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逢魔刻の黄昏竜  作者: ましろ
四章 光明差す曇天に竜騎士は舞う
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四章 光明差す曇天に竜騎士は舞う③



 青竜が暴れているのはわかっている。

 レリアを一生懸命振り落とそうとしていた。それもそうだろう。〝混血〟という危険な存在を背中に乗せているのだから、振り落としたくもなるはずだ。

〝混血〟に支配されながらも、レリアは不思議と冷静な自分がいることに気付く。このどこまでも冴えて透徹とした感覚には覚えがあった。そう、暴走した時と、あの時と同じ感覚だった。あの焼けつくような腹部の痛みさえ感じない。

 ――敵を倒さないと。

 その意志だけが、レリアの思考を満たしている。青竜が暴れようとも、レリアにとってはどうでもよかった。

 敵さえ倒せれば。

 敵さえ殺せれば。

 何もかも――壊しつくせれば。

 そこで、レリアは正気に戻る。

 何もかも壊しつくす? それではみんなはどうなる? 仲間は? 青竜は? ルカは?

 そんなの、だめだ。

 レリアは何とか自分の体を制御しようとする。しかし、己の手は剣を握り続けて、そして、ふるい続けた。赤い血だけが、自分の視界を真っ赤に染め上げる。

 それでも殺戮しか生まない剣は止まらない。標的は悪魔も天使も関係なかった。視界に映る者、気配を感じ取れる者すべてを壊せ。ただその真っ黒な思考に塗りつぶされ、暴れ狂った。そして、また赤い獲物がレリアの前に現れ――……。


「何やっているんだ!」

 ルカはレリアの剣を受け止める。

 きん、と金属の高い音が響いた。ルカの背後では羊の顔をした悪魔が恐怖で震えあがっている。

「レリア、やめるんだ!」

 レリアの目はどこまでも薄暗かった。自分の声が届いているかすら、わからない。それにレリアの腹部から血が流れ出ていた。その顔色は蒼白なのに、レリアから無感動な殺気がおさまらない。

「レリア……!」

 レリアが振るう一撃一撃が重くて鋭いのは、わかっている。でも、自分から攻撃を仕掛けることはできなかった。

「オオオオオオォォォンッ!!」

 青竜が咆哮を上げる。まるでレリアに訴えかけるようだった。

「レリア! 目を覚ませ!」

 レリアは答えない。ルカは歯噛みして、さらに叫ぶ。

「いいのか! このままだと、みんなが死ぬ! ――カロンみたいに!」

 ぴく、とレリアの手が止まった。その薄暗い目に、動揺が浮かぶ。止まった剣がふるふると震えた。

「いいのか! レリア!」



 そんなのは嫌だ!

 そう叫んだ。でも、その声はルカには届かない。

 ふと、背後に気配を感じて振り返れば、そこにいたのは〝混血〟だった。

 ――ひ、と喉元まで悲鳴がこみ上げた。

 自分の姿をした〝混血〟は笑っている。

 その笑みに、レリアは目を見開いた。

〝混血〟は悲しそうに、微笑んでいる。

 ――なんで、そんな顔をするの?

 そう問いかければ……、



「いや、いやだ……! もう一人になるのは、嫌だ!」

 レリアが叫んだ。

 彼女の本音が表に出た瞬間に、彼女が握る剣が下界へと落下する。

「レリア……?」

 レリアはルカを見た。その顔には笑みが浮かんだ。なぜ、そんな悲しそうに笑うのだろうか?

「レリア?」

「……何で気づいてくれないの? だって私は――……」

 それはいったい誰だったのか?

 レリア?

 それとも〝混血〟?

