醒めない夢のままで side夏琳
────変わらないものを、探していた。けれど、それは見つけると同時に、失うものでもあった。
目を閉じて思い返せば、すぐに色鮮やかに思い描かれる。それは優しくて、苦い感情だけを残して。
「…………ねぇ、夏夜。私は貴女に────」
────誰よりも誠実に生きていたかった。誰に対しても平等に優しく、皆から慕われるような存在になりたかった。
だから学級委員も、生徒会も、推薦されたものは何でもやった。心の何処かで推薦されることは自分の価値のような気がしていた。
────夏琳ちゃん
────夏琳
誰に対しても平等に、誰に対しても優しく。そんな自分で決めたルールに、私は次第に縛られていった。
家族は、私が推薦されると知れば、純粋に褒めてくれた。それが嬉しくて、苦しかった。
────私から「良い子」と言う「記号」を取ってしまえば、きっと他に何も残らない。
人も、期待も、優しさも、愛情も。きっとただの人になってしまえば、つまらない私には何も残らないのだ。
そんな思いは酷く憂鬱で、酷く先行きを不安にさせた。
どこへも行けない酷く空虚な自分自身を持て余しながら、流れるように時間は過ぎ、私は高校へ入学した。
高校でも、私は相変わらず「良い子」のままだった。特に孤立することもなく、それなりに友人も出来た。その「良い子」が正しかったのかと考え始めたのは────クラスメイトの「沢瀉さん」に出逢ってからだ。
彼女のことは、同学年の間でも有名だった。何処か冷たささえ感じさせる整った顔、すらりと伸びた手足。人を惹き付ける魅力は過剰な程に揃っているのに、それに惹き付けられる誰にも彼女は興味を示さなかった。話し掛けても特に何か答えが返ってくることも無く、次第に彼女は教室から孤立していった。
────沢瀉さんって、何だか取っ付きにくいね
その言葉が切っ掛けになったのかは解らない。だが、その日を境に彼女はだんだんと孤立を深めていった。
それを知ってか知らずか、休み時間に教室で彼女を見かけたことは無かった。
────沢瀉さん。私と一緒にお昼、食べない?
私は、学級委員としての立場上、彼女にそう声を掛けた。すると彼女は一瞬きょとんとしてからにっこりと笑って、
────はは、ありがとう。学級委員も大変だね。でも、ボクなら大丈夫だから荻野さんも気にしないで食事してよ
短い言葉に隠された確かな拒絶に、心臓がひやりとする。柔らかな物言いではあるが、有無を言わせない圧力のようなものがあった。
────学級委員も大変だね
その柔らかな言葉は、予想以上の重さをもって、心臓へ刺さる。「良い子」でいようとした自分を、その為に彼女を利用したことを見抜かれたような気がして。
誰だって利用されれば気分が悪いものだろう。諦めて自分の席へ向かえば、友人達がこちらへ手招きをしていた。椅子を取って席と席の間を通り近くに腰を下ろせば、「災難だったねぇ」と笑われる。
それが先程の出来事を示していると解り、「そんなこと言わないで」と返す。「彼女にも彼女の考えがあるんだから」と笑えば、彼女達は一瞬眉を潜めた後「そうだね」と笑う。
沢瀉さんは、いつの間にか席を外していた。
その日からいつも通り、私は相変わらず沢瀉さんに話し掛け、沢瀉さんは当たり障り無い拒絶を私に返した。必然的に、その間友人達と話すことは少なくなってしまったけれど、「優しいね」と笑われる度に理解をしてくれているのだと思っていた。
────……………………そう、思っていた。
違和感を思い始めたのは、沢瀉さんからの返事が少しずつ長くなってきた頃だ。少しずつ、けれども確かに彼女達に避けられているように感じ始めた。
元々五人で過ごしていたため、体育などで二人組を作る際は、必ず誰かが余ってしまう。けれども、必ずその時は相談して、他の友人と組んだり、三人組を作ったりしていた。
けれど、その日のグループ分けは、まるであらかじめ決まっていたかのように四人で組んでいた。
────結局誰か余るんだから、沢瀉さんに組んで貰えば良いじゃない
────元々奇数だし、また決め直すの面倒なんだよね
────最近一緒に居ないし。学級委員なんだから、それくらいの気を利かせてよ
言葉は無遠慮に口から飛び出して、心を傷つける。それでも、にっこりと笑って、「そうね」と返そうとした直前、
────そもそも夏琳、「いいこちゃん」すぎてノリが合わないんだよね
その言葉を皮切りに、彼女達の口から沢山の「言葉」が飛び出す。
────内申点狙ってるんでしょ?
