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逢魔刻の黄昏竜  作者: ましろ
四章 光明差す曇天に竜騎士は舞う
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四章 光明差す曇天に竜騎士は舞う②



【世界の終わりまであと十六時間】

 飛沫を上げて波打つ海。その上を風が駆け抜けていった。瞬間、海がうねりを上げる。次第に激しくなる波は大きいものとなり、津波となって大地を呑み込もうとしていた。


「お前たち、何やっているんだ!」

 そうルカたちの前に怒鳴り込んできたのは、ユルだった。

「ユル……」

 のろのろと視線を上げれば、ユルの怒り狂った視線とぶつかり合う。

「何だよ?」

「お前こそ、何やっているんだ!」

 レリアもまた、無感動にユルへと視線を向けた。ユルは覇気のないレリアにもまた面喰ったのか、一瞬、言葉に詰まったが、それでもまたぎろ、と睨みつける。

「町を見てみろ! 空を見てみろ! 今、どんな状況だ!」

 そう言われて、ルカとレリアは空と町を見た。

 空は天使と悪魔たちが戦っている。しかし、町――はどうしたのだろうか。町が燃え盛っていた。

「え……?」

 なぜ、町が燃えているんだろうか? 何故か、町には天使たちの姿がある。天使が、何故、町に? いや、町が襲撃されている?

「このままだと、全てが終わりだ!」

 ユルが叫んだ。

「仲間たちがやられている! このままだと全滅だ! お前たちの弱い力も必要だ! さっさと来い!」

 ユルの気迫と、空の戦場と、町の惨状に、ルカは立ち上がろうとする。けれど、体はまるで言うことを聞かなかった。

 ――戦う気が起きない。

 それがルカの正直な思いだ。

 けれど、隣にいるレリアは青竜へとまたがる。その目はどこか弱弱しく、竜に騎乗する姿は、勇猛さの欠片らもなかった。

「――敵を、殲滅してくるわ」

 ただ、それだけをレリアは告げて、青竜とともに空へとかけていく。

 レリアは今、どういう思いなのだろうか?

 自分にはわからない。ただ、戦う気が起きず――逃げ出したかった。ルカはユルに背を向けて、ここから去ろうとする。

 しかし、

「どこへ行く?」

 ユルはそれを許さなかった。

「お前は、だいぶ腑抜けたようだな」

 ユルは嫌悪感をむき出しに、ルカを侮辱する。けれど、ルカは何も言えなかった。

「ほら、さっさと竜に乗って、戦場へ行け!」

 どん、と背中を押される。そのままユルは空へと飛び立ってしまった。ルカはのろのろと竜へと向かう。ダスクの背中に乗ろうとした。

 けれど、

「オオオオンッ!」

 乗ろうとした瞬間、ダスクが自分を拒絶した。

「ダスク……?」

 ダスクの金色の双眸が鋭くルカを射抜いた。それどころか、口を大きく開いて、ルカを噛み砕こうとする。

「うわっ」

 ダスクは唸り声をあげて、ルカを威嚇していた。ルカはダスクに近寄ることもできない。

 ルカは嗤った。自分自身に、嗤った。

 ――どうやら、ダスクにすら嫌われてしまったようだ。

 その現実に、ルカは嗤い、

『何があっても、立ち止まるな。無様でもいいから、まっすぐに、突き進んでくれ』

 カロンの言葉が脳裏によぎる。でも、

 ――もう何もかも嫌だ。

 ルカは威嚇するダスクを取り残し、ただ逃げ出した。



【世界の終わりまで十五時間】

 木々や草花が枯れ始め、大地は干上がり、海が大地を呑み込もうとしている。そこに吹くのは一陣の風。その後を追うように風が唸り、そして大きく渦を巻いていった。それは巨大な竜巻となり、地上のすべてを吸い込もうとした。


