表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

The touched hand.

 



「どうしたの?」

 見上げれば、夕日を背にした知らぬ人。何と返せば良いか困ってしまって、膝を抱えた手に力を込め俯いた────決して涙に(まみ)れた顔を晒したくなかった、とかでは無い。

 強がりだと思うだろうか。強がりでは無いのだが。その人は顎を軽く握った指の背で撫でて考えていた。その仕草に、誰かを思い出した。誰だっただろうか。写真でしか知らない母か、写真どころか話ですらあまり触れない父たちか、私のそばから母の忠実な犬のように離れない父代わりの『ドール』か。私は誰だっけ、とずっと沈黙に溺れながら記憶を探っていた。ああ、父も母もいない私の保護者たる、伯母さんだったかもしれない。

「帰らないの?」

 赤い、長めの髪を掻き上げて訊く。柔らかな音に、私は頭を振った。横にだ。帰りたくない。そう思った。涙も止まらないし。

 家に帰りたくないのは、別に何かしたとか、何かされたとかではない。私は何か癇癪を起こすような熱は無いし、父代わりの彼は『ドール』で在るがゆえ、人間に何か悪意を含む行為をしたりする発想が無い。躾のために叱ったりすることは在る。善悪の定義を、人間よりは知っているんだろう。そんなことは無いと彼は否定するだろうが。

 私と彼は巧くやっていた。家族としても同居人てしても。それでもどうしようも無いときが在る。

 たとえば、不意に、込み上げる空虚感。

 私には父と母がいない。母は私を産んですぐに亡くなり、父は二人いるが書類上の父はすでに亡く、遺伝子上の父は行方不明だ。書類上の父の姉たる伯母は母とも友人だったらしくやさしく、保護者として何の落ち度も無い。

 どうしようも無いのだ。誰も悪くない。母は私が困窮しないようにいろいろ用意周到に準備してくれて、父は、一人は死んでいて一人は私の存在を知らないはずだ。

 私の感情の行き場は無い。こうして、一人で泣くしか無いのだ。

 そう、と一つ頷いて、その人は頭を撫でて来た。逆光で顔が認知出来ないのに、微笑んでいるような気がした。

 知らない人間には付いて行っちゃいけない。知らない人間とは、一人のときは出来るだけ関わっちゃいけない。『ドール』の彼が私に言い付けていたことだ。だが私は、その人がどうにも悪い人には見えなかった。

 と言うか、私は彼を知っているような……。

 私が思いを巡らせていると、遠くで私を呼ぶ声がした。私は思わずびくっと体を震わせた。すると。

「ほら、呼んでいるよ」

 私へ手を差し出した。夕日はだいぶ沈み、その人の顔は見えそうなのに今度は暗がりとその人の髪で隠れてしまって見えなかった。涙はもう引っ込んでいた。私はその手を取った。ぐいっと引っ張られ立ち上がる。腕を引きながら、その人は私の腰に手を当て支えてくれた。私はその人を仰ぎ見る。

「おいき」

 そっと、ぽんっと、背を叩かれた。手は離れた。あ、と思った。なぜか。思ってしまった。

由比(ゆい)ーっ」

 呼ばれた方向へ目を走らせ、再度戻したとき。

「……あれ、」

 もう、その人はいなかった。次いで体に衝撃が在った。荒い息遣いとよく嗅いだ香り。人間みたいに温度が上がっている。大丈夫だろうか。私は、私を体当たりするみたいに抱き着いて抱き締めた相手の顔を見た。いなくなったあの人と違い、長めとは言えせいぜい襟足を覆うくらいの髪。あの人と違って、視界に捉えた顔は険しい。

「……っ……こんな時間までっ、何をしていたんだ!」

 常日頃平静を保つ声が大きく乱れた呼吸の中で荒げられる。ああ、心配させてしまったな、と反省する。後悔はしていないけれど。私は海の近くの産院で産まれた。だもので、私は海の音を聴くとひどく落ち着くのだ。私の住むこの町は、市街地のドームから離れ海のそばに在った。この公園は段々畑のように丘が切り取られ広場が三段になっていて、遊ぶには遊具が在る三段目が、展望としては一段目が良いのだけれど、私は二段目のこの場所を気に入っていた。

 多分、一番海の音が聞こえるからだ。どうしようもなくなったとき、部屋で泣くには、この彼は聡過ぎるので私はここによく来ては泣いていた。今日もそうしていただけで。いつもと変わらない。そのはずだった。「ごめんなさい」素直に謝ると彼は私の顔を覗き込み「目が赤いよ? アレルギーでも起こしているんじゃないの?」と告げて来た。こう判断されるとわかっていて、私は泣くとき目を擦らないと決めていた。私は「帰ったら目薬を点すから」とだけ答えた。この時間帯は、普通の子ならば未だ塾へ行っていたり習い事をしている。彼が過保護なのは私が偏に連絡をしなかったことと私の体がとてもとても弱いからだろう。私の母は高齢で私を産んだが、この世界はとかく子供を残すことに敏感で、母が生まれる前から独身の人には若いままでいられるように科学的な処置を義務化して行っていて、母も私を孕むまでその処置を受けていた。今は禁止となった。長年処置を受け続けた人を親に持つ子供の中に障害や病気、弱体化する者が現れたからだ。私のように。

「早く帰ろう」

 彼は母が用意した物の一つだ。彼を造ったのは母で、彼の主は母だった。私はこれから母が私のために用意した家へ母が用意した母に忠実な『ドール』と帰る。彼にとって、大事なのは『私』ではなく私の中に受け継がれている“母の遺伝子”だ。彼の役目は母が産んだ母の子を、守り育てることだから。

「……」

 彼に手を引かれながら、私は振り返って消えたあの人が立っていたところを見た。あの人は、結局誰だったんだろう。私はあの人を知っている気がする。けれど誰だかわからない。

 あの人は、ちゃんと帰ることが出来ただろうか。だって。彼と繋ぐ手に力が入る。


 あの人の私に行くことを促す声調は、どこか震えていて、まるで自身が置いていかれるかの如く泣いているようで。

 あきらめて、我慢している。そんな気がしたから。







   【Fin.】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