三章 竜騎士は狭間に落ちゆく
三章 竜騎士は狭間に落ちゆく
「君たちを竜騎士として認めよう」
悪魔の王国――『真王国』の王城。その魔王の間にて、王の前で傅くルカとレリアは深く頭を垂れた。
「特に君たちの働きには期待しているよ。何しろ、神の御業は竜には効かないとされているからね。まぁ、頑張ってみてよ」
などと、軽い口調で言われてしまう。
神の力を受け付けない竜。そんなことを言われても、期待に応えられるかわからなかった。
力を得ても、こうなってしまったことにルカは戸惑いと、不安しかない。隣にいるレリアは淡々としていた。
どうなるんだろうか、とルカは誰にもわからないように溜め息をつく。
神は、小さく溜め息を吐いた。
天界の城。白亜の一室の、その玉座で神は物思いにふける。さらり、と綺麗な金髪が揺れた。それを耳にかけて、再び溜め息をついた。
人間が竜に乗り、天使を殺した。
その事実が信じられない。
「憎い……」
神はぽつり、と零す。
そもそも神の力は悪魔や人間には効果絶大だが、竜相手では無効化になるのだ。竜単体なら別に大したことはない。しかし、そこに〝人間〟が加われば、天使の脅威となるはずだ。
――危険だ。
このままではいけない。
「憎い、憎い……」
うわごとのように、気づけば呟いていた。
どうしてだろうか?
悪魔も人間も、神にたてつくことばかりしている。どうして、こちらに従属しないのだ。従属すれば、何もかも幸せになれる。そのはずなのに。
その時だった。
どたどたと、荒々しい足音が聞こえる。そして、神の間の扉が大きな音を立てて開かれた。
そこにいたのは血まみれの人間の男。天使が暴れる人間を取り押さえようとしていた。
「どうしたというのです?」
神は淡々と訊く。
「邪神が!」
答えたのは、人間だった。
「お前のせいで、おれは――! 俺の家族が! みんなが! 全てお前のせいで!」
男が吠える。そのたびに、口の端から血の泡が飛んだ。
「殺してやる!」
男の手に持っていたのは棒だった。その先端が切られていることから、おそらくクワなど農具だったのかもしれない。
「死ね!」
男が天使を振り切り、神へと突進した。
「愚かですね」
その一言で、男はぐるん、と白目をむいて、そのまま前のめりに倒れ込む。体を痙攣させて、最後は血を吐いてそのまま絶命した。
「貴方たち」
人間を止められなかった天使に向かい、厳命する。
「すぐにその男を片付けなさい。そして、そのあとはあなたたちも死になさい」
天使たちが懇願するように、神を見上げた。けれど、神は淡々と見返す。天使たちはそれ以上何も言わずに、男の亡骸を震える手で持つと、そのまま退室した。
「……」
神は再び溜め息をつく。ふと、頬が濡れていることに気付いた。
――涙?
何故、自分は涙を流すのだろう。その意味が分からず内心疑問を抱いたまま終わった。
思考は竜に乗った人間――竜騎士のこと。
そして、今もなお憎み続けるあの人のこと。夜明けのような明るい藍色の髪に、いつも笑っていたあの男。
そのことばかりが、思考を埋め尽くしていく。
「絶対に許さない」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、神は呟いた。
あの〝自由の里〟での戦闘があった日。
ルカたちは王国――『真王国』へと来ていた。その王城でルカたちは魔王の力で傷を癒し、体を休めて、ぐっすりと寝て、起きたときには翌日の昼頃だった。
そのあとは王の拝謁やら、竜の調査やら大変で、それはそれで目が回るほどの忙しさで、一息つけぬまま深夜となり、さらには会議となってしまった。
王城にある大きな会議場に、ルカはいる。大きな一室にはさまざまな悪魔たちがいた。魔王、魔将、ハクリ、軍の隊長たちが顔を突き合わせて口論している。ルカは壁近くに直立して、目の前で魔王や、魔将、ハクリ、それぞれの隊長たちが天界について議論を重ねているのを眺めていた。
隣にはレリアがいる。
レリアは静かに目の前の会議を見ていた。見ている、というよりは、視点をそこに置いている。そんな感じだった。
レリアがどう思っているか知らないが、ルカは逃げ出したい気持ちでいっぱいになっている。
どう見ても場違いだからだ。
ルカとレリアは軍人ではない。
では、何故、ここへと呼ばれたのか?