 ルカはただひたすらに王城から逃げ出して、誰もいない――戦場すらない場所へと行こうとする。

 しかし、行く先々では紅蓮の炎が立ち上っていた。

 ルカが向かった先は、城下町。

 王城の城下町は普段は活気があり、賑わっている。しかし、今は阿鼻叫喚で満たされていた。

「何が起こっているの……?」

「死にたくないよぉ」

 泣き声、怒声、虚ろな声――耳を塞ぎたくなるほどだった。

 それを前に、ルカは立ち尽くす。何が起こっているかなんて、わかっているはずだ。天使に襲撃されている。けれど、それを認めたくない気持ちもよく分かった。結局逃げ出そうとしても、どこにも行く当てなどなく、地獄が待っているようだった。

「……ふ、う……」

 ふと、誰かのうめき声が聞こえて、ルカはそちらへと顔を向ける。

 建物の瓦礫に埋まるようにいたのは、悪魔だった。オオカミの顔に、ヤギの体。鷹の翼を持つ、悪魔。それが誰かなのかはわからない。ただボロボロなっているその姿から、その悪魔は軍に所属する悪魔だということはわかった。

「……大丈夫か?」

 声をかければ、大仰なほどに体をびくつかせる。

「あ、あ……」

 怯えるように意味のない言葉を紡ぎだして、その目がルカを映す。

「お、お前、は……」

「……怪我、しているのか?」

「お前は、黄昏竜……」

「たそがれりゅう? なんだ、それ……?」

よくわからないことをこの悪魔は言った。それに首を傾げつつ、ルカは悪魔に近寄る。悪魔は血まみれだった。その血の量はおびただしいもので、止血をしたところでどうにかなるものではなく、すでに手遅れだった。ルカは痛ましい気持ちで、その悪魔の傍に座り込んだ。悪魔の目がルカを見つめ、躊躇うように口を開いた。

「お前は、怖くないのか……?」

「怖い?」

「そうだ。人間の身でありながら……竜の背中に乗り、戦場を駆け巡ることに恐怖はないのか?」

「……怖いに決まっているだろ」

「そうか」

 悪魔はおかしそうに笑う。

「お前は強いな。人間でありながら、恐怖を感じながらも竜に跨り戦うのだから」

「……」

 そんなことはなかった。だって、ルカは逃げ出したのだから。それを口にしない自分の卑怯さにただ呆れた。

「俺は……戦場から逃げ出したんだ」

「……」

「怖くなったんだ。戦うことが、死ぬことが。家族を残していくことが。だから、逃げ出して家族のもとへと来れば――このありさまだ」

 オオカミの目が、炎に包まれる城下町に向けられた。

「あの時、俺が逃げ出していなければ、戦っていれば、こんな結末を迎えることはなかったかもしれない」

 もしかしたら――その後悔は、ルカには痛いほどわかる。カロンが死んだとき、もっとうまく立ち回り最悪な結末を回避できた術があるのではないのか、と苦悩するほどに。

「俺は、もう長くない。……なぁ、黄昏竜よ。お前はこの世界に何を望む?」

 ――この世界に?

「……何だろうな、ただ、平和であることを願うしかないよ。誰もが笑いあえる、そんな平和な世界に」

「そうか。俺もまた、そんな心境だ。平和な世界であったならば、妻も、子供たちも死ぬことはなかったというのにな……」

 オオカミは笑う。何とも、乾いた笑みだった。その目が虚ろになっていく。焦点も合わなくなり、徐々に笑いも静かになっていった。

「あぁ、この世界が……」

 その言葉は続くことなく、終わる。ルカはオオカミの悪魔の亡骸を前に、ただ立ち尽くした。

 後悔。

 彼の最後は、まさにそれである。

 後悔はいつも失敗したときに味わう苦痛だ。それも、心を締め付けて、ずっとこびりつく。まるでかさぶたのようだった。乾ききってかさぶたになり、でも何かの拍子で剥がれてしまえばまた血が溢れてくる。普通のかさぶたは癒えるけれど、後悔は決して癒えない。

 ルカは空を見上げた。空の戦場は、いまだ悪魔と天使が戦っている。町にも天使と悪魔が降り立って、戦場と化していた。

 ――俺は本当にこのままでいいのか?

