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異世界で結婚させられることになりました

作者: 石田ゆうき

「そなたには、この中から結婚相手を選んでもらわねばならん」


 目が覚めて、最初に聞いた言葉がこれでした。私は柔らかいベッドの上で、ぼんやりとあたりを見回しました。4人の男の人がいます。私に声をかけた男性が奥にいて、3人の若者が前にならんでいました。


 自分に何がおこっているのか、わけがわかりません。私の記憶では、病院で心臓病の手術をしていたはずなのです。とするとここは天国なのでしょうか。そうなのかもしれません。私が座っているベッドは、物語に出てくるような綺麗な天蓋付きの物で、部屋もとても豪華だったのです。


 私に声をかけた男性は、たくましい体つきでヒゲを生やしていました。お父さんと同じくらいの年齢でしょうか。ほりの深い、いかにも男らしい男の人で、そばにいると安心できそうです。


 右側には金髪巻き毛の少年がいます。女の子のような中性的な容貌で、長いまつげが印象に残りました。彼は、目があったとき優しく微笑んでくれました。天使のような透き通った笑顔です。……顔が熱くなるのを感じました。


 正面の人は二十代くらいにみえます。真っ直ぐな銀髪を腰のあたりまで伸ばしています。いままで見た中で一番綺麗な人でした。見つめると、彼に目をそらされました。けれどすぐに、その切れ長の瞳で流し目を使ってきました。……私は息が止まるような思いで、うつむいてしまいました。


 すこし呼吸をととのえてから最後の一人を見ると、私のことなど興味がない、といわんばかりに横を向いていました。黒い髪に黒い瞳。鼻が高いことと、色が白いことをのぞけば、日本人のようにも見えます。


「今すぐ4人の中から決めないといけないのですか?」


 私はこう質問してみました。実行するかどうかは別として、彼らの望みを確かめようと思ったのです。けれどその言葉を聞いた彼らは、笑い出しました。


「……オホン。聖女殿、二つ間違いがあるな。これから半年の間、この『3人』をここに通わせる。それでそなたが気に入った者を夫とすればよい。もうわかっていると思うが、ワシは候補ではないぞ。こんな年寄りの相手をしろと言われても困るであろうからな」


 ──このあと簡単な説明を受けました。

 私が異世界から呼ばれた「聖女」であること。と言っても何かをしないといけないわけではないようです。ただ居るだけでいいのだ、と。ただ一つ、結婚が聖女の義務となります。半年後には、どうしても夫を決めなくてはなりません。



 * * * * *



 さっそく次の日に、金髪の少年はアマデウスが訪れました。彼は年配の男性ゼルギウスの息子で、この国の第二王子です。アマデウスは来るなり楽器を披露してくれました。銀色の竪琴かき鳴らしながら、綺麗な声で歌ってくれるのです。私は陶然とした思いで、ただ聞き入っていました。曲の合間にはアマデウスがとびきりの笑顔まで見せてくれます。とても幸せな一日でした。



 * * * * *



 次の日は誰も来ませんでした。彼らが来るのは週に一度づつだけです。けれど私は、館にある本を読んで楽しく過ごせました。元の世界でも同じような生活だったので、とくに不満はありません。家事はすべて、メイドの人たちがやってくれ、とても快適な暮らしです。



 * * * * *



 三日目、私はバラの香りで目を覚ましました。なんと部屋中にバラが飾ってあったのです。驚きながら寝室から居間に向かうと、その部屋もバラだらけでした。しばらくすると、両手に大きな花束を抱えた銀髪青年、ディートリッヒが登場しました。彼は花のほかにも、服や宝石、色とりどりのお菓子までプレゼントしてくれました。ディートリッヒは、地位でも領地でも財産でも、この国で一番の貴族です。このていどの贈り物なら、百年贈り続けてもたいしたことはない、と笑っていました。



 * * * * *



 三番目の男性、黒髪のエヴァルトが来る日、私は浮かれていました。特別に彼が気になっていた、というわけではありません。いまの状況に酔っていたのです。元の世界では会ったこともないような素敵な男性が、次々と訪れてくれるのです。そして私に気に入られようと、せいいっぱい優しくしてくれるのです。私は有頂天になっていました。


 エヴァルトは、客間に入ってすぐに人払いをしました。二人きりにするように、とメイドに厳しく言いつけたのです。その険しい口調が気になったものの、その時点ではまだ、私は楽観視していました。むしろ、手を握られたらどうしよう、それともいきなり抱きしめられるかも、とドキドキしていたのです。愚かにも。


