ニート女神の戯れ
短編シリーズ二作目です。腹立つ女神様が部下に説教されるような話をご覧ください。
仏様だとかイエス・キリストだとか、神様という生き物は世間では神々しい存在として認識されている高貴な偉人達だ
しかし、たとえ偉人であったとしても、神様全てが神々しいわけではない。少なくとも一人くらいは例外というものが存在する。
「神徒さん、そこの煎餅取ってくれますか?」
人間が誰一人として住んでいない天界と呼ばれる場所。そこには、まるで神様としての威厳が感じられない一人の女神様がいた。
銀色に輝く長い髪を持つ彼女の美貌は目が飛び出すほどに美しいものであるにも関わらず、彼女に仕える神徒と呼ばれる少年はジト目で彼女のことを見つめ続けていた。
「女神様、いい加減仕事してください」
「ウフフッ、働くくらいなら死んだ方がマシです」
「……貴女程に不老不死という体質を無駄遣いしている人を僕は見たことがないです」
「お褒めのお言葉ありがとうございます」
「わぁ、凄いや。皮肉を言われて喜ぶ性癖の持ち主だったよこの女神様。もうどうしようもないや」
神様の仕事は、人々が住んでいる担当区域の秩序の均衡を上手く保つこと。幸と不幸を両立させるというのは、簡単に見えて実はかなり難しいことであった。
しかしこの女神様は、一人だけの神徒を馬車馬のようにこき使って、一人ダラダラとだらけているニートと化してしまっていた。理由は『働きたくない』という、とても正直でストレートな答えだった。
しかし、正直に言えばなんでも簡単に事が済んでくれるほど、世の中は甘くできてはいない。それは天界もまた同じことである。
「今日の司会もボリッ、この人ボリッ、なんですねバリッ。まだ半人前なのでボリッ、今日もグダグダでバリッ、終わるでしょうねバリッ」
「食べるか喋るかどちらかに絞ってください。あぁほら、口元にカスが付いちゃってるじゃないですかもう……」
こたつに入って頬杖を付き、天界テレビでバラエティ番組を視聴中の女神様。そしてお母さんのような手際の良さで、女神様の口元をハンカチで拭き取ってあげる神徒の少年。
本来ならば上司と部下の関係のはずが、この二人の関係は最早ビジネスパートナーを越えた関係性に近くなっていた。
「ホントに手際が良いですね神徒さん。近々市役所にでも行って婚姻届貰って来ましょうか」
「そしたら僕の人生――もとい、天生は一生を棒に振ることになりますね。振り回しすぎて周りを巻き込んでしまうくらいに」
「失礼ですね~。私の夫になればあれですよ? 女神の夫=女神と同等の立場と地位=権力行使し放題ですよ? 欲望の赴くままに行動できる日常なんて最高じゃないですか。どうですか? 驚きタメゴロ~でしょう?」
「驚きました。貴女がそんな性根の腐ったクズだったことにド肝を抜かれました」
女神様のクズ具合を改めて確認した上で、神徒の少年は盛大な溜め息を漏らしつつ、頭痛がする頭を押さえて俯く。
彼がこの女神様の部下になってまだ数年だというのに、既に彼は衰弱し切ってストレスを溜め込むばかりの毎日を送っていた。
実は彼以外にもこの女神様に遣えていた者が何人もいたのだが、彼女の性分について行ける者がいなかった。結果、彼女の神徒は彼一人になってしまっているという。
そんな彼が一人になっても残っている理由はただ一つ。彼女をニートから引っ張りあげて女神様の威厳を取り戻すことだった。
しかし、今はその目的を達成することは無理なんじゃないかと思い始めている始末。それなのにこの女神様に遣え続けているのは何故なのか。もしくは理由無き行動なのか。真の意図は信徒本人しか知らないことである。
「女神様。今のところはまだ余裕があると言えばありますが、このままだと数十年後には神金(天界のお金)が底を突いてしまいますよ? そんなことになればどうなるかなんて一目瞭然ですよね?」
「……私は将来のことよりも、この今の時間を大切にしたいという信条を持っているんです。先のことはその時になったら考えます」
「そんなこと言ってたら絶対後先に後悔しますよ? 只でさえ忙しいこの状況が更に悪化して、今以上に世話しなくなって、仕事と睡眠しかできなくなる毎日を送ることになりますよ?」
