彼女の最期の三日間
三日後の七月七日、七夕の日、私の二十歳の誕生日。その日が私の人生の最後。別に悲しくなんてない。二十歳までしか生きられないのは生まれたときから決まっていたこと。
そう悲しくなんてない。ただ……時々思うのだ。もしこの顔に生まれていなかったら、私の人生はどうなっていたのだろうと――。
「もう行くのか?」
「うん、お父さん。最期のときは迫っているから、大学の身辺整理はきちんとしとかないとね」
「……そうだな」
「そんな顔しないでよお父さん。私は大丈夫だから」
「あぁ、分かってる。けどな、私にとっては二度目なんだ」
「…………」
――お母さん。そうだお母さんも私と同じだってお父さんが言ってた。苦しいな、お父さんを一人ぼっちにしてしまうのは。けれど現実を変えることなんてできない。そういう風に生まれてきてしまったのだから、諦めるしかない。
この世界は残酷だ、どうしようもなく。逃れることのできない運命がまとわりついてくる。
私のように生まれ、私のように死んでいく女性たちは何人いたことだろうか? 女の幸せを教授することなく死んでいくのはどれほど辛かったろうか?
そのことを思うとお母さんは幸せだったのかもしれない。――お父さんと愛し合い、結婚することができたのだから。
「ごめんな、お前を幸せにできなくて」
「なにを言ってるのお父さん。私は幸せだよ。お父さんの娘として生まれることはできたんだから。それに私の顔ってお母さんと瓜二つなんでしょ? ……うん、やっぱり私は幸せだよ。大好きなお父さんや大好きなお母さんの娘として生きることができた。……それだけでも十分に生まれてきた意味があった」
「……本当にすまない――」
お父さんは肩を震わせ、それっきり黙ってしまった。そっとしておいたほうがいいのかもしれない。
家を出る直前、「――私の娘に生まれてきてくれてありがとう」と小さな声が聞こえた。
――私こそありがとう。愛してくれて本当にありがとう。
私は大学の屋上で一人、空を見上げていた。感傷的な気持ちになっているつもりはない。ただ私の大学での居場所というものがここにしかないのだ。
屋上――そこが大学で唯一安らげる場所だった。
私の境遇は決して特殊ではない。こういう顔に生まれてきたものならば、誰もが通る道だろう。屋上は私と同じ、二十歳までしか生きられない人たちで溢れ返っている。
顔を見れば一目瞭然なのだ――二十歳で死ぬことが。ゆえにいろいろと噂話などをされることも多い。だから私はそういった声を聞かないよう屋上に避難しているのだ。ここは私のようなものが集まる言わば聖域のようなものである。
――好きです、付き合ってください。
ふと耳に届く声。ふと後ろを振り返ると、屋上の隅で告白する男の子がいた。
微笑ましく思い、そっと見守っていると……「ごめんなさい」と女の子。やっぱりなと思った私。――この子も私と同じなんだから。もうすぐ死ぬと分かっているのに付き合うわけにはいかない。相手を傷つけるだけ。
そして別の方向に目をやるとそちらでも告白されて困っている女の子。
男にとって結婚と恋愛は別なのかもしれない。それにしたってやっぱり残酷だ。私と同じ、死ぬと分かっている女の子に告白するなんて。でもそんな男は後を絶たない。死ぬと分かっていてさえ――
私のように二十歳で死ぬと決まっている女性は、結婚相手として選ばれないことがほとんど。母のように結婚できる女性なんて一握り。それも当然だろう。誰だって少ししか生きられない相手と過ごすより、長く一緒に過ごすことが出来る相手を選ぶというもの。ましてや相手の親が許すはずもない。結婚して子どもを生んでも満足に育てることが出来ないのだから。
そして二十歳で死ぬ女性の子どもは、そうでない女性の子供よりもぐっとその性質を受け継ぐ確率が高くなる。だからこそ生まれる孫をそういった女性にしないためにも、結婚は反対されることが多い。
最も二十歳で死ぬ運命を生まれながらに持つのは女性だけで、男性には私のような運命を持つ人は生まれない。不思議なことだと私は思う。もし私が男に生まれてきていたならば、いや、女に生まれてきたとしてもせめてお父さんに似ていれば死ぬ事はなかっただろうと思うと、私にはどうしようもできないことだと分かっていながらも悔やまれてならない。
私は寄り道をすることもなく、真っ直ぐ家に帰った。
明日は本当なら大学なのだけれど、休みを取っている。明日は一日好きなように過ごすつもりだ。後悔なく死ねるように悲しくない最期にするために、明日は精一杯笑って過ごすつもりだ。うんとたくさんたくさん笑っていこう。お父さんの記憶に残るぐらい私の笑顔を残していこう。それが私にできる――最後の親孝行だから。