「勘違いするなよ、聖女カノン。オレたちは、義務としてここに来ているだけだ。

それを喜んでいるわけでも、おまえを愛しているわけでもない」


 エヴァルトの言葉に、頭が真っ白になりました。何もしゃべれず、身動き一つできませんでした。……それから後のことはよく覚えていません。エヴァルトが何か話しかけていたようですが、すべて耳を通り抜けてしまいました。


 私がようやく落ち着いたのは、寝室のベッドに寝転んだあとです。エヴァルトが去ったあとも茫然自失していた私を、メイドさんが運んでくれたようでした。私は枕に顔を埋めました。正気になって最初に感じたのは、怒りでも悲しみでもなく、恥ずかしさでした。


 私が結婚を強制されているように、彼らも強制されていたのです。考えるまでもなくわかることでした。私は寝顔を見ただけで求婚したくなるような女の子でしょうか? もちろん否です。そうわかってしまうと、アマデウスとディートリッヒとの事も恥ずかしくて仕方なくなってしまいました。彼らは仕事として仕方なくやっているのに、私は夢中ではしゃいでいたのです。

 ……次にアマデウスと会うのが三日後なのがせめてもの救いでした。



 * * * * *



 それからの二日間は、寝室にこもって本を読むことで過ごしました。本が好きなことは本当ですが、今回は一人にしてもらうための口実という意味合いのほうが強かったのです。よく考えれば、はしゃいでいる姿をメイドさんたちにも見られているのです。恥ずかしくて、メイドさんたちと顔をあわせるのも気まずくなってしまったのでした。



 * * * * *



 次の日に訪れたアマデウスは、楽器ではなく遊具を持ってきていました。サイコロと綺麗なカードです。メイドさんから、私が落ち込んでいると聞いたのかもしれません。彼はあまりいろいろ話しかけたりせずに、微笑みながらゲームに誘ってくれました。私は本も好きですがゲームも大好きです。病院では時間がありあまっていたので、将棋や囲碁などそこそこの腕前だと自負しているくらいなのでした。


 それでアマデウスが教えてくれた「勇者と魔王」というゲームを、二人でやりました。遊ぶうちに私の気持ちもほぐれてきて、アマデウスとも自然に接することができるようになりました。けれど──


「よかった。やっと笑ってくれたね」


 そう優しく笑いかけられて、また言葉が出なくなってしまいました。ゲームの都合上、二人の距離はかなり近いのです。私は顔を真赤にしていたことでしょう。

 ……イケメンとはおそろしい生き物です。演技だとわかっていても、これほどときめいてしまうのですから。



 * * * * *



 ディートリッヒに会う日までには、私も開き直っていました。本意ではないのでしょうし、演技なのでしょうが、優しくはしてくれるのです。どうせ結婚はさけられないのですから、彼らを好きになれるよう、この夢を楽しむことにしたのです。


 ディートリッヒは今回も、たくさんの贈り物をもってきてくれました。けれど前回とは内容がすこし違います。花と宝石がなくなっていて、かわりにヌイグルミとおもちゃが増えていました。私は驚きました。ディートリッヒは、たった一日で私の嗜好を正確に見抜いたようでした。


 ……私はあまり花が好きではないのです。どうしても病院のお見舞いを思い出してしまうから。けれど元の世界でもこっちでも、そんなことは一度も言ったことはありません。どうしてバレてしまったのか不思議でした。



 * * * * *



 そして、ついに二度目のエヴァルトの番がきました。

 自分のことを嫌っている人と会うのは、気が重いことでした。けれど彼も役目を頑張っているのです。逃げるわけにはいきません。


 ……それに私のほうは、それほどエヴァルトを嫌ってはいなかったのです。たしかに厳しいことを言われましたが、あれはただの事実なのです。それに、なにも知らずに浮かれているくらいなら、今の方が良かったとも思えます。半年間ずっと大はしゃぎして、それから現実を知らされたりしたら悲惨ですから。