────いいこちゃんなのに強かだよねぇ
────てかさ、
────もうあんたといても、私達にメリット無いんだよね
息が、止まってしまいそうだった。目の前のどろりとした感情から逃げるように、視線をきょろきょろと左右に動かす。何かをしていなければ、感情に呑み込まれてしまいそうだったから。
何か言わなければ、と思った。それでも、声は喉の奥で絡まって、情けなくはくはくと口を動かす。
「あ…………えっと…………」
真っ白な頭の中で、反射的にごめんねと言おうとした瞬間、「荻野さん」と私を呼ぶ声がした。彼女達の少しだけ狼狽えた表情から、声の主が沢瀉さんだと知り咄嗟に笑顔を作って振り返る。
「…………あ、ごめんなさい。どうしたの?」
沢瀉さんは、少しだけ怪訝な表情をしてから、いつも通りの無表情に戻り、「具合が悪くて。保健室に行きたいんだけど」と言ってから、ちらりと彼女達の方を見る。少しだけ茶色がかった瞳からは、その感情は読み取れない。
「ああ、それなら保健委員に────…………」
言いかけた瞬間、「あまり話したことがないから、どの子か解らなくて。荻野さんなら何回か話してくれたから、もし良ければ連れていって欲しいんだ」と言って、彼女は微かに目を伏せる。
────嗚呼、もう。
そんな顔をするのは、狡い。だって、そんな表情をされてしまえば、助けてしまいたくなるのだ。
「…………じゃあ、一緒に行くわ。先生に伝えてくるから、待ってて?」
「ごめん」と謝る彼女に、「気にしないで」と笑う。ひくり、と顔がひきつる音が聴こえた気がした。
先生の方へ向かった私には、彼女がどんな表情をしていたのかは解らなかったけれど。
「────………………」
沢瀉さんが何かを、彼女達の方へ向かって呟いた声が聴こえた。
────夏夜と仲良くなって、少し経ってから、彼女達になんと言ったのか、尋ねたことがある。夏夜には、「さあ?忘れちゃったな」なんて、はぐらかされてしまったけれど。
体育教師に告げれば、「残り時間も少ないから、そのまま教室に戻って良い」と言われる。「学級委員は大変だな」なんて言葉には、曖昧に笑って。
「沢瀉さん────」
振り返って彼女の方へ声をかければ、少しだけ顔を青ざめた彼女達と、相変わらず何を考えているのかは解らない彼女が向かい合って立っていた。
彼女は私の呼ぶ声に気付くと、「ありがとう。ごめんね、付き合わせて」と微かに笑う。
「………………ううん、大丈夫。行こう」
荻野さんが先に歩き、後に続く私が彼女達の方をちらりと振り返る。すると、バッと思い切り目を反らされてしまう。
随分と嫌われてしまったんだな、なんて寂しい気持ちで前を向けば、先に歩いていた沢瀉さんがこちらを振り返って待っていた。それが妙に嬉しくて、小走りで彼女の方へ駆け寄る。
体育館の外のコンクリートの廊下を二人で歩く。とんとん、と二人で上履きを鳴らして歩けば、先程よりも具合の良さそうな────と言うよりも、むしろ健康そうな沢瀉さんの姿が映る。
「沢瀉さん、具合どう?見た様子では歩けるみたいで安心したけれど」
思わず声をかければ、ぴたり、と彼女は動きを止める。そして「うーん」と小さく唸り、
「具合ねぇ……どこが悪いことにしようかな?」
その言葉に、「やっぱり」と思う。あのタイミングで、彼女が声を掛けてきたのは、きっと────
「………………沢瀉さんって、悪い子だったのね」と呟けば、「子供だからね」と笑われる。
「荻野さんは良い子だからね。このままボクを保健室へ連れて行って、ちょうど良い頃合いで教室に戻ると良いよ。ボクは次の時間まで寝るけど」
「連れてきてくれてありがとう」と言って笑う彼女に、次の時間に国語のグループワークが控えていたことを思い出す。彼女は確かあまり話したことの無い五人班で、私も先程の五人と同じ班だ。
「グループワーク?」と問えば、彼女は「そうそう」と言う。
