Lunch
昼食をアドロア一家からご馳走してもらいシンとオリビアはフローレットの家を後にした。
来た時とは違うルートを通りながら少し先を歩くオリビアがシンを見た。
「何?」
視線に気付いてすっかりいつもの穏やかな笑顔を向ける。
「シン…イーニーさんに本当に体を渡したの?」
「…うん、まぁそうなるのかなぁ」
「そんな事できたの、コエケシって」
「いや…した事なかったんだけど、コエと向き合ってるうちに出来るんじゃないかなぁって。最終的に渡してしまって大丈夫かなって決めたのは渡す直前だったけど」
じっ、とオリビアはシンを見つめてプイっと顔を戻した。
何を見られたのか分からずに首を傾げた。
館に着いてもオリビアは不機嫌そうな態度をしたままだった。
どこでオリビアの機嫌を損ねたか量りかねてしまい、自分の部屋で強制的にベッドへ連行された時に訊ねてみた。
「何をそんなに怒ってるの?」
オリビアはシンを再び見つめる。
「危ないよ…」
呟かれた言葉に凄く気持ちが入っている気がした。
「え?」
「あんなの危ないよっ! なんであんなに危ない事するって教えてくれなかったの?」
オリビアの大きな声にシンは思わず言葉を返す。
「あ、でもさ…直前までわかんなかったし、それに前もって準備は一応したんだ」
「準備?」
鋭く聞かれて頷く。
「そうだよ。ウィニー情報特務官のコエを全部探すために深層意識まで行って集めたり…」
「そんな事をしてたから、三日も起きなかったんでしょう?」
「そうだけどさ…」
頭ひとつ分下にある彼女の目を見るとにらまれてしまう。
「シンは…私が心配するって考えないの?」
心配、自分の身の心配そんな事をされた記憶がシンの中にはない。
心配されるのはいつも軍の中での働きがちゃんと出来ているか、能力の事であってシン個人に対してではない。
昨日のオリビアの涙を思いだす。
自分のために泣いてくれる人は今までいたのだろうか?
オリビアの手のひらの包帯の白さが目に入る。
昨日こっそりマキが教えてくれた。オリビアがシンの事であまりにも力を入れすぎた事で自らを傷つけてしまったこと。
オリビアが見てくれるのはいつもシンという人に対してだ。
「…ごめん…今まで考えてきた事なかったかもしれない」
「そうだよ、おばあちゃんのことは心配するくせに自分のことは全く気にしない」
オリビアの手が伸びてきてシンをとん、と叩く。
「いつもいつもそう。村が襲われた時だって、家に居てって頼んだのに一人で行っちゃう。私がどんなに心配しているのかなんて考えてくれないっ」
力は入ってないけど、オリビアの言葉と手で押される体にシンは気持ちがぐらつくのを感じる。
「ごめん…今度からちゃんと相談するよ…」
「本当に?」
何とか言葉をかけるとオリビアがピタリと動きを止めてすぐ近くで見上げてくる。薄っすら目元がまた水分を持っているようだった。
「本当にそうする」
「今の言葉覚えたからね。何をするかとかちゃんと言ってね?」
真剣に言われて頷く。
「うん」
少し安心したようにオリビアは微笑を作る。
「…よかった。今日みたいなところ急に見せられたら私本当に泣いちゃうかも」
「泣くの?」
少し好奇心で聞いてみる。
「…だって、体乗っ取られてるし…戻って来るかもわかんない。その上いくら中身がイーニーさんでもおばあちゃんと口づけしちゃうし…」
オリビアが力強く呟く。
「悔しいじゃない、私だってしてもらった事無いのに」
「していいの?」
「え?」
後半は無意識に呟いていたらしく聞き返したシンにオリビアはきょとんとする。
一応、丁寧に聞いてみた。
男だったら拒否される事を覚悟の上でも了承は取るべきだよね?
「だから、オリビアに口づけしていいの?」
オリビアの顔が一気に真っ赤になる。
オリビアがその勢いで後に下がろうとするのを肩を掴んで引き止めた。
「え、と…」
「ん?」
オリビアが目を泳がせながら返事をする。
「…頬になら…いいよ」
かすれるような小さな答えだったけど嬉しくてにっこり笑うとオリビアは更に赤くなった。
「目、瞑ってくれる?」
「え、でも」
「いいから」
きっぱり言うとオリビアがおずおずと瞼を伏せる。
オリビアの少し顎を上に引くと素直に目を瞑ったままの彼女に口づけた。
その柔らかい唇に。
「ちょっ、シン! 頬にって言ったのにっ!」
オリビアは腕を振り上げてシンから離れるように身を引いた。
片手では口元を押さえて警戒する彼女に微笑みかける。
「そうだった? いいよって返事しか聞こえなかった」
しれっと答える。
オリビアはしばらくなんか言おうと口を開いていたが諦めたように腕を下ろす。
赤い顔のままシンの体をベッドのほうへ押す。
「…シンは早く休んで。疲れてるんでしょう」
「そうだね、そうするよ」
確かにシンの体は鉛のように重くて昨日少し回復したと思っていた体力は使い果たしてしまったようだった。
オリビアが近くにいる事はシンを安心させる。
どうせならオリビアと過ごす日々をフィードバックさせるような生活が楽しいかもしれない。
そっと微笑むオリビアのもとでここ数日で一番安らかにシンは眠りについた。
記憶の中に埋もれる事なく、きっと彼女との夢物語を見るために。
数日後、シンは館の裏にある中庭にいた。
隣りにはゆったりと微笑む彼女がいる。
「おばあちゃん、これでいいの?」
庭の物置からオリビアの声が聞こえる。
シンとアドロアが振り返るとちょうどオリビアが顔を出してフローレットに道具を渡している所だった。
「それでいいわ」
アドロアが答えると二人がシンの隣りまでやってくる。
「はい」
「ありがとう」
フローレットがシンに道具を手渡す。
「んー、じゃあサクッといきましょう」
シンは勢いよく手渡されたスコップで土を掘り返した。
オリビアとフローレットも同じように土をいじる。
アドロアが後からそっとシンに袋を渡した。
手際よく袋を逆さまにする。ざらり、と音がしてシンの手のひらには沢山の種が落ちてきた。
「オリビア、フローレット手をだして」
差し出された手に粒が渡される。
――種はデルフィニウムのものだ。
シンが言い出したのだ。
自分の目に見えるところに白いデルフィニウムを育てたいと。
アドロアがその光景を見ているかのように一層微笑んだ。
「デルフィニウムを育てるプロが僕にはついてるから上手に育てられそうだ」
彼女に、シンの中にいるイーニーにデルフィニウムを近くで見せたい。
そんな思いが宿ったのはそれだけコエと向き合ったから。
「来年の今頃は綺麗に咲くはずよ」
「そうしたら、アドロアさん、フローレットと見に来てくださいね」
「ええ、もちろん」
来年も数年後もこの季節デルフィニウムは庭を彩るだろう。
その都度、皆微笑みを浮かべるはずだ。
おしまい
シンの能力について詳しく書いてみたい、そして彼の成長を書きたいと思い書いたお話でした。
お付き合いありがとうございました。