 わからない。ただ、わかったのは――……。

 虚ろにそう呟いた、レリアの体が傾ぐ。青竜がびく、と体を硬直させた。ルカも目を見開いて、

「レリア!」

 落下するレリアへと追いかけた。ごう、と空気がぶつかる。落下するレリアの手を摑もうと手を伸ばし、ルカは叫んだ。

「誰が死なせるか! お前にはまだオレがいるだろ!」

 レリアの目がかすかに見開く。

「それに――! 〝混血〟を恐れるな! それは、もう一人のお前だ! お前たちのこと、オレも一緒に考えてやるから、死のうとするな!」



 ――もう一人の自分?

 ルカの言葉は確かにレリアに届いていた。

 レリアは悲しそうに笑う〝混血〟と対峙する。

〝混血〟は静かに笑っていた。悲しそうに。

 ――何で気づいてくれないの? 私はあなたじゃない。

 レリアは真正面から、〝混血〟を見つめる。初めてかもしれなかった。こうして、お互いをよく見るのは。そう。確かに、〝混血〟はレリア(私)だった。

 あぁ、そうか、とようやく気付いた。

 確かに、彼女は私。私は彼女、だ。

 レリアが苦笑すれば、〝混血〟も苦笑する。本当に、自分自身だった。

 そういえば、あなたはいつも危険が迫っているときに力を貸してくれたわね。

 いまさら、その事実に気付く。

 あなたは、いつも助けようとしてくれた。でも、それを私はいつも拒絶していた。だから、うまく疎通できなくて、暴れてしまった。

「ごめんなさい」

 レリアは、頭を下げる。

 その耳元で、

「ようやく気づいてくれたわね」

 その囁きが耳から体の中へと溶けこんで、気づけばレリアはルカに抱えられていた。



 うっすらと目を開けたレリアの瞳には正気の光がある。あの薄暗い影はどこにもなかった。

「レリア?」

「ルカ……?」

 その額に思いきり手刀を落とした。ごち、と頭に当たる。

「痛いわ」

「当然だ。痛くしたんだからな。……心配させやがって」

「ごめんなさい」

「はいはい」

「このセリフを、〝混血〟にも言ったわね」

「そうなのか?」

「えぇ、彼女は許してくれたわ」

「――よかったな」

 彼女の中でいったい何が起こっていたのかルカにはわからない。ただ、控えめに笑うレリアには、〝混血〟に対する恐怖はないようだった。

 ふと、ルカたちの前に、青竜が降りてくる。どうやらレリアを迎えに来たようだった。レリアは青竜を見つめて、目を見張る。

「レリア?」

「今……」

「何だ?」

「声が」

「声?」

 何のことだろう?

「そう、そうなのね。それが、あなたの名前……」

 名前? もしかして、とルカは青竜を見た。青竜は静かにそこに飛んでいる。どうやら、レリアに自らの名前を告げたようだった。レリアは嬉しそうに笑う。

「これからよろしくね。――アビス」

 青竜――アビスは雄々しく咆哮を上げた。



【世界の終わりまで六時間】

 各地で起こっている異常現象の規模は徐々に大きくなりつつある。一陣の風が山を駆け上り、そして、勢いよく過ぎ去っていく。馬の嘶きと同時に、山々が噴火し、溶岩が大地へと流れ込んだ。


 大空の中で魔王は、先陣を切って、天使たちと戦っている。

 このままでは悪魔どころか、この国そのものが終わり、さらには世界も滅んでしまう。

 その焦燥にあおられながら、魔王は天使を倒していった。さらにはその後ろでは三大魔将たちが天使たちを蹴散らしている。

「倒せ! 早く!」

 それは誰が叫んだものなのかはわからなかった。けれど、みんなはその思いで一つだった。

 ――早く天界へ! 神を倒さなければ!