 エヴァルトと会うことで私は緊張していたのですが、それは彼の方も同じだったようでした。大きな花束を抱えた彼は、入り口で深く頭を下げました。


「このまえは悪かった。思った以上におまえを傷つけてしまったようだ。オレにできるつぐないはあるか?」

「気にしないでください。私はもう平気ですから」


 雲の上まで舞い上がっていたので、落ちた時のショックはかなりのものでした。けれどいまは、その時の自分を笑えるくらいに回復していました。


「聖女様、この花はいかがいたしますか?」


 私たちが見つめ合っていると、横からメイドさんの声がかかりました。彼女はエヴァルトから受け取った花束を持って、とまどっているようでした。


「何を言っている? 花瓶ならいくらでもあるだろう」

「聖女様は花がお好きではないから控えるように、とディートリッヒ様からいいつかっておりまして……」


 そういえば最初の日には飾られていた、寝室やテーブルの花がいつの間にかなくなっていました。代わりに熊や犬の可愛らしいヌイグルミが置かれています。

 エヴァルトが不安げに私を見ました。


「ごめんなさい。でも、気持ちは嬉しいです」

「……そうか。すまん、悪気はなかったんだ」


 しょげているエヴァルトを見て、すこしカワイイと思ってしまいました。

 ──それからお茶を用意してもらって、ゆっくりお話することになりました。せっかくなので、エヴァルトの花はテーブルの上に飾ってあります。お茶を飲んで落ち着いたエヴァルトは、私に元の世界のことを聞いてきました。

 

「どうしてそんなこと聞くんですか?」

「話したくないか?」

「そういうわけではないのですけど……」


 嘘です。本当は元の世界のことなど語りたくありませんでした。

 特別不幸だったわけではありません。両親は優しかったし友達もいました。けれど、一生のほとんどを病院で過ごした私には、自分が生きた意義を見いだせなかったのです。私は、お父さんとお母さんを心配させるためだけに生まれたのでしょうか。そう思うと悲しくなります。


「……オレの母親も異世界から来た聖女だったんだ」


 エヴァルトがぽつりとつぶやきました。口調からして、彼のお母さんは亡くなっているようでした。私は元の世界のことを喋り始めました。彼がお母さんのいた世界のことを知りたいというなら、叶えてあげようと思ったのです。


 私は狭い世界で生きていました。自分の情報をはぶくと、あまり語ることがなくなってしまいます。私は病気のことを含めて正直に話すことにしました。そばで給仕をしていたメイドさんが涙を浮かべます。私にとって同情は見慣れた景色です。


 対する私の気持ちは、花のそれと同じです。もちろん口に出したことはありませんが。エヴァルトも私をあわれんでいるのでしょうか。それまで黙って聞いていた彼は、急に立ち上がりました。彼の顔を見て私は驚きました。


 エヴァルトの整った顔が、怒りと憎しみでゆがんでいるのです。私は息が止まるような思いで彼をみつめていました。彼はなにに怒ったのでしょう。同情を引くような私の話しぶりが気に入らなかったのでしょうか。

 エヴァルトはそのまま「悪い」と一言だけ告げて帰ってしまいました……。



 * * * * *



 アマデウスの日。私は楽しみにしていました。なぜならお手製の将棋盤と駒を用意していたからです。今まで私はただ貰うばかりでした。夫婦になるかもしれないのですから、それではいけないと思うのです。前回のゲームは、落ち込んだ私のためだったのでしょうが、アマデウスもかなり楽しんでいるように見えたのです。


「ショウギ? へぇ、ちょっと複雑だけど面白そうだね」


 思った通りアマデウスは興味示してくれました。彼は頭が良くルールをすぐに覚えてしまいました。さっそく実戦です。しかしここで一つ問題が起きました。初心者相手なので私が駒を落とそうとすると、彼が拒否したのです。


「このボクにハンデ? ありえないね。勝負は対等の条件だから面白いんだよ」


 ボコボコにしました。10回連続で圧勝です。私は元奨励会の人に勝ったことがあるくらいの実力です。いくら頭が良くても、ルールを覚えたばかりの人に負けることはありえません。


 将棋自体は差がありすぎて退屈なものでした。けれど私は十分に楽しむことができました。負けがこんできたアマデウスが、イライラして本音を漏らすようになったからです。「チッ」「クソ」「どうして同じ戦力でボクが負けるんだッ」


 私の前ではずっと、天使のようなほほ笑みを浮かべていたアマデウス。ですが、けっこう黒い本性を持っていそうです。自信家で子供っぽい。でもそれを含めて好きになれそうな気がしました。



