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逢魔刻の黄昏竜  作者: ましろ
三章 竜騎士は狭間に落ちゆく
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三章 竜騎士は狭間に落ちゆく④



 翌日、いつものようにルカとレリアは、昼間に鍛錬をこなして、夜になればそれぞれ自室へと戻った。

 けれど、その晩、ルカは眠れずにいた。もともと、寝付きは悪い方で、眼が冴えてしまえば朝方まで眠れないことの方が多い。持て余した時間と、不眠のせいでどこかぼうとする気分を紛らわすためにも、ダスクを呼び出して夜空へと飛んだ。

ダスクは眠いのかどこか寝ぼけ眼だった。そのダスクが降り立った先は王城の一番背の高い塔の屋根の上。ダスクから降りたルカは夜空を見上げる。思ったよりも、夜空が近いことに感嘆しながら、ルカはダスクが寝そべるその体に背中を預けた。塔の一番上は寒い。けれど、ダスクの――生命の温かさを背中で感じていると、寒さはどこかへと行ってしまった。

 ぼう、とルカが空を見上げていると、大きな翼がはばたく音が聞こえてくる。途端、ふわり、と風が巻き上がり、そこに現れたのは、

「レリア」

「やっぱり、ルカね」

 レリアは青竜の背中にまたがりながら、呆れたように肩をすくめた。

「レリア、どうしてここに?」

「ダスクが来た気配がしたからよ」

 青竜はダスクの隣に着地する。ダスクがうるさそうに青竜を見やるが、青竜はすました顔をしていた。レリアは青竜の背中から降りる。

「どうしたの? 消灯時間も過ぎたっていうのに……」

 ばれたら大変よ、というレリアの言外の忠告が聞こえた。

「――ただ、どうしても眠れなくて」

「それでダスクを呼び出して、こんなところまで? ダスクもいい迷惑よね」

 レリアがダスクの頭を撫でる。同意と言わんばかりに、ダスクが小さく唸った。レリアは青竜の首筋を撫でて、ルカの隣に座る。背後では青竜がダスクの隣で丸まって寝始めた。

 レリアと青竜が増えたことで、温かさが増す。

 レリアは口を開かずに、空を見上げた。そうして、小さく息を吐く。その金と橙の双眸は、星空を見入ったままだった。ルカも特に会話を探すこともなく、同じように空を見上げる。

 久しぶりにゆっくりと過ごしていると、実感できる一時だった。

 この星空の下にいると、悪魔と天使で争う世界とはまるで無関係な世界であるように、この時間の流れもまた憎悪が渦巻く世界とは無縁のもののように思える。でも、実際は天使も悪魔も、互いをどう殺そうかと画策しているのだ。そう考えると気分は陰鬱なものになる。でも、こうして、ゆったりできるのは久しぶりだった。不意に、レリアがくすり、と笑う。

「ルカ、久しぶりにパパと会ったわ」

「……大変だったろ?」

「そうね。何しろ、最初に抱き着かれて、頬ずりされて、よくわからないところまで褒めちぎられて――あとは適当に流したわ」

「大変だったな」

「えぇ、でも、まぁ、会えて良かったわ。最近、パパの顔を見ていなかったら、少し、安心……したわ」

 安心か、と、ルカは言葉に出さずに口の中で繰り返した。最近姿を見せなかった養父のことが心配で、久しぶりに再会して安心したのは確かだろう。でも、レリアは久しぶりに自分のことを認めてくれる存在に会えてほっとしたのかもしれない。会話らしい会話をするのは、ルカとダスク、青竜だけだからだ。

「ルカのことも心配していたわ」

「ふぅん……」

「早く会って力いっぱい抱きしめたいって言ってたわ。それと……」

「いや、いい。それ以上言わなくても、きっと嫌な思いするだけだ」

 きっとあの養父のことだから、きっと言葉以上のことをするに違いない。

「仲がいいわね。相変わらず」

「お前ほどじゃないよ」

 そういうと「そうかしら? ルカも仲がいいと思うけれど」と、苦く笑った。でもその苦笑は、すぐに引っ込んで、どこか躊躇うような雰囲気を見せた。

「ねぇ、ルカ」

「何?」

「――ルカ、あなたはアリシア魔将の軍に入るの?」

「俺は……」

 ルカは考える。天使と悪魔。魔将と竜騎士。将軍と部下。さまざまな考えを巡らせて――でも答えは出していた。

「俺は、軍に入らない」

 軍に入れば、それは必然的にカロンを殺すことになるからだ。友人を殺すくらいなら、入らない方がマシである。それをレリアは予想していたのだろう、小さく頷いた。

「そう。――わかってたけどね」

「レリアは?」

「私も同じよ」

 レリアがルカの答えを予想していたように、ルカもまたレリアの答えを予想していた。予想は当たっていた。彼女と自分の想いが重なっていたことに、少しだけ嬉しかった。そして、レリアはさらに続ける。