それは――、
「それでは竜騎士である君たちのことを紹介してもらおうか」
ふと、魔王のサフィルが話を振ってきた。
突然のことに、ルカが「え」と固まっていると、レリアが一歩前に出た。
「私はレリア・キャロディです。騎乗する竜は青色の竜です」
レリアがちら、とルカを見る。それに我に返ったルカは、レリアと同じように、前へと踏み出した。
「俺は――私はルカ・チェムノスです。赤い竜に騎乗しております」
うんうん、とハクリが嬉しそうに頷く。
「うん。ありがとう、二人とも。本来なら君たちは休養を取るべきなのに、ごめんね」
「い、いえ」
ルカは慌てて首を振った。サフィルは笑う。
「さて、では我らが三大魔将を紹介しよう」
サフィルの横に座っていた美女が立ち上がった。
「あたしはアリシア・スカーレ。あたしはリリスよ」
緋色の髪が美しく輝く。その妖艶な黒い目が細められた。リリス――それはおそらく、自身の〝悪魔〟のことだろう。
そして、さらにその隣にいる無表情の男が立ち上がった。
「俺はセシル・マテオ。フェニックスだ」
黒い短髪の男が律儀に頭を下げる。その赤い目がルカを挑発するように笑った。
最後に立ち上がったのは、もう一人の男である。
「おれの名前はジュスト・コバス。スフィンクスだよー」
のんびりと紹介した彼は、人懐っこそうに笑った。ふんわりおとした茶色の髪と、その童顔のせいでとても幼く見える。
「さて、紹介が終わったところで、今日の最後の議題を出そう」
サフィルはにっこりとした笑みから一転、険しい顔つきになった。
「これから我らは最終決戦を迎える」
しん、と静まり返った室内に、その言葉はとても大きく響き渡る。ルカはごくり、と息を呑んだ。
――最終決戦。
それは天使と戦う最後の戦争だ。つまり、大きな戦闘が待っているということ。
そして、同時に、ルカとレリアもその戦い加わるということだ。何しろ、この議題にルカとレリアが出席している時点で、それはもう決まっていることだろう。
逃げ出したい思いがさらに膨れ上がった。
竜に乗り、力を得たと言っても、まだそれを完全に制御し、支配できたわけではない。普通なら長い鍛錬を得て、戦闘に出るものだ。
しかし、魔王は最終決戦を迎えるという。
しかも、そう遠い話ではない、近日中の話のようだった。
――怖い。
自分は生きて帰れるだろうか?
隣のレリアを窺えば、レリアは表情を変えていない。けれど、強く拳を握っている。
レリアはレリアで思うところがあるのだ。それは〝混血〟絡みのことで、そればかりはルカには何もできない。
「君たちも驚いているようだが、神が動き始めた。このまま見過ごせば、この王国は滅ぶだろう。それならば、こちらも動かなければならない」
王の言葉に、ルカとレリア以外は頷いていた。
「一週間後」
王はさらに続ける。
「一週間後に、魔術を用いた砲撃で【神の階】に大穴を開ける。そこへ突入する」
――そんな急に。
ルカは驚いて、同時に不安になった。
そんな急に動いて大丈夫なのだろうか? 軍を動かすことは大変なのだとハクリから聞いたことがある。攻め入る準備など、一週間後という短期間でできるのだろうか? それともそうまでしないといけないほど切迫しているのだろうか。
そんな時だった。
どん。
という爆発音が聞こえた。
みんなが席を立ち、窓外を見る。
「何故……!?」
「何で、天使たちがここに!?」
夜から夜明けになる薄っすらと明るい空に、白い影が無数に飛んでいた。それは天使だった。
「何で……?」
王国には結界が張ってある。それなのに、なぜ、天使が王国内にいるのだ?