「……ハタラキタクナイワタシガイルンデス」
「カタコトに我が儘言っても容易に世渡りなんてできませんよ。物事が計画通りに進まないのと一緒です」
「むぅぅ~! あ~も~うるさいうるさ〜い!」
ここで女神様に限界が訪れた。今までに何度されたか分からない説教に飽き飽きして、駄々っ子のように背中から床に倒れてバタバタと両手足を動かし出す。
「嫌です嫌です、もう何も聞きたくありません~!! 私はずっとこたつと煎餅をライフパートナーにしてエンドレス天生を続けて行くんです~!!」
「良い大人なのにこの有様……何処までも救い様のない神様ですね。救う立場の神様が救われないって、もう神様として終わってるとしか言いようがありません」
「神徒さん酷いです! 私だって人の子――」
「神の子ですよね?」
「――んん、もう! ああ言えばこう言うとはまさにこのことです! これでも私は上司なのですよ!? 目上の人には尊敬語と敬譲語を使って、何も考えずにただ従っていれば良いんです! そうすればあら不思議。神徒さんは好きな仕事ができて、私は毎日こたつと煎餅とランデブーできる。あら凄い! 皆が救いの道に導かれて――」
「今までお世話になりました」
長々とした話を聞きながら神徒の少年はこの仕事場から出ていく準備をしていて、何の躊躇いもなく女神様に背を向けて去っていこうとした。
しかし、流石に慌てた女神様は水を得た魚のような動きでこたつからにょろにょろと這い出て来ると、神徒の少年の足にしがみついて一生離さない覚悟で両腕に力を注ぎ込んだ。
「すいませんでした! 少し――いや、大分調子に乗ってました! お願いですから神徒さんだけは私を見捨てないでください! もし神徒さんがいなくなれば私は文字通り生殺しになってしまいます!」
「こういう時だけ危機感持たないで普段から意識してくださいよ!」
上司の部下の関係性を越えて神徒の少年が女神様の頭をポカリと叩いた。女神様は「あうっ」と小さな声を漏らして、涙目になりながら叩かれた頭部を擦る。
「そうやって私のことを弄ぶんですね神徒さん……童顔でありながらテクニシャンだなんて、世の中は個性に溢れた人で満ちているんですね……」
「妙な勘違いで世の理を断定するの止めてください。そして僕にそんな気は毛程も……いや、目に見えない細菌ほどありません」
「ひ、酷いです! 私はこんなにも神徒さんのことを愛しているのに!」
「貴女が真に愛しているのは、僕と共に歩いた先にある『永遠快楽天生』でしょう?」
「無論です。テヘッ☆」
これ以上に冷めた目付きを浮かべられる人はいないだろうと言わせるくらいに神徒の少年の目から光が消え、今度は容赦なく女神様の頬に向けてビンタを放った。
パチンッ、ではなく、バチァァンッ! という音が鳴り響き、女神様の身体がこたつの中に飛び込んで行った。誰が見てもそれは『倦怠期夫婦のドメスティックバイオレンス』の一部始終だった。
だが、神徒の少年の反省の色は無色透明。理由は言うまでもないことである。
「いい加減にしないとしばき倒しますよ女神様。一応ですけど上の神様達から許可は貰っていますから僕」
「入りました!! これ完全に急所に入りました!! ほっとかれたお餅のように私の頬がぷっくりぷくぷくと!! 死にますこれ!! 不老不死を越えた異能の痛みで絶対死にますこれ!!」
「……右だけでなく左の頬も何とかかんとか――」
「治りました。今日もとれたてピチピチ純白肌です。刺身にすれば高級品クラスに早変わる自信がある程に」
何故か誇らしげに胸を張る女神様の頬は本当に純白肌に戻っていた。神であれば自然治癒力を高めることは造作もないらしい。決してご都合主義とかそういう理屈ではない。
「全く……反省したのならば仕事をしてください、仕事を」
「神徒さんは二言目には仕事仕事と……貴方は私と仕事、どっちが大切なんですか!?」
「両方です」
「なんて聞いても、どうせ10:1で仕事だと――え? 両方?」
予想外の答えが帰ってきて女神様の目が丸くなる。
「そうですけど、何か変なことでも?」
「い、いえ。てっきり私はとうの昔に見捨てられていたものだと思っていましたので」