「仲の良い四人で組んでいた所にボクが入ったからね。グループワークは今回だけだし、ボクが居ない方が円滑に進むよ」
だからボクはまだ具合が悪いことにするよ、と彼女は笑い、保健室のドアをノックしようとした瞬間、
「………………痛たっ、ふふ、私はお腹が痛いみたい」
これで私も共犯だね?と笑えば、「狡いなぁ」と笑われる。
「腹痛はボクが使おうとしてたのに」
その言葉に、二人で顔を見合わせて笑う。「バレたら大変だ」なんて、悪戯めいた甘い視線にどきりとする。
「共犯、ね」「はは。良いね、それ」
荻野さんとなら楽しそうだ、なんて笑う彼女に、「ねぇ」と声を掛ける。
「なに?」「…………あの、どうして教室では、そんな風に笑わないの?」
沢瀉さんは一瞬驚いたように目を見開くと、少しだけ悲しそうな目をしてから「内緒」と呟いて笑う。
ずるいなぁ、と笑えば、「荻野さん、鋭そうだから」と笑われる。「あんまり、知られたくないんだ」とも。
その少しだけ寂しげな目に、他の誰かが映っているような気がして。気付けば、思わず声に出していた。
「………………夏琳」「…………え」
「私の、名前」「…………はは、本当、君って面白い」
綺麗な名前だね、と呟いてから、彼女は「良いよ」と笑う。
「────ボクは、夏夜。沢瀉、夏夜」
「かよ」「そう。…………はは、久し振りに名前で呼ばれた」
そう言って、彼女は懐かしそうに目を細める。
「家族は、「お姉ちゃん」って呼ぶから。名前で呼ばれたのなんて、本当に久し振りだ」
好きだけどね、と微かに笑う彼女が、少しだけ寂しげな顔をしていて居るように思えて。思わず、「私が呼ぶわ」と声を上げた。
「私が、呼ぶわ。何度も何度も、貴女の名前を呼ぶわ」
彼女は呆気に取られたような表情をしてから、少ししてくつくつと肩を震わせる。
「…………っ、はは……っ!夏琳、本当、面白い……!……っ、ふふ……っ!」
まるでスイッチが入ったかのように笑う彼女を見て、今度は私が呆気に取られたような表情をしてしまう。
目の前の笑い転げる夏夜と、狼狽える私の声を聞いて、「こらっ」と保健室の先生がドアを開ける。
「お喋りするなら教室に戻って────…………あら、沢瀉さん。どうしたの?」
不思議に思って彼女の方を見れば、「暫くここでお昼ご飯を食べてたんだ」と笑う。「誰も居ないときだけね」と、先生もその後に言葉を続けた。
「先生、お腹が────」「こら、もうその手には乗らないわよ」
彼女は、こちらを見て「バレた」と笑う。前にも同じ手を使ったらしい。
「グループワークなんです」「あらあら、大変ねぇ」「思ってないなぁ」
「だって、お友達が出来たんでしょう?」
先生は、優しい目をしてこちらを見る。その目には、変わらない優しさが宿っていた。
「友達…………」
私と夏夜は、お互いを見て首をかしげる。すると、「ふふ」と先生の優しい笑い声がする。
「貴女達って、良く似ているわ」
友達って、きっと気付いたらなっているのね、と、先生は何処か懐かしげに目を細めて笑う。言葉の意味はあまり解らなかったけれど、彼女と過ごす未来が、少しだけ楽しく思えた。
「んー…………」
彼女は、小さく唸り、おもむろに右手を差し出す。それは、思わず見惚れてしまうほどに、綺麗な仕草だった。
私は思わず、差し出された手を取る。すると、彼女は少しだけくすぐったそうに、微かに笑って
「ボクと、友達になってくれないかな」
君にきちんと伝えたくて、と真っ直ぐにこちらを見つめて彼女は笑う。それは、どうしようもなく純粋で、真っ直ぐで。
頭の何処かで、差し出されたその手をとった瞬間に、何かが変わりそうな予感がしていた。
だから、私は────小さく笑って、彼女の手を取った。何かを変えるのならば、彼女と変えてみたいと思った。
「………………私、「いいこちゃん」だから、夏夜とノリが合わないかもしれないよ?」