 魔王は術を放つ。

 天使たちが倒れていく。しかし、倒しても倒しても、天使の数は減らなかった。それどころか、天界から援軍が来ているようでその数が増えていく。

 終わりが見えなかった。それどころか、終わるのはこちらだと、諦念が囁く。

 そのとき、二つの風が舞い込んだ。

赤と青の二色の風。その風は猛然と魔王たちを追い抜かし、目の前にいる天使たちの間を過ぎ去る。

 天使たちも、何が通り過ぎたのかわからなかったようだった。

 動きを停止した後、何が通り過ぎたのか理解した時には――もう遅い。天使たちは両断されて、下界へと落ちていった。

「……おやおや」

 これにはサフィルは何て言っていいかわからない。胸中に渦巻くのは驚嘆と、感嘆と――微かな恐怖。戦場において、恐怖を抱いたことはそうなかった。しかし、今はまさに恐怖を感じている。

「まさか、目覚めるとはね……」

 赤い竜に乗る少年。

 青い竜に乗る少女。

 二人の幼い竜騎士。

 乗り手が人間――しかも幼い二人の少年少女に、そんな恐怖を抱くことはなかった。けれど、完全に竜を乗りこなしているのを見ると、この戦場の優劣は一気に覆る。竜とは悪魔と天使にもどちらにも属さない存在だ。つまりは悪魔の力も、天使の力も効かない――唯一の種族である。それは、どれほどの脅威となりえるのか。

 二人の子供は言葉を交わすことなく、視線だけでその意図を交わす。お互いに頷き合うと、竜を駆った。空気を切り裂いて、天使たちを一掃していく。

「あれは……」

 背後で三大魔将たちが、幼い竜騎士を見つめて、茫然としていた。それもそのはずだろう。何しろ、手こずっていた天使たちが、どんどん倒されていくのだから。

「よいことじゃ」

 隣から声が聞こえてみてみれば、そこにいたのはあの竜たちの長であり、少年少女の養父であるハクリ・シンロだった。

「ハクリ……君たちの子供は着実に成長しているね」

「あぁ、よいことじゃ。どうやらルカも、あのレリアも――己が問題を乗り越えたようじゃからの。これで安心じゃ」

 満足そうに笑うハクリに、サフィルは笑う。どこか暗鬱となるのは、彼のその言葉の意味を知っているからかもしれなかった。

「そうだね……。でも、まだ仕事が残っているよ」

「わかっておるわ」

 ハクリは子供のように頬を膨らませる。

「さて、わしも行くかの。――世界の平和のために、のう」

 ハクリはぎろり、と金色の目を輝かせた。そして、その体が光に包まれたかと思うと、その光は長大なものとなる。

 ――純白竜。

 それが、彼の正体。

 その長大さはこの国の空を覆うほどだ。鋭く太い牙をもつ口は、容易に人を何十人と銜えることができる。その口元がにやり、と笑った。

 そして、先に駆ける竜たちを追いかけるように、純白竜が空を迸る。

 先へと行った二頭の竜が天使たちを蹴散らしていったおかげで、天使たちの姿はほとんどなかった。それでもハクリは突き進む。

 狙うは天使などではなかった。

 その先にあるのは【神の階】――その扉である。

 まるで一矢の矢のように銀の光の尾を描きながら、一直線に突き進んだ。

 ルカとレリアが背後に迫りくる光の矢に気付いたのだろう。さ、とハクリの前から姿を消した。

 光の矢と化したハクリは天使たちを貫きながら、ついに【神の階】の下層部へと着く。そのあとにサフィルたちも続いた。

 長い階段だった。その長い階段の先にあるのは、大きな扉。あれが――天界へと繋がる扉。

「行けっ! ハクリ!」

 魔王が叫んだ。

 光の矢が階段を昇っていく。

 その前に巨大な天使が二体現れた。

 それでも光の矢は止まらない。

 そして――、矢は天使の体を貫き――扉をも貫いた。


 ダァン!!


 という大きな音ともに開かれた天界への扉。その扉の先へハクリの姿は消えていく。

「開いた……」

「天界の入り口が……」

 誰が呟いたのかはわからなかった。まるで現実味を帯びない真実に、誰もが受け入れられずに開け放たれた扉をただ見つめる。

「ようやく、開いた」

 サフィルもまた、信じられずに呟いた。


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