catch
歩み始めたシンの前には想像以上の邪魔が入った。
その全てが自分のせいだとわかっている。
自分の前に本棚からこぼれる様にしてコエが落ちてくるのだ。
それは食べたくせに自分がよく見もせずに本棚の奥に隠しこんだものばかり。今までの自分の臆病さがここに来て邪魔をしているのだ。
戦争、怪我、誰かの死、飢餓、人間のあらゆる暗い部分。
最近は苦い記憶を食べる事がほとんどなくなっていた為、それはシンにとって難関だった。
もう一度消化をしなおさなくてはいけない。自身の記憶を本当に食べるのはまるで地獄行くようなものだけど、深層意識で整理する分には気絶まではしなくても大丈夫そうだった。
でもそれは今、全部するわけにはいかないのだ。丁寧に要求されるコエたちを目に付く所により分けるしかない。
「今後、処理予定だからちょっと待っててな」
自分が本当にしなくてはいけないのは彼の記憶を探し出す事だ。
どこに彼の記憶たちがいるのか…それをシンは知っていた。ただ、どうした事かそこまでなかなかたどり着けない。
より分けるために触れる記憶たちからでも苦味は広がり自身を痺れさせる。
「よしっ!」
シンは気合を入れると走り出した。
途端に自分の上に降り注ぐコエたち。跳ね除けながらある一点だけを目指す。この深層意識に入った時、最初からそこだけはきらきらと輝き続ける。
本当なら、自分が強く願うだけで引き出されてくるコエたちをまさか自分が迎えに行くとは思っていなかった。
そう思った瞬間、ごんっ! と頭部に衝撃を感じる。
「なんでっ」
意識の中なのに痛い…軽い身のこなしですべての記憶たちを避けてきたというのに急激に近づいてきたものに反応が追いつかなかったのだ。
シンは恨めしげに今自分にぶつかった記憶を覗きこむ。なかなかの硬度だ。
「そんなに僕に食べて欲しいわけ?」
シンはそっとそのコエを捕らえる。
その途端、嬉しそうに口元を緩めつつ苦味に眉をひそめる。何ともいえない顔になった。
「やっと見つけましたよ、イーニー・ウィニー情報特務官」
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「ん」
やっと現実の世界へと意識を戻してシンはゆっくりと瞼を開けた。そしてかなり近い所に涙を浮かべるオリビアの瞳と視線を合わせる。
「あ…おはよう」
とりあえず口に乗せた言葉にオリビアの目からは涙が零れ落ちる。
「おはようじゃないよ…」
「え、違うの?」
窓のほうに顔を向けると、どうみても朝のように見える。
「本当に…よかった」
オリビアの泣いている理由が分からないけどそっと頭を撫でてやる。
しばらく涙を溢していたオリビアだが落ち着いてきたらシンをじっと見つめる。
ただでさえ綺麗な顔をしているのにそんな濡れた目で見られたらドキドキしちゃうなぁ、と心の中で考えていたシンの思考はオリビアが呟いた言葉に吹き飛んだ。
「3日も眠り続けて、本当にシンが死んじゃうんじゃないかとおもった…」
「み、三日も?」
こくん、と頷いたオリビアにシンは驚きを隠せなかった。
「僕としては、一晩眠ってただけのつもりなんだけど」
シンの手のひらを捉えるとオリビアは真剣にシンの手首に指をあてる。
数分間そうしたあとオリビアがベッドの脇に座り込んだ。
「体温もすっごく低くて、冷たくて…私のせいでこんな事になって…ごめん」
「なんでオリビアのせいになるんだ?」
「私が、シンに無理させるようなこと言ったから…」
オリビアの顔が暗い訳が分かってきてシンは首を振る。
「何言ってるんだ。僕は自分の意思で意識に潜ったんだ。オリビアが責任を感じる事なんて全くない…それに…僕が自分で滞在しちゃったみたいだから」
シンの言葉にオリビアが不安げに首を傾げる。
「…沢山のコエの中から僕はどうしても見つけたい記憶があってそれを探してたら起きる事が遅くなったみたいだ…」
オリビアにそっと笑いかける。
「オリビア、キミは何も悪くない。それよりもお礼を言う、ありがとう」
「大丈夫なの…?」
「うん、何とも無いよ」
起き上がり立ち上がろうとするシンをオリビアは押し止める。
「だめっ、ちゃんと診て貰ってから起きて」
「でも、僕しなくてはいけないことがあるんだ」
「お願いだからっ」
また真剣に告げるオリビアの言葉にシンは降参する事にする。
サイモン医師を呼びにオリビアがいなくなるとシンは深く息をついた。
本当は今すぐにでも自分は動かなくてはいけないという衝動が体を支配していた。
きっとオリビアがあんなに真剣に止めたりしなければ自分は走り出していただろう。
はやる気持ちと、まるで自分ではないこの思考。
それでも、こんな風になってもコエに体を奪われている事なんてちっとも思わない。
「少しは成長できるかなぁ」
「なにが?」
いつの間にか口に出していた言葉に質問が入りシンはそちらに顔を向けた。