翌日の朝、私は朝早くからお弁当の準備をしていた。今日はお父さんとピクニックにでかけるつもりだ。そのために朝早くから準備をしている。
ピクニックに出かける場所はお父さんとお母さんの思い出の場所。
お母さんは十七で私を生んだ。そして私が三歳の時に死んでしまった。物心つく前のことだったから覚えていることなんてほとんどない。けれど覚えていることはある。心の奥底に確かにその記憶は残っている。お母さんが私に遺してくれたもの。忘れてはならない記憶。それは――お母さんの温もりと愛情だ。
お父さんとお母さんの思い出の場所で、私は大切な記憶に浸りたいのだ。明日死ぬ身、できるなら三人で過ごしたい。大切な二人の思い出の場所で、最後の時を過ごしたい。記憶の中だけでいい、家族三人で過ごしたい。
「そろそろ出かけるとするか?」
「そうだね、お父さん」
私はお弁当の入ったリュックを背負い、家を後にした。思い出の場所へ向かって私たちは歩く。どんな場所なんだろう。すごく楽しみだ。
道中、私はお父さんからお母さんとの思い出話をたくさん聞いた。私も大学の思い出をうんと話した。別れはもうすぐ迫っている。
だからだろうか、いつもよりも会話が多い。私もお父さんもただただ話したいだけだと思う。内容なんて然して大事ではない。話せればなんでもいいのだ。
「母さんはな、すごくキレイだったぞ。私は長年生きてきたが、母さんを越えるほどの美人にはあったことがない。私はな母さんと出会えて幸せだった。――彼女と結婚できて幸せだった。彼女と出会えたからこそ、娘のお前とこうして笑っていられる。彼女には感謝してもしきれないほど、大切なものをたくさん貰ったんだ。……私は母さんにその何分の一かでも返してやれたのかな。母さんも幸せだと思っていてくれたらいいんだが」
お父さんは立ち止まり、目に手をやっていた。多分泣いているのだろう。お母さんのことを思い出して。
私がお母さんと過ごした時間はすごく短かった。けどそれでも私は胸を張って大好きだといえる。幼い頃の記憶の中にお母さんの優しさは眠っている。覚えているお母さんの優しさを……お母さんの笑顔を――幸せそうに笑っていたお母さんの表情を私は覚えている。だから――
「……大丈夫だよお父さん、きっと幸せだったよ。お父さんにこんなにも愛されていたんだ。お母さんは幸せだったよ、私が保証する」
――幸せだったんだお母さんは。
「ついたぞ。この場所が母さんと私の思い出の場所だ」
「――っ!」
すごい……息を呑むとはまさにこのことだろう。
目前にはだだっ広い花畑が広がっている。赤や黄色、青、緑、ピンクなど色とりどりの花たちが主張しあうように咲いている。
いろんな色や種類の花が咲いているにも拘らず、どこか調和しているように感じるのは気のせいではないだろう。美しい――とても。
ここがお父さんとお母さんの思い出の場所。ステキな場所だ。思い出になるのも頷ける。いつまでも心に留めておきたくなるくらい、神秘的な美しさだ。
「どうだ? いい場所だろう?」
「うん、いい場所だすごく。来て良かった……本当に来て良かった」
「そうだな。私もそう思うよ。母さんとの思い出の場所に……お前と一緒に来ることができて良かった」
私たちは日が暮れるまで飽きることなくそこにいた。――お母さんの思い出とともに。
七月六日、いよいよ明日、私は死ぬ。私が生きられる最後の日。後悔しないように最後まで笑って生きよう。
「お父さん、おはよう」
「あぁ、おはよう」
椅子に座り、お父さんが用意した朝食を、私はゆっくりと噛み締めるように口にした。朝食を食べるのも今日で最後。あらゆる行為が最後となる今日。すべてを胸に刻んでいこうと思う。
もしあの世というものがあるなら、今日という日を、今まで過ごしてきたすべての人生を……手土産として――お母さんに持っていきたい。
「今日もどこかに出かけるか?」
「ううん、今日は家にいる。この場所で過ごすのも最後になるから、お礼を言いたいんだ、この家に。今まで私の帰るべき場所でいてくれてありがとうって……」
「そうか。だが最後の数時間は私と過ごしてくれよ?」
「大丈夫、そのつもりでいるから」
私はまずは玄関に向かうことにした。玄関は迎え入れてくれる場所であり、見送ってくれる場所でもある。玄関に入ったとき、家に帰ってきたんだなと実感できる。
