一人にしないでほしい。
なんで、みんな、じぶんだけをおいていくのだろう?
――なんで、失い続けてまで、じぶんは戦い続けている?
わからない。
わからない。
わからない。
視線をレリアに落とす。
息絶えているレリアの口元には、微笑が浮かんでいた。
ルカはその笑みをじっと見つめて、自分も笑う。
「一緒、だな」
そう、彼女と約束したじゃないか。
ずっと、一緒であると。
そして、平和な世界へと導くと。
――自分にはまだまだやることがある。
ルカはレリアを背負いなおす。その重さが彼女はここにいたのだと告げていた。そして、冷たくなりつつある温もりがもう存在しないということも。
ルカは歩き出す。
泣きながら。
アビスとダスクの亡骸を置いて、レリアの亡骸を背負って。
昔のことを思い出した。昔、天使に村を攻撃されて、命からがらに逃げ出してきた。その時もレリアを背負いながら、ルカは泣いていた。
前にもそんなこと、あったなぁ。
そんなことを思いながら。
天界の空では多くの命が散っていった。
それは天使と悪魔、双方だった。
ユル・ベリコアもまた悪魔化し、戦い続けたが、攻撃を受けて、絶命し。
三大魔将も戦い続けたが、また散っていく。
名の知れた悪魔たちが死んでいき。
そして、天使たちもまた死んでいく。
戦いは、まだ続いていた。