 カロンが死んで、戦うことが嫌になって。

 もう戦うことが嫌だと駄々をこねて、こんなところにいる。

 ――本当にこのままでいいのか?

 ルカはもう一度、オオカミの亡骸を見つめた。

 もし、このまま戦いを放棄して、逃げ続けた先の未来に、そこには幸せがあるのだろうか? 後悔しないだろうか?

 わからない。

 そんなこと、わかるわけがなかった。

 戦いたくない。

 けれど、後悔もしたくない。

 ぎり、と奥歯をかみしめた。痛いくらいに。


 ――ねぇ、ルカ、ずっと一緒にいようね。


 そう言ったのは、誰だったか。


 ――夢を諦めるな。


 そう口にしたのは、誰だった?


「約束だ」


 そう決意したのは――誰だった?


 ルカは空を睨みつける。

 戦うしかない。後悔するくらいなら、たとえ辛い道でも、突き進むしかなかった。

「約束は、絶対に守る」

 そう口にすれば、黒煙が立ち上る空から一頭の竜が現れる。

「ダスク」

 ダスクはその呼び声に応えるように、大きな雄叫びを上げた。

 ルカは悪魔の亡骸に敬礼し、走り出す。走りながら、大きくその場で跳躍した。その下をダスクが器用に滑り込み、着地しようとするルカの体を背中で受け止める。

「戦うぞ!」

 その声が、戦場にこだました。



 空の太陽はだいぶ傾いてきている。その大空の中をレリアは青竜に騎乗し、駆け巡っていた。

「自分の命に代えても、敵は全員倒す!」

 その気迫のままに、レリアは天使たちを一刀両断し、空にいくつもの血を散らせる。そのあまりの気迫に、レリアに続く悪魔たちでさえ気後れするほどだった。

 戦いの狂人が、怒り狂っている。

 その事実に誰もが怯え、自分たちも殺されるのではないかと恐怖していた。

 ――敵を倒せ!

 レリアはその一心で、戦場を駆け回っている。天使たちの攻撃がレリアの体に当たるも、レリアは意にも介さなかった。痛みなんて、もう感じない。ただ倒す、それが今の自分の使命だ。

 憎悪が激しく燃え上がる一方で、冷静な自分が、自分自身に嘲笑している。

 ――まるで〝混血〟によって暴走しているようじゃないか。

 と。

 けれど、そんなことはどうだっていい。

 カロンが死んだ。仲間が死んだ。それも、自分が暴れたせいだ。

 今度は、――今回こそは、絶対に飲み込まれないようにしないと。そう決意しながら、狂戦士は竜を駆り、剣を振るう。

 しかし、

「死ね! 悪の申し子よ!」

 天使が放った雷の凶弾が、レリアの腹部を貫いた。

「――――っ!」

 視界が一瞬だけ、真っ暗になる。けれど、それは一瞬だけだ。レリアは歯を食いしばり、その天使をにらみつける。

 天使が恐怖に震えあがった。その恐怖もまた一瞬である。レリアは天使を切り裂き、戦場へと踊る。

 激しい痛みは、今まで感じたものがないほどだった。焼けつくような痛みとともに、体が冷えていくような不思議な感覚が、体を巡る。このままでは戦えなくなる。

 ――でも、私は戦う!

 剣を握りしめて、レリアは戦場を見据えた。

 自分の前には天使と悪魔はいない。誰もがレリアの先には立とうとしなかった。前に立てば、殺されると知っているからだ。それは天使も悪魔も共通の認識のようである。それにレリアは笑った。

 逃げても、絶対に仕留めてやる。

 そう、嗤い――気づいた。

 ――見ている。

 あれが。

 あの、〝混血〟が。

 まるで時が止まったかのような錯覚に陥る。〝混血〟は笑っていた。

「あ……」

 かすれた声は、意志がない。ただ、唖然と、背後に立つ恐怖を前に竦んでいた。

『ねぇ、レリア? ――――――――』

〝彼女〟が囁く。その囁き声が、レリアの思考を静かに揺さぶって。

 ぱちん。

 そんな弾けた音とともに、レリアの思考が真っ暗闇に塗りつぶされた。


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