 * * * * *



 ディートリッヒには勉強を教わることにしました。一人でいる時に読んだ本のことなど質問してみます。最初は驚いたディートリッヒですが、私が本心から望んでいると察すると、家庭教師を引き受けてくれました。


 ディートリッヒは厳しい先生でした。それまでの甘ったるい雰囲気は雲散霧消し私は受験生にでもなったかのようです。彼は私が間違えても怒ったりはしません。かわりに遠回しに皮肉を言うのです。彼もこっちが本来の姿なのでしょう。ポンポンと出てくる意地悪なセリフは、とてもディートリッヒに馴染んでいました。


 ……ただ、皮肉を言うディートリッヒには、おかしな色気があり、よく私は狼狽させられました。顔を紅潮させてうつむいたりすると、すぐさまからかわれます。


「やれやれ、聖女様はなにをお考えかな。……それともカノンがしたい『お勉強』というのは、こういう勉強なの?」

「か、顔を近づけないでください!」



 * * * * *



 エヴァルトは、今度も緊張した面持ちで入ってきました。手には小さな箱があります。何を持ってきてくれたのでしょうか。


「……この前は悪かった。いろいろと、な。わびというほどでもないが、クッキーを持ってきたんだ。好きなんだろ?」


 前回の花の失敗をふまえ、今度は私の好みを聞いてきたようです。別れぎわの表情が怖かっただけに、普通に接することができて安心しました。メイドさんたちがお茶とお菓子の用意をしてくれます。その中にエヴァルトの持ってきてくれたクッキーもあるのですが──


「はじめて作ったが、けっこううまくできた。ピリリと苦味が効いててかなりうまいぞ?」


 ……苦味は効かせちゃダメです。エヴァルトのクッキーは、黒ずんでいました。一つ食べてみました。甘みがすくなく苦味があり、クッキーとは言えない物体でした。けれど食べられないというほどではありません。お茶や他のお菓子でごまかしながら食べることにしました。完食するのに苦労しましたが、嬉しそうなエヴァルトが見れたので満足です。



 * * * * *



 ──そして、あっという間に5ヶ月が過ぎました。


 アマデウスとは将棋を続けています。毎回「今日はすごい戦法を考えてきたよ」と自信満々で入ってくる彼が、「クソッ、また負けた……!」と言って帰るのがいつものパターンです。最初のころの甘々な様子はまったくなくなり、よく暴言もはかれます。けれど私も「相手が弱すぎて退屈です」などと言うのでお互い様です。


 ディートリッヒとの勉強会は二月ほどで終わりました。かわりに彼といっしょに事務作業をするようになりました。……正直、意味がわかりません。「私はいそがしいのでね。週ごとに丸々一日とられるのは厳しいと思っていたのだよ。こうすればカノンの勉強にもなるし、私も楽ができる。素晴らしいね」うまく利用されているのですが、ディートリッヒは口がうまく、反論しても言いくるめられてしまうのでした。でも、同じ作業をするようになって、彼との距離が縮まったような気がするので良しとしておきます。


 エヴァルトとは穏やかな日々が続きました。最初のことを思えば信じられないくらいです。彼がする話は母親のことが多く、かなりのレベルのマザコンであることがわかってきました。また、ごくまれに私にも甘えてきます。こっちでも元の世界でも、私は頼るだけで誰かに頼られることなどありませんでした。だから彼の態度は新鮮で、悪い気はしませんでした。旦那様候補としては、どうかと思いますが……。


 そうやって楽しく暮らしていた私ですが、約束の期日があとひと月に迫り、不安になってきました。3人とも素敵で、そのことに不満はありません。私にはもったいない人たちです。誰が良いか選べない、ということでもありません。


 結婚するということ自体に不安がわいてきたのです。いまさら何を言う、と怒られそうですが、こっちに来た当初は頭で理解していても、実感していなかったのでしょう。元の世界でも結婚したことはなく、もちろん恋人もできたことがありません。それどころか、同年代の男の子との会話ですら珍しいことでした。


 気分を変えたくなった私は、外に散歩に行きたい、とメイドさんに言いました。けれど、あっさり断られてしまいました。アマデウスとディートリッヒにも頼んでみました。「外は危ないから」とやはり断られました。


 よく考えてみると、私がいける場所には窓もありませんでした。どうやら私は軟禁されていたようです。5ヶ月もたってから気がつくなんて、我ながら間が抜けています。もしかしたら前に来た聖女の人が、結婚を嫌がって逃げ出した事があるのかもしれません。明日エヴァルトにも頼んでみて、断られるようなら諦めることにしました。なにかを諦めることには慣れています。