「カロンのことだけど……もし、カロンが敵として、殺せ、って言われたら? あぁ、でも違う。カロンは天使でもちろん敵であるんだけど……その……」

 躊躇するレリアの切れの悪い言葉に、何となくその先は嫌なことしか待っていないんだろうな、と漠然と思う。そして、その嫌なことは、およそ予想がついた。

「いいよ、レリア、はっきり言って」

 レリアが目を見開いて、小さく深呼吸をする。思い切ったように、レリアは口を開いた。

「ルカ、あなたはカロンのこと、どうしたい? 殺せと言われたら殺すの?」

「俺は、カロンのことをまだ仲間だと思ってる。だから説得するつもりだ」

「……そう」

 視線は夜空から下界へ。下界の悪魔たちの営みの光で満ちあふれていた。その光の数だけ生命がある。それを不思議な感覚で見つめていると、レリアはさらに続けた。

「でも、ルカ。そんな悠長なことを言っていられないわ」

「え?」

「魔術砲台の準備が着実に進んでいる今、【神の階】の扉を開くのも時間の問題よ」

「魔術砲台?」

 何だろうそれは? 初めて聞く言葉だった。

「……会議の時に言っていたでしょう? いわゆる強大な魔力を放出することよ。砲台を発動させ、天界の扉である【神の階】への道を一気に作るらしいわ」

「【神の階】? 一気に作る? それが、何だっていうんだよ?」

「天界を守る結界――それが【神の階】。そして、その【神の階】を守るのは天使。つまりはその魔術砲台で、【神の階】を守る天使たちを一掃するってことよ」

「……」

「まだ、わからない? つまりは、【神の階】にいる天使――カロンもまた殺す、ってことよ」

 ――カロンを殺す?

「そんな……」

 そんな馬鹿な。かつての仲間を殺すというのだろうか。でも、それが、魔王――悪魔たちの総意だ。きっと覆ることはない。

カロンもスパイとしてここに侵入している以上、このことを知っているはずだ。彼は天使だから、きっと、その【神の階】を守ろうとするに違いない。

「――信じられない」

 それがルカの正直な想いだった。魔術砲台はよほどのことがない限り、止めないだろう。このままではカロンは死んでしまう。その最悪な未来を前に、ルカはただ呆然とした。

「カロンは敵よ。もし、上から命令が下れば私たちはカロンを殺さなくちゃいけなくなる。その時、あなたはどうするつもり?」

 ――それでもあなたは、説得するというの?

 というレリアの無言の圧力があった。ちら、と隣を見れば、レリアの色の違う双眸が不安そうに揺れている。おそらくレリアも不安を感じているはずだ。カロンを殺す、ということに。

「……その言葉、そっくりそのまま返すよ。レリアはどうするつもりだ?」

「私、は……」

「俺は、もしそうなった場合は、カロンを助けたいと思っている」

「ルカ……!?」

 驚いたのか、レリアの目が見開いた。けれど、すぐに逸らされる。

「……そうね。あなたはそうかもしれない。そう言うと思っていたわ」

「あぁ。それで、レリアは?」

「私は――そうね。どうなのかしら? でも、私はルカが第一だもの。もし、カロンがルカを殺そうとするなら、私はカロンを……」

「俺を、殺す理由にするなよ」

「ごめんなさい。でも、本当に気持ちの整理がつかないのよ。だって大切なものは、両方なんだもの。そのどちらかを選べなんて……」

「……みんな、そんなものだろ」

「私は違うわ!」

 レリアが突然、声を張り上げた。しん、と静まり返った夜空に彼女の怒声が残響する。

「私は……! 私は、〝混血〟なのよ!? もし、〝混血〟が暴走してしまったら、私の想いなんて無視してみんなを殺そうとする! 殺してしまう! ルカを守りたい! カロンだって守りたい! でも、でも……!」

 あぁ、そうか、と理解する。守ろうという決意をもってしても、その決意を裏切る闇の部分が彼女にはあるのだ。

「ルカはいいわ。そうやって自分の気持ちを行動にできるもの」

「俺だって……! 俺だって、守りたいのに……弱いんだ。どうにもできやしないんだ。結局。カロンを助けたい、と思っても、助けることもできない。お前なら、よくわかってるんだろ」

「……ごめんなさい。取り乱したわ」

「いや、俺こそ……」

 レリアが小さく息を吐いて、空を見上げる。その目の端に浮かぶ涙が美しく煌めいて見えた。

「ねぇ、ルカ。ルカにとって、一番、大切なものって、何?」

 ――一番大切なもの?