「心外ですね。本当にそう思っているのなら、僕はこうして貴女の部下になり続けていませんよ」
真顔で言ってくるものだからか、女神様は頬をほんのり赤く染めて明後日の方向を見つめてしまった。そういう反応を取れるだけ、女神様はまだ一人の女の子なようだ。
「そ、それって私のことが好き……とか、そういうこと――」
「いえ、違いますね。調子に乗らないでください。鬱陶しいことこの上無いです。女性が若干のナルシストとか、マジでハッ倒したくなります」
「アメばかりでおかしいと思いきや、ここで重いムチの雨嵐!?」
期待の眼差しを送ってみたものの、神徒の少年は微塵も動揺せずに言い切ってみせた。そこだけは間違いなく違うらしい。これには女神様もがっかりのようだ。
「僕は貴女にしっかり者の女神様へと転生してくれますようにと常日頃から思っているんです。部下が上司の成長を手伝うのは当然のこと。それ以上に深い意味などありません」
「堅物です! 仕事に堅物な姿勢を取る男の人は女の人に嫌われますよ! 良いんですかそれで!?」
「それで女神様がまともになるのなら安いものですね」
「忠誠心が半場ないっ!! だからこそ好きです神徒さんっ!! 本気も本気でI need you!!」
「……本気も本気でYou are not necessary」
どさくさに紛れて神徒の少年に抱き付こうとする女神様だったが、顔面を掴まれてアイアンクローを決められてしまったため、返ってきたのは彼の温もりではない冷たき痛覚だけだった。
「もう……神徒さんって意外と初心なんですから……女神様の抱擁なんて滅多に体験できることじゃないんですよ? 数少ない体験は経験しておいて損はないというのに……」
「損するんですよ。僕の全てが貴女に奪われて何もかも失われてしまうんですよ。汚点が残る経験なんてまっぴらごめんです。それと次に初心と言ったら捻り潰しますからね」
「可愛い男の方って凄く生き物として見栄えると思うんですよね。それでたまにムラムラする時があったりもしますしね」
「聞けよ話。しかも知りたくなかった新事実聞かされて、今年一番の不快感を味わってるんですけど」
「神徒さんはすぐに怒るからいけません。ちゃんと毎日カルシウムを取っていますか? 先は長いんですから、今から健康に気を使わないと大変ですよ?」
「心配してくれているところ悪いんですが、話を逸らそうとしている魂胆がバレバレですよ」
「うっ……」
あっさりと浅い企みを見抜かれて肩を落とす女神様。すると今度はこたつ中に隠れて引きこもるという選択肢を選んだ。
「やれやれ……そんなに仕事がしたくないんですか?」
呆れながら神徒の少年は、カチッとこたつの暖炉のスイッチを強に切り替えた。
「だって……怖いじゃないですか」
「怖い? 何がですか?」
「そうですね……言うなれば、『他人との関係性』です」
「よく分からないんですが、用は他人とコミュニケーションを取るのが怖いってことですか?」
「……神徒さんが知っての通り、私は女神として立派とは言えない女神様です。自業自得だと重々理解もしてます。でも、私に付き従ってくれていた今は無き神徒さん達が揃ってこう言っていたんです――」
女神様はこたつの中で表情を歪ませ、そして何処までも天上に響き渡るかのような声で、
「熱ぃぃぃ―――――――ッッ!!」
と叫んでこたつの中から汗だくの状態で再び姿を現した。
「ふむ……つまり、女神様が情熱的過ぎたことを馬鹿でも分かりやすいように表現していたと」
「いや今のは違いますから! どちらかと言うと私は冷却的な者ですから! というか陰湿なことしますね神徒さん!? こたつって取り扱いの仕方によっては結構危険な物なんですからね!?」
女神様は強になっていたこたつの電源を元に戻すと、熱で赤くなった顔を手で扇ぎながら話を続ける。
「ともかくですね。私は他人と関わることが怖いんです。こうして普通に話ができるのは神徒さんくらいですよ」
「……女神様。改めて確認しておきますけど、女神が行う仕事がどういったものか覚えていますよね?」