 * * * * *



 肩を揺すられて目を覚ましました。いつもなら明かりがついているのに、真っ暗なままです。うっすらと、私にのしかかるような影が見えました。思わず悲鳴が口をつきます。


「オレだ、落ち着けカノン」


 影が私の口を抑えながら言いました。エヴァルトです。

 もしかして彼は……。私の体が震えます。


「……! い、いや違う! よこしまな事は考えてない。おまえが外に出たがっていると聞いたから来たんだ。今日しかチャンスがない。どうする?」


 エヴァルトはあせったように早口で言いました。闇になれた目で見ると、彼はいつもの洗練された服ではなく、分厚い毛皮のコートを着ています。たしかに、色っぽい用件ではなさそうでした。


「外に行きたい。連れて行ってください」


 エヴァルトの言葉に納得した私は、迷うこと無く返事をしました。外に出たいと思わなかった時は大丈夫でしたが、いったん出たいと思ってしまうと、気になって仕方なくなってしまったのです。エヴァルトは私にも毛皮のコートを着せました。エスキモーが着ているような、本格的な防寒具です。この世界はいま冬なのでしょうか。


 エヴァルトに手を引かれ進んでいきます。居間の扉を開け廊下を走り、階段を登りました。階段を上がると窓が見えました。星がまたたいています。そこで私がいたのが地下だったのだとはじめて知りました。エヴァルトは窓を開けました。彼は私を抱え上げ窓から外に出ます。そこで私は悲鳴をあげそうになりました。窓の外には怪物がいたのです。鷹のような頭と羽をもつ四足の獣でした。


「大丈夫だ。こいつはオレの騎獣のウォルフだ」


 エヴァルトは片手で私を抱え上げたまま、ウォルフの上に飛び乗りました。彼は私を抱きしめるような態勢で、手綱を握ります。


「いまから飛ぶけど、心配はするな。オレがかかえているから、絶対に落としたりしない」


 言うなりウォルフが軽やかに飛び立ちました。大きな翼で力強く飛翔していきます。冷たい風が吹き付けてきて、コートを着せられた理由がわかりました。


「怖いかもしれないが、すこしだけ我慢してくれ。このあたりでゆっくりするのはマズイ」


 エヴァルトは、私が空の旅に怯えることを心配しているようです。

 ──けれど私はそれどころではありませんでした。なにせエヴァルトと正面から抱き合うような態勢なのです。胸がドキドキして止まりません。すこし距離を開けようと、体を離してみました。すると、私がバランスを崩したと勘違いしたのか、エヴァルトに左手で強く抱きしめられました。ますます心臓の鼓動が早くなって、息苦しくなってしまいました……。



 * * * * *



「悪い、そんなに怖かったか?」


 地面におりてからもしばらく動かない私を見て、エヴァルトが心配そうにしていました。もちろん私が動けないのは恐怖のせいではありません。高い空から地上を見たりしたら怖くなったかもしれませんが、私に見えていたのはエヴァルトだけなのです。恐怖を感じるヒマなどありませんでした。


 肉体的接触に免疫のない私には、刺激が強すぎる旅でした。元の世界はもちろんこっちに来てからもこんな経験はありませんでした。婿候補とはいうものの、3人は手を握ってもこなかったのです。3人が紳士なのか私に魅力がないのか、おそらく後者なのでしょうが……。


「ほらカノン、そろそろ正気に戻れ。せっかくこんな所まで来たんだ。アレをみなきゃ損だぞ」


 エヴァルトが指差すほうを見ると、綺麗な朝日が見えました。下には一面に広がる雲の海。まったく地面が見えませんでした。


「綺麗……」



 * * * * *



「カノン、大事な話がある」


 ぼうっと朝日を眺めていた私にエヴァルトが呼びかけました。


「逃げたいか? おまえが望むなら下界に連れて行ってやってもいいぞ」

「下界?」


「気づいてなかったのか? オレたちがいるのは空に浮かぶ大陸だ」


 驚きで声も出ませんでした。大陸が浮く、などということがありえるのでしょうか。けれどエヴァルトの顔は真剣で私をからかっているような様子はありません。


「それでどうする? この大陸にいるかぎり、国の支配から逃れることはできないが、下界なら大丈夫だ」


 自由になれるのでしょうか。心が惹かれました。元の世界でも手に入らず、この世界でも得られなかったものが目の前にあるのです。

 