「私はルカ。あなただけよ」

「……」

「そのためなら私は――……」

 レリアはそれ以上口にせず、何かを耐えるように目をきつく瞑る。そして、静かに目を開けて、ルカに微笑んだ。

「何でもないわ。これは私の問題。私が――何とかしないといけないから」

「……レリア」

「ルカ、おやすみなさい」

 レリアが立ち上がると、青竜もその気配を察したのか、起き上がる。そして、青竜はレリアを背中に乗せると、そのまま夜空へと飛び立って行ってしまった。

 何も言えずにいたルカのもとにダスクがすり寄ってくる。その首筋を撫でながら、ルカは息を吐いた。

「大切なものなんて……」

 ありすぎる。でも、もし、失って一番の恐怖を感じるとしたら? それはいったい、何だろう?

「大切なものさえ守れればそれでいいかもしれない。でも、切り捨てられたものは、切り捨ててしまった後悔は一体どうなるんだろうな……?」

 ルカはぽつり、と呟く。けれど、その疑問に答えてくれる人はいなかった。



「レリアがようやく自室に戻ったようじゃ」

 王城のある一室で、ハクリは窓外から自室へと戻ったレリアの姿を見届けると、そ、と窓から離れる。

 ここは魔王の自室。この城の中で一番狭く、けれど、どの部屋よりも自由な空間が広がっていた。王城を厳かに見せる装飾も意匠も何もない。ただ、魔王が興味のある書物や、何かのお土産、はたから見ればがらくたにしか見えない置物が隙間なく埋められていた。正直、何の価値のなさそうな物が溢れかえった部屋である。

 積み上げられた書物を椅子代わりに、片手に書物を広げながら、魔王はくすり、と笑った。

「ずいぶんと、君の子供たちはやんちゃだね」

「そうじゃろ? 愛いじゃろ?」

「ははは、そうだね。可愛いよ」

「ぬしにはやらんぞ」

「あれ? 残念だなぁ」

 あはは、と笑う悪魔の頂点に立つ者。サフィル・ロード。魔王だ。

「レリアは可愛いね。あんなにも必死になってる」

「わしも実にレリアのことは悩んでおる。どうしたら、〝混血〟を消せるか全くその方法がわからん」

 はぁ、とハクリは溜め息をつく。ハクリもまたサフィルと同じように、積まれた書物の上に器用に座った。

「そうだね……。そればかりは僕も分からない。狂人たちによって作られた戦士の末裔……皮肉にもこんなことになるなんてね」

「親の業を、子が背負う。――こんなことがあって許せるものか」

「そうだね……。それは、本当によくわかるよ」

 サフィルは積まれた書物を台にして、その上にあるカップへと手を伸ばす。紅茶を一口含んで、小さく息を吐いて、書物の上に置いた。

「それに――あのルカっていう子。なかなか、面白いね」

「そうか? やらんぞ」

「えぇー」

「ルカもなぁ……。あの子はかなりの怖がりなんじゃ。自分が行動を起こすことにも怯えて、何をするのも恐れる」

「そんな子がよく竜に乗れたね?」

「わしも、正直驚いておる。ルカに竜を紹介しても、本当のところはダメかと思っていたくらいじゃ。しかし、あの子はやる時はやる」

「親ばか?」

「違うわい。あの子は……力はあるんじゃろうな。じゃが、恐れるあまりに、自分の力を制御してしまっている。そんな感じじゃ」

「人間の子なのにね」

「強さを持つ者に、人間も悪魔もないわ。そんなこと、ぬしが一番分かっているじゃろう」

「そうだけどね……」

 サフィルは天井を仰ぐ。ゆったりとした灯りに照らされた天井は、淡く色づいていた。どこか遠い昔を見るように、その視線が遠くなる。けれど、それも一瞬のことで、サフィルは脳裏に描いたものを消すように頭を振った。