「当然です。そんなに私を馬鹿にしないでください神徒さん。私の仕事はあれですよ。担当区域の人間界の人達のライフバランスを一定に保つことですよ」
「その通りです。では、具体的に僕達はどういった仕事をしますか?」
「えーとですね……例題を挙げるとすれば、お金持ちの人が宝くじの一等を引き当てた時は、間接的な方法でそれを排除するか、もしくは貧しい市民にどうにかして受け渡したりとかですね」
「正解です。では、女神様は仕事中に誰かとコミュニケーションを取ることがありますか?」
「……神徒さん、さっきから何を考えて――」
「早く答えてください」
一体、神徒の少年が何を考えてこのようなことを確認しているのか意図が分からず、女神様は疑心暗鬼になるも急かされてしまい、少し躊躇うも言葉を紡ぐ。
「えっと……私がするのは全て人間に対する間接的な仕事なので、神徒さん以外に関わることは殆どないですね。報告とか業務とかは神徒さんがしてくれることですので」
「そうですね。つまり、女神様がコミュ障であったとしても問題なく仕事ができるということです」
「……ハッ!?」
今この瞬間、女神様の脳裏に稲妻が走った。
神徒の少年の目的。それは、着実に相手を追い込む誘導尋問であった。
女神様はコミュニケーションを嫌うから仕事をしたくないと言っていたが、女神様の仕事に関しては事実、コミュニケーションを取る必要性が求められない仕事なのである。
しかし、それは呆気なく神徒の少年の話術によって解消された。つまり、これによって女神様は仕事をしない理由が消え去ったということであった。
「は、謀りましたね神徒さん!? またそんなテクニシャンな部分を見せ付けちゃってまぁ、貴方はどれだけ私を誘惑するつもりですか!?」
「馬鹿言ってないでとっとと人間界に行きますよ。拒否権 or 黙秘権 or 抵抗権は問答無用の四字熟語で認められません」
「い、嫌です!! 仕事したくないです!! 私はこの部屋と一心同体!! 私がここを離れるということは、この部屋がこの部屋では無くなるということに比例します!! この部屋の長として私は絶対に――」
「今日一日まともに仕事したら『こんやく』のこと少しは考えてあげますよ」
「はははっ、行くに決まってるじゃないですか。さぁ行きますよ神徒さん。今日はより多くの人達の均衡を保ちますよ」
ご褒美有りの仕事と聞いてようやくやる気になってくれたようで、女神様は何時にも見せない生き生きとした表情で部屋を出て行った。
「手強いのかチョロいのか分からない神だなぁ……」
女神様が去っていった出口を見つめながら神徒の少年は苦笑すると、小汚なくなっている部屋を簡単に整理してから女神様の後を追っていった。
~※~
人間界ということで天界の格好は目立つ。姿を消したりとか、そんな便利な技は使用できないのである。
そのため女神様はベージュのセーターに薄い青のロングスカート姿に着替え、神徒の少年は黒のシャツの上に白のパーカーを着て、青のジーンズを履いた姿に着替えを済ませていた。
「そんなこんなで人間界ですね。それでは早速――」
女神様は生き生きとしたまま、とある店に向かって一歩を踏み出した。
「エステで身と心を癒しに――」
「後一歩近付いたら抉りますよ」
「――冗談です。というか何処をですか?」
冷や汗を流しながら真後ろに方向転換をし、神徒の少年と向き合って固い表情で笑っていた。
「……神徒さん、プリクラ撮りませんプリクラ?」
「いい加減怒りますよ?」
「だ、だってだって! 数年ぶりの人間界ですよ!? それに人間界の格好の神徒さんが新鮮なんですもん! いつも以上に魅力的になってるんですもん!」
「はいはい、分かりましたから。そういうのは仕事が終わってからにしましょうね」
「……やっぱり神徒は初――いえ何でもないです何も言ってないです誤解です誤解だからその見るからに切れ味の良さそうなサバイバルナイフをしまってください」
何処ぞのニュースキャスターのような口回りの早さで必死に抵抗したお陰か、人が変わったような雰囲気を放ちながら凶器を持っている彼の殺気が収められた。
「仏の顔は三度でも、天使の顔は二度までですよ」
「そんなに怒らなくても良いのに……何かストレス溜まっているなら相談に乗りますよ?」