ずっと、心に棘のように刺さり続ける言葉を口に出せば、彼女は少し驚いたように目を見開いてから────ゆっくりと笑った。
「…………はは、そんなの当たり前だよ。皆が皆、同じ人間でなくて良いんだ」
ボクは、君といるのは凄く楽しいよ、と彼女は笑う。誰かと居て、こんなに楽しいのは久し振りだとも言った。それが、堪らなく嬉しかった。
「………………も」「ん?」
私は、震える唇で、そっと言葉を紡ぐ。開いたドアから消毒液の匂いと、微かな風が吹いて、そっと頬を撫でて消えていく。
────嗚呼、そうか
私は、目の前で微笑んだまま、言葉を待っていてくれる夏夜を見る。夏夜は、風に似ているんだ。
優しくて、心地よくて、それでも、何処か冷たい風に。だからきっと、掴まえ続けていることなんて出来ないし、いつかは互いに離れていってしまう。
だから、共に居たいと思った。これから先の未来を、ずっと。
「私も────貴女と一緒に居たい。これから先の未来も、ずっと」
すると、彼女はゆっくりと微笑む。それは、どうしようもなく綺麗だった。
消毒液の匂いと、遠くで見える先生の優しい笑顔。そして、夏夜の笑顔。そのどれもが、胸が詰まりそうなほど、堪らなく愛しかった。
変わらないものは、きっと無い。いつかは必ず変わっていくのだ。この想いも、私も、夏夜も。
それでも、傍に居たいと思った。例え一番でなくとも、そこに居ることが許される存在になりたいと願った。
夏夜は、「熱烈だね」と呟いて、握った手を微かに強く握り直す。その手が微かに震えていたことに気付いたのは、きっと私だけだ。
「ボクは、ずっとずっと昔から、誰よりも大切な子が居るんだ。………………だから、何よりもその子を優先してしまうことの方が多い」
でも、と彼女は付け足す。何処か寂しそうで、けれど、とても嬉しそうだった。
「ボクは────君が好きだよ。真っ直ぐで優しい君と居るのは、暖かくて、楽しい。何度も何度も、一緒に季節を巡って、今よりもずっと、お互いが仲良くなる日が来て。そんな日が、とても楽しみなんだ」
私は、高鳴りだした心臓に気付かない振りをして、ゆっくりと頷く。
────夏夜は、少しだけ泣いていた。
それから、夏夜と何度も何度も、一緒に季節を巡った。春には桜を見て、夏には一緒に汗をかいた。秋には紅葉を見て、冬は一緒に白い息を吐いた。彼女に惹かれていると気付いたのがいつだったか、今ではもう覚えていない。
気が付けば彼女を目で追っていた。笑った顔、少し困った顔、驚いた顔。そのどれもが、堪らなく愛しかった。
同時に、彼女から妹に対する感情にも気付いていた。それが私へと向くことは無いと言う事にも。
気づいた上で、それでも傍に居たかった。甘くて優しくて、少しだけ苦いこの夢を、まだ見続けていたかった。
気付かれなくても、それでも良いと思っていた。「友人」として傍に居られるだけで、幸せだった。
だけど────…………
「………………織歌に、受け入れて貰えたんだ。ボクが彼女を好きなことも、彼女への感情も、全部」
放課後、夏夜に呼ばれ人気の無い教室へと出向けば、目の前の彼女は、相変わらず綺麗で真っ直ぐに笑った。私は────…………少しだけ、臆病になっていた。
「…………そう、なの」
動揺を小さく呑み込んで、にっこりと笑顔を返す。
「おめでとう」
────そんな事、思っても居ないくせに
頭の中で、小さく呟く声が聞こえた気がした。
夏夜は、「ありがとう」と笑う。「夏琳には、一番に伝えたくて」と言う彼女の目は、少しだけ申し訳無さそうに逸らされていた。
その目を見て、初めて気付かれていたことを知った。こんな甘くて、苦い感情に。
────もしも、あの何かが変わりそうな予感が、この事を指していたのなら。それは、あまりにも残酷だろう
苦くて痛くて、けれど少しだけ甘い。それはまるで、じわりじわりと身体を蝕む毒みたいに。
夏夜は逸らした目線をもとへ戻すと、ばちりと目線が噛み合う。すると、夏夜は気まずげに行き場を無くした目線を下へと向ける。