「じゃが、あの子たちは今、とても不安定じゃ……」

 暗鬱にハクリは顔を曇らせる。

「そうだろうね。何しろ、人間と〝混血〟。異端中の異端だよ。特に悪魔の軍の中ではね」

「そうじゃろうなぁ……」

 ハクリは胸の中にあるもの吐き出すように、重い溜め息を吐く。

「このままではあの子たちの心が崩壊してしまいそうじゃ」

「……そうだねぇ。でも、僕たちには何もできない。ただ、あの子たちに任せるしかないよ」

「そうじゃが……。じゃが、仲間と呼べる悪魔たちから隔絶されて、さらにはカロンと戦うことになったら、あの子たちはどうなるんじゃろうな?」

「僕たちにできることは何もない。――ただ、カロンのことに関して言うなら、必ず倒すことになる」

「……」

「いつも決断とは苦しいものだよ。ハクリ」

 そのことをよく痛感しているサフィルは苦笑した。

「ハクリ」

 その苦笑から一転、サフィルは顔を柔らかくさせた。

「ねぇ、ハクリ。あの子たちを見ていると、まるで昔の僕たちを見ているようだね」

「あの子たち?」

「そ。ルカとレリアとカロン……昔の僕たちと一緒じゃないか」

「……そう、かの?」

「うん。懐かしいね。昔、僕と、あいつと、神と……。あの時が、一番楽しかったよ」

「――そうじゃな」

 まるで遠い過去を見るように微笑むサフィルに、ハクリは頷くしかなかった。ハクリの脳裏にはかつての光景が蘇る。愛らしく微笑む神に、のんびりとしている魔王、そしてそれを遠くから眺めている自分と、そんな自分たちをいつも笑って見ていた人間。確かに、考えてみればそうかもしれない。ただ、そう重ねて見るのは、とても不吉な予感がしてならなかった。

「ハクリ、あの子たちを、僕たちの二の舞にならないようにしなくちゃね……」

 その強い願いが滲んだ言霊は、空虚に響く。これからの戦いに、その願いはきっと叶うことはないだろうと、サフィルは知っているのだ。そして、ハクリもまた。

「あぁ……願わくは、あの子たちの未来に幸多からんことを……」



     * * *



 翌日、王城の南に位置する塔の最上階。その魔術儀式場で魔王の指示で魔術砲台の準備は開始されていた。

「早くしろ!」

 その魔術が放たれる先は天界を守りし、結界【神の階】。その【神の階】の道へと続く天使たちと【神の階】を一掃するためのものである。

 悪魔たちは魔王の号令に、自分たちの勝利を思い描きながらも準備を着々と進めていた。



【神の階】前。多くの天使たちが整列していた。

「悪魔たちが動き出した。いいか、お前たち、何が何でもこの【神の階】を死守せよ!」

位の高い天使の号令に、下級天使たちは敬礼する。その中にもカロンの姿もあった。

「悪魔を殺せっ!!」

 その怒号に、天使たちの敬礼は崩れることはない。むしろ、その目には悪魔を殺すという使命に燃えていた。

 そうして一斉に純白の翼を広げる。目指す先は悪魔の真王国。

 結界を壊すのは、カロンを斥候として送っていたため、打ち破るのはとても簡単なことだった。



 そうして、悪魔の真王国の結界が破られる。

 その結界から多くの天使たちがなだれ込んできた。



 突如、王城の空に天使たちが現れたことで、悪魔たちは狼狽するも、魔将たちの指示により応戦が始まる。その中で、どこの軍にも属さないルカは竜の背に乗り、空を駆けていた。

 空はすでに夕暮れ。

 真っ赤な空の中を、ルカはダスクを駆使して、天使たちの間を縫うように飛び続けた。竜の飛翔に、天使たちは追いつけない。光の矢や、剣、槍を振るうも、竜の速さを前に、なす術もなかった。

 ルカが天使とすれ違いざまに剣を振るう。ダスクの速い勢いと、ルカの力で天使は真っ二つに斬られた。血がぱ、と飛び散る。返り血を浴びる前に、ダスクはさらに速く空を泳いだ。

 そうして、どんどん斬りつけて、殺して、――殺すことの僅かな罪悪感さえ薄れてきた時、ふと、視界に何かが映る。

「……?」

 ダスクに呼び掛けて、空という戦場から地上へと降りた。王城のはずれにある小さな森。そこへと着地したダスクの背中から降りて、ルカは自分の脚で地面に立つ。ダスクが空へと飛びあがった。空の戦場の音は、一切、ここには聞こえてこなかった。ただ静けさが漂っている。