「喧嘩売ってるなら便所行きましょうか。相手しますよ」
「そんな……神徒さん、私を便所に連れ込んで何をしようと考えて――」
先程のビンタを越えた容赦の無さでグーパンを放ち、女神様の顔面がべっこりと凹んだ。ガスッ、でもなくドゴッ、でもなく、ズブッ、という刃物が刺さった音が鳴っていた。
鼻を摘まんで凹んだ顔を自分で戻すも、余程威力が高かったのかダラダラの鼻血が流れ出て、小さな鼻だけがまた凹んでしまう。相当の痛みが伴っていることだろう。
「本来女性に手を出すようなことはしませんが、貴女の場合は例外ですのでご了承ください」
「ぐぅ……鬼です……しかし変わらぬこの想いっ! どうです!? 一途でしょう!?」
懲りずにボケ倒すために話をする気力さえなくなり、神徒の少年は上司を捨てて何処ぞへと歩を進めた。
慌てて女神様も後ろから追い掛けていき、左側に並んで手を繋ごうと右手を伸ばすも、平手で叩かれるという冷たい反応を取られてしまった。
「せ、せめてデート気分を……」
「駄目です。仕事中にデートは論外です」
「上司の私が許してるんですから問題ないのでは?」
「そしたら更なる上の上司の方から天界追放が降されますよ」
「だ、大丈夫ですよ。いざとなれば色仕掛けで――」
「貴女は本当にクズですね。ちなみに上司の方達は全員妻子持ちです。そろそろ本気で頭かち割りますよ?」
「グスンッ……やっぱり部屋に引き込もっていれば良かったです……」
先程の生き生きとした気力が完全に消え失せてしまい、女神様は死に目を浮かべてぶつぶつと小言を漏らしながらいじけ出した。
神徒の少年の気苦労が増えて深く長い溜め息を吐き捨てる。そのまま心の中で頭を抱えながら歩いていると、ふと目に止まる人物が彼の視界に入った。
「女神様。対象者がいました」
「そうですか。それじゃ私はそこのベンチに座って休んでいますね」
「そうですか。それじゃこれでもう貴女の部下は皆無となりましたね」
「分かりました! 真面目に仕事しますからダンボールに入れて私を捨て女神にしようとするのは止めてください!」
何処からか取り出した大きなダンボールを組み立て始められただけで意図を悟り、女神様はそろそろ泣きそうな思いを堪えながら素直に頭を下げた。
「貴女は何度僕をイラつかせたら気が済むんでしょうね?」
「こ、ここからは真面目にやりますからっ。えーと……あのブランコに座って俯いている人ですか?」
女神様は本人にバレないように対象者と思われる人を指差す。指を差した先には、確かに発言通りの中年の男がぽつんと一人で座っていた。
「ふむふむ……どうやら今日の仕事中にリストラされてしまったそうです。理由はサボり癖のある上司に文句を言った影響によるものですか……」
神徒の少年は視界に映る対象者一人を注目して見つめるだけで、その者の過去や未来を見出だすことができるのである。無論、それは女神様にも容易にできる異能の力だ。
「あの人には凄く同情してしまいますね。あんなことされたら僕は多分悪魔に転生して必ず上司を殺しますねきっと」
「それは酷い上司ですね。その時は私もお手伝いさせてください」
「本当ですか? 自殺してくれるならそれはそれで手間が省けて助かりますよ」
「酷い! 私は神徒さんに厳しく当たったことなんて無いのに! むしろ待遇良くしてあげているのに!」
「実際、僕は他の数人の女神様達からスカウトが届いていますからね。実は貴女に遣えなくても更に良い待遇の場所で働けるんですよね」
「…………え?」
その瞬間、女神様がまるで氷像と化したかのように固まった。次第にぷるぷると身体中が震え出し、青白い顔になって神徒の少年に手を伸ばした。
「あの……神徒さん……それもしかしてOKしちゃったり……?」
「……さて、どうでしょうかね?」
神徒の少年は若干ニヤニヤと性格悪そうな人相で笑みを浮かべてそっぽ向く。
「…………グスッ」
「……いやちょっと女神様?」
すると、吹っ切れたかのように女神様がとうとう泣き出してしまい、近くに助けるべきリストラ男がいるにも関わらず、その場にしゃがみ込んで太ももに顔を埋めてしまった。