「玄関さん、いつも私を見送ってくれてありがとう。迎え入れてくれてありがとう。明日からもお父さんのことを見守っていてください」
もうここから出ることもないんだと思うと少し寂しい気分になった。
次に向かったのはキッチン。人の三大欲求の一つである食欲を満たしてくれる大事な場所。キッチンがなければ、家でおいしい料理にありつけないと私は思う。
「キッチンさん、おいしい料理を作るためのサポートをしてくれてありがとう。キッチンさんのおかげで毎日満足のいく料理を食べることができました。心から感謝の言葉を伝えます。明日から私はいなくなるけど、これからもお父さんの食事のサポートをお願いします」
お風呂という空間は癒しをもたらし、体についた汚れを洗い落としてくれる。幼いときはヤンチャしていたので、かなりお世話になった。
「お風呂さん、体の汚れを落として、清潔にする手伝いをしてくれてありがとう。心地良い空間だったら、ついつい長居してしまったのもいい思い出。今まで本当にありがとう」
私が一番長く過ごした場所。私の趣味で彩られた空間。趣味を楽しんだり、睡眠を嗜んだりといろいろなことでお世話になった部屋。
「ありがとう。常に私とともにいてくれて。妹のように愛着がある私の部屋。趣味が反映されているから、一番愛着がある。離れるのはすごく寂しい。たまにでいいから私のことを思い出してね。ありがとう大好き」
過ごした家にお別れを言い終え、私はお父さんと一緒に夕食を作っていた。この食事が最後の晩餐になる。
「これで最後になるのか……」
「お父さん、泣くの禁止」
「泣きたくて泣いてるわけじゃないぞ」
「分かってる。けど最後くらい笑って行かせてよ」
「……そうだな。よし楽しい食事にしよう」
「……うん!」
私たちは時を忘れるほど、たくさんの話をした。――刻一刻と近づく死に恐怖を感じながら。
食事を終えた私は自分の部屋に行き、ベッドに腰掛けた。今の時刻は午後十一時五十分、後十分で私の人生は……終わる。
死にたくないと思う私はいる。けれど生まれたときから決まっていたこと。覚悟はずっと前からしていた。足掻く気もない。
時計の秒針が進む音を聞きながら、過去へ思いを馳せていく。楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、いろいろあった。今思うと悪い人生ではなかった。幸福な道を私は歩めていた。お母さんは死を目前にして何を思ったのだろう。あの世で会うことができたら、聞いてみるのもいいかもしれない。
体が徐々に動かなくなっていくのを感じる。意識が少しずつ沈んでいくのが分かる。これが死ぬということなのだろうか? だとするとあまりにもあっけない。でもそのほうがいいのかもしれない。痛い思いをして死ぬよりはずっとラクだ。
そう……ずっと。
お父さんを残していくのが心残りだけど、今更どうしようもない。私は今笑えているのだろうか? 最後に見せる顔は――笑顔であってほしい。
七月十日、娘の葬式の日。やはり男のほうが多い。
「みなさん、娘のために集まってくれてありがとうございます。娘をどうか笑顔で見送ってあげてください。悲しい別れを娘は望んでいなかったので、娘のためにもどうか笑顔で」
私は挨拶を終え、一息ついた。泣いている暇さえない。
小太りの誠実さだけが取り得といった感じの初老の男が近づいてきた。
「大丈夫か?」
「あぁ、義父さん、大丈夫ですよ。……覚悟はしていましたから」
「わしの娘が死んだときも似たようなことを言っていたな」
「えぇ、まぁ」
「……もし娘が私に似ていたら死ぬことはなかっただろうに……」
「……私は彼女が彼女だったからこそ好きになった。その台詞はあなたの娘と私の娘を否定することになりますが?」
「そうかもしれんな、すまない。だがなどうしても思わずにはいられないんだ。――私に似ていればなと」
――美人薄命、それが彼女と娘の病。美人は例外なく、生まれながらにこの病に冒されている。治療法もまだ見つかっていない。不治の病。逃れることの出来ない運命に翻弄された女性はどれほどいたのだろう。
私は娘が眠る棺桶を覗き見た。笑顔だった。見る者を安心させるような、そんな笑顔だった。
――最後くらい笑って行かせてよ――ふっ……ダメだよな私が泣いていては。安心しろ娘よ。笑顔で見送ってやる。それが私にできる親の役目だ。
安心して行って来い、母さんのもとへ。私は一人で大丈夫だ。私には母さんとお前がくれた大切な思い出がある。それだけで私は生きていける。
……愛しい娘よ、母さんに会えたか? 会えたなら伝えて欲しい。――私は今でも愛してると。