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神話 ゼロの畝土<セト>  作者: 四ツ橋ツミキ
空白のセト 外伝
9/9

―力― 滝での交戦

本編( http://ncode.syosetu.com/n3926cq/ )第一章『邂逅3』の、少し後の時間を描いた小話です。

月明かりが大地に映す影が、一つ消えた。


木は寂しかった。

ひとり残されたことを、何日も何日も悲しんだ。


毛者は悲しかった。

ひとりを嘆く木は自分を忘れたのではないかと思い、寂しかった。


毛者は木を慰めたくて、食らった人の血をその体いっぱいに巡らせた。

足の指が伸び、爪が縮んだ。体を覆っていた柔らかな毛はなくなり、褐色の肌が露わになった。

後ろ足だけで立ち上がり、真っ直ぐ木を見上げるその姿は、まるで人のようだった。


木は、思い出した。

一緒に過ごした温かな日、そして失った時の痛みを思い出した。

木はなみだを零した。

落ちた幾千のなみだは新たな木となって生い茂り、やがて、自分の姿を覆い尽くしてしまった。


毛者の声は、もう届かなかった。

毛者も、ひとり残されてしまった。


毛者は歩き出した。

たった一人、行く宛てもなく歩き続けた。


それを月はずっと見ていた。

寂しさに耐え、誰にも頼らずに歩くその背中をずっと照らし続けた。

強くあれ、と、祈りを込めて。





「も、もう一回!」


 雫の焦燥して上ずった声が響き、桜介はそのしつこさに呆れて溜息をついた。

 もう十回目である。桜介はこれまでに雫の胸を突いて喉を裂き、両目を潰している。脳天も割っているし、手足に至ってはそれぞれ五本分ずつは落としているだろう。


「お前なァ……。これが本気のやり合いだったら、とっくに死んでるんだぞ」

「……っ」


 既に体力も限界を迎えているのだろう、雫はなかなか立ち上がれず地面に膝をついたままだ。それでも桜介を捉える雫の眼光は気力を失わず、むしろどんどん鋭さを増しているようにも見える。

 態度だけは一丁前か、と呟くと、まだ動けることを示したかったのだろう、雫は唇を噛みしめてゆっくりと立ち上がった。


「あと一回。これで駄目なら、諦めるから」

「ええー……」


 うんざりしながら再び大きく息を吐き出し、慣れた手つきで短刀を持て遊び思案する桜介。飢えて鳴り続ける腹を抱えながら刀を振るうのは、そろそろ勘弁願いたかったのだ。


「お願い、します。本当に、これで最後だから」

「……」


 が、こうして縋るような目で見つめられるのは悪くない、とも思った。


「じゃ、一回だけ。それ以上やるって言うなら、次は殺しに行くからな」


 雫の意気に押される形で承知すると、その顔がぱっと明るく輝いて見えた気がして、桜介は苦笑した。


「何を笑っているの」

「笑ってねえよ。気のせいだ」


 不機嫌そうに眉を寄せた雫だが、すぐ思い直したように一息ついた。そしてぐっと上体を低く下げて刀柄にふわりと右手を置く。その姿勢でぴたりと止まると、桜介に強い視線を向けた。


「抜刀術か。誘うねぇ」


 桜介は首を大きく回して肩の力を抜き、頭に思い描いた柔軟な動きを擦り込むように、体の隅々に意識を送り込んでいく。


「行くぞ」

「いつでも」


 桜介は短刀を右手で強く、且つ柔らかく握り直すと、勢いよく地面を蹴った。

 大小の石が転がる足場の悪さではあったが、良い速さだ、と自分でも思えるほどに桜介は体の軽快さを感じていた。

 いつも「対手をよく見ろ」と言われる程に視野が狭いのに、今日はなぜか周囲の景色が明るく冴えて見え、同様に、相手がまるで制止しながら一つずつゆっくり動いているようにも感じられる。

 空腹も一つ峠を越えると悟りの域に入るのか、等と、別の事に意識を向ける余裕さえあり、桜介は自分のことながら些かの戸惑いを覚えていた。


 ――来る。


 雫の右手から肩にかけての筋肉が微かに反応し、その足元が小さく砂利をを踏みしめる音を立てたのをはっきりと掴んだ桜介は、地を掛ける速度を更に上げた。そして短刀を持たない空いた手で、雫の刀の柄頭を掌でぐっと押さえ込んだ。


「な……っ」


 非難の声を上げる隙も与えず、桜介は短刀を雫の腹部に突き当てる。


「はい、これで終いだ」


 耳元でからかうように囁くと、雫は顔を真っ赤にして、卑怯だ、と咆哮を上げた。


「何よ、今のは。刀を抜かせないなんて、戦いですらないじゃない!」

「お前だって俺の後ろから斬りかかってきただろ。あれと大差ねえよ」


 そう言いながら桜介は背後を取られないようにと、後ろ歩きで雫から離れる。


「あ、あれは」

「自分は良くてアンタは駄目、なんて子供みてえなこと言うつもりじゃねえだろうな」

「うっ……」


 図星を指されたのか、続けるつもりだった言葉を遮断するように口を真一文字に閉じる雫。

 桜介は、そんな雫の思考回路の幼さを可笑しく思い、盛大に吹き出し笑い始めた。


「今度こそ笑ったわね」

「そりゃ笑うだろ。お前、ガキかよ」


 溢れる笑いを抑えることもせず肩を揺らし続ける桜介に、雫は頬を赤く染めたまま、ぷいと顔を背けて背中を向けた。その態度が更に滑稽さを際立たせ、桜介の笑い声はますます大きくなって止まらない。


「いい加減にしてよ、もう……」

「す、すまん。けど……ああもう、腹がいてえ」


 桜介は弾む感情を抑えようと、目じりに湧いた涙を拭って深く息を吸い込んだ。そして短刀を腰の鞘に納めながら、こんなに腹の底から笑ったのはいつぶりかと思った。


「あ、そうか」


 突然、ある事実に気付いた桜介は声を上げた。

 ここは、月が生まれたとされる聖域のすぐ傍であることを思い出したのだ。月の影響が強く根差すこの地なら、自分の力が何倍にも研ぎ澄まされた今の状態に合点がいく、と納得した桜介は、自分の手を握ったり開いたりしながら改めてその心地よい程の強い気勢を確認していた。

 その時だ。


「……っ!」


 寸でのところで躱したと思った切先は、体の動きから僅かに遅れた髪の先を断絶していた。


「……余所見しているところを突くのは、卑怯じゃないよね?」


 雫の笑みが不敵に光る。桜介は小さく、この野郎、と呟いた。


「次は殺すって言ったよな?」

「いいよ。死なないから、私」


 和やかだった空気が、突として殺伐としたものに変わる。

 雫はもう笑っておらず、桜介の放つ気配もそれに応じてじわりと変化した。


「俺は本気だぞ」

「こっちだって」


 滝風が、二人の間を吹き抜ける。近くで囀っていた鳥が慌ただしく飛び立ち、辺りは滝の轟音が響くのみだ。

 桜介は、仕舞ったばかりの短刀の柄に再び手を掛けた。







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