「……でも、私はなにもできません。下界に行ったとしても暮らしていけません」

「オレが助けてやる。おまえが一人で暮らせるようになるまで守ってやる」


「……ずっと一人では暮らせないかもしれません」

「なら、一生オレがそばにいてやる」


 そう言って、エヴァルトは私を抱き寄せました。



 * * * * *



 エヴァルトは食事の用意をはじめました。下界にいくためにはウォルフをしっかり休めて、たっぷり餌をあげておかないといけないのです。ウォルフの次は私たちのご飯です。エヴァルトの用意ということで、すこし身構えてしまいましたが、サンドイッチがメインの普通の朝食でした。


 エヴァルトといっしょに下界にいく決心はしました。けれど残された人がどうなるかが気になってきました。メイドさんたちが罰を受けたりしてしまうのでしょうか。そもそもどうして、私なんかと結婚する事が重要なのでしょうか。


「私が逃げたら、なにがおきますか?」

「……。」


「エヴァルト?」

「知らないほうがいい」


 そう言われて素直にうなずけるでしょうか。私はエヴァルトを問い詰めました。

 その答えは途方もないものでした。


「おまえがいなくなれば、近いうちにこの大陸は地に落ちる。聖女の役割は、この大陸を浮遊させる力を男に与えることだ」


 私が逃げたら、大勢の人が命を落とすことになるでしょう。そんな選択をとれるわけがありません。これほど重要なことを隠して誘ったエヴァルトに腹がたってきました。


「やっぱり私は下界には行きません。家に戻してください」

「……おまえが望むならそうする。だが話をぜんぶ聞いてからにしてくれ」


 ウォルフに向かって歩き出した私の肩を、エヴァルトがつかみました。


「聖女は生け贄だ。大陸は救われるかもしれないが、おまえは幸せになれない」

「……生け贄。私は殺されるのですか?」


「殺されはしない。だが生涯、塔に閉じ込められる」

「……それくらいなら。どうせ今までも似たような生活でした」


「人と会うこともできなくなる。唯一会えるのは夫だけ。だが聖女に選ばれた者は法皇として膨大な仕事に追われることになる。つまりおまえは、残りの人生のほとんどをひとりぼっちで過ごすことになるんだ」


 ……想像して、震え上がりました。元の世界でも不自由ではありましたが、ひとりぼっちではありませんでした。お父さんもお母さんも、時間がある限りお見舞いに来てくれましたし、時には友達や親戚も来てくれました。


「おまえは元の世界でもツライ目にあってきたんだ。この大陸のために犠牲になる必要なんかない」


 前にエヴァルトが怒った理由がわかりました。彼は私の境遇を聞いて、私の運命に憤ってくれたのでしょう。不幸であったかもしれない彼のお母さんと、私を重ね合わせていたのかもしれません。エヴァルトの気持ちはありがたく思いましたが、私の気持ちはすぐに決まりました。


「エヴァルト、家に戻してください」



 * * * * *



 それまでの日常がもどってきました。メイドさんもアマデウスもディートリッヒも、私の外出のことには一切触れませんでした。怒られると思っていたのでホッとしました。


 ──異変はエヴァルトが来るはずの日におこりました。

 彼のかわりにアマデウスがあらわれたのです。


「エヴァルトはどうしたんですか」

「……彼は候補からはずされたよ。今は牢に入れられている」


「どうして……!?」

「聖女を連れ出すなんて重罪を犯したんだ。当然のことだよ。死刑にならずにすんだだけ運が良い」


 あの日のことは、外を見たかった私をエヴァルトが連れだしてくれた、とだけ言ってあります。大陸から逃げ出そうとしたことなど、おくびにも出していません。だから私は、エヴァルトが重い罰を受けることはないと楽観していたのです。けれど、実際は違いました。連れだしただけで、殺されても仕方のないほどの重罪だったのです。エヴァルトには、当然そのことはわかっていたでしょう。それなのに彼は一言の不満も漏らさず、私の望むままに行動してくれました。


「エヴァルトを連れて来てください! 無事な彼の姿を見るまで、私は結婚相手を選びませんし食事もとりません!」



 * * * * *



 3日がたちました。宣言どおり、ご飯は一口も食べていません。

 空腹はまだ我慢できるのですが、喉が乾いて辛くなってきました。昨日、あやうくお風呂の水を飲みそうになってしまいました。偉そうなことを言いましたが、心が折れそうです……。