「カロン!」

 視界の端にとらえたもの。それはカロンだった。

 確かにカロンの姿であり、まるでルカのことを誘うように、ひっそりと姿を見せたようだった。

「カロン、どこだ!」

 ルカは声を張り上げた。夕暮れ時の鮮やかで寂しげな赤い光は森の中には届かない。薄ら闇が広がる森の中で、自分の声だけが反響した。

「ルカ」

 気配を感じて振り返れば、そこにカロンがいた。

「カロン……」

「待ってたぜ、ルカ」

 にっこりと笑うと、本当に少女のように見える。それを言えば、カロンは怒るはずだ。今のカロンでも、怒るのだろうか。

「何で、俺を待ってたんだ?」

「強くなったお前と戦いたいから」

「……」

 カロンは、やっぱりカロンだ。

 カロンは――悪魔だと思っていたカロンは〝強さ〟を求めていて、まるで固執しているかのように強さを主張していた。自分の強さも、そして、相手にもまた強さを求めていたのである。レリアと初めて会った時もそうだった。レリアが〝混血〟であるとわかると、すぐさまケンカを売り、ぼろ負けしたのだけれど。それでも強い相手と戦いたいという、欲求はそのままだった。

「カロン」

 ルカはそれを無視して、さらに続ける。

「戻ってこい。俺とレリアと――前みたいに一緒にいよう」

 馬鹿みたいに騒いで、怒って、泣いて、――そんな毎日を送りたかった。今までのように。それが唯一の願いである。けれど、

「まだ、そんなこと言っているのか?」

 ひゅん、と光の矢がルカの頬をかすめていった。ぴ、と、血が飛ぶ。

「言っただろ? オレとあんたは敵同士。殺しあう仲なんだよ」

 真っ青な双眸が鋭い光をたたえて、ルカを睨みつけた。

 ルカは剣を抜く。対して、カロンは指先をルカに向けて、矢を放つ姿勢をとった。

「カロン……」

「ルカ、その甘えはいずれ、死を招くぞ」

 そう言い終えた途端、カロンは光の矢を打ってくる。ルカは茂みへと身を投じて、何とか矢をやり過ごした。

 ――やっぱり戦わなきゃいけないのか。

 ぎゅ、と剣のグリップを強く握りしめる。でも、自分は戦いたくなかった。その迷いでカロンと戦えば、負けるのは自分である。それがわかっているから、こうして隠れているのだけれど。いつまでもこうしているわけにはいかなかった。

「ルカ、出て来い! オレと戦え!」

 カロンの叫ぶ声が聞こえる。でも、ルカは茂みに隠れて、カロンの様子を窺った。カロンは特にルカを探す様子はない。ただ声で、出て来い、と伝えているだけだ。

「出てこないのか、ルカ? それならオレにだって考えはあるぞ?」

 カロンは嘲笑する。カロンは指を高く上げて、人間のルカでは聞き取れない不思議な呪文を唱えた。

 そして、光の波がカロンを中心に広がったかと思うと、そこから一気に光は炎と化して、燃え広がり始める。

「――――っ」

 ルカが隠れている茂みも燃え始め、さらには背後の木も炎に包まれた。

「あぁ、そこにいたのか」

 炎の中、カロンと目が合う。

 ――やばい。

 ルカは立ち上がり逃げようとした。しかし、カロンがルカに向かって指を突きつけ、小さく詠唱を口にする。光の矢が一気に迸り、ルカへと向かった。それがルカに突き抜ける直前、ルカの体はがくん、と乱暴に持ち上げられる。

「い、た……!? って、ダスク!?」

 ルカの首根っこをくわえて、ダスクはぐんぐん上空へと飛びあがった。天使たちの間を目にもとまらぬ速さで通り抜けて、森とは程遠い遥か上空へと連れていかれる。

 そして、ようやく止まったかと思うと、ルカを自分の背へと下ろしてくれた。

「ありがとな、ダスク……」

 どう見ても、ダスクによって助けられたのは明白である。どうやらルカの危険を察知して、飛びにくい森の中までも飛び込んできてくれたのだから、感謝するばかりだ。

 死の恐怖にさらされて、心臓がいまだに大きく弾んでいる。指先までも冷えて、思考もまだ真っ白のままだ。

 ふと、ルカは横を見る。そこには今にも沈みそうな太陽があった。真っ赤に染まる大空に、色づく浮雲はとても美しい。それを見て、大きく深呼吸した。

「ダスク」

 ダスクが、ちら、とルカを見る。

「カロンと一緒に戦ってほしい。そして、カロンを連れ戻そう」

 その言葉にダスクは頷くのを躊躇する要素があったのだろう、少しばかり考えるような仕草を見せた。けれど、すぐに小さく鳴いて、頷いてくれる。

「ありがとな」

 逃げていてばかりではだめだ。 戦わなくては。戦い、そして、ぶつかりあい、カロンの言葉を聞けばいい。

「行くぞ!」

 ルカは剣を抜いて、一気に、地上へと急降下した。


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