「い……やです……グスッ……他の女神様のとこに……グスッ……やです……やですぅ……」
「子供ですか貴女は……冗談を本気にしないでくださいよ」
『冗談』という言葉に反応し、女神様は鼻水と涙でグチャグチャになった顔を拭わずに上げて、神徒の少年の肩を掴んで急接近した。
「そんなの私はdon’t expect itですっ!! 全くまんじりともdon’t expect itですっ!!」
「普通に『望んでません』と言いましょうよ……。すみませんでした。今後は気を付けますって」
「本当に全部冗談なんですよねっ!? 私から離れて行ったりしませんよねっ!?」
「まぁ、スカウトが来てることは事実ですけど……」
女神様の背景に青筋が浮かび上がり、『ガーン』というゴシック体の文字が具現化して、女神様の頭の上に重低音を鳴らして直撃する。
そして、女神様はしゃがみ込んだ状態からうつ伏せに寝そべってしまい、両腕で塞ぎ込むも腕の隙間から噴水のような涙が吹き出していた。
「酷いです神徒さん!! 良いだけ私を利用しておいて用済みになったらポイなんですね!! そしてまた次の金なる木を根刮ぎ奪って枯らすんですね!! 最低です!! 男としても天使としても最低です!!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれません? それとちゃんと話聞いてましたか? スカウトが来てるだけで了承は一切してませんからね僕は」
「……つまり神徒さんは他でもない、私という女神を選んで残ってくれているんですか?」
「そうですよ。これで僕が貴女をほったらかしにすれば、女神様は女神様じゃいられなくなりますからね。感謝してくださいよ」
今まで考えなしにダラけ続けていたため、神徒の少年の存在がどれほど大きかったのかということを知らなかった女神様。
しかし今この瞬間、衝撃の事実を聞いて迫真の演技で驚きぶりを見せ付け、光輝く黄金色の眼で神徒の少年を見つめて胸の辺りで両手を握った。
「神徒さん……やっぱり私は貴方にゾッコンラビューです! もうこれは結婚するしかないですね!」
「ハハハッ、そんなことになるのなら人間界に落ちて人間になった方がマシですね」
「そんなことないですよ神徒さん! もう大丈夫です! 真実を知った以上、もういつまでも引き込もってなんていられません! これからは切磋琢磨にバリバリ仕事をこなしていきますよ私は!」
最初にここに来たよりも女神様に生き生きとした活気が満ち溢れ出し、それを見た神徒の少年は苦笑しながらポリポリと後頭部を掻いて思っていた。
『始めから全部言っておけば良かった』と。
「さぁさぁ、まずはあのリストラさんを援護しますよ! では神徒さん、あの人は如何様にして助ければ良いですかね?」
「そうですね……まずは新しい就職先を見付けさせることが優先――と言いたいところですが、今の状態のまま仕事に就いたとしても、リストラというトラウマを抱えたまま仕事をすることになり、毎日怯えながら働くことになってしまいます。なのでここはまず、不安定になっている精神を癒して上げるところから始めましょう」
「ふむ……要は癒して差し上げれば良いのですね? それなら、ここに良いアイテムがありますよ」
自信有りげに女神様は袖の中に手を突っ込んで一枚のチケットのような物を取り出した。
「なんですかそれ?」
「これはとあるお方達の視点によっては夢のチケットとなるアイテムの一つです。その名もおさわりパ――」
シャッ(チケットを取られる音)
ビリビリビリッ (チケットを破られる音)
ドゴォッ(腹にワンパン入れられる音)
「学ばない人ですね。貴女に期待した僕が愚かでした」
「ごふっ……そ、そんな言い分……ネットのオークションにて一万千五百三十円で落とした一品でしたのに……」
「無駄に金額がリアルですね。いつの間にこんなもの買って……油断も隙もない人ですよ貴女は。取り合えず次の貴女の給料から差し引いておきます」
カカカカカッと何処からか取り出した電卓で女神様の給料を差し引く計算をする神徒の少年。
人間界と同じく天界でもお金がシビアな物になっているため、只でさえ少なくなってきている給料から更に差し引かれては痛手だろう。