 その日、なにかが起こりそうな予感がしました。メイドさんたちが、なにかソワソワしていたのです。そして昼食のあとに(もちろん私は食べていません)一人のメイドさんが、嬉しそうな顔で寝室に入ってきました。彼女の話ではエヴァルトが釈放され、ここに向かっているということでした。



 * * * * *



 夕方ごろ、エヴァルトが訪れました。彼だけでなく、ゼルギウス、アマデウス、ディートリッヒの3人もいます。


「絶食なんてバカなまねはやめろよ。おまえはただでさえ小さいんだから、メシはしっかりくわなきゃダメだろ」


 エヴァルトは、会うなりそんなことを言いました。けれど、彼のほうこそやつれていました。牢獄の暮らしはつらいものだったのでしょう。


「聖女よ、そなたの願いどおりエヴァルトを連れてきた。かわりに、期日よりすこし早いが結婚相手を選んでくれぬか?」

「私は──」


「待った!」


 国王ゼルギウスの言葉に答えようとした私を、アマデウスが遮りました。


「ムダかもしれないけれど、言っておきたい。……最初に会った時は、ただ自分の義務を果たそうとしていただけだった。でも今のボクは、君に選んで欲しいと心から思っている」


 意外なことに、それはアマデウスの告白でした。聖女と結婚すれば、なにやら偉い地位につけるようです。けれど王子の彼にすれば、どうしても欲しい物ではないでしょう。信じられないことに、アマデウスは本気で私を望んでくれているようでした。アマデウスは私を真摯に見つめています。


「ふむ……。ディートリッヒは何か言いたいことはあるか?」

「いえ。私は負ける勝負はしない主義です。もしも振られでもしたら、自分も相手も許せなくなりますので」


「エヴァルトはなにかあるか?」

「オレも言うことはありません」


「そうか。ならばあらためて問おう。聖女カノン、そなたは誰を選ぶ」


 4人の視線が私に集まりました。最初から心は決まっていましたが、いざ言うとなると緊張します。私は深呼吸を繰り返しました。そして口を開きます。



 * * * * *



 その日から私の住処が変わりました。大陸の中央にある白い塔、その5階です。生涯ここから出ることはできません。エヴァルトが言っていた「夫しか会えなくなる」というのは、そういう法律があるわけではなく、物理的に不可能だという意味でした。私が4階への階段を通ろうとすると弾き飛ばされます。同じように、夫以外の者が5階に上がろうとしても弾き飛ばされてしまうのでしょう。


「カノン、どうした? ぼうっとして、調子でも悪いのか」


 窓から外を眺めていると、後ろからエヴァルトに抱きしめられました。結婚してから、彼はほとんど毎日ここに通って来てくれています。


「ううん、大丈夫よ。すこし考え事をしていただけなの」


 振り返ると、テーブルの上に今日も大量の「おみやげ」が乗っていました。まずエヴァルトのお菓子。ただし彼の手作りではありません。一度、また作ってくれないのかと尋ねたことがありますが、その時は「そんな時間があるならおまえに会いに来る」と言われ、赤面することになりました。


 それからアマデウスの棋譜。彼とは一日に一手づつの将棋を指しています。一局が終わるのに4ヶ月ほどもかかる気長な勝負です。いまだに私が負けたことはないので、アマデウスは私を負かすまで続ける気かもしれません。


 そしてディートリッヒの大量の書類。私は昼間、一人で事務仕事に励んでいるのです。けれど文句は言えません。エヴァルトが毎日会いにこれるのは、ディートリッヒが彼を助けて、仕事を処理してくれているからなのですから。


 その時、下の階から竪琴の響きが聞こえてきました。エヴァルトを見ると、彼はうなずきました。どうやらアマデウスもいっしょに来ていたようです。アマデウスはときどき遊びに来て、音楽を聞かせてくれるのでした。


 静かなバラードが奏でられています。エヴァルトが私を優しく抱き寄せました。彼も音楽で気分が盛り上がったのかもしれません。


──私を連れだしてくれたあの日、エヴァルトは大陸に残ったら幸せになれないと言いました。


 元の世界では病院というカゴの中、今は塔というカゴの中。たしかに場所がかわっただけで、自由がないのはいっしょです。


 けれど、私はいま幸せなのでした。

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