「どうなっている!?」
ハクリが声を上げた。その時、荒々しく会議室の扉が開かれる。そこに入ってきたのは牛の頭と人間の男の体を持つおよそ人らしくはない人が入ってきた。
「ご報告申し上げます! 天使が攻めてきました!」
「そんなことは見ればわかる!」
「も、申し訳ございません……! ただいま全勢力を上げて対応しております! ただ……」
「何? 言ってごらんよ」
魔王が優しく促す。牛の男は恐縮そうに体を震わせて――、
「も、申し上げにくいのですが……あの天使たちをここへと導いたのは、どうやらカロン・ルノという少年のようで」
「え!?」
思わずルカは声を上げてしまった。隣ではレリアが息を呑んでいるのがわかる。
「ルカ、レリア」
サフィルが優しく声を掛けてきた。見れば、にっこりと笑っている。その笑みが逆に恐ろしく感じてしまった。
「な、何でしょうか……?」
「カロンは誰だい?」
「カロンは……」
ちら、とレリアを見る。レリアは静かにルカを見つめていた。どうやら全てルカに任せる、ということらしい。
「俺たちの友達、です」
「そっか」
サフィルは苦笑いを浮かべた。その苦笑にどんな意味があるかわからない。でも、その笑みの下でいろいろと考えを巡らせているのはわかった。
「ところで君たちはどれくらい彼のことを知っているの?」
「いえ……強くなるために努力を惜しまず、仲間想いで……」
それしかルカは答えられない。知っていることといえば、それくらいしか思い浮かべられなかった。
「……わかった。さて、君たち。さっそくカロン・ルノを探そう」
「カロン、をか?」
ハクリがサフィルに首を傾げる。
「うん。彼から詳しい話を聞きたいからね。でも、乱暴なことはダメだよ。カロンはまだ子供なんだからね」
ぞ、とルカは背筋に悪寒が走った。サフィルが注意する内容は、その注意がなければカロンに何かしらの暴力があったかもしれない、というもの。
何で、みんなはカロンにそんな懐疑的なのだろうか。
「ルカ」
くん、と手の袖を引っ張られる。
「探しに行くわよ」
いつも勝気に笑うレリアが真剣そのもので、ルカに言った。レリアも彼らの言葉に何かしらの意図を感じたのかもしれなかった。
「あぁ」
ルカは頷いて、次々とみんなが出ていく扉へと向かう。
この王国は〝自由の里〟と同じように結界が張ってあった。天使から見つけられない王国は実は巨大な国家である。その結界を維持するのはとても大変なものだが、ここに、魔王がいるためその維持は何とか保たれている。
天使には見えないこの国家は、実は一つだけ弱点があった。
それは密告。
天使に密告し場所が知られてしまえば、その結界はいとも簡単に見破られてしまう。そのため、もし国外で天使に見つかり、王国の場所を吐かされようとしたら、絶対に答えてはいけないという決まりがあった。その一言で、王国が滅ぼされる可能性があるからである。
その重要性をカロンは知っているはずだ。
それなのに天使に密告したという。
――そんなことあるわけない。
ルカはそれを拒絶した。カロンがこんなことをするはずがない。何しろ、その利益がないからだ。むしろ、王国に天使が襲撃するという損害の方が大きい。悪魔であるカロンがこんなことをするわけがないのだ。
「ねぇ、ルカ」
並走するレリアが声を掛けてくる。横を見れば、レリアも考えているのか、その表情はいつになくかたくなだ。
「――何?」
「カロンが、本当にこんなことをしたと思う?」
「思わない。カロンには、こんなことしても無意味だろ」
「そうね。私たちから見たらね」
「……どういうことだよ?」
「さぁ……でも、私もカロンではないことを祈っているわ」
どこか縋るように口にするレリア。レリアが何を言いたいのかわからない。わからないから、ルカはそのままにしておいた。
ここは王城の裏手にある大きな庭。ここを探しているのはルカとレリアだけである。というより、垣根の背が高くてその向こう側が見えず、そこに誰がいてもわからなかった。でも、気配を探ればここにいるのはルカたちだけだということがわかる。
外へと出てきたのを察したのだろう。ダスクと青竜がルカたちの前に降り立った。
「ダスク」
名前を呼べば「どうした?」とでも言うように小さく鳴く。その首筋をルカは撫でた。
「レリア、どうする?」
「そうね。気配はここにはなさそ……」
レリアが言葉を止めて、ば、と背後を振り返る。ルカもつられて振り返れば、そこに一人の少年が立っていた。
綺麗な金色の髪に、くり、とした金色の目。端正な顔立ちはどこか中性的であり、男の子のようにも女の子のようにも見える。その彼――カロンが、笑った。
「やぁ、二人とも」
「カロン!」
ルカはカロンへと駆け寄ろうとする。しかし、レリアに肩を掴まれて、立ち止まってしまった。
「レリア、何するんだよ!」
「……」
レリアは答えない。ただ、目を見開いて、カロンのことを見つめていた。
「レリア……?」
「……あなた」
レリアの視線は相変わらずカロンである。むしろ、ルカが声を掛けていることにも気づいていないのかもしれなかった。
「――天使、ね?」
――は?
ルカはぽかんと口が開いてしまう。
何の冗談言っているのだろうか?