「何やってんだ、シン」
呆れ顔のサイモンは無骨な手でシンの目元を引っ張りながら覗き込んだ。
「大丈夫だな、全く人騒がせな寝坊だ」
軽く額を指で弾かれてシンは憮然とする。
「いつの間にか3日も過ぎてたんですよ」
軽く眉を上げるとサイモンは口元を引き締める。
「ただ眠ってただけなのか?」
「…記憶の再生と発掘作業してたらいつの間にか深層意識に籠もってしまってたみたいで」
「深層意識か…」
サイモンは村の医師をしながら能力者についての研究もしている。シンもそれを手伝っているので、サイモンがサンプルとして聴取したいのはわかる。
サイモンはちょっと考えるようにしていたが、ため息をついて腰に手を当てる。
「詳しくは今度にしとくか、オリビアに睨まれる」
「今度たっぷり報告してあげますよ」
シンから離れると彼はオリビアと小声で言葉を交わして出て行った。
「今日は安静にしておいてね」
「…わかったよ」
次の日の早朝、シンはこっそりと館から抜け出した。
夜の間にオリビアの手料理を食べて腹ごしらえもしたし、正直これ以上衝動に耐えてベッドの上にいる事が苦痛だったのだ。
館の前の広場を通り抜け、村の外に通じる隠し扉へと早足で進む。複雑な道順でも最初に教えてもらった抜け道なので迷わずに進む事ができた。
「シン」
隠し扉に手を掛けたところで後から聞き覚えのある事がする。
「…オリビア」
彼女は上目使いにシンを見る。
「どこに行くつもり?」
「どうしてここにいるの」
「…馬鹿ねぇ、ここをどこだと思ってるの。能力者の村、プレセハイドよ。貴方の行動なんてサキヨミすればあっという間。それにこの隠し扉シンは知らないだろうけど、夜から朝にかけては門番がいるのよ。残念ね」
シンはすらすらと出てくる言葉になんだかオリビアの兄を見た気がして苦笑いを漏らす。
「…それで、どこに行くつもりだったの?」
重ねて訊ねられてシンは正直に告げる。
「外に探し物をしに」
何を、という所があえて告げられずにオリビアはシンを恨めしげに見る。
「私もそれについて行ってもいい?」
「いいよ」
オリビアと一緒に扉の外へ出ると外にある畑を抜ける。
早朝と言う事で少し肌寒いがシンは木々の間を見つめながら歩く。森の中でも気ばかりではなく小さな陽だまりなどになるところを探しながら足をすすめていた。
「何をさがしてるの、いい加減教えてよ」
オリビアが口を尖らせる。
「…デルフィニウム、それも白だ」
「デルフィニウム? 何でそんな物を…」
まさかそんなものとは思ってもいなかったらしくオリビアが立ち止まる。
シンも歩みを止めて口元に笑みを浮かべる。
それはとても愛おしそうに。
「彼女に贈る花なんだ」
「かのじょ…」
「あぁ、デルフィニウムは彼女が大好きな花でいつも愛おしそうに撫でる。僕は彼女にあの花を渡して、そして告げなくてはいけない」
シンは語ることに夢中でオリビアが不愉快そうに眉根を寄せた事に気付かなかった。
「それがどこにあるのか知ってるの?」
「いや…この前ラビと外に出た時に見た気がするんだ。今も青系統ならいくつか見たけどさ」
白は見当たらなくて、と小さく呟くシンにオリビアはため息をつく。
「こっち」
オリビアはシンの腕を引くと歩き始めた。
10分ほど歩いたところで少し開けた場所にでる。乱立する木々が10本分くらい無くなって日が良く当たる。
「あ…」
シンは嬉しそうにそちらへ近づく。
「のわっ!」
途中雑草の中に隠れていた木の根に足をとられて倒れこんでしまう。今回は顔の近くに大きな石など無く掠り傷で済んだ。
それに…すぐ目の前に目的のものがきていた。
すっと綺麗に立ち長い花穂に鈴なりに花をつけ、それはまるで妖精が沢山集まっているように朝露でキラキラと光り輝いている。
じっくりと眺めるシンの顔も本当に喜びを表していてひとつの絵のようだった。
「ちゃんと白だ…ありがとうオリビア」
薄い紫が主流の種類だけに真っ白のデルフィニウムをオリビアが知っていた事は奇蹟のようだった。
シンはデルフィニウムを丁寧に本当に大切に扱い持ち帰った。
帰り際にシンが嬉しそうにしているのを少し面白くない気持ちでオリビアはみていた。
自分ではなく他の人のために希少なデルフィニウムの白い花を探しに出てくるなんて…本当はもっと部屋で休んで欲しいくらいだった。
けれど彼の様子から、それを止められそうになかったのだ。だからサキヨミしてもらってついてきた。
思わずデルフィニウムの場所を教えてしまったけれど、『彼女』が誰なのかわからない今ちょっと不満だった。
「シン、私も一緒に花を持っていっていい?」
シンはちょっと驚いた顔をしたけど、頷いた。
「うん。できたらオリビアも誘おうかと思ってたし」
デルフィニウムについての記述は適当なので、白が珍しいとかはないと思います。