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It recalls it.

 

「由比、お椀取って」

「はぁい」

 遥か昔からこの国には年越し蕎麦を食べる風習が在る。帰化した外国人と交じり合う現在の日本でもそれは変わらなかった。

 むしろ外国人のほうがこう言った風習を好んだのだから混血だろうが純血だろうが現地民であろうがなかろうが関係ないのだろう。要は好みと言うこと。生粋の日本人が多かった時代より文化は大事にされていると評しても過言じゃなかった。


「侑生がお蕎麦作るの、何か変」

 由比が笑って言った。確かにどちらかと言えば日本よりヨーロッパに属した風貌と蕎麦は異色に見えるかもしれない。だが流れるような手際の良さに違和感は見当たらない。それに。

「別に色素が多種多様な現代で、僕が蕎麦作っていたっておかしくはないでしょう?」

 自分より、似合わない人間が蕎麦に雑煮にお節を作るのだ。金髪碧眼なんか赤い髪の自分よりもっと似合わないじゃないか。

 反論してみせて、五歳児にムキになるのはおとなげないと侑生は瞬時に反省した。が、侑生が言われる分には良いが、たとえば気にしている子にこれを告げたらどうなるだろうと改める。人種差別になりはしないだろうか。幼い今の内に口が災いの元であるとか、言う前に考えることも必要だと教えて置くべきでは。突如勝手に浮上させた課題に侑生はどっぷり物思いに沈んでしまった。

 しかしそんな侑生を放置して由比は別問題に首を傾げてしまった。うーん、と唸ってから。


「……でも、ママのが似合うと思うの」


 はっとした。由比には生前の圭のフォトデータやムービーを見せている。被写体自体が写ることを好まなかったため、あまり数は多くないけれど。

 侑生は“もしかして由比は圭に会いたいのだろうか”と瞳を曇らせたが、気付かない由比は事も無げに続けた。

「ママは髪も黒いしおめめも濃い色だったし。ママは着物とか似合ったと思うの」

 あ。チャイナ服とかアオザイなんかも良いかも。屈託無く笑う由比に、侑生は少し悄気る。


 圭は、着物など着るタイプじゃなかった。蕎麦も雑煮もお節も上手く作れたけれど。きちんと作ったのは侑生と二人で暮らし始めた最初の年越しだけだ。次からは通販のデリバリーだったり簡略的に拵えたものにした。不思議に感じて理由を尋ねたときさらっと「始め以外は然して重要じゃなかったから」と返された。

「最初はあなたに作り方を教えたかったから。けど『ドール』のあなたは食べないし、食べるの私だけだから二度目は雰囲気だけで構わないと思ってね。手抜きで良いでしょ」

 もともと怠け者なのだと、笑ったのだ。


 由比は圭を知らない。データや時折侑生が語ることでしか圭に触れられない。


 圭は生きられなかった。由比を産んで早くに亡くなった。一度だけ。一度だけ調子の良い日に────死ぬ前日だった─────由比を抱いたがこの一度きりだ。由比はまだ五歳で、母親の温もりが欲しい時期だ。


 正月もクリスマスも、由比は当たり前のように侑生と過ごす。雪菜や雅彦の孫の正人や、他にも誘ってくれるのに。


 逆に寂しいから、だろうか。由比は親を知らないから。侑生じゃ、駄目なことは自覚していた。

 侑生が圭を偲ぶのと違う感情で、由比は圭を想うのだろうか。侑生は目元から胸の下に至るまでが痛みとも苦しみとも取れない感覚に嘖まれた。


「……ねぇ、」

 葱を刻んでいた手が止まる。侑生の手元を覗き込んでいた由比が目線を上げた。

「なぁに? 侑生」

「会いたい?」

「……誰に?」

「圭、……お母さんに」

 圭を侑生は『お母さん』と称した。初めてだった。圭は圭と、呼び続けていたのに。由比がいつから圭を『ママ』と言うようになったか。侑生は正確に把握していなかった。気が付けば由比は圭を『ママ』と呼んだ。

 問われた由比はううんと難しい顔をしたがやがて答えた。


「別に」


 返答はおよそ子供らしくない、少なくとも五歳児では有り得ないものだった。侑生は眉を寄せた。不快ではなく不可解で。

「……会いたくないの?」

「だって死んじゃったし」

「そうだけど……仮定として」

「可能性も無いのに仮定なんか意味無いじゃん」

 由比が唇を尖らせる。侑生は眩暈がした。会話は親の無い五歳児がするものでは到底無い。しかも由比はまったく強がっている訳では無いのだ。生まれたときから由比といた侑生にはそれがわかる。

 侑生は自分じゃやっぱり駄目かもしれない。そう頭を悩ませ始めていた。

「いや、由比、えー……とね、」

 言葉に詰まりつつ何か言わねばと口を開く侑生を余所に由比が発言した。気遣いが無い辺りは紛い無く子供と言うことだろうか。

「それにね、」

 科白を紡げないままの侑生に由比が答えながら下げてしまった顔を再び上げた。遮られ完全に黙した侑生は目を見開いた。予期せぬ科白だったからだ。


「侑生がいるもん」

 由比が言った。嘘は無い。嘘なら侑生は見破る自信が在る。嘘じゃない。


「ママは侑生を遺してくれた。ママが遺してくれた侑生がいるもん。


 だから、さびしくなんか無いよ」


 日頃からちらほらまったく五歳児では無い由比だが。


 ここまでとは思わなかった。


 自分に似た、実際は自分が模した青年に似た顔立ちが、自分より青年より濃いめの瞳を以て真っ直ぐ自分を捉える。真摯な眼差しも声も偽りは無い。子供らしくはない。

 だけれど、侑生は圭を思い出す。由比のこんなところに。由比は外見こそ父親寄りだが中身は知らないはずの母親に酷似していた。


 由比は圭が己に侑生を遺してくれたと話す。けれども、侑生には、圭が由比を遺してくれたのではないかと考えていた。


 あの“侑生”のためだけでなく、自分のためにも。


 事象としては由比の認識が正しいけれど。心情としては侑生はそう信じていた。


「お蕎麦、」

 侑生が由比の髪に触れる。髪色まで自身に、自己の原型たる青年に近かった。

「お蕎麦、伸びちゃうから、よそろうか」

 髪を梳いてやると気持ち良さそうに目を細めた。由比は猫みたいだなと笑いながら。


 笑いながら、侑生は蕎麦をよそった。刻み終えた葱も添えて。




   【Fin.】



 

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