――と言っても、自業自得なので同情してくれる人は誰一人としていないのだが。
「ま、待ってください神徒さん。次は大丈夫です。次こそは確実ですから」
「……次は如何様にボケるつもりですか?」
「ボケません! そもそも私はこれまで一度もボケたつもりはありません! ならば、次の作戦で今度こそ神徒さんをギャフンと言わせてあげます!」
「次の作戦? どうせロクな思惑ではないとしか思えないのですが」
「そんなことはありません。良いですか神徒さん? あのように落ち込んだ人は励ましの言葉を一声掛けられるだけでも随分気持ちが楽になるものなんです。ですが、私は更に気持ちが楽になる一声を知っているので、それさえ使用すればあのお方は必ず報われること間違いなしです!」
「……まぁ、さっきのアイデアよりは全然マシですね。それじゃ、試してみてください。ですが、もうこれっきりですからね。もし失敗した時はそれ相応の対応をさせてもらいますのでそのつもりで」
「だ、大丈夫ですよ! 見ててください私の導き言葉を!」
自信満々に胸を張ると、女神様は一人でブランコの上にて項垂れている男に向かって行く。
前からではなく後ろからそっと近付いていき、そして女神様が男の肩にポンッと優しく手をおいた。
気付いた男が振り替えると、その視線の先には柔らかい微笑みを浮かべる女神様が。男は一瞬目を奪われてどぎまぎするも、女神様は微笑みを浮かべたまま男の手を取り、そっと何かを手渡した。
そして、女神様は目を細めて囁くようにこう言った。
「楽に……なれますよ……」
「…………」
男の手中に収まっていたのは――首吊りロープだった。
~※~
『――☆天界追放のお知らせ☆――』
「……あの、神徒さ――」
「上から言い渡されました。具体的な期間は言い渡されませんでしたが、数十年間貴女は人間界にて色々学んでこいとのことです」
結果、女神様は仕事を完全なる失敗で終わらせた。そして、とうとう愛想を尽かされたのか、女神様の更に上の立場に属している上司から天界追放の命が降ったのである。
全身を包帯で身を包み、二本の松葉杖で立つのがやっとの状態になっていたとしてもお構い無し。全ては彼女の自業自得で導き出された結果なのだから。
「ここまで来ると怒る気力も失せて呆れますよ。まぁ、今まで楽していた分、人間界で尋常じゃないくらい苦労してください。そしてあわよくばの垂れ死んでください」
「ま、ままま待ってください神徒さん!」
「すいません、僕はもう貴女の神徒ではありませんので。つーかもう敬語も使わなくて良いんだっけ。まぁ、どうでも良いや」
「嘘です! こんなの現実じゃありません! 私、これから夢の世界の住民になります! もう誰も起こさないでください!」
「グダグダ言ってないでとっとと行け。反抗されたら半殺しにしてでも連れていけと言われてるから、そのままだと更なる傷を負うことになるけど?」
「立つのでさえやっとの状態の私をどう半殺しにするつもりですか!? い、嫌です! 人間界に行くとしても一人では嫌です! 神徒さん見捨てないでください! 女神は寂しいと死んじゃうんです!」
『転送装置、後十秒後に起動いたします。10――9――8――』
「あぁっ! もう口すら聞いてくれなくなってしまいました! せめて神徒さんだけは! 神徒さんだけは監視とかそういう立場として付いて来てください!」
「……今日の晩御飯は鍋にしようかな」
「祝い鍋でもするつもりですか!? えぇい、こうなったら実力行使です。何がなんでも神徒さんには付いて来てもらぐはぁっ!?」
重傷を負っている彼女であっても容赦なく神徒の少年は拳をお見舞いした。そして女神様の手首に取り付けられた転送装置の秒数が減っていき――
『4――3――2――1――』
「では、人間界での生活を満喫してきてくださいね」
「鬼ィィィィィ!!!」
こうして、女神様は重傷患者の身体で天界から追放されるのだった。
その後、女神様がどうなったのかは、天界で生きる者達限定で知らないことである。
貴方の上司がもしこんな感じだったなら同情致します……。
ありがとうございました。