「………………っと、ごめん………………」「…………ううん」
生温い夏の風が、少しだけ開いた窓から滑り込んで夏夜と私の間を通り抜けて消えていく。
じくじくと熱く感じるのは、きっと冷房の効いていない部屋だからだ。
今なら、きっと。口を滑らせても、全て暑さのせいに出来るのかな、なんて考えて、そんな事は無いと思い直す。こんな感情が熱のせいにされるのは、酷く寂しかった。
「…………ね、夏夜」「…………ん、どうしたの、夏琳。改まって」
さぁ、と風が強く吹いて、カーテンを大きく膨らませる。夏夜は少しだけ訝しげに、それでも私の言葉を待っていてくれる。
私は、彼女の手を取る。初めて出逢った日に、彼女が私に手を差し出してくれたように。
夏夜は、少しだけ戸惑った表情でこちらを見る。顔に熱が集まって、酷く熱い。
「私は────…………貴女のことが、息も出来ないくらいに好き」
夏夜は、一瞬驚いたように目を見開いて、すぐに申し訳無さそうな表情をした。その表情に、本当は彼女はずっと、私の気持ちに気付いていたんじゃないかなんて思ってしまう。
夏夜は、伝えることを迷うように瞳を揺らし、目を伏せる。色素の薄い髪を風が揺らす。
なんでボクなんて、と彼女が小さな声で呟く。貴女が救ってくれたから、と答えれば、彼女は再び黙ってしまう。
遠くで、運動部の掛け声が聞こえていた。
「………………っ、ボクは────………………」
夏夜の声が、静寂を突き破るようにして響く。その声に、ぴくりと肩を震わせる。
夏夜は深呼吸して、吐き出した息に乗せるようにして言葉を押し出した。
「……………………ボクは、君を「恋人」としては愛せないよ」
夏夜は、私よりも泣き出しそうな表情をして呟く。失いたくないから気付かない振りをしていた、と、まるで罪を告白するかのように、俯いたまま言葉を吐き出した。
私は────それが、とても嬉しかった。彼女の中に、ちゃんと「私」が存在していたことが、叫び出しそうな程に嬉しかったのだ。
────良かった、と私は呟く。その言葉がどうして見付かったのか、理由はもう知っていた。
「これからも友達で居て」と呟けば、「もちろん」と彼女は返す。それが堪らなく悲しくて、嬉しかった。
────彼女は、本当に何も変わらない
今も昔も、綺麗で優しい彼女のままだ。
変わらないものが欲しかった。けれど、それを手に入れれば、変えてしまいたくなった。
けれど、本当は少しずつ変わっていたのかもしれない、なんてつまらないことを考えてしまう。
私は「また明日」と笑って、教室を出る。子供のように泣き出してしまいそうな顔を、彼女にだけは見られたくなかった。
「か………………」
夏夜は、私の名前を呼び掛けて、途中で思い直したように止める。声に出ては来なかった私の名前は、そのまま暑さに融けてしまったようだ。
彼女が私を呼び止めなかったのは、自分が私を傷付けたと思っていたからだろう。彼女はそう言う人だから。
私は彼女の方を見ることが出来ずに、教室を出て玄関で靴を履き替える。何か感情とは全く別のことをしていなければ、声をあげてその場で蹲って泣いてしまいそうだった。
────最初は、刷り込みのようなものだと思っていた。
助けてくれたのが、傍に居てくれたのが。私といることを、「楽しい」と認めてくれたのが夏夜だったから。きっと刷り込みのように彼女に依存していたのだろうと。それを恋愛だと錯覚していたのだろうと。
それでも感情は日に日に加速していって、それは酷く私を戸惑わせた。清廉な彼女にこんな邪な感情を抱くことが、間違いだと思っていた。
それでも────…………伝えてしまいたかった。こんな苦しい気持ちを、もう一人で抱え続けていくのは限界だった。
ぽつぽつと歩きながら、私はいつだったか、織歌ちゃんと交わした言葉を思い出す。
────好きって気持ちだけで、全部上手くはいかないよ!