「レリア、カロンは――悪魔だぞ?」
それなのに天使? それは笑える冗談だった。
しかし、レリアはルカの言葉には答えない。そして、あろうことか、カロンからの否定の言葉が聞こえなかった。
「レリア、カロン? どうしたんだよ……?」
二人は答えない。ただ、二人はじ、と視線を交わすだけだった。その異様な雰囲気と、どことなく張りつめた緊張感が息苦しく感じる。
「さすが、レリアだね」
最初に口を開いたのは、カロンだった。
「そうだよ。オレは――天使だ」
「え?」
今度もまた呆けるのはルカの番だった。
「な、何言っているんだよ……? カロンは悪魔だろ? 天使なわけが……」
「察しが悪いね。ルカ」
カロンは笑う。その笑みはカロンの笑みだけれど、どこか違った。
「オレは天使だ。オレは悪魔のフリをしていただけなんだよ。よくできてただろ?」
ルカは絶句する。しかし、レリアは平静だった。
「そう。よくばれなかったわね?」
「そういうあんたこそ、気づかなかったじゃないか」
「そうなのよね……そこが不思議」
レリアはこてん、と首を傾げる。その表情はどことなく不服そうだった。おそらく見破れなかったことが悔しいのだろう。
「オレもそれなりに頑張っているからね。あんたがいつ気づくかひやひやしていたけど呆気ないものだったな」
む、とレリアが眉をひそめた。
「確かに気づかなかったわ。それで、どうして今になって〝自由の里〟に天使を呼んだのかしら?」
「ちょうどいい頃合いだったからな。前期の悪魔たちが国へと移動して、幼い成りたての悪魔たちだけがいる。それに結界が張られて何年もするから、ハクリも油断していた。その隙を突くのは当然だろ?」
カロンが嘲笑するように口元を歪める。レリアはその挑発に乗ることもせず、じ、とカロンを見据えていた。
「それで、あなたがここに天使を呼んだのね?」
「うん。まぁね。――あなたの目的は何? とか訊かないよね?」
「訊いてほしいのかしら?」
「いや、それこそ無益、だろ?」
ばさり、と突然、カロンの背中から純白の翼が現れる。和毛が舞い、その姿はまさに天使そのものだった。
「カロン……」
本当に天使だったのか。
「これでわかっただろ? オレは正真正銘の天使だ。ここへと天使を呼んだのも、〝自由の里〟の結界を壊したのも、このオレだ」
カロンは面白そうに、ルカとレリアを交互に見る。
「でも、かっこいいな。竜騎士か」
カロンが竜へと視線を移した。ダスクたちは真正面からカロンの視線を受け止めて、不機嫌そうに唸る。
「よかったな、ルカ。これでお前も強くなれるじゃないか」
突然話を振られたルカはたじろいだ。
「あ、あぁ、まぁな」
「これで、オレと戦えるな」
カロンがにっこりと笑う。戦う――その言葉に、ぞくり、と悪寒が走った。自分はカロンと戦わなければいけないのだろうか。天使と悪魔ならば、戦うなら当然。でも、自分たちは違う。
「カロン……」
「何だよ?」
「戻って来いよ。俺が説得してやるから」
「は? 何で?」
「俺たち、友達だろ?」
「――オレは、あんたのことを友達と思ったことはない」
あんなにも冷えた目を、見たことがあっただろうか。まるで絶対零度の冷たさと、同時に、全てを焼き尽くすかのような敵愾心をむき出しにした眼差しを、ルカは見たことがなかった。
「……カロン」
「オレとあんたは敵同士。それ以上でも、以下でもない」
ダスクが気遣わしげにルカの様子を窺っているのがわかった。その首筋を撫でながら、ルカはぽつり、と呟く。
「俺はカロンのことを友達だと思っている」
本当に無意識だった。呟いて、自分でも驚いたほどである。カロンは冷え切った眼差しを大きく見開いた。そして、ルカの言葉を聞かなかったかのように、微笑む。
「……それじゃあな、ルカ。次に会う時は殺しあおう」
にこにこと微笑むカロンは、まるでカロンのようじゃないようだった。まるで〝笑み〟という仮面を張り付けて、その下にある本音を隠しているようにも見える。それともそれはそうであってほしいという自分の願望なのだろうか。
カロンが翼をはばたかせて空を舞った。そうして、その青空の中へと消えてしまう。
ルカとレリアは何も言えずに、その姿を見送った。
――待ってくれ。
そう、手を伸ばせないまま。