その言葉に、私は何も返せなかったけれど。本当にその通りだ、なんて思って、自嘲してしまう。
織歌ちゃんと夏夜は、正反対のようでとても似ている。それは、流石姉妹と言うべきか、悩んでしまうけれど。
真っ直ぐで、優しくて────私には、眩しすぎるのだ。
いつも、夏夜と別れる歩道橋へと差し掛かる。いつもなら、彼女に小さく手を振って、特に止まりもせずに歩いてしまうのだけれど。
ふと歩道橋の真ん中で足を止めて空を見れば、夕焼けが町を呑み込んでいて。いつか昔、夏夜が言っていた言葉を思い出す。
────ボクは、夕焼けが好きだよ。温かくて、綺麗で、優しくて。そうだな────夏琳に、少し似ている気がする
それが堪らなく嬉しくて、一人でもぼんやりと夕焼けを眺めていた。
例えば、夕焼けが変わらずこのままの姿で何十年も何百年も傍に在り続けるのならば。変わらないものがあると信じていられるのかもしれない。
私はぼんやりと夕焼けに手を翳す。翳した手は影を作って、指の隙間から光が零れる。
「────………………」
思わず口をついて出た言葉には、気付かなかった振りをして。少しして、夕焼けから顔を背けて少しずつ歩いていく。
────いつか貴女にとって、私が「恋人以上の友人」になれますように
そんな身勝手な願いを呟けば、彼女の幼い想い人の姿を思い出してくすりと笑みを溢す。叶わない、身勝手な私の願い事を知っているのは、夕焼けと私だけだ。
────いつか心の底から、「おめでとう」と伝えられる日が来たら。
その時はまた、あの綺麗な笑顔で私の名前を呼んで欲しい。
「────………………大好きよ、夏夜」
きっとずっと、この痛みと彼女の優しさと共に、何度も何度も沢山の季節を巡って行くのだろう。
彼女の隣はずっと昔から決まっていたけれど。彼女に少しだけ近い位置で笑うことが出来るのは。…………大好な彼女の傍に、ずっと居られるのは、友人の特権だと思うから。
今だけは貴女へのこの想いも痛みも、どうか醒めない夢のままで。
私は夕焼けにそっと背を向けて、少しずつ階段を降りていく。
終わっていく今日と、未来への予感を感じながら。
────ごめんね、夏琳。今日委員会で一緒に帰れない
目の前で「申し訳ない」と手を合わせる彼女に、「大丈夫よ」と笑う。「委員会頑張って」と言えば、彼女はゆっくりと口元を綻ばせて、「ありがとう」と笑う。
────じゃあ、そろそろ始まっちゃうから、行くね。気を付けて帰ってね
夏夜はそう言うと、忙しそうに廊下を走っていく。その姿を引き留めてしまいたくなって、けれどもその寸前で何とか押し止める。
すぐに帰る気にはなれず、図書館で時間を潰そうと振り返った瞬間、
「あ、のっ!」
微かに消えてしまいそうな声に、足を止める。振り返れば、そこには同じクラスのクラス委員が立っていた。
今年も推薦されそうになった私を、「荻野さんは去年もやっていたよね」と夏夜が発言をし、さりげなく推薦の枠から外してくれた事を思い出す。
その後、夏夜を含めたクラス委員未経験者が集まって、平等にじゃんけんで決め、決まったのが彼女だった。
「どうしたの?」
私は、にっこりと笑って彼女に返事をする。すると、彼女は先程よりも頬を赤らめて、
「お、荻野さん、去年クラス委員だったよね?」
その言葉に、思わず身構える。「なんでやらなかったの」と言う言葉を予想していれば────
「く、クラス委員の仕事、わからないところがあって……。教えて貰っても良い、かな」
その言葉に、初めてきちんの彼女の顔を見れば、彼女は泣き出しそうな顔をして言葉を紡いでいた。
その姿が、去年の自分と重なって見えて。「もちろん」と返せば、彼女は嬉しそうに笑った。
────気付かなかっただけで、見ていてくれる人も居たのかな
先程別れた夏夜の姿を思い浮かべて笑えば、目の前の彼女は、不思議そうに首をかしげた。
その姿に、思わず笑い掛ければ、彼女は目をそらして俯く。
「あ、えっと、わからないところって、どこ?」
慌てて話題を変えれば、「あっ、うん」と彼女は書類を取り出す。
「この話なんだけど」「ああ、それは……」
彼女と言葉を交わしながら、ふと、夏夜がひっそりと仕事を手伝ってくれていた事を思い出す。
ああ、好きだなぁ、なんて思えば、一通り質問を聞き終えた彼女から、再び「あの」と声を掛けられる。
「わからないところ?どこ?」と返せば、彼女は左右に首を振って
「あの、私と、友達になってくれないかな」
その誘い文句が、「誰か」に似ている気がして。思わず「夏夜みたい」と返せば、「違うよ」と彼女は真剣な瞳をして呟く。
「違うよ。荻野さんの事が、もっと知りたいの」
その言葉に、出会った頃の夏夜の言葉を思い出す。そして、「あなたとなら楽しそう」なんて、夏夜の言葉を借りて、彼女に返せば、彼女は「あの子みたいね」と小さく呟いた。
「え?」「ううん、何でもない」
彼女はそう言って、笑う。「嬉しい」と言って。
────何かが変わりそうなあの予感が、再び訪れたような気がした。